9話目 『踊り手』
《第三区画》
「ワタクシと一曲、踊っていただけませんか?」
「まなーとか知らないけど、いいよな?」
両者構える。互いに笑みを貼り付け、生死を賭した舞踏会へと臨もうとしていた。
そして幕が上がる。命を賭けた舞へと――。
先手を切ったのは梅雨だった。
地面を踏み砕かんばかりに蹴り抜き、砲弾の如き勢いで相手の真正面へと飛び掛かる。己の力量を信じ切った戦い方。最も彼らしく、最も愚直な戦法だった。右腕が伸びる。一直線に、ただ真っ直ぐに。赫い双眸を貫かんとばかりに伸びた手。
「ぐ、うぁっ?!」
世界が反転した。
男を見据えていた青い隻眼は瞬きの内に天井へと向けられていた。理解が追い付くよりも早く体は宙を舞い、受け身を取る暇さえ与えられない。
床へ叩き付けられ、肺から強制的に空気が押し出される。洗練された技術、それこそが彼の土俵なのだろう。
捻り上げられた右腕が軋み、叩き付けられた横半身が鈍い痛みを訴える。だが梅雨は即座に立ち上がった。相手はそんな彼を眺めるばかりで、自ら仕掛けようとはしてこなかった。
「平等に公平に、って言ってなかったか?」
「ええ、ええ。ワタクシはワタクシのstageで踊っているだけですよ?so straightッにね」
「卑怯だ!俺はそんな技使えないし、お前の方が有利だろ!」
「ワタクシは貴方に力で及びません。ならば!頭を、関節を、持ち得る全てを使うのが……ッso smartッ!」
どうやら力の根源は金の玉にあったらしく、本人の膂力そのものは常人の域に収まるらしい。
だが、腰に巻かれた赤帯が全てを物語っていた。あれは最高段位にのみ許された証。即ち、技術だけで頂へと辿り着いた者。
梅雨はそんな事など知らない。
だが相手が尋常ならざる強者である事だけは、本能が嗅ぎ取っていた。頭を使う戦いは梅雨が最も不得手とするものだ。つまり、とことん相性が悪い。体を思うままに動かし、力で捩じ伏せ、牙で喰らい付く。それが彼の戦い方。
それすら通じないというのなら、今の彼に残された手札など無い。ただ獣のように弄ばれ、地へ転がされるのが関の山だろう。
それでも、勝てぬと分かっていても退けぬ時がある。届かぬと知っていても、伸ばさねばならぬ手がある。
漢とは、そういう生き物ではないだろうか。
「う、らぁ”ぁああああああッ!!」
「真っ直ぐで純粋純朴……ッso cuteッ!」
右腕を引かれ、次の瞬間、太腿へ僅かな衝撃が走り、再び体が宙を舞った。容赦の無い技に地面へと叩き付けられ、思わず噎せ返る。
梅雨が力任せに攻めれば攻めるほど、その勢いは利用される。
浮かされ、投げられ、叩き付けられる。
だが、それでも。
「諦めれるほど、俺はいい子じゃねえッ!!」
「so crazyッ!しかし、であるからこそ……ッ、so coolッ!」
躱され、投げられ、引き倒され、捻り上げられ、そして叩き付けられる。
一度、二度、三度、何度も、数え切れないほど。
「ゔぁっ」
強い信念が体を突き動かしていた。捻りも何も無い。ただ立ち向かう。ただ正面から喰らい付く。
技など、体術など知らない。受け身の取り方だけを少し知っていた。だから受け身を取り続けた。少しでも衝撃を逃がし、少しでも早く立ち上がる為に。
愚直なまでに真っ直ぐと立ち向かい、時には壁を蹴り、獣のように襲い掛かる。
だが、それすらも軽々と制される。
「が、ぁっ」
まるで舞を踊るかのような身のこなしだった。
最低限の動きだけで梅雨をいなし、払い除け、推し伏せる。圧倒的な技量差、それが現実だった。
