第17話 男子班対女子最強班 対決開始
春シーズン第二週の四日目、午前。
幾筋もの雲が峰に溶けるアルディナ山脈の麓。異界ダンジョン〈試しの山〉へ繋がる灰白の巨岩の前に、一年一組の生徒たちが班ごとに集まっていた。
朝霧を吸った冷たい山風が、俺が着る深緑の外套の裾を揺らして袖口へ滑り込む。
外套の下は、身体に沿う黒いシャツと細身のズボン。腰の革帯にはダガーホルダーと魔法の携帯袋を吊るしている。身軽さを優先した、いつものスカウト装備だ。
湿った土と若草の匂いを吸い込むと、肺の奥までひんやりした。まだ冷えるねー、しかし。
俺は広場を見渡す。広場では、冒険衣装をまとった同級生たちが剣や槍の具合を確かめ、採掘道具を点検していた。
その光景に、交易都市ミカの初級ダンジョン前の広場が重なる。ブロンズランクの冒険者たちに交じり、俺もよく仲間を待ちながら短剣やつるはしの柄を確かめたものだ。
はて、うちの班員はどこかねと、俺は辺りを見回す。少し離れた倒木の前に、本へ顔を寄せるカーラを見つけた。……いや本じゃなく、魔導板帳か。うちの商会の店で売っているモデルである。
俺はカーラの側まで歩み寄る。それでも、彼女は板帳から視線を上げない。何をそこまで読み込んでいるのやら。俺は背後から声をかける。
「カーラ?」
「うひゃいっ!?」
カーラが亜麻色の房を跳ねさせ、魔導板帳を勢いよく閉じた。
そのまま革細工の携帯袋へ慌ててしまい込む。
琥珀色の瞳が、俺と携帯袋の間で落ち着きなく揺れた。
「あ、アイカータくん」
「真剣な顔してたけど、どうした?」
「な、なんでもないんだ、なんでも……。ただ、ちょっとした決意表明を、していただけで」
言い終える頃には、カーラの耳先は薄紅を帯びていた。
「決意表明?」
「ほ、本当になんでもないっ! ……ちょ、ちょっと、花摘んでくる!」
逃げるように彼女はダッシュする。
甲冑の擦れる音が響く。
カーラの姿はすぐ林の奥へ消えた。そっち、トイレあったか?
残された静けさの中、俺はふと気になって自分の魔導板帳を取り出した。
一学年の学内共有型魔導板帳に魔力を通す。
自動執筆が始まる。魔力が走り、黒文字が面に浮かび上がってくる。
最後の書き込みに「絶対、勝つから」と刻まれているのを、俺は確認した。
魔導板帳をそっと閉じる。
俺はカーラが走り込んだ先をじっと見つめた。
「……さすがにないか」
俺は気を取り直し、班員がそろうのを待つ。暇な時間、俺も道具の点検をしようと腰の携帯袋に手を伸ばした。
遠くで鳴いた山鷹の声が、これから始まる実習の空気を高く張りつめさせた気がした。
□
「集合!」
メイリーナの号令が林にこだまする。
俺たち一年一組の面々は班ごとに縦に並んだ。
姿勢を正すかすかな衣擦れ音が、全体に緊張を走らせる。
俺たちの左隣にはアリス班の面々。
深紅の外套をまとったアリスが、黄金の瞳を細めて俺へ流し目を寄越した。朝風に長い金髪が揺れ、陽光をきらりと弾く。
その右手には、黒革の首輪。
負けた方が卒業まで勝者の犬になる――賭けの品を、彼女はこれ見よがしに指先で揺らしていた。
俺はぺろりと舌を突き出す。
アリスが鼻で笑い、俺も負けじと口角を吊り上げた。
「今回のダンジョン探索は二日間に及ぶ! それぞれの班で計画を立て、自由に採掘・採取・狩りをしてこい! 持ち帰ってきた素材や物品がそのままお前らの評価となる!」
