第十話(8)
ぶー、ぶー、というスマホのバイブレーションに私は通知を確かめて、にやり。
お兄さんの許可を得て、私はりこに切り出す意欲を高めた。
ちなみに、緑生学園中学校三年生は、三学期からほぼ受験対策の自習と質問の時間。不安のある教科は、担当教師の手が空いていれば質問に行ってもいいし、なんなら補修授業みたいなこともしてもらえる。
私らは、好き勝手に自習しているわけだけど、時に雑談が混じるのも女子にとっては必要なことなのだ。
「ねえ、りこ」
私はスマホをポケットに仕舞うとそう切り出した。
「んー?」
りこのすっかり油断しきった声。
「お兄さんの布団に毎日もぐりこんでるんだって?」
教科書とノートを睨んでいたりこが、がばっと顔を上げた。沸騰するみたいに顔が赤くなる。
周囲に視線を走らせ、誰も気に留めていないことを確認すると、りこは顔を寄せてくる。
「誰に聞いたのよっ、って、はる兄のバカ!」
小声でまくし立ててくる。が、そんなのお兄さんが喋る以外にない。りこにしては血の巡りが早かった。
「あ、あのね……小さいころから、たまに寝ぼけて入っちゃうの」
ほんとだよ、と添えるりこはかわいい。
「で、最近は?」
私はノートにりこの発言を書き留める。調書を取るというやつだ。兄の布団に入る。原因は、寝ぼけて。
「……」
「どうなの? 正直に言ったほうが楽になるよ」
「わ、わざと」
ついに私はやった。りこに認めさせたのだ。それはおくびにも出さず続ける。
「ふうん?」
「だって、はる兄……真白さんいるし、わたし妹だし……変だよね」
くっ、私の推しはなんて可愛いんだ。と、そこへバレー部仲間の志穂がやってきた。ちなみに彼女はとなりのクラスだけど、三年生はもはや、騒がなければかなり自由だった。
「あんたら余裕ねえ」
志穂は、ロングヘアといっても差し支えないくらい髪が伸びていた。バレー部の活動を引退したら、おしゃれするんだって言ってたのは本気だったようだ。髪はするりとつやつやしている。
「志穂、あんたはどう思う?」
「と、とみちゃん……」
りこが心配そうにするのを押さえて、私は志穂にノートを見せる。こんなこと、大きな声ではさすがに喋らない。
私は、りこの発言を書き留めたノートに、りこ、お兄さん、好き、と丸印で囲ったり矢印を引いたりして図説していく。そして現在、兄の布団にもぐり込むりこ、と解説文を図説にくくる。
りこは、まるで性癖を暴かれたみたいに羞恥心で目を瞑っている。あ、「みたい」じゃなくて、これも性癖っていうのか。
私の、シャーペンとノートを使っただけの説明をふむふむと読み取った志穂は、りこの頭を撫でた。
「あたし、おかしくないと思うよ」
えっ? という顔でりこは志穂を見上げる。
「だって、好きなもんは仕方ないじゃん」
志穂は手を振って立ち去る。今度勉強会しよう、と言い残していった。
なんだか志穂って、男前かも。
「そういえば、お兄さんと真白さん、別れたらしいよ?」
「ええーっ!?」
さすがに私はりこの口を押さえた。
後日、私たちは有言実行というか、志穂も交えて何度か勉強会をした。
そのうち一度は週末、葉月家の場所を借りて。受験が一週間後に迫る頃だった。
◆◇◆◇◆
週末、その日はりこが友達と勉強するというので、どうせとみちゃんだろうと思っていたら、もう一人。
「成宮志穂です。おじゃまします」
玄関で出迎えた俺に、彼女は自己紹介した。同じバレー部の友達だという。成宮志穂さんも青陵学園志望なんだってさ。
「りこー、皆さん来たぞー」
二階にいるりこに呼びかけると、二人を居間に通す。
母さんが出掛けているので、代わりにお茶くらいは出してやろう。
緑茶を湯のみに注いで居間のテーブルに置く。
「お兄さん、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
よそ行きの佇まいのとみちゃんに続いて、成宮さんがお礼を言った。
「なにかあったら、声をかけてくれ。勉強頑張ってな」
入れ違いでりこが勉強道具を持って、居間にやってくる。
じっと、りこと二人を見比べた。
「な、なに?」
見比べた俺の視線に気づいて、りこは身構えた。
「いや……がんばれよ」
よその子が大人びて見えるのは、仕方ない事なのか。
「もう、早くあっち行って」
追い出された。
例によって、俺は子供部屋で寝っ転がった。今さらだが、この歳になって自分たちの部屋を子供部屋と呼称するのもどうかと思ってはいる。
しかし、我が家の部屋をそれぞれ呼びならわすと、台所、居間、仏間、客間、それから父さんと母さんの部屋、両親にとっての「子供の部屋」という事になるから仕方ない。俺たち兄妹の部屋であって、俺の部屋でもないしな。
そんなわけで、畳の上にあおむけになる。
莉緒は朝から部活。いつもの登校と変わらない時間に出掛けた。母さんは地区の寄り合いで、父さんの代わりに、地域行事をこなしている。
なので、家は静かで、例によって寝っこ転がっていると、今の話し声は頭の下の畳越しによく聞こえる。別に盗み聞きしようと思ってそうしてるわけじゃない。俺はいつだってごろ寝するし、たまたま他の家人がいなくて静かなせいだ。
『あれがお兄さんなのよね。そういえば何度か見たことあるわ』
と、これは成宮さん。試合の応援とかですれ違ってるだろうし、俺が中三のころ、彼女は当然一年生だったからどこかですれ違ってるかもな。
『なんというか、普通ね』
むう。手厳しいが、莉緒のような美形でないことは、俺も認めている。仕方ない。
『でも、りこにとっては素敵なところがたくさんあるんでしょうね』
「え、えっとね……」
素敵といわれるのはいやじゃない。それがりこの感情で、妹に兄として慕われるのも嫌な気分ではないのだけど。りこが何か話し始めたのを耳にして、俺はまた散歩に出かけることにした。
だって、それ以上聞いたら盗み聞きになっちゃうだろう。
今度は小銭をしっかり握りしめて。
いいじゃないですか。お兄ちゃんを好きな女の子がいたって――その言葉が、心のどこかでまだ小さく鳴り響いていたのを、この頃の俺はまだ気づかぬふりをしていた。意識の底にあるその言葉から逃れるように、散歩に出かけた。




