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ハイネの湯浴みの手伝いをしながらコトネはため息を漏らしていたらしい。
着替えを終えてたハイネに問われると、ここ数日の少年ルークとのやり取りを正直に話した。
「……………つまり私は役立たずどころか不審者になってしまったかもしれません。もしも、訴えられることになったら、ハイネ様のおそばで働けないかもしれません…………。」
悲壮感に満ちたコトネを尻目にハイネは弾けるように笑った。
「アハハハッ!……ハハハッ!ちょっと、コトネそんなに笑わせないでっ。」
「笑わせているつもりはありませんっ。」
「話を聞く限り可愛い戯れじゃない。ルークという少年だって、コトネに手を握りしめられたとしてもご褒美以外の何物でもないでしょう?」
コトネを諭してる間もハイネは笑いがこらえらえない様子だ。
「楽しそうな声が聞こえたが、なにかあったのか?」
ハイネの部屋と寝室を繋ぐ扉が開き男が入室する。
その男の身長は高く、がっしりした身体で程よく筋肉がついていることがうかがえる。
身なりは貴族らしい金色の飾りが施された灰色ジャケットをまとい、金色の髪は短く端正な顔立ちでありながら眼差しは鋭い。
彼がノイド家の当主ノイド・ハルバトールである。
「ハルバトール様、おかえりなさいませ。だけども急に入ってこられるのは驚いてしまいますわ。」
ハイネの言葉にも表情を変えることはなくハルバトールはハイネのとなりに少し距離をあけてソファに着席した。
「君の楽しそうな笑い声が聞こえた……。」
ハイネを見つめるハルバトールの瞳は感情が見えない。
「コトネの話が可愛いらしくて」
ハルバトールは、コトネの存在を今気づいた様子で険のある視線をむけてきた。
(旦那様、こちらを睨まないでっ!)
前々からハルバトールはハイネと距離感の近しい侍女に対して嫉妬のこもった視線を投げてくることがあった。
大切な番に近づく者がいるなら同性であろうと威嚇をする。
これは獣人の特性であり、龍人のハルバトールも例外ではなく当主として公平であったがハイネが絡むとどうかしてしまうのだ。
ハルバトールの温度のない視線に促されるまま、コトネは簡潔にルークとの出来事を話した。
「…………ふむ。この領内で幼児に対して起きている問題なら解決すべきであろうが…………今回にき、ルーク殿のことであれば問題ないであろう。」
「ご存じなのですか?」
「君が話している特徴と名前が正しいのであれば私の知っている人物だ。彼はこの街の領主の末の弟君。ついで騎士団に所属しているはずだが……。」
「まぁ。その人の話なら聞いたことがあるわ。」
ハイネはなぜか楽しげに目を輝せ話し始めた。
「獣人の成長は人によって様々で、獣の血が濃ゆく残る獣人は特に一時的にせい…………ふごっ。」
話すハルバトールの口元を突然、ハイネは手で抑え込んだ。
ハルバトールは片眉をヒクつかせたがそれ以外は反応もなく、ハイネがなにやら耳打ちをする。
「…………ご本人が話さないならなにか理由があるはずたと思うわ。また出会えたら話を聞かせてね。」
ハイネはそうしてとびきり笑顔を浮かべる。
ハルバトールはハイネが他者に笑顔を向けることが気に入らないのであろう。
もう下がってよい、とコトネに言うと退室を促した。
午後の調理場は夜まで休憩の時間だ。
料理人のハンズとロジーはしばらく出かけてくると、この場にはコトネだけがいた。
洗い終わったテーカップを拭きながらぼんやりとしていると、シギーが音もなく調理場に入ってきた。
「お疲れ様です。コトネさん。」
「はい、シギーさんもお疲れ様です。」
「…………。」
「……………………。」
沈黙が気まずくて先に話し出したのはコトネだった。
「シギーさん、なにか私に聞きたいこととかありませんか?」
「………じつは……ミーヤのことについて…………」
「はい、ミーヤさんがどうされたのですか?。」
コトネはやっぱり、と心の中で思った。
なんせシギーは常にちらちらとミーヤの周りをまとわりつき、その上コトネには業務連絡以外で話しかけてくることは無いと言っていい。
シギーは少しきょろきょろとしてから声を潜め、
「コトネさんの知る範囲でよろしいのですが…………。」
「はい。」
「…………ミーヤの好むものなど知らないでしょうか…?」
「ミーヤさんの好むもの、ですか………」
コトネは頭の中に元気いっぱいの少女を思い浮かべた。
(ミーヤさん、甘い物は好きだって言ってたよね。あと、お肉よりも魚が好きだったような。焼いたものより生魚が好きだって)
「そうですね、甘い物がお好きだったような。あとは生のお魚とか。」
「なるほど…………。甘い物なら焼き菓子やキャンディーがいいでしょうか?もしくは、生魚を贈るなら包装はどうすればいいでしょうか?魚屋に女性が好むような包装はないでしょうし…………」
(シギーさん、ミーヤさんにプレゼントを贈りたいんだ。でもいきなりお魚をプレゼントするのはどうなんだろう?この世界では普通なのかな…………)
コトネは黒スーツの高身長男性がリボンを結んだ生魚を持ち佇んでいる姿を想像する。
流石に怖い。シギーを止めなくては。
「あっ、贈りものでしたら焼き菓子やキャンディーでいいと思うんですが、お魚の場合は一緒にお食事にでも行くのはいかがでしょうか?」
