11話目前半 『可愛い物は』
※犬が大好きな方は13話後半まで飛ばすのを推奨します。物語上の重要な要素はございませんので、ご安心ください。
――《第二区画》
第三、第四区画と大差の無い空間だった。並ぶ部屋に無機質な廊下。変わっているとすれば、部屋の広さと数くらいだろうか。どこまでも続く実験施設、そんな印象を抱かせる空間だった。
雪月と梅雨は手分けをしながら部屋を調べていく。薬品棚、机、試験管立て、ビーカーに注射器。どの部屋にも似たような物ばかりが置かれていた。まるで人を救う為ではなく、何かを作り出す為だけに存在しているかのような部屋。そんな異様さだけが共通している。
「梅雨、どう?」
「無いー!」
部屋の入口から声を掛ける。返ってきたのは気の抜けた返事だけだった。既に十を超える部屋を調べている。消毒液、ピンセットは見つかった。
だが包帯が無い。止血に必要な物だけが見当たらない。代用品になりそうな布も、その全てが血に濡れ汚染されていた。とても傷口へ当てられる代物ではない。
「無いなぁ……」
同じ事の繰り返し。扉を開き、棚を探し、見つからず移動する。また扉を開く。それを何度も、何度も、何度も繰り返していた。無い、無い、無い。焦燥感だけが募っていく。
何部屋確認しただろうか。数十の部屋を調べ終えた頃、雪月は見覚えのある部屋を発見した。
レバーの部屋。第三区画や第四区画よりも遥かに早い遭遇。当然、引くつもりは無い。だが、問題はそこでは無い。その部屋に、それは居た。
「可愛い……」
犬だった。犬種はよく分からないが、小さな体に大きな瞳。ちょこんと座り込み、舌を出したまま尻尾を忙しなく振っている。どう見ても犬だった。普通の、どこにでもいる犬。
だからこそ怪しかった。施設の中、レバーの部屋、突然現れる小型犬。怪しくないはずが無い。これが『鬼』なのか、それとも本当にただの犬なのか、判断が付かなかった。
「君は、どこから来たの?」
距離を保ったまましゃがみ込む。
犬は人語を解さないらしく、ただ不思議そうに首を傾げた。それを見て雪月も思わず首を傾げ、犬も真似する。ますます普通の犬にしか見えなかった。
やがて犬は慎重に立ち上がり、怯え、警戒しているがそれでも少しずつ近付いてくる。逃げるべきか、留まるべきか、一瞬悩んだ。だが、潤んだ瞳があまりにも反則だった。結局その場から動けなかった。
「何も……して来なさそう」
近寄っても牙を剥かず、唸らず、襲わない。ただ甘えるように擦り寄ってくるだけだ。恐る恐る頭を撫でると犬は気持ち良さそうに目を細め、そのまま身を預けてきた。完全に犬。どう見ても犬。
「君は包帯の場所とか知らない?」
半ば独り言だった。どうせ返事など返って来ない。
そう思いながら腹を見せて転がる犬を眺める。その時だった。犬が勢いよく飛び起き、そして迷う事無く廊下を進み始める。数歩進んでは振り返り、また進んでは振り返る。まるでついて来いと言っているようだった。
「知ってるの?」
思わず立ち上がる。足元の毛玉のような存在に癒やされながら後を追った。一切迷わず廊下を進み、角を曲がり。そして一つの扉の前で立ち止まった。
「ここは……」
犬は扉を前脚で掻き始める。雪月はそれを止め、ゆっくりと扉へ手を掛けた。開き、そこにあったのはまたしてもレバーの部屋だった。
第二区画、二つ目のレバーの部屋に今までの法則がまた崩れる。だがそんな事を考えるより先に雪月の視界へ飛び込んできた物があった。
