第18話 無垢なる大蛇との邂逅
俺は原作知識を頼りに、〈無垢なる大蛇〉の対応をメンバーに告げた。
「左右に散れっ!」
俺は、すぐ横で盾を構えるカーラをとっさに抱え込む。
土を蹴って横へ跳んだ。
反対側では、レンとシモンが樹間へ駆け込む。
〈無垢なる大蛇〉が鎌首をもたげる。
鱗が土肌を擦り、ギリギリと嫌な音を立てた。
信じがたい速度で突き出された頭部が、俺たちの間を風切り音とともに駆け抜ける。
生臭さが一瞬で鼻腔を満たし、脳髄がきしんだような気がした。
〈試しの山〉への進行方向へ、体長三十メートルの巨体が雪崩れ込む。
地面が沈み、湿った黒土が波打つ。
大蛇の頭で薙ぎ倒した木が次々とはね上がり、俺たちの周囲に降り注ぐ。
原作ゲームで〈無垢なる大蛇〉が開始二ターン目に放つ大技──大突進をかわし、俺は胸をほんの少しだけ撫で下ろした。
(──どの転送先のエリアにも出るけど! 転送点のすぐ側で鉢合わせなんてなかっただろ!!)
轟音とともに巨尾が振り抜かれる。
風圧で周囲の木や岩が吹き飛び、石と枯れ枝が雨あられと天から降り注いだ。
俺はカーラの手を引く。大きな岩に身を寄せ、それらを回避する。
視界が土埃で霞む。耳鳴りの中、レンの叫び声が途切れ途切れに届いた。
「アイカータ! こっちは……ッ!」
返事を返す暇もなく、巨体が地を這い戻り、土を巻き上げて俺たちとレンたちの間に壁を作った。
大蛇の胴が弧を描き、沼藍の鱗の山脈が二組を隔てる。
俺は意識を集中し、首元へ手を押し当てる。俺が使える数少ない魔法――通信魔法〈念話〉を発動し、距離内にいるレンへ呼び掛けた。
【……レン、聞こえるか!? 〈念話〉だ!】
【──ッ!?】
【俺たちは引きつけながら逃げる! 元々二手に分かれるケースは想定してたろ!? 先に山方向に行ってくれ! 後から追いかける!】
【──わかった。必ず来い!】
さらに追い打ちをかけるように尾が叩きつけられ、地面が裂けた。
俺とカーラを狙ったものではなく、逃がさないようにする行動──。
崩れた土と倒木が折り重なり、即席の土塁がそそり立つ。
向こう側の気配が遠のき、レンとシモンの姿が完全に隠れた。
カーラは盾を構え直し、肩で荒く息をつく。
大蛇はなおもこちらへ頭を向け、黄色い目の奥で瞳孔が針のように細まっている。
「カーラ、レンたちが離れるまで、こいつを引きつけるぞ!」
「わ、わかった!」
俺は短剣を鞘から抜いて逆手に構える。大蛇の正面へ半歩踏み出す。
原作ゲームでのこいつは、近づかなければ交戦状態にならない。だが一度戦闘が始まると、こいつは一撃で味方ひとりを戦闘不能にする厄介な相手だった。ただし、狙われるのも一度にひとりだけ。『逃げる』を選び続ければ、全滅前に離脱できる設計だった。
(言い換えりゃあ、味方を犠牲にしない逃走は難しいってことだ……っ!! けど、アリスたちに勝つためにゃあふたりで無事に切り抜けねーと!!)
岩塊のような頭部が迫る。
俺はぎりぎりまで引きつけ、横へ跳んだ。死の牙が空を噛む。
着地と同時に短剣を鞘へ戻す。カーラの手を引く。
原作の地形図を脳裏に呼び戻した。――東に、広い泉があったはずだ。そこで、策を講じる……!
「走るぞ!」
俺たちは東へ駆け出した。
〈無垢なる大蛇〉が唸る。倒木も巨岩もまとめて薙ぎ倒しながら追いすがる。
土が裂け、生臭い湿気が背に張り付いた。
重装備でもカーラは遅れない。タワーシールドを抱えたまま俺と並走し、倒木をひと息に跳び越えた。
やがて靴底が湿った黒土へ沈み、木々の向こうから水音が届く。
視界が開ける。
森の切れ目に、直径二十メートルほどの泉が広がっていた。朝霧の漂う水面が、迫る地響きに細かく波打っている。
カーラは泉を背に足を止め、盾の握りを締め直した。
「一撃だけ逸らしてくれ! その間に準備する!」
「りょ、了解――守る!」
大蛇が泉際まで迫る。大きく顎を開き、カーラめがけて頭を突き出した。
カーラは半歩だけ横へずれる。タワーシールドを斜めに差し出した。
噛みつきが盾面を滑り、カーラの脇へ逸れた。
反発でカーラの上半身が後ろへ仰け反る。ハーフアーマーがきしみ、膝が沈む。
それでもカーラは湿った土へ靴底を食い込ませ、盾を起こした。
(〈受け流し〉成功! さっすが原作最優のタンク役──いまのうちに……!!)
