蔿峨
王城の門の戦いは乱戦となり、その様相は混迷を極めていた。
とかく敵味方の入り乱れた戦いである。それだけに、はじめのうちこそ敖氏劣勢であったが、やがて宣教は膠着しだした。
「ええい、まどろこしいの!!」
歯痒さに、羋蒼旅は堪らず叫ぶ。そしてついに、闘炎淑に命じた。
「炎淑よ、私を担いで王城の中へ連れていけ!!」
闘炎淑は戸惑いつつも、やがてその華奢な体を肩に乗せて、
「御意に、我が君」
と叫び、戦車から飛び降りると、兵の間を掻き分けて王城の中へと猛進して行った。
「蒼旅――!!」
敖虎は思わず、主君を字で呼び捨ててしまった。羋蒼旅の行動はそれほどまでに無謀だった。
敖虎は羋蒼旅と共に、闘炎淑にも苛立っていた。いかに主命とはいえ、鎧すら纏わぬ主君を俵のように担いで白刃乱れる危地に飛び込んでいくのに正気を疑ったのである。
しかも闘炎淑は、今まで見たことがないほどに活き活きとしている。敖虎は臓腑が鉄鎖で締め付けられるような思いであった。
「ふふ、我が君は剛毅であらせられますな。これは私も、臣として怯んではおれません」
養叔由は微笑を浮かべると、闘炎淑に続いて戦車から飛び降りていった。敖虎は、主君も車右、車左もいない無人の戦車の手綱を握っていたのである。
「ふん、主君が主君なら臣も臣ということですか!!」
敖虎は自棄を起こし、自らも手綱を手放して車から降りた。そして手近な兵に剣を借りると、羋蒼旅の後を追ったのである。
敖虎には剣の心得などない。そこらの兵士と斬り結べば一合と経たず斬り伏せられるだろう。そうと分かっていても、足は止まらなかった。
しかも闘炎淑と養叔由の足は早く、やがてその背中は兵の並に埋もれていった。しかも眼前には敖氏の兵が立ちはだかり、矛を突き立ててくる。一応、敖虎も主人の子なのだが、兵に容赦はなかった。
これまでかと思ったその時である。
矛先が敖虎の体に届くより先に、その兵士は地に倒れ伏した。
「ご無事ですか?」
「貴殿は……?」
敖虎を救ったのは、敖虎と同じくらいの齢の人である。その左目は剣創によって左目が潰されていた。
「衛尉の蔿鈎の子、蔿峨にございます」
爽朗としていて、どこか玲瓏な響きを含む声であった。左手に剣を持ち、右手に矛を持つという奇異な武装をしている。
「王子の臣とお見受け致しました。私は父に、王子をお護りするよう命じられております。我が後に来られませ。私が貴方を王子の下へお連れ致しましょう」
「それは頼もしい。よろしくお頼みいたします」
蔿峨と名乗った若者は、左右の剣と矛とを自在に駆使して敵兵を蹴散らしながら進んでいった。その言葉の通り、敖虎はその背について従うだけで兵の荒波を越えることが出来たのである。
闘炎淑に担がれて先行した羋蒼旅は王城の中へと入ることが出来た。幸運なことに、矢傷の一つも受けてはいない。
「大儀であった。降ろせ、炎淑」
「よろしいのですか?」
躊躇いつつも、闘炎淑は羋蒼旅を肩から降ろした。やがて養叔由も追いついてきたのである。
「なんじゃ、敖虎はまだか」
羋蒼旅は少しだけ心細そうな声で言った。
「確かに、あの細腕の先輩どのを置いてきたのは良くなかったですかな」
「敖氏が気がかりですか?」
闘炎淑と養叔由に言われて、羋蒼旅は頭を振った。それでも、すぐに先に進もうと言い出さなかったのだが、やがて敖虎の声が聞こえてくると顔色を明るくしたのである。
「遅いぞ敖虎!!」
気まずさを隠すように、羋蒼旅はわざとらしく怒鳴った。その後で、剣と矛とを持つ若者について誰何したのである。
若者――蔿峨は羋蒼旅を見ると剣を鞘に収め、矛を床に突き立てて拝手した。
「衛尉の蔿鈎が子、蔿峨にございます。王子につきましては、以後お見知りおきいただきたい」
美しい所作であった。敖虎が、蔿峨の助力あってここまで来れたのだと説明すると、羋蒼旅は気をよくして笑った。
「そうか。大儀である。この先も我らに同道してくれるのであろうな?」
「無論にございます。微力ながら茨国の正道のために尽力させていただきたく存じます」
「頼もしい言葉だ。よろしく頼むぞ、蔿峨」
蔿峨は高らかに応じたが、闘炎淑と養叔由は何やら怪訝な顔をしていた。とりわけ闘炎淑は眉間に険しい皺を作って蔿峨を睨んでいたのである。
「どうしたというのですか? 蔿峨どのは味方ですよ。それくらいの分別はついてくれなければ困りますよ」
「相変わらず勘に障る物言いをするな。それくらい分かっているさ」
「では何だというのですか?」
そう問われると闘炎淑は口ごもった。そんな闘氏の豪傑に助け舟を出すかのように、養叔由がその肩を叩く。
「まあ、蔿峨どのは腕利きのようですし、王子と茨国に向ける忠誠は我らと同じようですから、性別のことなど些事でしょう」
養叔由は爽朗な笑みを浮かべたが、今度は羋蒼旅と敖虎が訝しんだ。二人が揃って蔿峨のほうを見ると、蔿峨は俯いて黙り込んでいる。
「おや、我が君と敖氏はお気づきでなかったのですか? 蔿峨どのは女性ですよ」
養叔由はさらりと口にしたが、蔿峨としては明かされたくなかったことのようである。しかし見抜かれてしまった以上は、口をつむいだまま頷くより他になかった。




