第19話 ショートカット
異界ダンジョン〈試しの山〉。
対象から情報を拾う才能〈第四の目〉で、俺は〈試しの山〉そのものをひとつの対象として『視る』。
深紅に反転した視界が、無数の光脈となって網の目を描く。
森も岩も熱を孕んだ空気も、あらゆる存在の輪郭が符号へと分解されていく。
気温、魔素・聖素濃度、魔物の種別と位置、地形の立体情報、仲間の生体反応――膨大な数値と文字列が洪水のように脳へ雪崩れ込み、頭蓋がきしんだ。
原作では、〈第四の目〉はほとんど死に才能だった。
ゲーム画面で大半のステータスは確認できた。この目の出番といえば、原作の俺がヒロインの好感度や好きなものを調べ、主人公へ教えるときくらいだった。
それがこの世界では、情報を寄越しすぎる。
(――レンたちの位置と各班の軌跡、それに魔物の分布だけを……!)
意識を研ぎ澄まし、奔流の中から平面地図情報の層へダイブする。
深紅の大地に幾筋もの光点が瞬き、隊列を組んで移動していた。
光は班ごとに色別されている。
俺とカーラは白。レンとシモンの位置は北北西に一キロと少し離れた淡緑の光点。黄色のアリス班は速度を伴って南下し、他班もそれぞれの軌跡を残している。
拾えたのは、各班の光点の位置と移動の軌跡、魔物の分布までだ。生体反応の細部を選り分ける余裕まではない。
十五秒。頭蓋の中で何かがプツンと弾ける感触。
鼻腔を熱い液体が伝い、視界がにじむ。
「あ、アイカータくんっ!?」
魔光を解除すると同時に膝が抜け、地面に崩れ落ちた。
視界が元に戻る。足元の黄土とカーラの甲冑靴が揺れて映った。
あと五秒でも長びいていたら、脳幹が焼けていただろう。そう思えるほどに、頭がくらんだ。
鼻血が滴り、赤い点を土に散らす。
カーラの慌てた声がかすかに遠く、生ぬるい風が頬を撫でた。
(全員の位置は、わかった――)
ぐらつく意識をつなぎ止めながら、俺は拳で地を叩き、再び立ち上がろうとした。
力が入らずに、その場に倒れ込む。
鼻っ柱が土にまみれる。痛いのかどうかもわからないまま、うめいた。
「だ、大丈夫か?」
「予定、どおり、に……」
俺は振り絞った声を上げる。
からからに乾いた喉を震わせるたび、鉄の味を帯びた唾液が舌の裏で苦く弾けた。
しゃがんだカーラが、うつ伏せに倒れた俺を仰向けに返した。
その隣へ、俺と同じ向きでうつ伏せになり、肩を寄せてくる。
俺は意図を察した。
いまの俺に上体を起こす力はない。俺は肩と腰をひねり、カーラの方へ転がった。
ハーフアーマーの背に、身体が乗る。
彼女に腕を回し、どうにか落とされないように俺は自身の腕を掴む。
震える指先が汗に滑りそうになり、必死で力を込めた。
それを確かめたカーラが両手をつき、俺を背負ったまま四つん這いになる。
片膝を立て、ひと息に立ち上がった。
視点が一気に上昇する。
熱を吸った鎧が俺の肌を温めた。
肩にあごを乗せる。亜麻色の髪が頬をくすぐった。
拭った鼻から血がひと筋垂れる。
「……悪い」
「き、気にしてない。むしろ……いや、行こう」
カーラが前進する。
移動しながら、ぽつりぽつりと俺は手にした情報を小出しに伝えた。
◆□◆
〈第四の目〉の反動で、身じろぎするだけでも頭が痛む。
それでも魔物と各班の位置・軌跡は掴んでいる。カーラの背に揺られたまま、俺は衝突を避ける進路を指示した。
その案内が功を奏し、俺たちは一度も魔物に遭遇せず、着実に距離を稼いでいた。
灼けた金属板――ハーフアーマーが低温の火傷のような熱を押しつけてくる。
湿った熱帯の空気は肺の奥にまで入り込み、息を吸うたび焦げた草葉と硫黄が混じった煙が喉を擦った。
遠くで雷にも似た地鳴りがごろごろと腹の底を揺らす。
噴煙の影が、空の端を曇らせている。
「右……」
「――わかった!」
カーラの肩越しに吐き出した俺の声は、熱気の層でくぐもり、自分の耳に届く頃にはすっかりかすれていた。
俺の両脚を持つ彼女の手が強まる。
気づかいに、温かさを感じた。
「アリスたちは……六十分ほどで山頂に……」
俺が見た時、黄色の光点は、マップ北西端の転送点⑤から迷いなく南下していた。
全員レベル3の第二班は、俺たちより体力で上回る。