メイリーナが高らかに話す。
周囲の空気が一斉に引き締まった。
「なんなら、ヌシを狩って来ていいぞ――狩れるならな。許可はもらっている。間違っても複数班であたるなよ? ――ヴェスター! 理由はわかるな?」
三列目先頭、水色おさげの〈直情槍娘〉──エレナ・ヴェスターが地面に突き立てた槍を強く握りしめる。
槍の穂先が朝日を受けて白く瞬いた。
エレナの張り上げた声が広場に行き渡り、鳥影を散らす。
「は、はいっ! 対峙する人数が五人を超えると、モンスター側が〈群衆補正〉でパワーアップするからです! 先週の授業で習いました!」
「なんでわざわざこんな常識的なことを私が言ってるか、わかるかヴェスター!?」
「うえぇ!? わ、わからないですっ!」
「毎年、誰かしらやらかすからだ! いいかお前ら、他班と固まっているところにモンスターが来たら、ちゃんとバラけろよ!」
注意事項の説明を終えたメイリーナが俺たちを見回す。
赤毛が風になびき、陽を帯びて焔のように揺れた。
一拍置いて、彼女は言葉を放つ。
「最後に! 全班明日の正午にこの場に集合しろ! わかったな!? 何か質問は!?」
「あ、あのー。うちの班、ヒーラーが来てないんスけど……」
俺から見て奥のほう、五列目の〈鷹使い〉ノエリア・シェリダンが挙手し、声を震わせた。
肩に止まる鷹が落ち着かない様子で羽音を立てる。
五班の班員たちは顔を青ざめさせ、担任の言葉を待っていた。
「ヒルダなら病欠だ。朝連絡があった。かなり重い方らしい」
「ま、まじっスか!? ……うちら、三人のままっス!?」
「欠員が出るのなんてとっとと慣れておけ! 支給品は追加してやる!」
「とほほ~っス……」
「他にないな!? では最後に十分間、準備時間を与える! 一班から順に私の後ろの巨岩へ入れ! 空間のひずみから中に入れるからな!」
メイリーナの声にあちこちで返事が上がり、整っていた隊列が班ごとにほどけていく。
「お先に失礼、アリス」
「お先にどうぞ、モブ」
最初に巨岩へ入る第一班は、俺たちだ。俺が列の先頭へ踏み出すと、隣に控える第二班のアリスが、揺らしていた首輪を手のひらに収めた。
俺は話を続ける。
「申請の件、結局駄目だったみたいだな。邪魔してくれてありがとう。おかげでやる気が出たよ」
「ふふっ、なんのことかしら? やる気が出たなら、何よりだわ」
カナメの融資申請は案の定、結果は却下だった。
それもいまとなっては、アリスから刀の提供を受けているため、問題なしという訳だ。
――いまのところアリスの思惑通りに事は進んでいる。
上等だ。俺は拳を軽く固めて意気込む。
「ああ。山頂で仲間たちと優雅に待ってるよ。悪いな、先行しちゃって」
「女神があなたに微笑むのは、ここまで。時間差なんてすぐに覆してみせるわ」
「運も実力のうちってね。それじゃあ、いい旅を」
カーラたちと一緒に巨岩へ向かう。
数歩進んだところで、背中に視線を感じた。振り返ると、アリスの背後からカナメがまっすぐ俺を見ている。
藍の瞳と目が合う。俺は胸の前へ拳を突き出した。
カナメは一瞬だけ目を丸くする。
だが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、赤鞘に添えていた手を離した。俺へ向けて、同じように拳を突き出してみせる。
言葉はいらなかった。全力でやり合うことを、俺たちは改めて確かめ合う。
