第51話 新パーティ始動
これまでのあらすじ
女が強く、男は“欲”で弱体化する世界。
学外実習の成果もあってゴールドランクへ昇格した俺は、いよいよ本格的にこの世界の攻略にかかる。
カナメ、アリス、カーラ、マリー、ルールルーを自宅へ招き、「信頼できるパーティを組みたい」と本題を切り出した。
俺は全員に、学外実習で倒した敵の背後に淫魔族がいること、“女性特効”の淫魔王が復活し得ることを明かした。
祝福持ちの英雄を待つだけでは間に合わない。
だから俺は、祝福を持たない男のままレベル10を目指し、淫魔王を殺すとみんなの前で宣言する。そのための三年間のダンジョン漬けに付き合える者だけ残れ、と告げた。
カナメ、アリス、カーラ、マリー、ルールルーは全員、俺とパーティを組むことを選ぶ。
彼女らの決意に安堵する一方、俺は確かめたいことができ、カナメを個別に呼び出した。
そして対話の末、カナメの「男に戻る」意志が揺らいでいないことを把握する。
俺は恋心に蓋をし、カナメと共に淫魔王を倒すことを胸に誓った。
春シーズン第九週の一日目、早朝。
俺はアリス所有の小型浮遊帆船の船縁に、革手袋越しの手をかけた。船底を擦る水音の下で、灰を溶いたような霧がアルディノ運河の川面を這っている。革越しでも冷気は細く刺さり、指先に朝の冷えを残した。
うーむ、春もなかばを過ぎたというのに、まだまだ寒い。
「この国の朝は、よく霧が出るな。息まで白い」
カナメが俺の隣に立ち、紫の軽小手に包まれた手を船縁へ添える。
朱の絹紐で結わえた銀髪が、湿った朝風を受けて揺れた。
「川も運河も多いしな。帰るころにゃあ、霧も晴れてるだろ」
「うむ。せっかく船に乗っておるのに、これでは景色も楽しめぬ」
そう言って笑うカナメの横顔に、俺はつい見とれてしまう。
いかんいかん。
俺は船の進む先へ目を戻した。白いもやに沈んだ谷口が、じっとこちらを待ち構えている。
あの奥に、学校管理の初級ダンジョン〈霧潮の入江〉がある。
船体後部では、アリスが舵輪の前に立っていた。赤いケープの裾を揺らし、片手で舵を流すたび、浮遊帆船は河筋をなめるように進んでいく。
今日はカーラが留守番で、入江へ入るのは俺、カナメ、マリー、ルールルーの四人だ。
アリスは操舵で、お付きのメイドふたりとともに船番に回っている。
「やっぱり、納得いかないわね」
アリスが舵輪を握ったまま、唇をとがらせた。肩をすくめる。蜂蜜色の金髪が肩口で淡く波打った。
「私が見送りだなんて、考え直さない? 融資した側としては現地確認の権利くらい主張したいのだけれど。カナメの広告契約の件だってあるし」
「悪い。でも、今日は四人で行きたい」
俺は〈魔法の携帯袋〉から水筒を取り出し、ひと口あおった。ついでに耳たぶのイヤリングを軽く弾く。澄んだ音が返る。アリスの融資でそろえた装備だ。結界印が刻まれており、視界確保と頭部保護を兼ねている。
「先週の踏破でカナメがレベル4に上がったろ? もう初級は、カナメ込みの五人だと経験値の入りが鈍い。しばらくは中級前の装備慣らしと、特殊徘徊魔物のドロップ確保を優先したいんだ」
「むぅ。ならマリーかルールルーの代わりは? ふたりは出ずっぱりよ?」
「あら。私なら大丈夫です、モブ様。アリスのおかげで装備も改まりましたし、新たな装いでの動きを早く確かめたいので」
「感情値、同意」
マリーが青いシスターヴェールの下でやわらかく微笑み、その横でルールルーは黒のウィザードハットのつばを整えた。
ふたりとも、譲るつもりはないらしい。
「……今日はどうしてもふたりに頼りたい。初見の特殊徘徊が相手だ。回復はマリーに任せたいし、ルーの観測と攻撃補助も欲しい」
マリーの表情がぱっと明るくなった。水色の髪が揺れる。朝もやの淡い光を受けて、融資で買った〈潮守りのイヤリング〉が耳元できらめいた。
かわいい。頼んだこちらまで照れ臭くなる。
「ふふっ。お任せくださいませ。期待以上の働きをお見せします」
「……ずいぶん素直に頼るのね?」
アリスが俺とマリーを見比べ、舵輪へ視線を戻した。
