第十話(6)
冬……冬は苦手だ。寒いから。春が待ち遠しい。名前が春詩だしな。
そんな中で、毛布に大布団の温かみは極上だ。自分の体温でぬくもった布団の中は、寒さに対する絶対防御の結界に守られているよう。
布団の中で至福のまどろみを甘受していた俺は……ふと、自分の体温ならぬものを感じて意識が覚醒した。
背中にひっつく柔らかい感触。
りこが、今朝も布団にもぐりこんで、抱きついている。
「こら、りこ……」
巻き付いている腕を引っぺがして注意する。
いつぞやも言っただろうか。朝の男子にはやんごとない事情が発生しているのだ。
まあいい。とにかく注意を重ねているのに、最近りこが潜り込んでくる頻度が高い。やっぱり寒いからかなあ。
その翌日……さすがに、兄としてまずいと思った。
注意すべき俺までもが、子供の頃みたいに、りこのことを湯たんぽ扱いして、抱きしめて眠っていたのだ。
やっぱり巻き付いている手を引っぺがして、俺はこっそりと布団から這い出した。
男の子の事情は時間が解決してくれる。
というか、階下の台所に降りて石油ストーブに火を入れ、赤々と鉄が熱せられるころには、まあ見た目は収まっている。
ふう。
寒さで縮こまった体を動かし、お湯を沸かしてコーヒーを入れていると、莉緒が降りてきた。
あったかそうなパジャマ姿は、ちょっと見るだけじゃあ、女の子にしか見えない。それが莉緒にとっての変わらない日常だ。
俺の場合は、ああいう事情があるんだけど、莉緒の場合はどうなんだろう……。
仕草一つとっても可愛らしい莉緒のパジャマ姿を眺めていた俺の視線が、下腹部に降り始めたところで我に返る。
俺は下劣な想像をした自分の頬を叩いた。
「コーヒーいるか?」
うん、と返事が返ってきたので、莉緒の分も手早く追加。インスタントだけどな。
「ん」 とマグカップを差し出すと、莉緒は角砂糖を一つ入れてかき混ぜた。
「りこがね、兄さんの布団によく潜り込むでしょ?」
食卓の定位置に座る莉緒が、マグカップの湯気の向こうから俺を見た。
「あ、ああ。知ってたのか」
ふふっ、と莉緒が笑う。その息遣いで湯気が立つ。
「知ってるよ。夜中にトイレに起きたりこが、寝ぼけて兄さんの布団に入るのよく見るし、明け方ふたりで仲良く寝てるのを見るのはしょっちゅうだよ」
知らない方がおかしいでしょ、と莉緒の顔が言っている。
「そ、そか」
「許してあげてね。さみしいんだよ。真白さんに、兄さんを取られそうだから」
「ああ」
俺は、言うべきかを少し悩んでから、口にした。
「真白とは、別れたんだ……というか、ふられたのかな」
俺もマグカップを口に当てて、熱いコーヒーをちびりとすする。
「ど、どうして……。ダメだよ。そんなの」
なるべく軽く言ったつもりなのに、莉緒は愕然とした様子で言葉を漏らした。
「二人が付き合って、幸せになってくれると思うから……僕は……」
「ん。ありがとな、りお」
「あんなに素敵で、兄さんのことを理解してくれる人なのに」
「りお? いいんだよ。仕方ないんだ」
莉緒がなぜか動揺してしまったので、俺は宥める言葉を繰り返すしかなかった。正直、なんで、という気持ちは自分にもあったんだけど、やっぱりな、っていうほうが大きい。
「俺は大丈夫だから」
そんな会話をしているうちに、早いのね、なんて母さんが起きてくる。
莉緒は動揺を隠すように明るく振舞う。そんなにショックだったのだろうか。そそくさと食べる準備をして、俺との会話を避けるようにみえた。
それからずいぶんして、ようやくりこが起きてきた。
そのころには台所もすっかり石油ストーブで暖かくなっていた。
食卓に着いたりこに、俺は腕組みをして、お説教モード。
「りこ、俺の布団にもぐりこむ癖は、この際もうお前が風邪をひかないためなら俺は別にいいけど。ほんと体調には気をつけろよ。でも、できればその癖は直せよ」
「わかってるよう。はる兄のお布団あったかいんだもん」
悪びれもしないりこは、俺を暖房器具とでも思っているのか。
トーストを自分で焼き、母さんの用意してくれたおかずを箸でつまむ。和洋折衷でおなかを満たす。
さて、思わぬ早起きをしてしまったが、のんびり過ごしていると皆それぞれ慌ただしくなる。
着替え、トイレ、歯磨き、身だしなみ。まあ最後のやつは、俺は適当だからいいけど、莉緒はきっちりしているし、りこも最近なんだが時間がかかっているみたいだ。
トイレから出て、洗面所を覗くと、りこが髪を結んでいた。以前、部活のときに半端な長さの分をヘアゴムでまとめていたけど、そういえば、ずいぶん伸びたな。今は肩にしっかりかかるくらいの長さだ。
そして鏡の前でああでもない、こうでもない、と髪を結わえては解いている。
「髪、伸びたな」
「うん、りお兄と同じ長さまで追いついたよ」
鏡に映る俺の顔を見て、りこは嬉しそうに返事をした。なんでそんなにうれしいんだ?
“そりゃ、髪の変化に気づいてもらえたら、うれしいに決まってるじゃないですか”
と、とみちゃんがメッセージで教えてくれた。
“じゃあ、なんで機嫌が悪くなったんだろう”
返信を打ったそばから、俺は自分が言ったセリフを思い出した。
『髪型なんていいから、早くしないとバスに遅れるぞ』
という一言に、ぽすぽす、と俺のボディにパンチを入れて、ぷんぷんとりこは行ってしまった。
“お兄さん、それはサイアクです”
「いってきまーす」
“今まさに、不機嫌なりこが先に家を出てしまった”
“目に浮かびます”
まったく、どうせバスの時間は同じなのにな。
ゆっくり二階に上がる。部屋では莉緒も着替えを終えて今にも出ようとする雰囲気。片や、俺はまだ寝間着のままだ。
「兄さん、僕も先に出るね……」
昨夜、真白とのことを話してから、莉緒は表情が暗い。
おう、と答えてささっと着替えると莉緒の背中を追った。
「りお……」
朝だというのにとぼとぼ歩く莉緒の背中に声をかける。
「真白のことな、黙ってて悪かった」
莉緒は少しだけ驚いたようでいて、ごく自然に見えるいつもの莉緒がそこにいた。
「兄さん、フラれたなら仕方ないけど、真白さんはとってもいいひとなんだから、お友達として助けてあげなきゃだめだよ、同じ生徒会なんだから。あと、雰囲気悪くしないこと。こないだの女子会だって、ちょっとくらい顔出して挨拶するとかしなきゃだめだよ」
(あ、あれ?)
莉緒の反応が元気でいきいきしていて、拍子抜けというか、肩透かしを食らった気分だ。
バス停には、俺を見てつーんとした表情を作ったりこが、ベンチでバスを待っている。結局三人そろってバスを待った。
そして、間の悪い事っていうのは、嫌な時に訪れるもんだ。だから間が悪いっていうんだ。わかってる。