「……なるほど、はたして、私が食事に誘ってミーヤは来てくれるでしょうか?」
確かにミーヤはシギーに対してツンとした態度が多いかもしれないが、それはシギーが事あるごとに構うせいかもしれないし。
今のところ脈はない気がすると思いつつも、コトネは前の世界で得た恋愛のいろはをこの世界の人達に、さらには獣人に当てはめていいのかわからなかった。
「正直、ミーヤさんが来てくれるかはわからないです。でも誘わないと何も始まらないですし……。」
コトネの困った顔を見てシギーはふっと笑った。
「すみません。コトネさんを困らせるつもりはなかったのです。ただ、私が男女関係の機微に疎くてですね……これが番だと確信できたなら迷いなく誘えるのでしょうが…………。臆病ですよね。」
「いえ、そんな風には思いません。」
コトネは首を左右に振り、そして言葉を続けた。
「あの、ミーヤさんにも言ったのですが、あまり番というものがよくわからなくて…………。すいません。」
「そうですね、コトネさんのような人の方たちには理解しがたいことかもしれませんね。かつて獣人の始まりの祖先は獣の血が濃く、そして唯一無二の番という存在を求めました。たとてばその半身が亡くなった場合は後を追う苛烈さもあったと言われています。時が流れこの国の獣人たちも混血が進みました。それぞれの身体的特徴はそれぞれの獣のが表れるものの、血は混ざりかつての獣としての強さは失われたかもしれません。さらに番を求める本能も薄まりました。獣人の多くは番がそばにいても認識できず、特別な状況下ではないと相手を見つけられないのです。」
「特別な状況下ですか?」
「はい、そうですね。私の口からは少し…………言いづらい事です。ただ、現在も獣の血が多く残る一族もいらっしゃるので、そんな方は番に出会った瞬間に相手を認識できると、そうお聞きしています。」
獣の血が多く残る一族?
コトネの脳裏に優しい笑顔の女性が思い浮かんだ。サララだ。
彼女はコトネがこの世界にくる前からずっと侍女としてハイネに仕えていた。
サララはコトネに対しても親切で真面目だった。
ハイネと共にスイスバルト行く侍女に最初に名乗りを上げたのもサララだった。
サララに聞くと『結婚する予定もなく自分は身軽でいい。あとお給料も増えますから』と笑っていた。
少し年上だったこともあり、どうしてこんなに素敵な女性が結婚されていないのだろうと不思議に思っていた。
コトネが聞かなくても口さがない悪い噂話は流れてくるものだ。
サララの生い立ちや没落した名家であること実家の借金を抱えていることなど風の噂で聞こえてきた。 それが事実であったしてもコトネには関係のないことだった。
異世界からきた訳の分からない者に対してサララは平等に仕事を教えてくれたのだ。
だから現在、サララが番に選ばれ仕事に戻れない状況に、彼女の身の安全や彼女自身が望んでいることかわからず、コトネは心配だった。
同じようにハイネも気にかけてハルバトールを通じて連絡を取る手段を探しているそうだが、今のところなんの情報も得られていなかった。
黙ったままのコトネにシギーは静かに口を開いた。
「愚かな獣の血はどうしても番を求めてしまいますが、それを望まない相手には迷惑な話かもしれませんね…………。」
そう言い残してシギーは一礼して調理場を出ていく。
スイトバルトの季節は元の世界の四季でいうなら春と秋と冬を繰り返す土地だ。
暖かい芽吹きの季節と収穫の季節を過ごしてそして街が凍る冬がくる。
コトネは早朝のお使いへ行く際は薄いカーディガン一枚をメイド服の上に羽織り出かけていた。
誰もいないの街の空気を胸にいっぱい吸い込んだ。
朝日に照らされてレンガや木目の家々は柔らかく照らされ、道に植えられた花も朝露をまとい光っていた。
今日はパン工房へお使いに行く日だ。
あれから街を歩いていても少年ことルークに会うことはなかった。
コトネはルークの手を撫でまわしてしまったあの時のことを謝りたい気持ちと気まずくて出会いたくない気持ち半分づつ持っていた。
「コトネ、少しいいかしら?」
パン工房から屋敷に戻り、朝食の準備をしているとハイネに呼ばれる。
そこにはいたずらを思いついたような顔をした雇い主がいた。
「…………騎士団にですか?」
ハイネから告げられたのは騎士団の模擬戦の見学への誘いだった。
「そう。前からハルバトールに行きたいとお願いしていたの。でもまあ危ないだのなんだのでなかなか許可がおりなくて。今回ハルバトール同伴のもとで、行っていいよって。だから、コトネも一緒に行きましょう。」
「私も、いいのですか?」
「もちろんよ!それでお願いがあるの。サララの相手、騎士団の八本足。バイサー様に手紙を渡してほしいの。コトネ、できる?」
「はい、ぜひ。」
帰ってこないサララへの連絡手段は連れ去った相手へのアプローチだけだった。
ハイネとコトネはずっとこの機会を待っていたのだ。
公式に家に連絡しても番なので、蜜月期なので、の一点張りでサララへの連絡は叶わなかった。
「私が直接話せたらいいのだけど、それだけはどうしても許してくれもらえなくて今回も男性が多い騎士団へはハルバトールの監視付きで許可がでたの。」
「ハイネ様の手紙、必ずバイサー様に届けます。」
「ええ、おねがいね。」
ハイネとコトネは手を握り合って頷いた。