アリスの言い分が現地確認だけが理由じゃないのは、わかっている。この前も、みんなが集まるところを外から眺めたくないと、彼女は言っていた。
参加が偏らないようにすると約束したのは、俺である。
「次はアリスとカーラ込みなんで、その時は頼らせてくれ」
「まあいいわ。すぐに終わらせて来てね?」
「うむっ。アリスよ、大船に乗った気でいるがよいぞ。吉報を持って帰る!」
アリスの口はまだ少しとがっていたが、舵を切る手元は正確だった。
俺はウインクをしながら、軽く頭を下げる。
船首が白い霧へ滑り込み、船体を覆う結界が湿ったもやを左右へ押し分ける。
頬をなでる空気がひやりと重い。
運河の輪郭は一枚ずつ薄れ、やがて視界の奥に、船着場がぼんやり浮かんだ。
無事に接岸し、俺たちは船を降りる。
俺は自身の武器──〈貫く火烏の爪〉の柄を確かめた。
異常なし。俺はカナメ、マリー、ルールルーと目を合わせる。
通信魔法を使用できないメンバーもいる。
だから今日の連携は念話を前提にせず、最初から肉声と合図で統一すると昨夜のうちに決めていた。
船着場脇の簡易ギルド受付で〈特殊徘徊魔物討伐許可書〉を提出すると、受付係は控え紙へ印を押して俺に返した。
「よし。行こう」
短く言って歩き出す。
霧の中へ続く石畳はすぐ先で白く途切れ、その先には潮の匂いを帯びた静けさだけが待っていた。
俺たちは初級ダンジョン〈霧潮の入江〉へ踏み込んだ。
◆□◆
〈霧潮の入江〉第一層の最奥の湖畔。開けた洞穴に俺たちは進み出た。
波音が、半拍遅れて届く。
石畳を踏む俺たちの足音は確かにあるのに、耳へ返る響きだけが妙に遅い。白い霧は腰の高さを流れ、浅瀬と岸の境目をあいまいにしていた。
「止まれ」
短く言って、俺は片手を上げた。
『……来るな、みんな』
水面に浮かぶ霧の奥から、俺自身の声がした。
ぞくりと背が粟立つ。響きが半拍ずれている。しかも、呼びかけの癖が微妙に違った。自分の声で不意打ちされるのは、普通に気分が悪い。
「魔物の偽声だ。決めた通り、呼称なしの指示は無視」
「観測。接近反応、一。特殊徘徊、確定」
ルールルーが黒のウィザードハットのつばを押さえ、杖先を霧へ向ける。
「モブよ、あの中か?」
「カナメ。まだ──」
言い終わる前に、白霧が裂けた。
水しぶきともやが人の形をとって盛り上がる。頭があり、肩があり、腕がある。だが顔のあるべき場所はのっぺりとくもり、足元だけが波紋みたいに崩れていた。
しかもそれが、四体。
うつろう幻惑──特殊徘徊魔物の〈潮騒の人影〉が、俺たちの前に姿を現す。
『カナメ、引くんだ。こいつには敵わない』
また俺の声で、魔物がささやいた。
声は遠い水底から引き上げた声みたいに、不自然。
だがあたかも俺が発したように聞こえてしまう。
人影のひとつが両腕を広げる。
次の瞬間、石畳の上に水があふれた。
原作でも見た引き潮の合図だ。ぼうっとしていると水膜に足裏が持っていかれ、転倒を誘発する。
それと同時に白い霧の壁が、前後を断つように立ち上がる。
「ルー! 焼尽爆裂!」
「ん」
ルールルーが杖先を掲げる。
紫色の魔力光が短く灯るや否や、すぐに炎がほとばしった。
辺り一帯に熱が広がる。石畳に広がった水膜がじゅっと音を立てて薄れ、足場は乾いた。
その隙に、俺は眼底の奥へ意識を集める。
〈第四の目〉。
視界がうっすらと赤く染まった。四つ並んだ白い人影のうち、左端の胸奥にだけ、〈潮騒の人影〉という呼称が見える。その他の影には名称はない。
「本体は左端! 胸の核を狙え!」
『いいや、右だ! 騙されるな!』
「カナメ──左前、三歩。他は囮」
補助観測手のルールルーが短く発する。
ルールルーの声を聞くや否や、偽声に騙されずにカナメは左に駆け出した。
朱の絹紐で結わえた銀髪が、霧の中で尾を引く。
「参る!」
霧を裂いて、カナメが左端へ飛び込む。
〈潮騒の人影〉本体とは別に、三つの人影がぬるりと動く。
ひとつは腕を刃のように引き延ばす。
ひとつは足元の水を槍みたいに尖らす。
最後のひとつは俺の声で叫ぶ。
『散れ! 右だ!』
水の槍が迫る。
原作どおりだ。影そのものにも、攻撃能力がある。
