久闊の宴
敖氏の邸宅では酒宴が開かれていた。
今はこの邸宅の主人であり、茨国の執政でもある老人、敖賈を訪ねてきた不意の客人――“錬華の賢者”莫耶を饗すための酒宴である。
といっても、敖賈が何かを差配するより先に邸宅に入った莫耶が、
「おう、孺子。私が来てやったんだ。かつての恩と足労の報いに酒を出すのが作法というものだろう」
と、催促したが故に催された酒宴である。
敖賈は驚きつつも拝跪し、莫耶を西に座らせ、家人たちに命じて饗応させたのだった。
そして今、敖賈は莫耶の近くにあって酒汲みの役を行っている。とても大国の執政の老人とは思えぬ姿であった。
「代わりましょうか、おじいさま?」
敖虎は見ていられなくなり、そう聞いた。しかし敖賈が答えるより先に莫耶が、
「こいつは私に恩があるんだ。余命の尽きる前にその報いをさせてやっているのだから、余計な気を回すことなど無いさ」
と返したのである。
「おじいさまと莫耶どのは、どのようなご関係なのですか?」
「おう、私はこいつがまだ若造の時に色々と世話を焼いてやったんだ。それなのに随分と無沙汰であったかと思えば、いつの間にやら孫までいて楽隠居などしている」
「まあ、先日までは隠居の身であったのですが、今はまた政界に戻ることとなりました」
「いいことだ。お前は礼服で死ぬのが似合っているさ」
莫耶は終始、敖賈に対して横柄である。しかも、この場においては羋蒼旅の次に偉い立場の敖賈は、見た目だけであれば孫でもおかしくないような年の女性に傲岸な振る舞いをされて、どこか嬉しそうなのであった。
「のう、敖賈よ。そちらの莫耶どのは、あの郭冶干の師たる莫耶だと言っていたが……それは、本当なのか?」
羋蒼旅はついに聞いた。敖虎と闘炎淑も気に掛かっていたことである。
常識で考えればあり得ぬことだ。しかし、ともすればそれは偽りでもなければ狂言でもないのではないかと、そう思わせる何かが莫耶にはあった。
「ええ。こちらの莫耶どのは不老の人ですので」
敖賈は事もなげに言った。
「ついでに言うなら、ほとんど不死のようなものだ。死ぬ時は死ぬのだろうが、そんな目にはここ数百年は遭っていないな」
莫耶はそう付け加えた。二人ともそれを当然のこととして語っている。しかし聞かされた羋蒼旅たちは驚き、黙然としてしまった。
「だいたい、お前があらかじめ教えておくべきことだろう。人の悪さを出して横着をするからこうなるんだぞ?」
「言って信じていただけるようなことではないかと思いましたので。“鳥を知らぬ者は、飛ぶ獣あることをさえ疑う”と申しますからな」
敖賈が口にした言葉は、常識のようなことであってもその知識のないものはそれを信じない、という喩えである。
「つまりこいつらは鳥を知らぬ蒙昧者で、私が鳥ということか。そういうことであれば、まあ許してやろう」
莫耶は上機嫌で哄笑した。しかし、ついに溜まりかねた闘炎淑が立ち上がり、叫ぶ。
「ふざけるな、そのような者がいるはずがないだろう!!」
「お前の知見が世の道理だと思わぬことだな、若造。しかしまあ、偏屈な奴に懇々と説いてやるほど私は気が長くない。お前の狭量は、南溟への旅を続けていくうちにおのずと拓かれることだろうさ」
莫耶は平然と言って、杯を傾けている。そして、流し目で闘炎淑を眺めていた。
闘炎淑は全身を強張らせた。蛇に睨まれているような感覚がしたのである。
「なるほど。まあ、悪くはない」
莫耶は杯を置き、顎に手をやった。
「おい、蒼旅。旅立ちの日まで、こいつを借せ」
「炎淑をか? かまわぬが、どうするというのだ?」
「打ち直してやるのさ。鈍ではないが、名剣には及ばぬからな。こいつが今のままでは、南溟に着く前にお前たちは死んでしまうだろう」
「つまり、炎淑を鍛えてくれるということか」
莫耶は頷く。いかにも鍛冶師らしい物の喩えであった。
羋蒼旅に異存はないが、意を口に出す間もなく貸し与えられた闘炎淑は不服そうな顔をしていた。
しかし君命である。翌日より、闘炎淑は莫耶と共に鍛錬をすることとなった。




