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春秋異聞南溟伝 -兄の真意を求め、若き王は死の国へ向かう-  作者: ペンギンの下僕
訣別の章

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兄弟の決闘

 荘厳なる王宮の回廊が、赤く揺らめく炎の帳で覆われている。

 玉座へと続く道で羋蒼旅びそうりょは、兄であり、父を弑逆しいぎゃくした大罪人、羋烙漣びらくれんと対峙していた。

 ここまで羋蒼旅は何度も腹を括ったつもりでいた。だが今、時にすれば僅か数日のことで、しかしとても長いような気もする騒乱を越えて再会した兄を前にして木石のように心を動かさずにいることは出来なかったのである。


「降られるがよい、兄上。強いことは知っているが、この数の不利を覆せはしまい!!」


 羋蒼旅は叫んだ。捕らえて父殺しの真意を知りたいという想いもあったが、迷いが口から溢れてしまった。


「数の多寡など知ったことか。蒼旅よ、お前を王にするわけにはいかない。父の跡を継ぎ、茨国に君臨するのは私だ!!」


 羋烙漣は毅然としている。今や一人の兵も率いず劣勢に立とうとも威風堂々として剣を構える様は、簒奪者でありながら、正に王の振る舞いのようであった。


「父上は兄上を太子と定めておられました。弑逆などせずとも、いずれ兄上が王となっておられたでしょう!!」

「お前は知らずともよいことだ!! 何も知らぬまま、ここで果てるがいい――蒼旅!!」


 羋烙漣が駆け出す。炎のあかを受けて閃いた刃は、霹靂へきれきのようなはやさで羋蒼旅の首筋に迫った。

 羋蒼旅は咄嗟に剣を横に構える。

 戛撃かつぜんの鈍い音が響いた。羋蒼旅の体はその一撃で大きく後ろへ飛ばされてしまったのである。


「お前は先に、私に降れと言ったな。それは恵恤けいじゅつのようでいて、実際は惰弱のあらわれだろう」


 羋烙漣は剣を手に、ゆっくりと近づいてくる。飛ばされた羋蒼旅のすぐ後ろには敖虎ごうこ闘炎淑とうえんしゅくらがおり、さらには闘氏の兵もいる。

 しかし羋烙漣はそのようなことは歯牙にもかけていない。彼らが一斉に羋蒼旅の助勢に出ても、残らず撃滅するつもりでいるのだ。


「そこにいる勇士と弓兵とに命じて私を斃させるか? それならばよい、やってみろ。己の弱さをさらけだすがいい」

「…………」


 羋蒼旅は生まれて初めて、兄を恐ろしいと思った。

 これまでも、厳格な兄にすくんだことはあった。兄が父を弑し、自分の命を狙っていると知った時、困惑と恐怖に身を呑まれた。

 しかし今は、そういった事情をすべて抜きにして、ただ一人の羋烙漣という男が、全霊をもって自分を殺そうと迫ってくる。そのことが羋蒼旅には何よりも恐ろしくて堪らなかった。

 乾いた弦音が鳴った。

 養叔由ようしゅくゆうが弓に矢をつがえ、羋烙漣に向けて放ったのである。

 養叔由は迷わず羋烙漣の首筋を狙った。だが羋烙漣は剣を閃かせ、陣風のような矢の死線を容易く斬り払ったのである。

 養叔由は驚愕の色を浮かべた。己の渾身の射撃を意図して防がれたのは初めての経験であった。


「技倆は悪くないが、その程度の腕では私には届かないぞ」


 そう吐き捨てて、羋烙漣はなおも羋蒼旅に迫る。

 闘炎淑は剣の柄に手を掛け、主君を庇うように前に出ようとした。

 その僭越を、羋蒼旅が一喝した。


「下がれ、炎淑!! これは私と兄の決闘である。臣が介入することではないぞ!!」

「ですが――」


 闘炎淑が何かを言おうとしたが、羋蒼旅はすぐに立ちあがり、羋烙漣に向けて吶喊とっかんしていく。だが二人では体躯も剣の技量も、何もかもが違いすぎた。それでもまだ羋蒼旅が死んでいないのは、僥倖と言うより他にない。

