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第二章 公園での会話

今日の献立は、アジフライと鯖の味噌煮缶、それにカット野菜だ。それなりに栄養バランスは取れているはずだ。米は必ず一合弱と決めている。

食後の食器洗いは極力少なく済ませる。アジフライは入っていた袋を皿代わりにし、缶詰はそのまま捨て、油の付いていない野菜の皿を洗うだけ。

片付けが終わると、座椅子をリクライニングさせ、庭を眺めながらゆったりと過ごす。その間も、やっさんの「今のを買いな」という言葉が頭を離れなかった。

考えているうちに、次第に新しい携帯への興味が湧いてきた。私は明日、携帯ショップへ行ってみることに決めた。

翌朝、日差しの光とマリンの熱烈な舐め攻撃で目が覚めた。

足取りは少し重いが、日課のスープとバナナを済ませ、マリンを連れて駅前の携帯ショップへ向かう。やはり今は情報化社会だ。公園での会話についていくためにも、知識を仕入れなければならない。現役時代、会社に勧められて持たされた携帯は、話せれば十分だと思っていた。だが、昨日の件で心が動いたのだ。

自宅から駅までは歩いて十分ほどだが、ショップの正確な場所は知らない。駅前ならどこかにあるだろうという先入観があった。

そもそも、電車を必要としない仕事だったため、駅に来ること自体が久しぶりだ。ロータリーの雑踏に放り出され、行き交う人々の熱気に気圧されそうになる。マリンも狼狽えたように目をキョロキョロさせていた。

自力で探すのは早々に諦め、駅前交番で場所を教えてもらった。

店に入ると、案内係に用件を尋ねられた。「機種変更を」と伝えて整理券を受け取り、順番を待つ。しばらくして番号を呼ばれ、カウンターに座ると、若い女性店員が対応した。

「今日は機種変更ですね」

「あ、いや……その、指で触る電話がどんなものか知りたくて」

「現在お使いの機種はございますか?」

「これです」

ガラケーを差し出すと、店員はにこやかに答えた。

「このタイプのサービスは近い将来終了してしまいます。初めての方でも操作しやすい、お客様にぴったりの機種がございますよ。例えばこちらなどはどうでしょう」

昨日、やっさんが見せてくれたものに似ていた。

「それは、おいくら位するものなんですか?」

「毎月の通信料と分割代金をセットにする方法と、一括購入がございます。一括の場合は、〇〇万円になりますね」

その瞬間、私の心は折れた。

携帯ひとつを買うのに、そんな大金は出せない。一ヶ月の食費よりも高いのだ。

「操作はこのように、ここをこうして……」

店員の説明は、もう上の空だった。視線は出された最新機種に落ちているが、声は何も聞こえてこない。ただ、心の中が狼狽で波立っていた。

「何か分からないことはありますか、お客様?」

「…………」

「お客様?」

「あ、すみません……一旦帰って検討します」

逃げるように店を出た。恥ずかしかった。

昔、携帯を初めて持った時は、確か無償だったはずだ。それが今や、一ヶ月以上の生活費を犠牲にするか、月々のローンを背負わなければ手に入らない。

知識か、生活か。選ぶまでもなく、答えは生活だった。

落胆しながら、マリンと公園へ向かった。いつもの時間より一時間半も遅れている。初夏の日差しがじりじりと肌を刺す。

公園の入り口では、すでに散歩を終えて帰路につく人々とすれ違った。だが、まだ誰かはいるはずだ。マリンも、先程までの駅前の緊張が解けたのか、足取りが軽くなっている。

一等地の椅子が、珍しく空いていた。

正面の富士山は、冬場のような鮮やかな雪化粧は見せないが、この時季らしい薄っすらとした霞をまとっている。

座ってほどなく、山田さんが近づいてきた。八十三歳になるが、いつも自転車で颯爽と現れる。

「こんにちは」

私から挨拶すると、山田さんは隣で口を開いた。

「今日はあそこのスタジアムで試合があるみたいだぞ」

「どこがやってるんですか?」

「社会人野球の対抗戦だな。ほら、聞こえないか?」

「入場料、取るんでしょうね」

「たぶんな。いくらかは知らんが」

「山田さんは野球がお好きですね」

「ああ、中学の時にやってたからな。いぶさんは巨人ファンか?」

「私は九州の西鉄ですよ」

「古いですなあ。今はどこを?」

「今は、ない」

「ない?」

「好きなチームなんて、もうないよ」

「私も同じです。あっはは」

たわいもない会話。それが心地よかった。

しばらくすると、私の知らない人が山田さんの隣に座った。知り合いのようだったので、私は気を利かせて軽く会釈をし、その場を離れた。引っ込み思案ではないが、初対面の輪に入るのは少し気が引けるのだ。

