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春秋異聞南溟伝 -兄の真意を求め、若き王は死の国へ向かう-  作者: ペンギンの下僕
訣別の章

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6/11

弑逆と簒奪

 敖虎が口にしたことを、羋蒼旅はすぐに呑み込めなかった。言葉の意味が分からなかったのでなく、分かった上でなお、理解できなかったのである。


「兄上が……何故だ?」


 そう返すことしか出来ない。父と兄、羋烙漣(びらくれん)が近ごろ不仲であることは知っていたが、それが弑逆にまで発展するとは思ってもいなかったのである。

 敖虎は羋蒼旅の謎に答えることが出来ない。羋蒼旅は敖虎に掴みかかり、声を荒げて糾問した。


「なんとか言え、虎よ!! まさか、私に嘘をついているわけではあるまいな!!」

「ま、まさか。このようなことを虚言で申せるはずがございません……」


 敖虎がそう言っても、羋蒼旅はなおも落ち着かない。激昂する手を、敖賈が抑えた。


「王子、落ち着きなさいませ。虎の申したことは本当ですが、何故そのようになったのかは、まだわかりません。なのでまず、我らの知ることから語らせていただきたく思います」

「……好きにしろ」


 羋蒼旅はなおも気を荒くしたまま、手近にあった長椅子に身を投げる。確かに、ここで敖虎に詰問してもどうにもならないのである。

 敖賈が一度、敖虎のほうを見る。祖父に目で促されて、敖虎は続きを話しはじめた。


「先々日、蒼旅さまが王宮からの使者とともに発たれた後のことです。もう一度、我が邸に使者が来ました。何か良からぬものを感じた私は、父とその使者とのやり取りを盗み聞いていたのです」


 よく言えば目敏く、悪く言うのであれば悪賢い従者である。まして、父への密使との会話を盗み聞くとは、不孝者というしかない。ただし此度、羋蒼旅にとっては、それが吉となった。


「どうやら父は、蒼旅さまを連れて行った使者を、太子さまが遣されたものと思っていたらしく、そうでないと分かると、急に動揺しました。そして、すぐさま家臣たちを起こし、兵を集めだしたのです」

「……兵を、か」

「はい。そして、夜が明けると同時に王城に攻め入りました。私は出陣しておらず、後から聞いたことになりますが、はじめのうちは、王城の門を破ることは出来ず、半刻(一時間)ほどは攻めあぐねていたそうにございます」


 そこまで聞いて羋蒼旅には、なんとなく続く話の内容が察せられた。しかし、敖賈に落ち着けと言われた手前、口を挟まず静かに聞いている。


「するとやがて、王城から火の手が上がり、門が内側から開かれました」

「……内応したのは、兄上の手の者だな?」


 顔を青ざめさせつつ、敖虎は頷く。いつもは怜悧とはいえ、まだ十九の青年である。自らの父が王城に攻め入ったという事実を語るのは空恐ろしいのだろう。


「やがて、太子さまと父――敖氏の兵とが王城になだれ込みました。王は兵を率いて迎え撃たれたそうですが、ついに押し切られ、太子さまによって首を刎ねられたと聞いております」


 羋蒼旅の体が大きく揺れた。座っていながら、なおも崩れ落ちそうな体を、膝に手をつくことでかろうじて支えている。その身を案じて近寄った敖虎を手で制して、羋蒼旅は続きを促した。


「……太子さまは、そのまま王を称されました。令尹(れいいん)たる父が加担している以上、他の貴族たちも従うしかなく、多少の反抗はあろうとも、表だっては茨国の多くが、烙漣さまの弑逆を支持したことになります」


 茨国の政治は貴族たちの連立によって成り立っている。故に、王族といえども絶対ではない。ただし、それら参政している貴族の中にあって敖氏の勢力は絶大であり、茨国で何かを行うには敖氏の諾を得られるかどうかであると言ってよい。

 その敖氏――敖虎の父、敖宜伯(ごうぎはく)は羋烙漣に与したのである。


「まあ、敖令尹は兄の岳父だからの」


 羋蒼旅は冷たい息を吐いてから、目を見開いた。ここにいる敖虎はその敖宜伯の子であり、敖賈は父なのである。敖氏の当主が兄に付いたと知って、急に羋蒼旅は身構えた。その危懼を察して、敖賈は、床に膝をつき、羋蒼旅に目線の高さを合わせると、震える手をしわがれた両手で包んだ。