 闘炎淑はもどかしい想いである、君命とは言え、羋蒼旅がなぶられる様を見ているのは耐えがたいものがあった。

 その時である。それまで闘炎淑の肩を止まり木としていた鵬が急に鳴き声を挙げると、そのまま飛び去って炎の中へと消えていった。


「おい、敖虎!! あの鳥を追え!!」

「貴方は、何を言っているのですか?」


 急に叫び出した闘炎淑を、敖虎は気が触れたとしか思わなかった。しかし闘炎淑の双眸には揺るがぬ輝きがあり、必死ではあるが正気のままに放った言葉であると悟ったのである。

 何がそうさせるのかまでは分からない。だが敖虎は、頷くと鵬を追った。

 その間にも、羋蒼旅と羋烙漣の決闘は続いている。しかしその命は、今にも凶刃の前に斬り伏せられそうになっていた。

 ついに耐えかねて、闘炎淑は剣を鞘走らせながら羋蒼旅の前に跳び出したのである。


「王子はまだ若い!! 臣として、助勢させていただく!!」

「炎淑!!」

「王子は先に、羋烙漣を生け捕れと命じられました。その命を果たす機を与えていただけぬはわたしへの侮りでございます!!」


 叫びながら、すでに満身創痍の羋蒼旅に代わり、羋烙漣に斬りかかった。


「闘氏が長、闘羽夸とううこ継嗣けいし、炎淑だ。手合わせ願う!!」

「なるほど、闘氏のすえか。その名に恥じぬ強さだな」


 二振りの長剣が火花を散らす。その戦いは、まるで二つの極大の嵐がぶつかり合うような凄烈さを帯びていた。燃え盛る回廊の上にありながら、今の二人は互いに、相手の刃以外に命の脅威を感じていない。それほどまでに、ただ敵だけに意識を注いでいた。

 後方から眺めている養叔由、蔿峨、その他の闘氏の兵たちは、とても助勢をしようという気になれなかった。それは闘炎淑の矜持のためというのもあるが、羋烙漣に対して生半可な力量で立ち向かっても、一撃で倒されるだけだと悟ったからである。

 それほどまでに、羋烙漣の強さは隔絶していた。

 だが闘炎淑も負けてはいない。

 互いに兵と謀略と陰謀を以って勧められた二人の兄弟の対決は、今やこの二人の戦いによって趨勢が決する。誰もがそう感じていた。

 羋蒼旅は剣を杖の代わりにして立ち上がったが、もはや二人の間に割り込む気概が半ば失せていた。

 それは、ぶつかり合う二つの激流の中に身を投げるに等しい行為である。


 ――炎淑の勝利を願うことしか、私には出来ぬのか。


 それは、主君として正しい在り方ではある。

 人の上に立つ者が武勇を誇る必要はない。道を示し、命をくだし、臣を信じる。そして責を負うこと。それこそが主君の役目なのだ。

 だがまだ若い羋蒼旅は、どうしてもそれが歯がゆくてならなかった。子供ゆえの稚気と自覚しつつも、兄との対決を最後の最後で他者に委ねることが、どうしても耐えられなかったのである。

 そんな羋蒼旅の迷いを裂くように、鳥声が聞こえた。鵬のものである。


「我が君、こちらを――」


 声に振り向いた。幼いころからの従者のそれを、聞き違うことなどなかった。

 何かが飛んでくる。受け取ったそれを見て、場が静まった。

 それは、決闘中の二人も同様である。羋烙漣は僅かにその手を止め、闘炎淑もまた半歩退いて羋蒼旅の手へ視線を向けた。


「これは……泰阿剣たいあけんか」


 羋蒼旅は、敖虎から投げ渡されたものを見て呟く。

 伝説の名工が鍛えたとされる茨王室の宝剣がそこにあった。

 ブックマーク、評価が増えておりました。また、いつもリアクションをくださる方、本当にありがとうございます。とても励みになっております!!


 第一章「訣別の章」も残すところあと僅かです。これからもよろしくお願いします!!

 読んでいただき感じたこと、感想などで教えていただけると嬉しいです!!

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― 新着の感想 ―
最新話まで追い付きました。 図らずも、第1話の場面。 まだ謎には手が届きませんが、岱伯の死を巡る敖虎、炎淑の心中、叔由の言葉(これはこれで、よい言葉だと思いますが)、叔由を殴る炎淑は名場面でした。 …
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