まだ帰るには早い。スタジアム前の椅子へ移動すると、そこには「やまさん」こと山添さんが座っていた。

「なんだ、いぶさん。もう帰ったと思ったよ」

やまさんが笑みを浮かべて話しかけてきた。

「富士山の見えるところにいたんですが、あそこは夏場は暑くて」

「今日は曇りだからまだいいがね。しかし今日は野球やらグラウンドゴルフやらで騒がしいなあ」

「やまさんは競技はやらないんですか?」

「わしはTBGをやってるよ」

「TBG? 何ですか、それは」

初めて聞く言葉に、興味を惹かれた。

「いぶさん、知らないのか。ターゲット・バードゴルフだよ」

「ゲートボールみたいなものですか?」

「ゴルフのクラブで、バドミントンの羽のようなものを打って、的に入れるんだ。ゴルフに似ているが、羽だから危険がなくて飛ばない。それが逆にいいんだよ。いぶさんもやるか?」

「いや、私は遠慮しておきます……」

やまさんと別れ、スーパーへ向かう。

公園の仲間と会えば、必ず何かしら話題が出てくる。ニュースを見ては、ああだこうだと相槌を打ったり、憤ったり。それが彼らにとっての「仕事」のようなものなのだろう。

今日の昼食は、週に一度の楽しみ、メインが唐揚げの弁当だ。少し値は張るが、一週間のご褒美である。

テレビを点け、うわの空で食べ、座椅子から庭を眺める。昔は煙草を吸っていたが、今はそんな余裕はない。酒は大きなペットボトルの焼酎を買い、毎日コップ一杯の水割りで。これなら二十日は持つ。

食事を終え、明日の年金支給日のことを考える。

支給は二ヶ月に一度。支払いを済ませれば、ほぼ使い果たしてしまう額だ。

明日は支給日当日だが、私は銀行へは行かない。ATMに並ぶのが苦手だからだ。並んでいるのは自分と同じような老人ばかり。皆、入金と同時に引き出そうと、今か今かと待ち構えている。その焦燥の中に自分を置くのが、どうしようもなく惨めで、恥ずかしいのだ。

だから、二、三日様子を見て、あえて日曜日に足を運ぶ。手数料は取られるが、人が少なくて済む。その「静けさ」を買っているつもりだった。

日曜日に引き出した金は、もちろん生活費だ。

だが、その日の晩だけは、いつものスーパーの惣菜ではない。街角の弁当屋へ行き、幕の内風の弁当と天ぷらの盛り合わせを買う。

総額千円以内。

それが、次の二ヶ月を乗り切るための、私にとって唯一の贅沢だった。

ささやかな食事は一瞬で終わってしまうが、その時だけは、確かな満足感に包まれるのだった。

いつもの公園、スタジアム前にある長椅子には、顔見知りのメンバーが四人ほど集まる。不思議と個々に座る位置が決まっており、もし先客がいれば、その人が立ち去るのを待ってから「いつもの席」に座り直す。別にどこでも良いはずなのだが、メンバーは皆、似たようなこだわりを持っていた。

集まる時間も人それぞれだ。そんな中、白髪の長老が誰にともなく話しかけた。

「今日は田野井さんが来ないねぇ……」

長老の徳井さんが言う通り、田野井さんの指定席がぽつんと空いている。

「そうですね」

私は相槌を打った。

「あの人は持病があると聞いた。どこが悪いかは忘れたがね」

徳井さんの隣に座る吉田さんが、私に顔を向けた。

「何事もなければいいのですが」

私は月並みな返事をした。

「病院に薬でも取りに行ったかな」

徳井さんが言い、不意に話題を変えた。

「そういえば、いぶさんはどこか悪いところはあるのか?」

「おかげさまで、今のところは」

「今日の球場、何かやってるか?」

老人の会話は、ひとつの話題が長く続かない。急に変わったかと思えば、誰かが話している途中で別の誰かが割り込み、それを聞いていない者もいる。四人集まってはいるが、全員で話すこともあれば、隣同士で勝手に喋ることもある。それが毎日繰り返される光景だった。

私の公園歴は、妻が他界してからの三年に過ぎない。だがここにいる長老たちは、十年も前からこの場所で「公園デビュー」を果たしている大ベテランだ。

彼らの中には、管理事務所の職員よりも公園に詳しい者もいる。祭事の予定から行き交う人の行動、設備の点検日に自販機の補給日、清掃員の雇用形態にいたるまで、プライバシーに関わることまで把握しているのだ。

一方で、椅子に座ったきり、一度も人に話しかけない者もいる。ただひたすら人の話を聴いている。私はその男の声を聞いたことがない。

多様な人間模様が、公園の一角に映し出されていた。

田野井さんが来なくなって一週間が過ぎたある日。

散歩コースの反対側から、徳井さんが歩いてきた。

「いぶさん、聞いたか? 田野井さんが亡くなったってよ」

「田野井さんが……!?」

「ああ、昨日病院で亡くなったらしい。今日、線香を上げに行こうと思うんだ」

「お宅は、ここから近いのですか?」

「ああ、すぐ裏だよ。ただ、あっちは賃貸の一人暮らしだったから、まだそこに仏さんがあるかどうかは分からんがね」

徳井さんはそう言い残し、指さした方角へ去っていった。

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