原作どおりなら、冷気と氷結地形で大蛇の追撃は鈍る。
魔法の携帯袋からマジックアイテム〈アイスボム〉を引き抜く。
魔力を流すと、水色の球体に赤い魔力光がきらめいた。青白い霜気が噴き出す。
俺は球体をそのまま泉へ投げ込む。
青白い光が水面を走る。
光を追うように氷が広がり、泉の端まで一気に覆った。
氷面がぱきぱきと不気味な音を立てる。
「よくやった、カーラ! 行くぞ!」
「え? え?」
〈不動の跳躍する兎の足〉なら、装備の修飾効果〈不動〉で、氷上の〈転倒〉を無効にできる。
耐久ステータスの高いカーラでも移動途中に転ぶ可能性はある――俺は迷うことなくカーラの腰を抱き寄せ、そのまま両腕で抱え上げた。
重すぎて腰を痛めそうになる。
「い、いや、ちょ、ちょっと!?」
カーラの頬がみるみる朱に染まる。困惑した琥珀色の瞳がせわしなく動いていた。
俺は構わず、泉を覆う氷へ足を踏み出す。
靴底が氷面をきしませ、白い霜花がぱっと散った。
足元を確かめながら氷上を急ぐと、肩にしがみついたカーラが身じろぎする。
「重いと悪いから……! 〈保存〉!」
カーラは収納魔法を短く詠唱し、タワーシールドと剣を自分の魔法の携帯袋へ送った。
俺の腕に掛かる重みが、ふっと軽くなる。
「助かる。もう少しだ、じっとしてろ」
「う、うん……」
翡翠色の氷面を薄い霧が這う。ひと足、またひと足――氷は低くうなりながらも、俺たちの重みを支えた。
岸では、大蛇が氷の縁へ鼻先を寄せる。だが冷気に触れた途端、頭を引いた。氷に触れた鱗が白い霧を吐く。冷気に筋肉が強張ったのか、巨躯の動きが目に見えて鈍った。
尾を苛立たしげに地面へ叩きつけるばかりで、氷上へは乗り出してこない。
対岸まで、あと一歩。
足元にクモの巣状の亀裂が走った。
――間に合え。
祈るより早く氷を蹴る。
跳躍――着地。
一拍遅れて、バチン! と乾いた破裂音が鳴る。
背後で氷板が崩れ、水柱が噴き上がった。
大蛇の喉から低いうなりが漏れる。
氷に触れた鱗から白い霧が立ち、巨躯がびくりと痙攣したのが見えた。
大蛇は崩れた氷を迂回せず、対岸で動きを止める。
(っぶねぇ~~~っ! 距離が開いて、交戦状態も切れたみたいだな……)
俺は膝を曲げ、カーラを慎重に地面へ下ろす。両足が地面についたのを確かめてから、ようやく腕を離した。
重みが消えた途端、肩からどっと力が抜ける。膝に手をつき、熱い息を吐き出した。
……腰をいわしそうだ。
顔を上げると、カーラも肩で荒く息をしていた。
頬にはまだ赤みが残っている。目が合うと、ぎこちなく彼女は顔を背けた。……まずい、こっちも変に意識してしまう。俺は俺で頬をかく。
息を整える途中、カーラの左手がまだかすかに震えていることに気づいた。
盾を握っていたほうの手。
恐怖は消えていない。それでも彼女は、その手で大蛇の一撃を逸らしてみせた。
俺はそっと、その左手を両手で包んだ。
彼女の震えが――止まる。
「……よく耐えてくれた。助かった。また次も頼む」
「わ、私こそ……ありがとう。少し自信、取り戻せた」
「よし。レンたちを追おう」
火山風が草葉を揺らし、氷面に砕けた陽光が短く瞬いた。
◆□◆
泉から三百歩ほど北上し、大榕樹の木陰で俺とカーラは足を止めた。
あご先から落ちた汗が、緑の外套に濃い染みを作る。
首から下げていた真鍮色の風晶時計を手に取り、蓋を弾く。
白い文字盤の長針は、転送時の位置から四分の一周していた。秒針が細かく震えながら、十二を越える。
「十五分……大蛇に時間を食われすぎたな」
時計を閉じ、喉元へ手を当てる。赤い魔力光がきらめいた。
再び〈念話〉でレンへ呼び掛ける。
【レン、聞こえるか……レン……】
木の葉がかさりと鳴る。返事はない。
距離のせいか。それとも、レンが別の詠唱に集中しているのか。
これ以上、返事を待つ余裕はない。
胸にこもった熱気ごと、長く息を吐いた。
「カーラ、いまから全力で『視る』。俺が倒れたら、予定通り担いでくれ」
「わ、わかった。任せてくれ」
両手でまぶたを覆う。
眼底に電撃のような痛みが走り、視界の裏側で真紅の裂け目が脈打った。
指の隙間から赤い魔光がにじむ。
俺はゆっくりと両手を下ろした。
――世界が深紅に、反転した。




