餞別
蒼天はどこまでも澄んでいて、白雲が輝いていた。
その日、武郢の郊外四里(二キロ)のところで、小さな野営が開かれている。
令尹の敖賈と柱国の闘羽夸が主催となり、南溟への旅へと向かう羋蒼旅たちを送るための宴が行われていた。
羋蒼旅に従うのは敖虎、闘炎淑、養叔由、蔿峨。そして鷹の鵬である。
さらに案内人として、“錬華の賢者”、莫耶がいた。
酒席はしめやかなものになるかと思いきや、すでに騒々しい。主に騒いでいるのは莫耶であった。
「おい、炎淑。師の杯が空になったぞ。早く酒を注ぎ足せ」
「……はい」
闘炎淑は大きな体を曲げながら、莫耶の杯に酒を注ぐ。莫耶の持つそれは、他の者と比べて倍もある大盃だが、すでに莫耶はこの場の誰よりも酒を過ごしていた。
「薄気味が悪いですね」
敖虎はまだ若く、酒を呑めぬので、代わりに水を呑みながら小声で囁いた。隣にいる養叔由は、何のことでしょうか、と素知らぬ顔をしている。
「炎淑ですよ。あの傲岸で頑冥な男が、ああも従順にしているとかえって怪しいものを感じます」
「確かに、あのような炎淑どのは珍しいですね。肴にするにはよい光景です」
悠然と笑って、酒精で喉を潤す。闘炎淑は、動きこそ莫耶に従順であるが、顔には不平の色が顕れていた。しかし養叔由にとっては、その顔すらも酒席の眺望の一つのようだ。
羋蒼旅は、こちらもまだ酒は飲めぬので代わりに果水を味わっている。
「なんともおかしな酒席ですな」
闘羽夸がそう零した。その視線は莫耶に向けられている。敖賈から莫耶について聞かされてはいたが、その上でなお実際にその姿を見ると、どうしても年若い酒豪の女にしか見えない。それでいて、長子の闘炎淑が従順にしているのを見ると奇妙としか思えぬのだ。
闘羽夸は己の武に自信があるが、それ以上に、闘炎淑を無双の豪傑に育て上げたという自負があった。
――闘氏が屈膝するは、主君と、己より強き者だけだ。
闘羽夸は闘炎淑にそう教えたし、己の息子の気質はそういうものであると思っている。その闘炎淑が莫耶に逆らわぬということは、莫耶は闘炎淑より強いということに他ならない。
しかし、歴戦の武者たる闘羽夸から見て、莫耶という女性の強さは未知なのである。何も分からないのだ。まるで長江を覗き込み、その深淵を見んとしているように感じるのである。
――確かに、あれは人ではない。だが、天地の化身と言うには邪気が多すぎる。
それが、闘羽夸の辛うじて得た直感であった。
関わらずに済むのであればそうしただろう。しかし、どうやら闘炎淑はその弟子となってしまったらしい。意識を割かずにいるのは無理なことであった。
そして、戒備の視線は莫耶に悟られてしまったらしい。今まで闘炎淑に酌をさせて満悦していた莫耶は、にわかに立ち上がって闘羽夸に迫ってきた。
「よう、お前が今の闘氏の長か。随分と、つまらない顔をしている。酒が足りていないんじゃないか?」
「いえ、そのようなことはありません」
毅然とした顔で答えると、莫耶は鼻哂した。
「酔ってそれか。つまらん奴め。お前のような親に育てられたから、炎淑もつまらぬ貌をしているのだろうよ」
「そうかもしれませんな」
父を悪く言われて、闘炎淑が莫耶の背後で目を瞋らせた。闘羽夸はそれを制しつつ、莫耶の諧謔を軽く流した。
「よし、ここは一つ、お前に酒の飲み方を教えてやろう。私と飲み比べをしろ」
唐突な挑戦である。だが闘羽夸は、
「わかりました。お受けいたしましょう」
と頷いた。
そして莫耶と闘羽夸による飲みの対決が始まったのである。
羋蒼旅、敖虎、闘炎淑、蔿峨は固唾を呑んで見守っていた。しかし敖賈と養叔由だけは、
「養氏はどちらに賭けますか?」
「柱国どのに」
「それでは、賭けになりませんな」
と、どちらが勝つかを酒肴にしていた。
そして結果は、敖賈と養叔由の予想した通りであった。互いに二十杯を越えてもまだ倒れぬ伯仲した戦いであったが、やがて三十を数える前に莫耶は仰向けに倒れ、そのまま眠りこけてしまったのである。
「今なら寝首を搔けそうだな」
「刎ねたところで、すぐに生えてきますよ」
闘羽夸の戯言に、敖賈は哄笑しながら返した。顔は笑っていても、それが冗句に聞こえぬのが恐ろしいところである。
ともあれ、一番の酔人が沈黙して場が落ち着いたところで、闘羽夸は居ずまいを正し、羋蒼旅に向き直った。
そして家人を呼んだ。
許しを得て、二人の男が入ってくる。それぞれ、白布に包まれた長物を手にしていた。
「養氏。そして、炎淑。これが、王に従い南溟へ赴くそなたらへの餞別である」
闘羽夸は立ち上がり、白布を取った。
そこには、かつて茨国の宝物であり、此度の乱に際して闘氏に下げ渡された武王伝来の武具――宝剣、泰阿剣と、宝弓、雷上動があった。