包帯。レバーのすぐ傍。まるで拾われる事を待っていたかのように置かれていた。今最も必要な物、今最も欲しい物。拾わない理由など無いのだが。
「君が用意してくれたの?」
「雪月ー!勝手に居なくなってびっくりした!」
犬へ向けた言葉は途中で遮られる。廊下の向こうから梅雨が全力疾走で飛び込んできたのだ。たしかに、犬に気を取られ過ぎていたかもしれないと雪月は自省した。
「犬? 雪月、犬飼ってたの?」
「いや、さっき会ったばかりなんだけど包帯の場所を聞いたらここへ連れてきてくれて」
顎で部屋の中を示す。梅雨は不思議そうに首を傾げながらも中を覗き込んだ。そしてすぐに包帯を発見したらしく、青い隻眼が僅かに見開かれる。
「ほんとだ」
迷い無く部屋へ足を踏み入れる。その瞬間だった。
グルルルル……
低い唸り声だ。雪月の足元にいた犬が牙を剥いていた。小さな体、小さな牙、小さな威嚇なのに本人だけは至って真剣だった。尻尾を膨らませ、全力で梅雨を警戒していた。
「どうしたんだろう」
「何だコイツ」
梅雨は露骨に眉を顰めた。犬も負けじと唸る。小型犬と梅雨の睨み合い。どう考えても迫力負けしているのは犬の方なのだが、本人は一歩も引く気が無いらしい。
「嫌なの?」
雪月が頭を撫でる。すると犬は一瞬で大人しくなった。尻尾を振り、甘え、擦り寄る。さっきまでの敵意が嘘のようにいつも通りだ。
「……普通の犬?」
梅雨の声が若干低かった。
「嫌われちゃったのかな」
「俺何もしてないのに?」
何故か少し傷付いたらしい。梅雨は不満そうに唇を尖らせた。その様子に雪月は微苦笑を浮かべ、一方で犬は足へぴったりと張り付いたまま離れようとしない。まるでそこが自分の定位置だと言わんばかりだった。
「包帯は持っていこう。君もありがとうね」
雪月はしゃがみ込む。柔らかな毛並みへ指を埋めるように撫でた。犬は気持ち良さそうに目を細め、警戒心など微塵も感じられない。
そんな姿を見ていると胸の奥が少しだけ温かくなった。この施設へ来てからこんな風に安心出来る存在など居なかったから。
「はい、包帯」
梅雨が部屋から戻って来る。片手には目的だった包帯。
「…雪月、その犬俺が持ってていい?」
青い隻眼が犬を見下ろしていた。その視線を受けた瞬間、犬は再び牙を剥いた。雪月の後ろへ完全に隠れ明らかに敵認定していた。
「いいけど、噛まれちゃうかもしれないよ?」
「この駄犬が……」
雪月が苦笑する。犬は何故か得意げな表情に、梅雨は更に眉間へ皺を寄せる。犬は雪月の足元から離れず梅雨へ唸るだけ。あまりにも分かりやすかった。
雪月が包帯を抱えたまま廊下へ出ると、犬も当然のようについて来る。まるで磁石のように少し離れれば駆け寄り、止まれば足元へ座る。そんな様子を梅雨は肘を抱きながら見下していた。
「お前さぁ……」
梅雨は犬の首根っこを掴んだ。ひょい、とまるで荷物を持ち上げるように。
きゃぅっ!と犬が空中で暴れ、短い足を必死に動かす。噛み付こうとするが届かない。だが小さな体で暴れていた。
「暴れるんじゃねえ」
「優しくしてあげて」
「してる」
全くそうは見えなかった。犬もそう思ったのだろう、必死に抵抗している。だが梅雨の腕力には敵わない。
「急いで帰らないと」
雪月の言葉に梅雨は頷く。犬を片手で口を抑え込み、もう片手で胴体を持ちながら足を動かす。
「すぐ戻るから」
桜羽達が待っている、治療をしなければならない。
今はそれが最優先だった。二人と一匹は足早に廊下を駆け抜ける。
目指すは『仮想空間』、二人を信じて。




