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第七話(2)

 昼過ぎから三時間少々、俺からすればたっぷりと水に親しんだころ、閉園時間が近づくアナウンスが流れて、りこたちバレー部は解散した。

 入退場のゲートから人の流れに乗って吐き出されると、りこはチームのみんなに元気に手を振って別れた。

「じゃ、俺は真白と約束があるから、りこは気をつけて帰れよ」

「……うん。いってらっしゃい」

 りこは、みんなとの別れ際からずっと握っていた俺のTシャツの端を、ようやく離した。

「はる兄がんばって、未来の嫁を逃がしちゃだめだよ~」

「なんだソレ」

「ほっほっほっ」

 真夏の、りこサンタが笑う。なんだかわからないテンションで、りこは手を振ってひとり歩き出した。

 りこがバス停に向かって歩き出すのを見届けてから、俺も反対方向の駅に歩きだす。

 真白との約束にはまだ早いが、近くのカフェの席でも陣取ろう。女の子を待たせるもんじゃないよな。

 駅へと軽快に歩く。流れるプールでしっかり体を冷やした俺に、夕暮れの暑さは通じないぜ。

 そんなことを思ったとき、ふと、Tシャツの裾を掴むりこの手を思い出した。

 なんだっけ。何かそんな思い出があったようで、思い出せない。りこの小さな手……。

 りこが引っ張って、伸びてしまったシャツの裾に、思い出があったような。

 軽快だった足が鈍り、ついには止まる。駅に向かう人々が、迷惑そうに俺をよけて歩いた。

 駅前の人の流れに一人。

 俺は踵を返して元いた場所へ走った。そこから、りこが歩いて行った先をたどる。

 まっすぐ行って、そこの角を曲がって、駅で使ういつものバス停に向かう、その途中のベンチで、りこが背もたれにぐったりと寄りかかっていた。

 走ったおかげで、プールで冷やした体がすっかり熱い。息も切れていた。

「りこ、だいじょうぶか?」

「あれ……はる兄、どうしたの?」

 返答は不要だった。言葉を発したものの、りこはすでに朦朧としていたのだ。

(この馬鹿兄貴め)

 りこを、俺は危うく置き去りにするところだった。ベンチに座るりこを、半ば担ぎ上げるようにおぶるとバス停に向かう。りこの体は、ものすごく熱かった。

 折りよくバス停にバスが待っていた。

 乗り込むとすぐに出る。いいタイミングだった。

「さ、寒いよ……」

 りこが漏らす。既に病人のうわ言のようだった。

 確かに、エアコンは効き過ぎなくらいだ。だが、りこの体調が悪いのもあるだろう。寒がるくせに、りこの体はさっきからものすごく熱い。

 水着を着替える直前くらいから、調子が悪かったのかもしれない。みんなにも心配させないように気を張って、俺にも、真白と出かけるから気づかれないように頑張って……。

 がたがたと震え始めるりこを抱き寄せて、一生懸命さすってやった。人目もはばからず、俺はりこに抱き着いた。二人とも薄着で、掛けてやる上着すらない。

 そういえば。真白との約束を思い出してスマホを取り出すと、俺は愕然とした。防水パックに入れていたスマホが水没して電源が落ちていた。防水パックの圧着部が割れて浸水したようだった。腕時計を見ると、ちょうど約束の十八時半。

 気が急く。

 りこを抱きしめながら、連絡方法を考えた。母さんは真白と電話番号を交換していたが……そういえば婦人会の会合で遅いとかなんとか。くそっ。

 莉緒が家にいてくれたら、莉緒のスマホで真白に連絡がつけられる。家の電話は……スマホがないと真白の番号がわからない。他の知り合いとも、普段SNSでしか連絡を取っていないので、スマホがないとどうにもならない。

 そうだ、りこのスマホを借りよう。でも、りこは眠っているのかぐったりしている。

 ごめんと謝って、りこのバッグからスマホを探し出す。

(パスワード……)

 りこの誕生日を四桁で試す。開かない。

 莉緒のは? 母さんの誕生日? 父さんは?

