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ディープワンズの事件から三日後。休日の朝。
妙な夢を見て、いつもより少し早くに目を覚ましてしまった純は、激しい頭痛がする頭をおさえ、水を飲もうと台所に向かった。
「大丈夫ですか? 純。何者かが、純の精神に干渉しようとしていたようです。私の精神障壁で対応しておきましたが、少し脳にダメージが入ってしまったかもしれません……。じきに治ると思います……」
「そうか……。ありがとな。よく分からんが、助けてくれたのか……」
「いえ、そんな……。完全に防ぎきれれば、純がそんな辛い想いをせずに済んだのに……」
「気にしすぎだよ。でも、夢に出てきたあいつは――――」
台所でコップ一杯の水を飲み、一息ついた純のところへ、父の正道がやって来た。朝だというのに、正道が起きているとは思わず、純は気まずい心地になる。
「純。顔色が悪いな」
純は少し、驚いた。正道が心配してくれるなんて、一体何年振りだろうか。
「いや、ちょっと変な夢みただけ……」
「そうか。……、朝飯作ってやるから、呼びに行くまで部屋で休んでろ」
「え? 朝飯? ……、親父が?」
驚き過ぎて、純はまた頭痛がぶり返してくるのを感じる。
「目玉焼きでいいか?」
「あ、うん……。じゃあ、お願い……」
純からしてみれば、正道が台所に立ち、フライパンに油を敷く姿は、未確認生命体を見ているような気がする出来事だった。
「どうしたんですかね? 純のお父さん」
「分からん……。何があったんだ……?」
いつもと違う様子の父に、純はどこか気持ち悪さを感じながらも、言う通りに部屋のベッドに戻った。
「おーい。純。できたぞ」
正道が呼ぶ声がして、純はおっかなびっくりな足取りで台所に向かった。
あまりに慎重な純の歩き方に、エインセルが溜め息を吐く。
「いや、そんな警戒して行く意味あります? 普通に行きましょうよ」
「しっ! お前は静かにせいや!」
純はとにかく慎重だった。父はずっと部屋に引きこもり、こんな積極的に他人と接するなどということは決してしなくなっていたからだ。何かがある。絶対に、何か――――
静かに台所に入ると、机の上には目玉焼きとみそ汁が用意されていて、正道がご飯をよそっているところだった。
正道の柔らかな表情を、純は果たしていつ以来に見ただろう。けれど、正道の純を見る顔は、確かに父親としての優しさに溢れていた。
「親父……」
「今日、学校休みだろ。これからは家のことは俺がやるから、お前は家ではゆっくりしろ」
「なんで……」
困惑する純を置いて、正道は先に席に着き、朝食を食べ始めた。
純はどうしていいか分からなかった。席に着いていいのか。一緒に朝食を食べていいのか。
――――分からなかった。
親子なのに。いつからこんな風に、共に食事をすることすら躊躇うようになってしまったのか。
純は勇気を出して、父の向かいの席に座った。
震える手で箸を持ち、父が作った目玉焼きをゆっくりと口に含む。
美味しかった。
久しぶりに感じる美味しさ。懐かしいとすら思えるくらいに。
「……。美味いか?」
正道に聞かれても、純は返事ができなかった。ただ、首を縦にこくりと振って、目玉焼きとみそ汁を食べた。
声なんて、出せるはずがない。
何故なら、純は泣いていたから。
父が作った朝食。父と、家族と共に食べる朝食。噛めば噛むほど、純の目から涙がこぼれた。
「テレビでな。見たんだ。今、話題になってるフォマルハウトってやつの生中継」
純の心臓が跳ね上がる。フォマルハウトが自分であることに、正道が気がついてしまったのか、と。
実際、正道は気が付いていた。けれど――――
「今まですまなかった。やっと分かった気がする。俺は、カッコ悪い大人になってたんだな。子供と妻に暴力を振るった、最低な親父だ。お前が望むなら、俺はいつでも警察に自主するつもりでいるよ」
正道は、フォマルハウトの正体に言及しなかった。ただ、自分の罪の裁きを、一番の被害者である息子に委ねた。
純は少しの間、考え込んだ。それから、考えがまとまると、純も正道に謝った。
「俺さ……。小学生の頃から、中学卒業するまで、親父の金盗んで、勝手にボクシングジム行くのに使ってたんだ。それに、俺も親父のこと……、殴って……。だから、その……。ごめんなさい……」
逆に謝られて、正道は驚いた。けれど、すぐに純の気持ちを汲んで、答えてくれた。
「いいよ。いいんだ。気にするな。お前にそうさせた原因は、俺なんだから……」
正道にそう言ってもらえた時、純は胸につかえていた物が取れた気がして。震える手で、再び食事に手を付け始めた。
嗚咽混じりに朝食を食べる純。
正道も、うつむき、今にも泣きだしそうな顔をしている。
「……、美味いよ……。これ」
純がぼそりと、震える喉を振り絞って出した声に、正道が顔を上げる。
純は言う事を聞かない自分の喉に鞭打って、父に正直な気持ちを伝えた。
「美味い……。本当に、美味しいよ……。親父……」
「そうか……。そうか……」
全ての答えは、それで充分だった。
台所の窓から食卓に差し込む朝日の明るさを思い出して、純と正道はそれ以上言葉を交わすことなく、大事な物が戻って来た喜びを、二人で噛みしめていた。