「マリー、右の個体を! ルーは地形維持!」
「承知しました!」
「了解」
俺は固有品ダガー〈貫く火烏の爪〉を逆手に抜く。
水の槍を横へ払った。
刃先が潮泡を裂く。
じゅっと白い湯気が弾ける。
横から伸びた影の腕。
マリーが祈りとともに展開した光魔法、〈神聖結界〉の薄青い膜にぶつかって止まる。
囮どもは止まらない。
三つの影が浅瀬を蹴る。
今度はカナメの進路へにじり寄った。
湖畔の水は石畳の切れ目に溜まり、踏み込めば足首まで浸かる深さだ。
だがカナメの履く〈水流の足袋・水流の草履〉は水を噛まない。
藍の足袋は白いしぶきだけを散らして前へ滑った。
「これが水場歩行の効き目かっ! アリスよ、助かったぞ!」
弾んだ声。カナメの足運びは緩まない。
残りは俺たちで引き受けよう──俺は〈貫く火烏の爪〉を腰へ返す。〈魔法の携帯袋〉からショートボウを引き抜いた。
霧越しに、カナメを出迎える影一体へ、俺は矢を射込む。
乾いた弦音に釣られたもう一体が、のっぺりした顔をこちらへ向けた。
間髪入れず、ルールルーの杖先から〈魔力弾〉が放たれた。
紫色の光を放つ誘導弾がさらに別の個体を追い、肩口で弾ける。潮泡を散らした影が、ルールルーへ向き直った。
三体の注意がこちらへ逸れ、カナメの正面がわずかに開く。
「こっちだ、怪物!」
「牽制、継続」
そのあいだも、カナメは迷わない。
本体だけを見る。霧の中を彼女は真っ直ぐ駆ける。
白い人影が迎え撃つように腕を振り上げた。潮の刃が斜めに薙ぐ。
だがカナメは浅瀬の水を滑るみたいに踏み換える。紙一重でかわした。
「遅い!」
左の小太刀がまず影の手首を払う。続けざま、主刀が胸元へ鋭く走った。
斬鉄の刃が潮の膜を裂く。
胸奥の核の手前まで白い胴を深くえぐる。
人影が俺の声を真似て何か叫ぶより早く、カナメはもう半歩踏み込んでいた。
返す刃が肩口を、逆の一閃が脇腹を断つ。
浅瀬に散った潮泡が、草履の下で細かく弾ける。
まともに足を取られる地形のはずなのに、〈水流の足袋・水流の草履〉を履いたカナメだけは別だった。
踏み込みは鈍らず。
斬るたびに本体の輪郭だけが削れていく。
〈第四の目〉に映る本体の体力が、カナメの斬撃に合わせてじりじりと削れていく。
残りが半ばへ近づくのを確認。
昨日のミーティングでのやり取りが脳裏をかすめた。
『本体の体力が一定を切ると、ふたつに分裂する。しかも両方を同時に倒さなきゃ再生する。大変な相手だぞ……ってマリン先輩が言ってた』
大変で済むならまだいい。
「同時」といっても、どれだけの時間差が許されるのか。
原作では一ターンの猶予があった。だが、この世界ではどうだ?
猶予が短いほど、倒すタイミングを合わせるのは難しくなる。
少しでもずれたら再生されるようでは、消耗戦は避けられない。
『なるほど、ならば一撃でほふって見せよう! 我に任せろ、位の四にあがり我が剣はさらに鋭くなったからな! いまなら姉上にも勝ち越せようぞ! ……たぶん』
『頼りにしてるぞ?』
『うむっ! ……だが、相手は高位の魔物。念には念を入れねばなるまい。……ルー、耳を貸せ!』
『?』
半分を切る前に、終わらせる。
答えは単純だ。だがそれが難しい。
「カナメ、削りすぎるな! もう少し──」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。
「ビゼン流──」
カナメが、肩越しにほんの一瞬だけルールルーを見る。
ルールルーは帽子のつばを指先で上げて返す。
それだけで、通じていた。
「……え?」
マリーが目を丸くする。
俺も同じ顔をしていたと思う。
カナメが本体の懐へ半歩沈む。
あえて核の横だけを浅く斬った。
水の膜が裂け、胸奥の光が剥き出しになる。
〈潮騒の人影〉の胴が、ぐらりと左右へ裂けかけた。
分裂の兆しだ。
けれど、遅い。
ルールルーの杖先から放たれていた〈光矢〉。
細く絞られた白い光が霧を貫き、露出した核へ突き刺さる。
その輪郭が崩れたところへ、カナメの二撃目がぴたりと重なった。
「重ね斬月っ!」
右手の振り下ろし──主刀が銀閃を描く。
ルールルーの放った光の上から、カナメの刃が一条走る。
