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春秋異聞南溟伝 -兄の真意を求め、若き王は死の国へ向かう-  作者: ペンギンの下僕
訣別の章

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9/10

宝剣と強弓

 敖虎の想像通り、闘氏の氏長のところへ招かれた羋蒼旅は張り詰めた場の中にいた。

 闘氏の長は闘羽夸(とううこ)という。虎のような髭を蓄えた壮年の男である。眼光は猛禽のように鋭く、衣服の上からでも分かる筋骨隆々の体躯であった。敖賈と羋蒼旅の体面に胡座した闘羽夸は微動だにせず、まるでいわおのようであった。


「暫くぶりにございますな、羽夸どの」


 敖賈は穏やかな声で言った。その振る舞いは隠居した老爺という風ではなく、かつて茨国の令尹(れいいん)を務めた人には見えない。ただし、そういう人が闘羽夸のような強面の男に臆することなく対峙しているというのは異様でもあった。


「落魄の王子など連れてきて、どうするつもりだ? 匿えとでも言うつもりか?」


 嫌疑と敵愾が波濤のように押し寄せる。その眼光から放たれる威圧は、睥睨だけで人を殺してしまえそうであるが、敖賈も、そして羋蒼旅も平然としていた。

 こういう反応をするであろうとは、分かり切っていたことである。むしろ、いきなり闘氏の者たちに囲まれて首を取られなかっただけでも僥倖であった。

 それについては敖賈の存在が大きい。

 暫くぶりとの言葉の通り、敖賈と闘羽夸には面識があった。それも、闘氏が朝廷より排斥された後のことである。時の茨王、穆王ぼくおうの目を憚った、私人としての交流であった。

 敖賈はその真意を、羋蒼旅にも敖虎にも話していない。聞いたが、教えてもらえなかったのである。

 ただし現状を見れば、闘氏は敖賈に対して恩を感じる心はあまりなさそうだった。敖賈は闘氏排斥には関わっていないが、穆王の下でそれを主導した敖氏の一員である。日陰と裏道とを好まざるを得なくなったことを考えれば当然であった。


「王は弑され、僭王せんおうが現れました。こちらにおられる蒼旅王子は政道を正すために義挙の兵を起こされるので、闘氏には是非その麾下に加わっていただきたいのです」


 直截な言葉である。敖賈の言には、駆け引きというものが少しもない。

 しかも、何やら大事になっている。兵を率いて王都に向かうということそういうことなのだが、正道や義挙といった美辞麗句で彩られると、思わず顔をしかめたくなった。羋蒼旅にとって重要なのは、羋烙漣びらくれんの真意を知ることなのである。


 ――だが、そういうことにしておかねば話が進まないらしい。


 羋蒼旅には何の相談もなく、敖賈は、そういうことにしてしまった。ならばこれは必要なことなのだろうと、羋蒼旅は受け止めた。肌を粟立たせるむず痒さについては堪えるしかない。

 とりあえず羋蒼旅は、闘羽夸の答えを待った。少し黙り込んでいたが、


「――断る。王室の諍いなど、我らの知ったことではない」


 と答えた。

 羋蒼旅にとっては、そう返すまでに僅かといえど沈黙があったことのほうが意外であった。


「ですが、王子についてその即位に助力すれば、闘氏はかつての権勢を取り戻すことが出来ますぞ」

柱国ちゅうこくに復権させてくれる、ということか」


 柱国とは茨国における軍事の最高位である。かつては、敖氏が令尹として執政の地位にあり、闘氏が柱国として帥を束ねる、というのが統治の形であった。


「ええ。かつて、武王の頃に戻すのです。僭王、羋烙漣びらくれんは我が不肖の息子と組んで王座を手にしました。それは穆王ぼくおうと先王の治世を継ぎ、闘氏を日陰のままにしておくということです」


 立場としては敖賈と羋蒼旅は圧倒的に不利である。闘羽夸が断れば二人に羋烙漣と対抗する方策はほとんどなく、もし闘羽夸がその気になれば、二人の身を確保して羋烙漣に届けて近しむことも出来るのだ。

 しかし敖賈は、そういった状況を理解しつつ、臆することなく舌鋒を振るった。

 そして、闘羽夸は圧されている。少なくとも、耳を傾けるくらいのことはしていた。

 闘羽夸が揺れているのは、やはり朝廷での復権、ということだろう。闘氏は茨国開廟の功臣の族である。零落したと言えどその長を名乗る者が、いつまでも僻地での隠遁を善しとしているはずがない。