「ご案じなさいますな。此度、息子と太子のなされたことには、義も道理もございません。今や老いて退いた身ではございますが、この一命は王子に捧げましょう」


 信じてよいか、すぐには分からなかった。それでも一つ言えることは、敖賈にその気があれば、疲れ切って寝ている羋蒼旅を捕えることも、首を刎ねることも出来たのに、それをしなかったということである。


「……あの、おじいさまと蒼旅さまは、何をそのようにされているのですか?」


 敖虎にはそれが不思議であった。確かに、羋烙漣と敖宜伯がしたことは恐ろしい。しかし、羋蒼旅が自らの身を案じているようなのが分からなかったのである。


「逃げ惑う山中で、私の命を狙う者たちがいた。率いていたのは咸伯明(かんはくめい)だ」


 敖虎は絶句した。咸伯明が羋烙漣の側近であり、その信頼厚いことは茨国では知らぬ者はない。羋烙漣は時に咸伯明のことを、我が半身であると評するほどであり、そうなれば、咸伯明が裏切ったと考えるよりも、羋烙漣の命と見るほうが自然であった。


「咸氏であればつい先日、私のところにも来ましたぞ。蒼旅さまが攫われた故に探していると言っておりましたが、言葉の奥に隠しきれぬ剣気を秘めていました」


 敖賈の言葉は直感である。ただし、様々な貴族たちの思惑渦巻く茨国の朝廷を生き抜いてきた老人の直感であり、なまじ根拠らしいものを示されるよりも強い説得力を二人に与えた。


「太子さまが、何故、蒼旅さまを?」

「……知らぬわ。そのようなこと、私のほうが聞きたいくらいだ」


 二人の若者は当惑したが、敖賈は落ち着いている。やがて、二人の顔は敖賈のほうへ向けられた。今やこの場で二人を納得させられそうな言葉を出せそうなのはこの老人だけである。


「さて、その真意は私にも分かりません。ですが、王子がそれを知りたいと思し召しであれば、武郢(ぶえい)へ参り、烙漣さまと対峙なさらねばなりません」


 穏やかな口調で、厳しいことを言う。

 また、羋蒼旅の体が身震いを始めた。悪寒が全身を包み込んでいる。

 厳しくはあれど、羋烙漣は決して悪辣な兄ではなかった。命を狙われるなど、考えてもみなかったことである。何を考えているのか知りたいという想いはあれど、恐ろしさもある。

 羋蒼旅は黙り込み、逡巡していた。

 そしておずおずと、従者であり、兄のようにも慕う敖虎のほうに顔を向けた。


「……敖虎よ。そなたは、私についてきてくれるか?」

「――それが、王子の命とあらば」


 敖虎がその決意を告げるのに、躊躇いはなかった。つい先ほどまで、羋烙漣が羋蒼旅を殺そうと企謀していることなど知らなかったが、すべて知ってなお、羋蒼旅と道を同じくする肚である。


「ともすれば、そなたは父と争わねばならぬかもしれんぞ。それでもか?」

「それでも、です。何があっても王子に忠を尽くせ。父はかつて、私にそう言いました。その言葉を守るためであれば、相手がたとえそう命じた父であっても、私は戦いましょう」


 羋蒼旅は敖虎の手を取った。実の兄とは敵対することになりそうだが、それでも、長年、兄のように慕ってきた学者肌の青年は羋蒼旅の味方である。そのことが、今の羋蒼旅にはとても心強かった。


「むろん、私も参りますぞ。宜伯には聞かねばならないことがあります。あれは、才智に富んでいるわけではありませんが、決して(くら)くはない。都に兵火を起こしたことは、いかなる(よし)があろうと認めるつもりはございません。ですが、せめて釈明くらいは聞いてやるのが親のつとめであり、責務でございます」


 声は静かだが、穏やかさに欠ける。泰然とした老人も、やはり人の親であった。

 ともかく、三人で武郢に向かうことは決まった。しかし、今の武郢はおそらく、羋烙漣と敖氏の兵で満ちているだろう。このまま向かうのは、小鳥が自ら猟師のふところに飛び込んでいくに等しき愚行である。


「それについては、私に一つ、策がございます」

「どうするというのだ?」

闘氏(とうし)を頼みましょう」


 その言葉を聞いて、二人は耳を疑った。

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