俺は拳を下ろし、異界の入口へ向かった。
□
巨岩に刻まれた薄紫の紋様が、背後でゆっくり明滅している。
〈兎の盗賊の手袋〉をはめた手を握っては開き、〈不動の跳躍する兎の足〉の靴底で地面を踏む。前回の攻略で得た装備に異常はない。
俺は三人へ向き直った。
レンは細身魔杖〈雨の杖〉の柄を手のひらで撫で、浅い呼吸を整えている。朝風がターコイズ色のローブの裾を揺らした。
その隣で、灰緑の軽革ジャケットを着たシモンが背筋を伸ばす。腰の多機能ベルトポーチを持ち上げ、薬瓶の並びを何度も確認していた。
最後に、水鉄鉱プレートのハーフアーマーを着込んだカーラを見る。
家紋を削ったタワーシールドを左腕で持ち上げ、前後へゆっくり傾けていた。動くたび、甲冑の合わせ目が小さく軋む。
「今度は、守る……。絶対、勝つ……。今度は……」
「カーラ?」
呼びかけも耳に入らないのか、カーラは盾を握ったまま同じ言葉を繰り返している。
盾の取っ手を握る指が、白くなるほど力んでいた。
隣のレンが眉を寄せる。
「……ソードマン。力が入りすぎだ。一度、盾を――」
「残り五分!」
巨岩の隣で、メイリーナが懐中時計を掲げて叫ぶ。
「っ」
レンは続く言葉を飲み込み、カーラへ伸ばしかけた手を引いた。
だが、人のことを言えたものではないだろう。〈雨の杖〉を握り直した彼の指も、柄へ食い込んでいた。
……緊張しているのは、みんな一緒か。かくいう俺も、胃の奥がじりじりと焼けていた。
この感覚には覚えがある。前世、小学生の頃、スイミングクラブのクラブ対抗戦でリレーの出番を待っていたときと同じだ。
あのとき、友だちがショート動画を真似て組んだ円陣。それで、不思議と震えが止まったのを俺は思い出す。
「よしっ」
俺はカーラへ歩み寄り、その右肩へ腕を回した。
「──うひゃあっ!?」
瞬間、俺たちのうしろに控えていたクラスメートの列にざわめきが走る。
「──はあっ!?」「え──っ!!」「ざけんなッ……!!」といった言葉が飛び交った。
レンとシモンまで目を見開く。カーラは耳まで真っ赤にしている。
いまは緊張をほぐすことが先決。周りの目など知ったことではない。
続いて、空いた腕でシモンの肩を抱き寄せる。がちがちに強張っていた。
「レン、カーラとシモンの肩へ腕を回してくれ」
「こ、こうか?」
「そうそう。あとは全員顔を寄せて、そのまま足元を見る感じで」
レンは〈雨の杖〉を握ったまま、おそるおそる両腕をカーラとシモンの肩へ回した。
円陣が完成すると、黄色い声がさらに大きくなる。う、うるさいな。
かぶりをふってから、俺は寄り集まった三人へ語りかけた。
「──この数日間、みんな本当によく耐えてくれた。感謝してる」
三人の肩がそろって震えた。
俺の謝辞に感動したか? そう思ったが、向かいのレンが軽口で応じる。
「……特訓中、何度お前に魔力弾を叩き込んでやろうと思ったことか」
「ふふっ、まったくです」
シモンまで穏やかな声で追い打ちをかけてきた。
……言ってくれるじゃねーの? 走り込みと食事管理で追い込んだ自覚はある。魔力弾の件は、冗談だと信じたい。俺はほんのちょっとだけ反省した。
俺が肩をすくめる横で、カーラが盾を支える左腕へ目を落とす。
「わ、私も特訓のおかげで、盾を構える感覚までは取り戻せた。──もうひと息、足りなかったが……」
「──大丈夫だ。足りない分は俺らでなんとかする。みんなを信じろ」
