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第十話 変わる季節(1)

「ちょっと葉月くんのお兄さんって、暴走気味っていうか、いくら弟がかわいいからってねえ。わかるけどさぁ」

 翌朝登校した私が、教室に入って何気なく耳にしたのはそのセリフだった。

 意識しないように自分の席に着いて、そのグループの会話を聞いた。

「い、いや、でも学園祭の時、葉月を守ったお兄さんは、なんつうか、かっこよかったぜ? 男として」

「そうね、自分が守られる立場だったら、ああいう兄貴はいいかも」

「でもさ、過保護っていうか、ちょっとさすがにおかしくない? 普通、修学旅行ほっぽり出して帰ってこないでしょ」

 やりとりはそんなところだった。

「理々香ちゃん、おはよー」

 相変わらずホワホワとした様子の柚羽が入ってきて、教室の空気が少し変わる。柚羽が相手だと、みんなが明るく出迎えるのは、柚羽の性格のなせるわざだろうか。

「柚羽、おはよう~」

 柚羽はみんなにも一回り声を掛けるようにしながら、私のところへやってきた。

「リオくんはまだ来てない?」

「うん」

 私は頷く。

 昨日の、その後のことは気がかりだった。授業の途中で現れた葉月先輩をリオくんは引っ張っていった。

 あの後、先生は何事もなかったかのようにみんなを座らせると授業を淡々とこなした。私はリオくんたちのあとを追おうと思ったのだけれど、先生のあの表情が忘れられなくて、なんとなく教室に捕らわれたかのように席を離れられなかった。正直、怖い、と思ったのだ。

 リオくんは授業が終わると、教室に鞄を取りに来て、部活に出ずそのまま帰ってしまった。葉月先輩は、目立たないよう、先にバス停で待たせているという。

 それからその夜、グループ通話で私たちに連絡をくれた。

 ビデオ通話で、リオくんの後ろに映るお部屋は、私たちがいつもお邪魔する葉月家の和室の居間のようだった。リオくんはリラックスした部屋着。言い替えると学校の時からすれば無防備な、体の線を隠しもしない薄手の長袖シャツにショートパンツ。私たちを信じ切ってくれているのがうれしい。まあ、私もお風呂上りに部屋着のTシャツ。ブラは……一応つけている。柚羽はパジャマか何だかわからないような、モコモコの柄物の服を着ていた。

『もう。兄さんってば、何も教えてくれないんだよ』

 リオくんはぷんすか怒っていた。珍しい。おとなしくて控えめで、雑談でも自分より人の話を聞くところがスタート地点のリオくんが、通話がつながるや否やのタイミングで喋り出したのだった。

 いや、きっと最初は葉月先輩のことを心配してあれこれ考えてたんだと思う。だが、話を聞くに、その先輩が頑なに、何故帰ってきたのかを教えてくれない、というのだ。

 それでリオくんはだんだん不機嫌になったというわけだ。

『だって……ぜったい僕のことが理由でしょう?』

 悔しそうに涙目を見せて、リオくんは俯いた。

 私はその通話で、あの数学の先生の不気味な笑みについて、話すのを躊躇った。なんで先生はあんな顔をしたのか。不意に目に入った一瞬の表情がそう見えてしまっただけなのかも。そもそもは、私はあの先生が好きではない。リオくんの課題のプリントを、不可抗力にもかかわらず、未提出だと断じて弁明を排除した先生だ。

 だけど、あの笑みはそういったものとは一線を画すくらいおぞけが差した。人があんな顔をするなんて、きっと何か見間違えたにちがいない。

『それで、明日はどうするの?』

 柚羽が言った。まさか、リオくんが休む選択肢なんて私は想像していなかったのだけど……。

「リオくん、来ないねえ」

 昨夜の通話の記憶から、私の意識は舞い戻った。

 柚羽のつぶやきの通り、リオくんはまだ来ない。昨夜の柚羽の問いに、リオくんは、来るとも来ないとも返事をしなかった。その結果がこれだ。




 ◆◇◆◇◆




 昨日、俺はその日、旅立ったはずの駅に降り立って、やみくもに走った。

 バスを待つのもまどろっこしく、学校へ走った。

 莉緒の教室を無我夢中で開けた。

 馬鹿みたいに教室は平和で、後輩どもが俺を呆気にとられてみていた。

 何かに感づいたような莉緒が、俺の腕を抱きしめるように引っ張って、連れて行った。

 どこへ?

 莉緒は彷徨うように生徒会室に行き、鍵が開いていないことを確かめて、保健室へ。

 誰もいない保健室に俺は放り込まれた。

 俺は、間違えたのか。

「荷物取ってくるから、授業が終わらないうちに、先にバス停に行ってて」

 冷たく感じる莉緒の言葉に、俺は従ったのだった。




 家に帰ってからは、りこにバカにされるわ、母さんに叱られるわ、一通りの儀式を通過。

 とにかく夕飯を食べて、風呂に入らされる。子供が風呂を終えないと、片付かないの理論が発動して、俺は申し訳なさとともに一番風呂。

「兄さん、タオル、置いておくから」

 声音が、怒っている。

 俺は莉緒に理由を言わなかった。修学旅行から勝手に帰ってきた理由だ。りこにも、母さんにも言っていない。

 熱い風呂に入っているのに、ぶるっと体が震えた。

 言えない。震えの次に、体が熱を思い出していく。熱い。怒りの熱が。


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