(アリスたちは山頂まで六十分ぐらいか……? 俺たちはショートカットを使って五十分……。レンたちとの合流を考えれば、余裕はない……)
黄色の軌跡は森林地帯を抜け、マップ北の正規ルートへ向かっていた。
アリスの才能〈黄金感覚〉で、最適な道を選んでいるのかもしれない。
(早めに進まないと……)
魔法の携帯袋にしまったメモ書き――対アリス用の秘密兵器に、俺は想いを馳せた。
しばらく進んで視界が開ける。
カーラの背から俺は標高1,000メートルはあろう火山を見上げた。
灰を孕んだ雲が山頂を巻き込み、咆哮のような噴気が尾を引いて空へ昇る。
空気は熱に揺らぎ、遠目にも赤熱した岩流が脈動しているのがわかる。
近づくたび、地面の奥で心臓が脈打つような振動が強まる。
汗ばむ肌を熱と恐怖が同時に這い上がった。
アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間、五十五分。
□
俺はカーラから降りて、灼けた赤土の上に腰を下ろした。
足元はまだふらつくが、もうひとりで歩くことはできそうだった。
根を張ったシダの影から立ち上る湯気が頬をなで、火山風が硫黄と草の匂いを混ぜて運ぶ。
「いったん、小休憩しよう。崖へ行く前に、少しでも体力を戻しておきたい」
そう言って、俺は魔法の携帯袋から塩おにぎりと携帯浄水瓶を取り出した。
立ったままのカーラに、海苔で包んだ塩おにぎりをふたつ投げる。
「え? え?」
「いらなかったか?」
「――いるぅ!」
「お、おう」
俺もおにぎりにかぶりつく。
魔法の携帯袋内は時の流れが遅い――炊き立てと変わらぬ温かさを舌先で感じる。
にぎり飯の海塩が舌を刺激し、唾液がどっと湧いた。
粗い米粒を急いで喉に押し込み、携帯浄水瓶に入れた耐熱ポーションで流し込んだ。
口内に残る塩気と炊き立ての甘さがじわりと指先に力を戻した。
耐熱ポーションの冷涼さが胃から広がる。
はっかを飲み干した気分だ。この世界の猛暑に欠かせない苦みを、俺は味わった。
カーラは満面の笑顔をたたえておにぎりを頬張っている。
リスのごとくほっぺたをふくらませていた。
「おいひぃ……っ!」
ただの水稔米を丸めて塩を振っただけ、と口には出さない。
噴気孔の白煙を背景に、幸せそうな横顔がやわらかく浮かぶ。
遠くでは鳥類モンスターのスカイスワローの鳴き声が短くこだました。
途中からカーラは、おにぎりを頬張ったまま、進行方向と俺を交互に見るようになった。
俺が食べ終えると、残りを慌てて口へ押し込み――むせる。
「っ!? ごほっ……!!」
「おいおい、大丈夫か?」
「ご、ごめんっ!!」
「そこまで急がなくていいぞ? 変に無理して倒れられたら、その方が時間を食うからな」
手を伸ばし、カーラの背を鎧越しにさすってやる。意味あるか、これ? そう思いながらも俺は続けた。
カーラの咳が収まったのを見届け、俺は自身の体力を『視る』。残量は四割まで戻っていた。よしっ。これなら崖へ向かえる。
次にカーラをチェック。七割。……わーお。
改めて、彼女が体力お化けであることを俺は思い知った。
カーラの視線が、赤く染まった俺の目に留まる。
「そ、その目、大丈夫なのか? さっき、それで倒れたばかりだろう?」
「ん? ああ、この程度なら問題ないよ。心配してくれて、ありがとな」
俺は視界を元に戻した。
ぽんと、カーラの背を叩いてやる。
カーラが照れくさそうに、短くうなずいた。
俺はざらつく手袋で汗を拭い、前方の地形を見据える。
赤土の向こう、噴気を吐く岩場の上に切り立った黒曜の崖がそそり立っていた。
溶岩で焼かれた断崖は鈍い光を帯び、頂には幅ひとり分の細い獣道が絡みつく。
俺は首筋の汗に風を受けながら、険しくそそり立つ壁を見上げた。
(あの稜線のショートカットを使えば、レンたちに追いつける――)
未だにレンたちと通信魔法はつながらない。
あと百、二百メートル、距離を詰めれば届くはずだ。
俺は地面に座ったまま〈不動の跳躍する兎の足〉を脱ぎ、袋から取り出した代替装備へ履き替えた。
「カーラ、こっちを履いてくれ」
固有靴を差し出すと、カーラはうなずいた。