「う、うんっ」
俺はカーラの背を軽く叩く。
彼女の口から、張り詰めていた息がゆっくり抜けた。
それから、俺は両隣の肩をもう一度引き寄せる。円陣の輪がさらに縮まった。
「……俺たちは最短ルートで山頂のヌシの討伐を目指す。カーラ、着いて少ししたら作戦どおりに頼んだ。レンは予定地点で風魔法と通信魔法、シモンは周囲警戒。……一秒たりとも無駄にしない。いいな?」
三人がそろってうなずく。
俺は声を落とした。最後の掛け声と返しを、三人に頼み込む。円陣の締めはやはりこれだろう。
「残り一分!」
「くっそ、見せつけおって」と、メイリーナの小言が飛んでくる。
俺は構わず、朝の冷気を肺いっぱいに吸い込んだ。胃を焼いていた緊張を、すべて声に乗せて吐き出す。
「──ぜってえ勝つぞっ!!」
「「「おーっ!」」」
広場中に俺たちの気合が轟く。
俺は両隣の背を叩き、円陣をほどいた。
よっしゃ、行こう。さっきまでの緊張は、いまや身体を前へ押す熱に変わっている。
顔を上げると、他班の面々が俺たちをぼうっと見つめていた。あちこちで隣の肩へ手を伸ばしかけては、気恥ずかしそうに引っ込めている。
肩を組む円陣など、この世界では見た覚えがない。物珍しいだけなら、わざわざ仲間へ手を伸ばしはしないだろう。なんだかこのまま真似しそうな気配すらある。俺たちの熱が伝わったみたいで、俺は少しうれしくなった。
両頬を叩き、俺は巨岩へ向き直る。
「しゃあ、行くぞっ!!」
戸惑いと興奮のざわめきを背に、俺たちは巨岩へと歩き出した。
◆□◆
異界ダンジョン〈試しの山〉内部。
薄紫の紋様が刻まれた、身の丈ほどの大岩を抜け、湿った黒土へ足を踏み出す。
外の冷気は途切れ、むっとする熱気と鉄錆の臭いが一気に押し寄せた。たちまちあご先へ汗が伝う。
シモンが大岩から抜けるのを見届ける。
三人が揃ったのを確かめ、俺は周囲へ目を走らせた。
(森林の端。ってことは転送点③の位置だな……)
原作で見た地形を脳裏へ重ねる。
正面の木立の向こうで、山頂へ続く赤い稜線が燃える刃のようにそびえていた。
最短ルートは、あの方角だ。
「よしっ。まずは……」
言いかけた瞬間、湿った土を擦る低く重い音が届く。
振り向く。
俺たちが出て来た転送点の大岩の陰で、沼藍の巨体がうねっていた。
太い胴が苔むした岩を擦る。鈍い音とともに、岩肌へ亀裂が走った。
俺は片腕を広げ、急いでレンとシモンの前に立つ。
ふたりが息を呑む音が、すぐうしろで重なった。
喉の奥へ苦いものがせり上がる。
一秒も無駄にできない今日に限って、最悪の足止めが現れやがった。
俺は舌打ちする。
(なんで転送点の近くにいんだよ……。ゲームじゃあ、そんなことなかったろ? 誰だよ俺に女神が微笑んだとか言ったやつ? マジでふざけんなよ……?)
忌々しい運命が、目の前で舌を這わせる。
特殊徘徊魔物〈無垢なる大蛇〉。
全長三十メートルを超える、レベル5の耐久型モンスター。
湿気を呑んだ鱗が、油膜めいた鈍い光を返す。
岩塊ほどの頭部が、大岩の陰からゆっくりと滑り出た。
黄色い目玉が、無機質なきらめきを宿して俺たちを捉えた。
瞳孔が針のように細まり、錆びた金属を擦るような音が呼気に混じって森を震わせた。
俺の横に、カーラが並び立つ。
タワーシールドの縁が、かすかに震えている。
それでも、カーラの足は退かない。〈無垢なる大蛇〉をにらみ返し、盾を構えた。




