呉国の後嗣
翌日、改めて延融に招かれた羋蒼旅たちは、延融から、呉国で起きたという厄介ごとの仔細を聞くことになった。
しかしその話をするためにと、延融はまず呉という国の成り立ちから語り始めた。
呉国は姫姓の国であり、元を正せば焱朝という、虞の前王朝の裔孫にあたるらしい。
焱朝の中期ごろ、時の天子の継嗣になりうる王子が三人いた。その中でもっとも優秀だったのは末子、姫魃であり、父王は姫魃に後を継がせたいと思っていた。
しかし姫魃は兄を差し置いて即位するのを遠慮したのである。そこで二人の兄、姫泰白と姫沖呉は南の地に出奔した。
その二人が南で興した国というのが呉である。ちなみに姫泰白には子がなく、死後は姫沖呉の子孫が君主となって今日に至る。
「継嗣の難と三人の王子か。そういえば虞にもそのような話があったの」
「ああ、三監の逸話ですね。虞の武王が後継に迷い、子の素質を確かめるために辺境の関を与えたという話です」
羋蒼旅は前に敖虎から聞いた話を思い出していた。その抜けた記憶を、敖虎が補足する。
似ているといえば似ているが、呉国の話には虞の逸話にはない謙譲の美徳がある。
もっとも、こういう訓話的な伝承はどこの国にもあるものであり、少なくとも敖虎としては些か懐疑的に聞いていた。
「実際にそのようなことがあったのですか、莫耶どの?」
「どうして私に訊く?」
「いえ、不老長寿の貴女であればその真偽をご存知かも、と思ったので」
養叔由の問いに、一同は全身から血の気が引く思いがした。
そう問いたくなる心情は理解できるが、問いかけるかどうかは別の話である。しかもこの場には、呉の公室の縁者たる延融もいるのだ。もし莫耶が、創られた伝承であるなどと言おうものなら、いっそう話がややこしくなる。
「叔由おぬし、怖いものとかないのか……?」
「影と幽鬼でしょうか。この二つは、射抜くことが出来ませんので」
主君からの問いに、何故そのようなことを訊かれたか分からぬまま、養叔由は答えた。しかも、先ほどの疑問への答えを莫耶に求めだしたのである。
莫耶は、
「知らないさ。生きてはいたが、関わりあいはなかったのでな」
と、素っ気なく返す。
「というかその問いは、前に延融にもされたよ。それも、児童のような好奇心だけで問いかけてこられたのだから、たちが悪い」
「そういえば、そのようなこともありましたな」
延融は朗らかに笑った。児童のよう、と評された無垢さそのままである。
――この人も、なかなか奇特な人だ。
敖虎はそう感じた。
建国の伝承とは、多くの者がそれを信じることで、真実に等しい――時にそれを凌駕する熱量を生む。敖虎のように、斜に構えて懐疑的な目で見るほうがおかしいのだ。
そして、それらの伝承が否定されるということは、社稷の土台が崩れるに等しいのである。しかるに、公室の一員でありながらただ好奇心だけでその真偽を尋ねるというのは、奇特と言うしかない。
「しかしまあ、真偽はともかくとして、古籍の君主どもは、跡継ぎさえもろくに定められぬ愚図が多くて呆れるな」
莫耶が呆れたように鼻哂した。確かに、見方によってはそういう受け取り方も出来る逸話ではあるが、莫耶はそれを君主の不明の顕れであると容赦なく切り捨てたのである。
「そしてまあ、人が歴史に倣うのを好むのはきっと、除きがたき宿痾なのだろうさ。なあ、延融?」
「ええ、そうですな……」
はじめて、延融の顔から笑みが消え、強張った。
今まで闊達だった延融の口が閉ざされた。莫耶は頬杖をつきながら、
「言いにくければ、私から話すぞ。回りくどいのは好きじゃないからな」
と言った。
「お気遣い、有難く存じます」
「耳まで遠くなったか? 私は、迂遠は好まぬと言ったんだ。誰がお前に気など配るか、この阿呆め」
「これは、失礼いたしました」
延融の顔から、険しさが消えた。
少なくとも莫耶の言葉は、延融には厚情と感じられたらしい。
「莫耶どのの仰ったとおりでして、実は私の父も、後嗣を定めるにあたって逡巡しましてな。そして、私には三人の兄がおり、しかし父は私を次代の呉の君主にと考えていたのでございます」
「なるほど。しかし、莫耶どのの今の言い方から察しますに延融どのは……」
敖虎が気づいて、しかし途中で言い淀んだ。
だが延融は察して、頷いた。
「はい。兄を差し置いて父の跡を継ぐのは気が咎め、国を出ました」
「なるほど。つまり、先祖の逆を行ったというわけですか」
延融の答えを聞いた闘炎淑が声を張った。延融への称道もあるが、延融の兄たちは己の祖に倣わなかった、という諧謔も含まれている。
「それでも、これで終わればまだよかったので。しかし兄たちは、国を出た私を連れ戻し、向後は国君の地位は兄弟継承とする、と言い出したのです」
延融は目を伏せ、沈痛な面持ちをしていた。
莫耶と養叔由の他は、目を丸くして、呆れとも当惑ともつかない表情をしている。
「ちなみに、叔由よ。おぬしは、何を考えておる?」
羋蒼旅にそう訊かれた養叔由は、
「早くこの先をお聞きしたいと思っております」
と、声を弾ませた。
羋蒼旅たちからすれば、この顛末はまず酷いものだろうと推測はついている。それは養叔由も同じはずであり、しかし養叔由だけはそれを聞くのを心待ちにしているのだ。
「おい延融、話すなら無駄にもったいぶらぬほうがいいぞ。そう面白い話でもないのだからな」
莫耶のほうも、心ない催促をした。会話が間延びすることはないが、急き立てられるほうは堪らないだろう。
それでも、莫耶に求められて口を開いた延融は君子である。延融は、
「今は私の一つ上の兄、夷発の子、嬰陵が呉の君位にあります」
と言った。