脱いだ甲冑靴を、カーラは自分の魔法の携帯袋へ〈保存〉し、〈不動の跳躍する兎の足〉へ足を通す。
ショートカットの準備が完了する。原作知識に頼った時間短縮に、俺たちは取り掛かった。
アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間、五十分。
□
「次は、あそこの、でっぱりに組み付いてくれ」
カーラの首に片腕を回し、俺は空いた手で赤茶けた突起を指す。突起の幅は二十センチほど。熱に焼かれて脆そうだが、そこへ取り付かなければ次の足場には届かない。
「ひぃいい……っ!」
黒曜混じりの壁は、頭上へ三百五十メートル近くそそり立つ。
岩肌の隙間から白い噴気が漏れ、上昇気流が硫黄と焦げ土の匂いを巻き上げる。熱い蒸気が頬を刺した。
カーラは爪先だけを足場に掛け、俺を背負ったまま手甲越しに岩肌へ張り付いている。震えが首に回した腕まで伝わってきた。
(まあ、いくら跳躍力が上がる〈不動の跳躍する兎の足〉履いてても、躊躇するわな……)
カーラが履いているのは、俺が貸した〈不動の跳躍する兎の足〉だ。
本来なら、レンが風魔法〈飛行術〉で三人ぐらい運ぶのと併せ、俺がこの靴で岩棚を中継しながら登って、五合目まで高度を稼ぐ手はずだった。
だが、二手に分かれたいまは〈飛行術〉は使えない。カーラの脚力とこの跳躍を補助する靴だけで、同じ足場をつなぐしかなかった。
俺は指差していた腕をカーラの肩へ戻す。
「カーラなら、大丈夫だ。きっとうまくいく。……頼む」
「――う、うわあああああああっ!!」
カーラは息を呑み、脚のバネを一気に解放――。
ぶおん、と重い風鳴りが耳を裂き、ふたりまとめて空中へ跳ね上がった。
カーラの両手が突起を掴むや、岩がきしむ。
反動で視界が揺れた。火口の熱風が俺の背面をなでる。
鉄の匂いと焦げた苔が鼻を刺し、汗がひと筋、顎から地表へ滴った。
カーラが力任せに腕で身体を引き上げる。狭い突起へ爪先を掛けた。
「よしっ。次はあの上の……」
「う、ううぅっ……」
俺は次の蹴り出しに備え、カーラの背へ重心を預けた。
それから何度も、俺が次の足場を示し、カーラが跳び、岩棚へ取り付く。同じ手順を重ねるたび、森林帯が眼下へ沈んでいった。
悲鳴は跳ぶごとに短くなった。
慣れたわけじゃない。背中越しの震えは、むしろ強くなっていく。それでも俺が次を示すたび、カーラは自分から膝を沈めた。
やがて、残るのは崖の縁までの最後のひと跳び。
頭上には黒い岩の縁が突き出している。
「最後だ。あの縁まで届けば五合目だ」
「わ、わかった……!」
カーラは手甲を岩へ押し付け、狭い足場の上で深く膝を沈めた。
肩越しに伝わる呼吸が一度止まり、次の瞬間、靴底が足場を砕く。
熱風を突き抜け、俺たちの身体が崖の縁まで跳ね上がった。
カーラの両手が岩角を捉える。ハーフアーマーが岩肌を擦り、甲高い金属音が響いた。
「う、うううっ……!」
カーラは片肘を縁へ掛け、片膝を岩棚へ乗せる。
腕と脚に力を込め、俺を背負ったまま崖上へ這い上がった。
〈試しの山〉五合目――森林帯を俯瞰する高さ。
登り切った途端、カーラは両手と膝を地面につき、四つん這いになる。
生まれたての牡鹿のように足が震え、ハーフアーマーの金具がカタカタと音を立てた。
俺はカーラの背から降り、その隣に膝をついた。
頭を撫でても反応が薄い。よほど怖かったのだろう。
首から下げた真鍮色の風晶時計を引き寄せ、俺は蓋を弾く。
ショートカットに取りかかってから、二十分。予定どおりだ。やったぜ。
「でかしたカーラ! 崖下から二十分で五合目まで来られた! ほんっと助かった! 君のおかげだ!」
返事の代わりに、震える手が持ち上がる。カーラは親指だけを立てた。
俺は立ち上がり、指で首に触れる。再度通信魔法でレンに呼び掛けた。
【レン、聞こえるか……応答しろ……】
ここまで登れば、もう〈念話〉は届くはずだ。
だが、返事はない。
(……距離の問題じゃねえ!)
胸の奥を、冷たいものが走る。
山頂までは残り標高三百五十メートル。
灰色の雲が火口上空で渦を巻き、その内側を紫の雷光が走った。
アリスたちが山頂に着くまでの予測残時間、三十分。




