二人の功臣
闘氏。その氏族を聞いて、羋蒼旅と敖虎が驚いたのも無理からぬことである。
かつて茨国において、闘氏は敖氏と並ぶ名家であった。茨国中興の祖たる武王――羋戈には二人の功臣がいた。
闘越と敖鄀。
共に羋姓の人である。闘越は万夫不当の勇将であり、敖鄀は機略に長けた軍師であったとされる。茨国の伸張にはこの二人の尽力が大きいとされており、以来、闘敖の両氏は茨国の軍政を担う大家となった。
ただし、羋蒼旅の祖父たる穆王の代に、闘氏は族滅の憂き目を見ることとなった。
当然ながら、それは人為によるものである、主導したのは、穆王と敖氏であった。
その時の闘氏の氏長は闘蚡皇という人であった。この人物は、先祖たる闘越に似て戦場での働きには目を見張るものがあった。しかし傲岸の人であり、自らの戦功と家名とを振りかざし横柄は振る舞いを見せ始めた。
やがて闘蚡皇は、令尹であった敖季衍を讒訴して失脚させ、弟である闘冒般をその地位につけたのである。これによって、闘氏が軍政の高職を占めることとなった。
闘氏専横のこの時に即位したのが穆王である。穆王は幼君であり、王とは名ばかりの傀儡であった。
当然、穆王にしてみれば面白くない。そこで、密かに敖氏と共謀し、闘氏を排斥せんと目論んだのである。
顛末だけを見れば、穆王の宿願は果たされたと言える。闘蚡皇、闘冒般は穆王に反旗を翻した後に会戦で敗死し、その類縁は悉く斬罪となった。難をまぬがれた闘氏の者も、朝廷から追放されたのである。
しかしその道程で、敖氏の有力者からも多くの死者を出してしまった。人材が不足し、敖賈が若くして令尹となった背景はこのようなものである。
今、わずかに残った闘氏の傍流は茨国の片隅で天日をはばかりながら生きているという。敖賈は、彼らを頼もうと言っているのであった。しかし、闘氏が不遇となった経緯を知る羋蒼旅と敖虎からすれば、その策に危殆をおぼえるのも当然である。
「闘氏の者らは、茨国の王族と敖氏とを怨んでいるであろう。今になって私たちに助勢してくれるであろうか?」
羋蒼旅が疑問を口にした。敖虎も同じ思いである。
「そこは、王子次第ですな。ですが他に、太子と我が息子に太刀打ちする術はございませんぞ?」
表情は柔和だが、性格の悪さが言葉に表れている。危険を冒してでも羋烙漣と対峙するか、ここで息を潜めて隠れているか。そのどちらかしか道はないと、暗に告げているのだ。
「……やむを得ぬな。闘氏のもとへ案内してもらおうか」
少しの逡巡こそあれど、羋蒼旅の決断は、十三の少年のものとしては早いほうであった。
羋蒼旅にしてみれば、
――どちらを選んでも、ろくなことにはなるまい。
と、分かっている。ならばせめて、前に進んだほうが幾分かましであると考えたのだ。
敖虎の乗ってきた三頭立ての馬車に乗って、三人は闘氏のもとを目指した。御者は敖虎である。
咸伯明ら、羋烙漣の手勢がどこにいるか分からず、安穏とした旅ではない。ただし、そういう危機を察しているかのように、上空では鵬が弧を描きながら飛びまわっていた。まるで、周囲を警戒し、羋蒼旅の乗る車を見守っているようである。
「そういえば、鵬は森で彷徨っている私を見つけてくれたが、敖虎が派してくれたのか?」
「知りませんよ、そんなことは。正直、私としてもそれどころではなかったので、拾ってきた鷹のことなど失念していましたよ」
そうなると、鵬は自ら飛び立って、この広い茨国の中から羋蒼旅を探し出し、導いてくれたことになる。飼いだして一日にもならぬ鷹であるが、敖虎の話を聞くと、鵬は今や二番目の忠心のように感じられた。
「それで、おじいさま。その闘氏の拠とやらは、ここからどれほどかかるのですか?」
敖虎が眉を潜めつつ聞いた。路銀の問題もあり、また、敵に狙われながらの旅である。あまり遠い地であれば、それだけ危険も増すので、当然の疑問であった。
