14話目 『巨体の鬼』
ねんねこ ねんねこ 愛しい子
銀の月夜に 花が咲く
あなただけの 夜の庭
白い小鳥が 夢へ舞う
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――《第一区画》
「広いな」
思わずそう零していた。他の区画とは異なり、廊下はドーナツ状の構造をしている。外側に位置する部屋は今までと変わらない。無機質な扉、殺風景な内装、薬品棚と実験器具ばかりが並ぶ空間。
だが内側は違った。ドーナツの穴に当たる部分。そこだけが一つの巨大な部屋として構成されている。まるで何かを閉じ込め、何かを隠す為に意図的に作られたような異様な構造だった。
現在、その入口を探していた。しかし中々見つからない。
「怒ってるよね……」
ぽつりと呟く。
梅雨、桜羽、梅忌と三人の顔が脳裏を過った。突然扉を閉めた。何の説明も、何の相談も無く。裏切られたと思われても仕方がない。見損なったと言われても反論出来ない。理解はしていた。理解した上で残った。
『口』から出ようと思っていたのも事実だ。道中、脱出への期待で胸を弾ませていたのも事実だった。
ようやく終わると、ようやく帰れると、そう思っていた。
「だけど、無視できないよ」
足は止まらなかった。微かな声が聞こえたからだ。
防音、遮音とこの施設は外部へ音を漏らさないよう設計されている。だが扉は違い、完全ではない。
だからこそ聞こえた本当に小さな音、本当に微かな声。助けを求めるような、苦しみを訴えるようなそんな声が耳に残って離れなかった。
そして何より
「俺の、記憶……」
確信は無い、証拠も無い。
だがここに何かがある気がした。失われた記憶へ繋がる何かが。知らん振りなど出来なかった。見なかった事には出来なかった。だから戻って来た。
「いる……」
雪月は足を止める。視線の先、巨大な影、ここへ来て最初に遭遇した『鬼』。あの異形がそこに居た。
合点が行く。あの『鬼』は守っているのだ、中央に位置する巨大な部屋を。もしくは監視していた、近付く者全てを排除する為に。そう考えれば辻褄が合う。
広大な空間に高過ぎる天井。巨体が活動するには十分過ぎる環境だった。ここは奴の縄張りであり奴の世界。侵入者を拒絶する為だけに存在する領域なのだろう。そして、何より異様なのはその姿だった。
巨人。そう表現しても間違いではないが、どこか違っている。赫い一つ目に、頭部から突き出た鋭利な角、肥大した肉体、膨れ上がった巨躯。その全てが生物としての不気味さを強調していた。
巨人でも無く、鬼でもない、その中間。
雪月の脳裏に浮かんだ言葉は一つ――『巨鬼』、その呼称が酷く似合う気がした。
「見るなよ」
切実な願いにも似た声が喉から漏れた。
外周に位置する一室から『巨鬼』の姿を窺う。奴は一定の速度で巡回していた。まるで警備員のように決められた経路を決められた速度で淡々と。ただひたすらに歩いていた。
ならば、後ろを付いて行けばいい。小部屋へ隠れ、奴が通り過ぎ、次の小部屋へ移動する。また隠れ、その繰り返しだ。中央の巨大な部屋へ繋がる入口が存在するのなら、いつか必ず見付かるはずだった。
――「あった」
追い、隠れ、やり過ごす。それを何度も何度も繰り返した末、中央へ続く扉を発見した。
どうやら外周を一周していたらしい。外壁と比較すれば小さく見えるそれは、形状そのものは他と何ら変わらない。無機質な扉だ。
『巨鬼』が通り過ぎ、角を曲がる。その姿が視界から消えると雪月は一気に駆け出した。一直線に、ただ扉だけを目指して。近付くにつれより鮮明に聞こえてくる声、歌声。優しく美しくどこか安らぎを与える声だった。
短い子守唄を何度も何度も何度も飽きる事無く口遊んでいる。その正体を知りたい。
「っ――!?」
扉へ手を翳した瞬間だった。空気が変わる。殺気、視線、明確な敵意。探知機でも付いていたかのように『巨鬼』がこちらへ向かって走り出していた。
赫い単眼、巨大な体躯、一直線に迷う事無く雪月だけを見据えて。扉が開く速度と奴の脚力。比べるまでも無かった。
逃げなければ捕まる。あの長い腕に、あの巨大な掌に。
「なんで……!!」
赫い瞳が真っ直ぐこちらを見ている。獲物を見付けた肉食獣のように、血肉へ飢えた怪物のように両腕を前へ伸ばしながら疾走してくる。巨体が踏み込む度に振動が走る。床が揺れ空気が震える。体勢を崩しそうになろうが走った。
走る、走る、走る。ただ生きる為に。
「何で入って来れるんだよ!!」
いつの間にか『仮想空間』へ戻っていた。だが終わらない。終わっていない。本来なら通れないはずの扉、あの巨体では通れないはずの入口。
それなのに奴は体を捻じ込んでいた。関節を外し、骨格を歪ませ無理矢理に、人の形を捨てるように中へ侵入して来ていた。
骨の軋む音が響く。嫌に鮮明で耳を塞ぎたくなる。
「くそ、クソっ!!」
雪月は大樹へ向かって駆け出した。対抗手段を、生き延びる方法を探す。
無様にも生き無惨にも生きろ。
どこからか聞こえた声。叱咤するような声、背中を押すような声、それに導かれるように大樹へ飛び付く。登る。必死に登る。巨大な幹、巨大な枝、この木ならこの木だけは助けてくれるかもしれない。そんな一縷の希望へ縋った。
「何で…何で!!」
だが希望など意味が無いと告げるように巨鬼は腕を伸ばしてくる。届く、届いてしまう。足りない。もっと登らなければ。もっと、もっともっともっと高く、もっと遠く。掴まってしまう、捕まってしまう。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
木登りなどした事が無かった。上手く登れず手が滑る。足が滑る。どこを掴めばいい、どこへ足を掛ければいい、分からない、何も分からない。
「離せ!!離せよ!!」
巨大な掌が足首を掴む。人一人など容易く包み込める大きさだった。そのまま引き摺り下ろされる。咄嗟に枝へしがみ付き抗う。必死に全力で抗う。
体が千切れそうだ、腕が抜けそうだ、足が砕けそうだ、骨が軋む。筋肉が悲鳴を上げる。
だが、先に限界を迎えたのは枝の方だった。乾いた音が響く。
「なっ……!!」
視界が反転し、世界が反転する。天井が床になり、床が天井になる。
そして『鬼』の口が迫っていた。
「や、やめ、辞めろ!辞めろ辞めろ辞めろ!!」
飲み込まれる。巨大な口腔、粘つく肉壁、滑り台のように体が流される。
抵抗など出来ない。掴む場所も無い。景色が狭まり閉ざされる。暗い、暗い、暗い。
赤い、赤黒い太い管。赤色、桃色、生暖かい肉の通路。滑る滑る滑る。どこまでもどこまでも深淵へ落ちて行くように。
不可抗力のままその粘液に運ばれ、液体の中へ沈んだ。