仰向けに投げ出された次の瞬間だった。即座に右腕を抱え込まれ、左脚を捕らえられる。身動きを取ろうとする度に圧力が掛かり、少しでも抵抗すれば砕かれかねないと思える程に。まるで休憩でもするかのように、男は悠然と梅雨を抑え込んでいた。
「肉食動物は草食動物を頂く事ができる確率が15%前後なの、どうしてだと思いますぅ?」
「知……る、かっ」
「ん〜so badッ。武器や数を使うんですよ。ワタクシはそう、武器を使った。そして今もワタクシは武器を使っているッ!貴方はどうでしょう?so simpleッ!」
相手は寝転がっているも同然だった。だというのに、こちらは地面へ縫い付けられたかのように動けない。
僅かに力を込めるだけで圧迫は強まり、手加減など一切していない事が嫌というほど伝わってくる。
「ただ本能のままに襲うだけッ!腹を満たせれば良し!愚の骨頂!力で、牙で、爪で勝つ!so wonderfulッ!」
「はっ……な、せ!」
「だがそれではワタクシには勝てない!so sorryッ! 肉食動物とて戦術を立てる!群れで囲い、追い詰め、油断を襲う! そして――」
油断を、襲う。
「あぁ”、ああああイイイッ!!それ、それですよ!今ッ!今ワタクシは焦りました!死を感じた!死をすぐ側にッ!so amazingッ!!」
「く、重すぎる…」
梅雨を抑え込みながら勝機を窺っていた男にとって、それは紛れもない油断だった。
今が絶好の機会、そう判断した。
金の玉を放ったのは雪月だ。転がる紐の先、金色の凶器は、その瞬間だけを待ち続けていた。扱い切れぬ軌道は男を捉え損ねる。飛び退く猶予を与えた。体勢を立て直す時間を与えた。
だが、その一瞬で十分だった。
「ぐ、ぁぁあ”あ”あああッ!!」
獣が咆哮を上げるかの如く。抑え込まれていた鎖を引き千切るかの如く、青い隻眼が獲物を射抜く。
彼はそれでいい。それこそが梅雨だった。理屈でも、計算でもない。ただ目の前の獲物へ喰らい付く。それだけが。
「あぁなんと言うッ!だが、だが足りん!これではワタクシを喰らうなど夢のまた夢ッ!」
躱され、避けられる。それでも追う。体勢を立て直す暇など与えない。次の油断など、きっとしてくれない。
だから今しかない。
「梅雨!」
避けろ、その一言を聞かずとも理解した。
梅雨は即座に横へ飛び退き、刹那。影武者の如く金の玉が飛び出した。
「あぁぁぁぁぁあ”あ”ッ!!死ッ!deathッ!デスッ!ぬッ!!」
金の玉は主へ牙を剥く。人を避ける事しか学ばなかった男は、受け止めるしかない。その効果は覿面だ。左腕が飛び、宙を舞い、跳ね、転がる。
金の玉は赤く染まり、まるで赤いドレスを身に纏う少女の如く半身を血に染めていた。
赤い鮮血が迸る。断面から中身が溢れ出し、床を赤黒く染め上げていく。
「死、ねぇぇえええええッ!!」
怒涛の追撃。止まる事を知らない猛攻。
技など無く、戦術など無く、あるのは己の力だけ。
それを信じ続けた、獣の牙だけ。
「あ”ぁッ!!これが、これが敗北…ッ!我が娘に、赤いdressが…ッ!so happyッ!」
獣の掌が胸郭を穿つ。肋を砕き、肉を裂き、血飛沫を撒き散らしながら心の臓へ辿り着く。熱い鼓動が掌を叩いた。命の証明であり、生の証明を。
そして、梅雨はそれを力のまま握り潰した。
赫い双眸から光が失われていく。ゆっくりと、静かに、瞼が閉じていく。
長き舞踏を終えた踊り手のように、そっと。
――第三区画。
二人の共闘によって『鬼』を殺し、その幕を閉じた。