核ごと断ち切った。
ぱきん、と。
氷より軽い、妙に澄んだ音。
次の瞬間、四つの人影がいっせいに崩れた。
潮の匂いだけを残して、石畳の上へ白い泡となって落ちていく。
静寂が戻る。
「倒した、か」
「反応消失。勝利」
ルールルーが淡々と告げる。
その横で、マリーがぱちぱちとまばたきを繰り返した。
「い、いまのを……目配せだけで?」
「俺も合図を出そうとしたんだけど……ふたりにはいらんかったな! お見事!」
正直、驚いた。ふたりに拍手を送る。
あそこまでぴたりと噛み合うとは思っていなかった。
カナメは霧の中でくるりと振り返り、胸を張る。
「ふふん! 見たか! 我とルーの名連携を! 分裂する暇すら与えぬとは、まこと鮮やかであろう!」
「カナメの、おかげ」
「お前が合わせてくれたからこそだ。見事だったぞ、ルー!」
ルールルーの口元が、帽子のつばの下でほんの少し緩んだ。
二振りの刀を鞘に収め、カナメが手を差し出す。ルールルーは一拍遅れて握り返した。
ぎこちない。でも、ちゃんと誇らしそうな握手だった。
手を離すと、カナメはそのままルーの肩へ腕を回した。ぐいと引き寄せられ、ルーが傾いた帽子を空いた手で直す。
「すごいわ、カナメ、ルー。あんなにぴたりと息が合うなんて……少し、妬けちゃいます」
ルーの帽子の下をのぞき込んで、マリーも笑う。
「そうだろうそうだろう! もっと褒めてもよいぞ!」
「観測値、興奮?」
「ちゃ、茶化すでない、ルー!」
俺も笑いながら、ふたりのそばへ歩み寄った。靴底が浅い水を弾き、石畳に残った白い泡を散らす。
「よかったぞ、ふたりとも! いい連携だったぞ!」
「うむ! 次も任せておけ! お、お前の看破もよかったぞモブ」
「次はカナメ抜きだけど頑張る」
「……そ、そうであった!」
「ふふっ」
マリーが唇に指先を添えた。慌てるカナメから、すました顔のルーへ目を移し、やわらかく微笑む。
張り詰めていた空気がようやく緩む。
難なく勝ってしまった。あれだけ身構えていたのが、少し拍子抜けするくらいだ。
けれど、その勝ち方があまりに綺麗だったせいで、逆に見えてしまったこともある。
この撃破は、カナメとルールルーだから成立した。
分裂の境目を見切って、言葉より早く重ねる連撃。あれを別の編成で再現できるかと言われると、答えは心もとない。
次の五人でも、これくらい楽に勝ちたいところだが、そう楽観視はできないだろう。
人数が増えれば、開幕の影も増える。前で斬り込むカナメがいなくなるぶん、俺たちも動き方を変えなきゃならない。
誰が影を引き受け、誰が核を狙うのか。撃つ瞬間、味方はどこにいるのか。
考えていた配置と、いま見た魔物の動きを頭の中で重ねる。
帰ったらアリスと相談だ。
今日の敵の動きを伝えて、カーラも交えて立ち位置と合図を確認しよう。
勝ったばかりなのに、どうにも嫌な予感が拭えなかった。
◆□◆
数日後。
同じ〈霧潮の入江〉第一層最奥の湖畔で、その予感は開幕早々に形をとった。
中衛のアリスと俺が下がりながら、射線を通すために横へ動いた時だ。
先頭の影のひとつが、わずかに上体の向きを変えた。
カーラの足が止まる。影を追っていた視線が、一瞬だけルールルーのほうへ走った。
次の瞬間、カーラがひとり前へ飛び出した。
俺の合図を待たず、水際で先頭の影の進路を塞ぐ。
それを見たアリスが、きつく眉を寄せて叫んだ。
「あなたねぇ! 意図はなんなの!? 射線を塞ぐな!!」
「そ、その、す、すまない……!!」
謝りながらも、カーラは目の前の影から視線を外さない。
アリスが一歩詰めかけた。靴先で浅い水が跳ねる。
彼女は足元へ目を落とし、唇を引き結んで踏みとどまった。
同じ敵でも、編成が変われば動き方も変わる。
わかっていた。だから配置も役割も話し合ってきた。それでも、最初の動きから噛み合わない。
「カーラ、そいつを抑えながら、いったんこっちへ! アリス、まだ前へ出るな!」
俺は短く息を吐き、弓を構え直した。
小説家になろうでの投稿再開します。
一週間ほど毎日投稿し、翌週から週一投稿になります。