「まあ、せいぜい三日というところだ。御は任せたぞ、虎よ」
「……三日、ですか」
もう少し近ければ、という想いはある。だが、四方千里とも言われるほどに広大な茨国において片道三日であればましなほうだろう。
羋蒼旅からすれば、近すぎるとさえ思った。未だに、敖賈の隠居地がどこかさえ分かっていない羋蒼旅であるが、囚われの車中で過ごした時を考え、そこから闘氏の拠まで三日とすれば、茨国の都、武郢から五日ほどである。茨王と敖氏によって排斥された闘氏が、これほど近くにいるというのは驚きであった。
三日の旅程は、意外なほどつつがなく進んだ。咸伯明らも、羋蒼旅らが闘氏のもとへ向かっているとは思わなかったのか、道中でその姿を見ることさえなかったのである。
敖賈がここですと示したのは、殺伐とした小丘である。木々はほとんどなく、切り立った岩肌ばかりが目立って黒々としていた。
「ここから先は、馬車は使えません。徒歩で進むしかありませんな」
そう言って、敖賈は車から降りた。
三人は、日差しの照り付ける中、足場の悪い小丘を登り始めた。半刻(一時間)ほど歩いたところで、唐突に羋蒼旅は足を止め、地べたに腰を下ろしたのである。
「少し休む」
「休息にはいささか早いと思います。この年寄りが老骨に鞭を打っているのですから、王子も今しばらく気張っていただかねばなりませんな」
敖賈は悠然としているが、目が笑っていない。
「この辺りには熊が出ると聞いております。一人で留まられるのは危ういかと存じますぞ」
歩かなければ置いていくと言外に告げられ、しかも脅しの言葉まで吐かれたため、羋蒼旅は汗まみれの顔に苦渋の色を混じらせつつも、体を起こして歩を進めた。
しかし、まだ十三の羋蒼旅にとっては険しい路である。むしろ、半刻も不平を堪えただけよいほうだとさえ敖虎は思った。敖虎にしても、普段から羋蒼旅の我が儘に振り回されて山野を走り回っているため、健脚ではある。それでも、この悪路には参っていた。
――この中では誰よりもお年を召しているおじいさまが一番元気、というのはどういうことだ?
敖賈は、多少の汗はかいているが、歩速は変わらず、疲れている様子もない。そういうものを知らないのではないかと思うほどである。
羋蒼旅のほうを見ると、渋々と歩いてはいるが、虚ろな目をしつつ、空を見上げていた。蒼天では、羋蒼旅の飼い鳥である鵬が鳴き声を挙げつつ天地の狭間を闊達に泳いでいた。
「何故、人の体には翼が無いのであろうな?」
「……筆や箸が持てなくなるからではありませんか?」
「しかし、人というのは女が鳥卵を呑んで生まれるのであろう? ならば、翼の一つや二つくらいは備わっていて然るべきだと思うのだがな」
敖虎は軽く咳ばらいをした。女性が鳥卵によって身ごもるというのは、伝承の一つにそういうものがあるというだけのことである。それを、何かの折に、女性が何をすれば子が出来るのかと羋蒼旅から聞かれた敖虎が教えたのであった。その後、羋蒼旅の知識は刷新されていないらしい。
「……まあ、育つのは人の胎の中ですからね」
そんなくだらない話をしている時である。不意に、風を切り裂く音がした。羋蒼旅と敖虎が疲れを忘れて目を見開くと、その足元に一本の矢が突き刺さっている。
三人が視線を前に向けた。しかし、矢を放ったであろう射手の姿はどこにも見えず、ただ殺伐とした暗灰色の岩の道が続いているだけであった。
「敖賈が来たとお伝えください」
敖賈は、やや声を張って叫んだ。返事がなく、沈黙が場を包む。ややあって、道の先がかげろうのように揺らいだかと思うと、一人の青年が姿を現した。箙を背負い、長弓を手にした青年である。この南方の地には珍しい、日に焼けていない白い肌を持った、きれいな顔をしている。
「お久しぶりです、敖賈さま。族主さまの下へ案内いたしますので、こちらへ」




