動き出す 1
「藍、師匠……、師匠は生きてるんですか」
隊長は、ただ目を見開いてそう問いかける。
雲居はきょとんとした表情で墨染めに視線を向けて、そして戻した。
「生きてるよ。少なくとも僕たちが国を出してもらった、一年前までは」
その瞬間、隊長は何も言わずに後ろの窓を開けた。何をするのかと全員が注目する中、目の前の低木に手を突っ込んで、勢いよく引き抜く。
そのまま窓を閉めてこちらに向き直った隊長の手には、何か黒いものが握られていた。
「隊長……、どうしました?」
全員が呆気にとられている中、レイノールが問いかける。恐る恐るという体になってしまったのは仕方がない。ちょっと異様な行動と、そして光景だったのだから。
「え、っと……そのからすは一体?」
リアトも驚いた表情のまま、隊長とその手に握られている物体を凝視する。
訳の分からない行動の結果、手に握られている黒い鳥。その鳥も驚いてるのかショックを受けたのか、くちばしを開けたまま隊長の手に収まっている。
隊長は二人の問いに答えることなく、じっと雲居と墨染を見つめた。
「レイノール」
突然名前を呼ばれたレイノールは、少し驚いたように目を瞬いてそれでもしっかりと返事をする。そのままリアト、イルク、凪と名前を呼ばれ、各々応えを返した。
「レイノールとリアトには、是を貰っています。凪には拒否権はありません。後はイルク、あなたの返答を聞きたい」
「あれ? 僕たちは?」
隊長の言葉に不思議そうに雲居が口を挟む。
「あなたたちは当事者です。凪同様、拒否権はありません」
「はーい」
「いや待って、俺同様って俺の拒否権発動しないのかよ」
頷いた雲居とは反対に、凪が反論の声を上げた。拒否したいわけではなく、意味が分からないからだろう。
けれど隊長は、ありませんと一刀両断でそれに答えた。
「イルク。私は貴方と争いたくない。そして、ソクラートと戦を起こしたくない。何より、王弟殿下を無事にこの国に戻したい」
「隊長殿……」
先ほどのからの展開の速さにイルクだけではなく、何かしら事情を知っているだろうレイノールとリアトも戸惑った表情を浮かべていた。
「この国は腐ってる。私は王弟殿下とあなたとのこと、ベガリアでのこと、上層部の態度を見て本当はこの国を切り捨てるつもりでした」
「隊長!?」
それに反応したのは、レイノールだった。
大きな音をたてて立ち上がると、隊長の傍へと数歩の距離を駆け寄る。
「それは、切り捨てるとは、この国から……っ」
信じられない事を……否、信じたくない事を聞かされたように、その続きが言葉にならない。隊長はそんなレイノールを見て、目を伏せた。
「レイノールの事を考えても、近隣国に対してもこの国は害悪です。上層部が腐りすぎていて、人員を挿げ替えるだけではもう足りない。この国に属しているだけでも反吐が出る」
そう言い捨てると、徐にカーテンを閉め始める。何かよくわからないまま凪もそれを手伝い、部屋は昼だというのに薄暗くなった。
その途端、作戦会議室のドアがココンッと小さく鳴らされた。
びくりと反応する凪達をしり目に、分かっていたかのように隊長がドアへと近づき鍵を開ける。
いつの間に鍵までかけていたのか。
最後に入ってきたのは隊長。元々周囲に聞かれたくない話をするつもりだったのかと、イルク達の脳裏をよぎった。
全員の視線を向けられながらドアから入ってきたのは、先ほど寮の前で隊長を呼び止めていた十軍の伝令。すこし不貞腐れたような表情のまま、部屋の中に入ってドアを閉めた。鍵もついでに。
「レイノール、もう一度防音をお願いします」
先程よりは気持ちが落ち着いたのか、穏やかな声で隊長がレイノールへと声をかけた。
「はい」
指を鳴らす音が聞こえ、不可視の何かが部屋を覆いつくす。
「ったく、俺がいるの分かってるなら早く部屋ン中にいれてくださいよ」
そう言ってドアの横へと立つ。
「周囲には誰もいませんよ。ここで面接をやってるからか、九軍は皆さん行儀いいですねぇ」
十軍は、逆に全員が興味心で見に来るんですがね。そういいながら、壁に寄り掛かった。
「私の人徳でしょう」
「ははは」
いつの間にかいつもの調子に戻っている隊長に、仲のよさそうな? 伝令の青年。
「あの、隊長。これは一体……?」
疑問を抱くのは当たり前で、誰しもが戸惑う状況だ。
おずおずと会話に割って入ったレイノールに、隊長はカラスを掴んでいる手を前にあげた。しかし、視線はイルクに向けて。
「イルク、あなたはどうしますか」
ここにいるか、話を聞く前に立ち去るか。
ここまで情報を見せておいて、本当なら有無を言わさず仲間に引き込まなければいけないはず。それでも隊長は、イルクの判断に任せようとした。
その答えが、既に分かっているとしても。
イルクは微かに苦笑を浮かべると、隊長をしっかりと見返した。
「私の望みは、両国の平和。その為に属するのであれば、国でなくとも構いません」
貴方の下に。
そう続ければ、隊長はにんまりと笑った。
「ほぅら人徳」
「上層部と天秤を掛けたら、そりゃあなたの方がまだましでしょうよ」
そういうと、伝令の青年が部屋にいる全員に視線を巡らせた。
「十軍のアウルだ」
思わず声を上げたのは、いつもなら冷静なレイノール。
隊員にはほぼ会わない十軍だけれど、主長だけは会議などで顔を合わせる機会があった。だからこそ。
「アウル主長、ですか……?」
四十歳を過ぎて、諜報員から主長へとなったアウル。けれど目の前にいるのは、20代に見える青年。
その驚きを正確に受け取ったのか、アウルは肩を竦めて口端をあげた。
「隠密部隊なんでね、会う度違う顔してるけど主長のアウルで間違いないよ。あんたんとこの隊長さんにはいつも見破られて頭来るけどね」
「それだけ若作りしてもアウルはアウルですしねぇ……、でも若作りしすぎ。ぷぷ」
「あなたはテンションが上がりすぎ」
図星を差された隊長は、肩を竦めて手の中のカラスへと話しかけた。
「師匠、存命だそうですよ。少なくとも、一年前までは」
途端、カラスががばりとその手の中で起き上がる。
まるで人の言葉を理解しているかの様子に、全員の視線が集まった。
「深青、師匠が生きてます」
喜ばずに、いられないでしょう?
隊長の言葉に、雲居が声を上げた。
「え、深青様?!」
その言葉に、カラスの身体がブレた。まるで高速で動くもののような、一枚布を被せたような。
その一瞬の後。
「腹黒軍師殿!?」
突如現れたジェラスの姿に、リアトの叫び声が部屋に響いた。




