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それは、世界が破滅する予兆であった。
荒井純は夢を見た。とても不可思議で、恐ろしい夢を。
そこは海の底らしく、足元で巻き上がった黒緑色の海底の砂が目の前に漂っている。
ぼんやりと光る不思議な球体が、純の行く先に建つ巨大な館と、館への道を挟むように二列にひざまずく人々を照らす。
純はひざまずく人々の間を歩いていく。その中には、純のよく知っている人の顔もたくさんあった。
学校の教師。よく利用するコンビニの店員。洋吉。茜。神宮。
皆が皆、まるで操り人形の如く同じ姿勢で、純を導くように館への道を挟んでいる。
人々の作る道を通り抜け、館への階段を上った。
その間、遠くに見える景色が、ボロボロと崩れて消えていくのが見えた。ビルや民家や橋が、人間の作った物が壊れていく。
海に沈んだ世界が終わる光景。純はそれを眺めながら、吸い寄せられるかのごとく神殿の中へ入っていった。
「ようやく……、夢の中に入り込めたか……。外なる神の宝物……。ここまで強固な精神障壁を備えているとは……。流石はラバンの切り札と言ったところか……」
年老いた声が、館の奥から聞こえてきた。
外と同じく海水で満ちた館の中を純は進み、声の主に謁見した。
ひげのように触手が生えた、タコに似た頭部。しまわれたかぎ爪が見え隠れする両手。ゴムのような質感の肌。コウモリに似た翼。ドラゴンに例えられることもある巨大な体を横たえて、うつらうつらと、横長の瞳孔を持つ四つの目を開け閉めしている。
海底都市ルルイエの館に眠る、最上級超越者。
――――“大いなるクトゥルフ”である。
「記憶操作、精神汚染、意識操作。どれも防がれてしまう。夢に入り込んだところで、これでは何ができよう」
クトゥルフは目の前に立つ純を見下していた。彼ら最上級の超越者にとって、人間は水たまりの中に漂う微生物と同じでしかない。
「私の力を分けたディープワンズになんとか勝てる程度の力……。それでどうやって私の障害になろうというのか……」
だが、クトゥルフは微生物の真の力を知っていた。
己より遥かに小さき者。時に小さき者が起こす奇跡は、象ですら殺すのだ。
「しかし、ラバンが何の意味もなく切り札を託すとは思えん。手は打っておくか。復活の星辰と究極の星辰が正しき位置に来るにはまだ早い。私はまだ動けない。精々、思念体を通して観察ができる程度。だが――――」
純の視界がぼやけ始め、クトゥルフの声が遠くなっていく。
「私が動けないのなら、他の者に動いてもらうだけだ」
ぱちん、と音を立てて、深淵の夢は終わりを告げた。