赫々の王城
それは旭日よりも赫々としていて、紅の蛇が暴れまわっているような光景であった。
茨国中興の祖、武王が武郢の地を都と定めてから今日まで、その繁栄の象徴であった王城は、今や炎に包まれている。
――戦火が王城に燃え移ったのか?
羋蒼旅は《びそうりょ》はそう思った。だが敖虎の考えは違う。
――失火にしては、火の巡りが速すぎる。
これは火計だと感じた。羋蒼旅の陣営にそれをする利はなく、ならば羋烙漣かその臣の誰かが仕掛けたことに違いない。
しかし、そう考えてなお、敖虎は己の結論に懐疑的であった。
確かに今、羋烙漣は劣勢である。だが、まだ趨勢が決したとは言えない。逃げるためか、こちらの数を削るためか――いずれにしても、王城に火を掛けるという暴挙に出るには尚早だとしか思えなかった。
先ほどまで兄の死に動揺していた敖虎の思考は、火の熱にあてられたことでかえって怜悧に研ぎ澄まされていた。
――烙漣がここまでする理由とは、まさか。
思い至った敖虎は羋蒼旅のほうを見ると、
「もはやここまでです。王城から脱出しましょう!!」
と叫んだ。
「待て、敖虎。まだ兄上を捕えておらぬ!!」
「王城を囲み、遁走するところを捕縛すればよい話です。烙漣が王城に火を掛けて逃げたと喧伝すれば、今まで与していた者たちも降ることでしょう」
敖虎は断言した。王城とはそれほどまでに大きな権威の象徴であり、我欲によってそれを燃やした者を王として推戴する者などいない。少なくとも、茨国の民の多くの性情はそのようなものであった。
もっとも、羋烙漣が火を掛けたというのは根拠のない話である。
後々、羋烙漣が、王城を焼いたのは羋蒼旅だと流布すれば事の真偽は有耶無耶になるだろう。敖虎としてもそのことは分かっている。その上で、今は羋蒼旅を火の手から逃すことを優先しようとした。
それは主君を死の危機から遠ざけたいという忠心もあるのだが、
――烙漣の狙いは、蒼旅を殺すことだ。
と悟ったからである。
何が羋烙漣をそこまでさせるのかは分からない。しかし、そう考えるとこれまでのことが腑に落ちるのである。
――烙漣は初めから蒼旅を殺すつもりだった。その気を窺っていたところを、先王が気づいて武郢より逃した。だから烙漣は王を殺し、咸伯明に兵を与えて蒼旅を殺そうとしたのではないか?
憶測の混じる推測であるが、それが真実であれば、羋烙漣はいよいよ何をしてくるか分からない。
敖虎としては、ここは羋蒼旅を何としても生かして王に即位させることを一義とすべきだと考えた。羋烙漣と対峙するのはその後でも遅くない。
「蔿峨どの、貴女は王城の造りに詳しいですか?」
「はい。父の職務を手伝っておりましたので、一通りのことは分かります」
「ならば、我が君を連れて外へ連れ出していただきたい」
蔿峨は頷いた。
その時である。甲高い音が響き渡った。一同が音のしたほうを見ると、一羽の鷹が舞い込んできたのである。
「鵬か!?」
羋蒼旅はすぐに、それが自身の愛鳥であると気付いた。炎火の中に飛び込んできた鵬はそのまま、炎の中へ突き進んで行ったのである。
「炎淑、私を抱えて走れ!! 鵬を、あの鷹を追うのだ!!」
「――御意に!!」
闘炎淑はすかさず羋蒼旅の小さな体躯を担ぎ上げると、鵬に従うように炎の中へと飛び込んでいった。敖虎は静止したが、
「すまんな先輩どの。君命だ」
と言うと、敖虎の声が届かぬところへと駆け抜けていってしまった。
「我が君は勇敢であらせられますな。それで、我らは如何いたしますか、先輩どの?」
養叔由はこんな時でも落ち着いている。主君が燃え盛る王城の中にその姿を消したというのに、案じるような素振りさえなかった。
その泰然とした顔が、敖虎は無性に腹立たしい。
羋蒼旅についても同様である。この状況で鷹を追うなど、正気とは思えなかった。正しいのは自分であるはずなのに、周りには狂人しかいないのかと憤慨したくなってしまったのである。
それでも、敖虎には羋蒼旅を見捨てるという選択はなかった。
幼い頃より従者として仕えた相手である。敖虎の人生は物心がついた時から羋蒼旅と共にあり、羋蒼旅が死ねば人生の意義は消え失せてしまうのだと、敖虎はそう考えていた。
深く瞑目し、大きく息を呑むと、振り返って叫んだ。
「我が君はいずれ武王を凌ぐ王となられる御方である。荒れ狂う炎をどうして恐れようか!!
王子と大志を共にする者は進め!! 蛮勇にて赫灼を制し、羋烙漣を斃すことこそが覇業の先駆けである!!」
敖虎は激しく檄を飛ばすと、羋蒼旅と闘炎淑を追った。養叔由、蔿峨、そして闘氏の兵士たちがそれに続く。
炎の中を闘炎淑はひた走った。時折、火の粉や倒れかけた柱が襲い掛かってくるが、少しも物怖じすることなく、しっかりと羋蒼旅を抱え、鵬を見据えていた。
槐のような双腕に抱えられたまま闘炎淑を見上げていると、羋蒼旅は思わず、
「おぬしは、怯むということを知らぬのだな」
と感嘆した。
闘炎淑は首を動かすことなく、
「闘氏は火を懼れると王子に思われるは心外でございますので」
と、言い放った。
「それにあの鷹は、王子をどこかへ導こうとしているように思えてなりません。ならばその楯として王子を護り、刃として障壁を払うのが我が使命です」
「おぬしもか。私も、鵬は私をどこかへ誘っているように感じた」
羋蒼旅は敢えて明言しなかったが、鵬が導く先に何があるのかも確信していた。闘炎淑も同様である。
やがて鵬は、急に空中で翻ると、闘炎淑の肩を止まり木として翼を休めた。
羋蒼旅は闘炎淑に命じて降ろさせると、剣を抜いた。来た道は既に、ほとんどが炎に包まれている。
「王子は下がっておられませ」
「いいや、ここは私が向かう。向かわねばならない」
「ですが私一人では――」
闘炎淑は案じるように若い主君を見やった。しかし羋蒼旅は、炎に包まれた退路を見ながら不敵な笑みを浮かべている。
するとやがて、鋭い風が起きて炎が晴れたかと思うと、その奥から闘氏の兵を率いた敖虎たちが現れた。
「虎が私を一人にすることなど、天地が裂けてもありえぬことだ」
羋蒼旅は断言した。そのような主君の信頼など知らず、顔を煤で汚し、あちこちが焼け焦げた衣服を引きずった敖虎は恨みがましいような、しかしどこか安堵した顔で羋蒼旅を見つめていた。
「さて、行くか」
羋蒼旅は炎など気にせず悠然と歩いていく。
ここは、玉座へと続く王の回廊であった。ゆっくりと進んだその先には、一人の男がいた。
この男もまた、炎など恐れていなかった。
すらりと伸びて、しかし鍛えられた精悍な体躯。羋蒼旅と同じ赤い瞳を持ち、研ぎ澄まされた刃のような眼光を放つ青年が、剣を手に携え、玉座への道を阻むように立ちはだかっている。
「来たか、蒼旅――」
「……ああ、来たぞ。兄上」