 闘羽夸の反応からして、今この時まで、羋烙漣は闘氏に対して使者の一人も遣していないのだろう。

 羋烙漣は闘氏を軽んじている。

 しかし、羋蒼旅は闘氏の下へ赴いた。

 この一事を以てしても、闘羽夸が、これを好機と考えるのは当然のことである。

 今はまだ、闘氏が朝廷より排斥されて百年も経っておらず、先祖の輿望が完全に消え去ったわけではない。しかし、それももう数十年もすれば無くなってしまうだろう。いずれ茨国の顕位は、知らぬ氏で埋め尽くされてしまうに違いない。

 多方を見れば、北方に虞という王朝がある。この国の建国にも、四桀しけつと呼ばれる四人の功臣と、それに次ぐ功を立て、開祖から形見分けを受けた者がいた。

 しかし、五人のうち四人は国を与えられたのだが、ある国は会戦に敗れて臣の壟断を許し、ある国は国内の一邑を敵に回したことで国土の半分を失い、残る二国は今や茨国の庸国となっている。そもそも、かつて望まれて王となったはずの虞が、暗君の出現によって衰退し、今は西方のえびすに支配されているという有様なのだ。

 どれだけ偉大な先祖を持とうと、その遺徳は永久ではない。

 闘羽夸は北方の事情についてそれほど詳しいわけではないが、このままでは闘氏という族は、木皮が風によって剥がされ、地に落ち朽ちていくように滅んでいくと分かっていた。

 しかし、葛藤がある。

 羋蒼旅には、闘羽夸が何に迷っているか分かった。


 ――私が、擁立するに足る君主かを悩んでいるのだろうな。


 仕えるにたる英主の器であるか。あるいは――都合よく傀儡として操縦できる、無害で凡庸な少年王子か。

 そのどちらかであればよい。しかし、今は王座のためにへりくだっていても、やがて独裁を欲し、臣を疎む人であれば、闘氏の地位は再び危うくなる。闘羽夸は闘氏排斥の後に生まれた人だが、当時、穆王と敖氏によって凄絶なまでに弾圧されたことは聞かされていた。直系の孫たる羋蒼旅を警戒するのは当然のことである。


「闘羽夸どのよ。貴殿は、私に何を求める?」


 色々と考えたが、それが分からない。開き直って、羋蒼旅は素直に聞くことにした。


「敖賈は色々と条件を出した。私としても、闘氏が助力してくれるのであれば、それを叶えることは構わん。しかし私はまだ、闘羽夸どのの口から求めるものを聞いていない」


 はじめて口を開いた羋蒼旅を、闘羽夸が鋭い眼光で睨む。常であれば貴人の顔を直視するのは不敬にあたるが、この場では羋蒼旅も闘羽夸も、そういった形式ばったことを気にしていない。


「望みを口にすれば、その通りの褒賞をいただけるのですか?」

「何でもというわけにはいかぬが、言うだけならば損はなかろう。とはいえ、茨国にないものを与えることは出来ぬぞ」


 羋蒼旅の言葉は年相応の稚拙さで、そこに貴族、王子としての威厳というものはない。

 ただし、闘羽夸への敬意だけはあった。

 それだけに、政争に慣れ、成熟した者とは違う空恐ろしさがある。自分のほうが試されているように、闘羽夸には感じられた。


「――ならば、柱国への復権の他に、泰阿剣(たいあけん)雷衝動(らいしょうどう)を賜りたい」

「羽夸どの、それは……」


 敖賈は、先ほどまでは滔々と話していたのに、今は驚きの声を挙げた。

 泰阿剣は、かつて欧冶(おうや)という鍛冶師が鍛造した、茨国の王族に伝わる宝剣である。そして雷衝動は、げんという弓の生産が盛んな地の神木から作られた、こちらも茨国伝来の強弓である。

 これらはいずれも茨の王室に納められたものであり、茨国の王は代々、正装を纏い、泰阿剣を佩き雷衝動を背負って即位の式典に挑むのが慣例となっていた。

 それを欲しいと闘羽夸は言ったのである。

 これは、茨国の王権を揺るがすことであり、敖賈が驚嘆したのも無理からぬことである。

 羋蒼旅も目を丸くしていた。しかし、やがて破顔した。


「なんだ。茨国の半分とか、国庫の財すべてとか、そういうものを求めてくるかと思っていたのだが、剣の一本と弓一つとは、闘氏は存外、寡欲なのだな」

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