 どれも開かない。

 とみちゃんの言葉が、脳裏で小さくリフレインした。

 “いいじゃないですか。お兄ちゃんを好きな女の子がいたって”

 俺は、家族の最後の一人として、自分の誕生日を入れてみた。

 0403

 俺の誕生日の番号、その数字で、りこのスマホは開いた。それが意味することを、今は考えられなかった。

 俺はただ寒がるりこを温め続けた。

 バス停からは、りこをおんぶして家路を歩く。りこが熱くて、俺の背中は汗でびっしょりだった。




 家に帰ると莉緒が帰宅していて、ふたりでりこを寝かせる算段をした。真夏なのに大布団を引っ張り出して、寒がるりこを温める。たっぷり水分も取らせて。熱も高いし心配だ。

 心配といえば、りこのスマホを覗くが、真白の既読が付いていない。真白には事情を説明して行けない旨をメッセージしてあるのだが。

「どうしたの?」

「真白の既読がつかないんだ」

 事情はすでに莉緒も承知していたので、俺の心配はそれで伝った。

 真剣な顔で莉緒は考え込んだ。

「兄さん、真白先輩は待ってると思う」

 莉緒の目が、俺をじっと見つめていた。

「間違えないで」

 莉緒は言った。そうだな、真白からすればこんなひどい扱いはない。行かなければ。

「りお……すまない。りこを任せていいか。もう花火には間に合わないかもだけど、真白に会って、ちゃんと謝ってくる」

 その言葉に、莉緒は笑顔になった。

「うん。気をつけていってきてね」

 自転車を玄関から引っ張り出してサドルに跨る。タイミングのいいバスがないから仕方ない。

 ライトも点くし、問題ないな。

「いってくる」

「いってらっしゃい」

 莉緒が小さく手を振ってくれたのを見て、俺は漕ぎ出した。

 すっかり暗くなってしまった。西の空の夕闇は、山ぎわにかすかなオレンジを残すのみ。

 ライトが照らす夜道をひた走った。

 ヘッドライトをつけた車が県道を行きかう。花火の見物帰りの車もいるかもしれない。市街地に入れば、きっと毎年の渋滞にはまるだろうから、どのみちバスというチョイスは無かったな。

 大型トラックが、不穏な音を立てて背後から迫る。

 俺たちが使うこの道はあまり広くない割に、渋滞の抜け道に使うトラックや、工事のダンプがよく通る。時間に余裕があるなら、集落を抜ける旧道を使いたい。

 ブロロロロッ、と追い立てるように音が迫る。

 ライトが背後から迫り……自転車の俺を、トラックが大きくよけて追い抜いていってくれると、ホッと気が抜けた。

 駅が近くなると、予想通り市街地の道路は渋滞がひどくて、俺は自転車を降りた。歩道も人がいっぱいで、押している自転車すら邪魔者扱いされる。公園の駐輪場に自転車をとめて俺は走った。

 待ち合わせの駅前は、人だかりで誰が誰だかわからない。スマホありきの待ち合わせだったから、一言で駅前といっても広すぎる。この中から真白を探し出すのは、不可能に思えた。

 待ち合わせに良さそうな場所を、いくつか小走りで巡る。浴衣姿の人々が、誰かと落ち合っては去っていく。楽しそうな笑顔で会話して、花火の余韻を楽しんでいた。

 綿あめの袋を持つ子供、金魚すくいの金魚を手に下げたり、水風船をたたきながら歩いていたり。街は、花火のあともお祭りでにぎわっていた。

 でも、真白はいない……。帰ったのだろうか。駅前の時計は、20時30分を回っていた。

 とっくに花火は終わって、帰りの混雑がピークといったところだ。

 流れる汗で、全身ずぶぬれになったみたいだった。

「真白……」

 もう探す当てがない。

「真白……」

 闇雲に探して、意味があるのか?

「真白…………」

 ぐるぐると、視界を巡らせるけど、こんな人の波の中でそれは無意味で、それらしき姿が見つかるはずもない。無駄なことだ。

「真白…」

 そうだ、声があるじゃないか。無駄かもしれない、けど。

「真白……っ……真白―っ! どこだ! ましろ!!」

 通り過ぎる人々が変な目で俺を見る。

「なにあれ」 「子供の迷子じゃない?」

 雑踏のざわめきは、これだけ声を張っても無関心に流れていく。

「ましろーっ!」

「春詩くん」

 背中から、涼やかな声に名前を呼ばれて、俺は振り返った。



「もう……仕方のないひと」



 雑踏のざわめきの中で、通る声。

 そこには、白を基調に藍の差し色の浴衣に身を包んだ真白がいた。

 長い黒髪を結いあげて、浴衣を涼し気に着こなしている。

 夜の雑踏に立つ真白は、汚れなく咲いた白百合のようだ。

 待っててくれたんだ。

 真白は、手ずから俺の額の汗にハンカチを当ててくれた。

「ごめん、遅くなって。せっかく誘ってくれたのに。スマホがダメになっちゃって、妹のスマホを借りてメッセージしたけど、その、連絡自体も遅くなってしまったし」

 こんなにも、真白を待たせてしまった。

 事情をいろいろ口走ったけど、俺は真白にどうしてほしいんだろう。

「ごめん……」

 いや、真白に、どんなふうにいてほしいんだ。

「私も、ごめんなさい」

 真白はそう言って、姿勢を正して頭を下げた。

「でも……来てくれてうれしかった」


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