順理に背く者、必ずその咎を受けん
薄暗い王宮の中で、かつて令尹であった老人と、今の令尹が対峙している。
当代の令尹――敖宜伯は剣を手にし、かつての令尹である敖賈は身に武器らしきものを何一つ持っていない。しかし敖宜伯の額には嫌な汗が流れていた。
「どうした宜伯よ、早く申せ。私はお前を、無欠では無くとも蒙昧で魯鈍に育てたつもりはないぞ。それとも、これも親の欲目であったか?」
父から、羋烙漣に与し弑逆に加担した理由を問われながら、敖宜伯は未だに言葉を発せずにいた。
「……故あってのことでございます。既に令尹を退かれた父上には関わりなきこと。既に茨国の命運を次代に託した身ながら、我らの決断に異を唱え、その道を遮るのはやめていただきたい」
敖宜伯は声を震わせながらも、剣を強く握りしめ、叫んだ。
「だから、その決断に至った経緯を申せと言っているのだ。王を殺し、罪なき王子まで亡き者にせんとしているのだ。長く後世に汚名を着る覚悟がなければ出来ぬことである。その重荷を、父として少しでも軽くしてやろうと思ってな」
「それは……」
先ほど決めたはずの覚悟は、敖賈の言葉によって再び揺らいだ。敖賈が敵として敖宜伯の前に立つのであれば、父であっても敖宜伯は刃を向け、斬り伏せるつもりであった。
しかし敖賈はどこまでも父として敖宜伯に接している。それが敖宜伯の心を揺さぶっていた。
そこへ、足音が響いてきた。敖宜伯の逡巡は、それによって打ち切られた。
「先に行かれよ、義父上。この老人との問答の続きは、私が引き継ぐとしよう」
現れたのは羋烙漣である。流麗華美な容姿の若き新王は堂々として敖宜伯の前に立つと、岳父を気遣う言葉を掛けた。
「おや、これは烙漣さま。いいや、王とお呼びするべきですかな?」
敖賈は仰々しく拝手して頭を下げた。王に向ける所作の非の打ち所のなさに、かえって羋烙漣は苛立ちを覚えたのである。
「ふん、諧謔の巧い老人だ。心の中では王の前に僭の一字をつけているのだろう」
「そのようなことはありません。王には我が不肖の息子が過分なる厚遇を受けているようで、感謝しております」
敖賈の言葉に間違いはない。ただし、やはりそこには静かな激情が含まれている。
「この老人はこういう人ですから、他人の私のほうが気安く話せるというものです」
羋烙漣は君主の強権を用いて敖宜伯を先に行かせた。敖宜伯は最後まで憂慮するような顔をしていたが、やがて足取りを強くして王宮の門へと走っていったのである。
二人きりになった羋烙漣は、それまで敖宜伯に遠慮していて鞘に納めていた剣を抜き放つ。
「私に詭弁は通じないぞ。目論見が外れたな」
白刃の鋒を向けられて、敖賈は尚も悠然としている。鬼気迫る形相で今にも斬りつけてきそうな羋烙漣を前にして、少しの恐れも抱いていなかった。
「この首も、舌も、使い古したものなれば、今さら惜しくはありません。なれど私は長年に渡って茨国に尽くした身であれば、最後に一つ、我が言葉を聞いてはいただけませんかな?」
「毒を含んだ遺言で耳を汚してなるものか。五体を損なわずに死なせてやるが、それ以上の情けをくれてやるつもりはない」
「それは――“応龍の子”の話であってもですか?」
その言葉に、羋烙漣の腕が止まった。
羋烙漣には敖賈に情などなく、恩義もない。一切の言葉に耳を貸さず斬り伏せるつもりであったのだが、“応龍の子”という語は、その決意さえも留めてしまうものであった。
「……お前は、それを知っているのか?」
「それなりに長く、茨の王室に近しいところにおりましたからな」
「ならば、蒼旅がそうだということも判っているのだろう!! その上で弟に与したというのか!?」
羋烙漣の目が怒りの炎で揺らめく。天を焦がさんほどの赫怒が胸の中で暴れていた。
「茨国の大地を灰燼とし、臣民を塗炭の苦しみの中に突き落とそうとするか、この姦賊め――」
「王のお言葉はもっともにございます。なれど貴方は、天命を覆すために悖逆を選ばれました。順理に背く者は必ずその咎を受けるものでございます。私は貴方に従うよりも、蒼旅さまが天命を破るのに賭けることにしました」
敖賈は笑貌を消し、毅然と言い放った。
その言葉は、事情を知らぬ者には正しく思える。父を弑した羋烙漣に正義はなく、情を曲げてでも兄と敵対して父の仇を討ち、国に無用の混乱をもたらした悪王を討たんとする羋蒼旅には正義があった。
しかし、譲れぬものを抱いているのは羋烙漣も同じである。
「それは小義というものだ。私は千年にかけて悪王と謗られ、霊の諡を冠することになれど、自分の行いを愧じ、悔いることはない!!」
「それほどの覚悟でございますか。ならばこの老骨は、敢えてこれ以上を語りはしません」
羋烙漣の決意を聞くと、敖賈はあっさりと引き下がった。
「“戦火頂に至り、灰燼より天は出ずる”と申します。擾乱極まりしこの大陸にあって、新たなる天は王畿より出ずるか、それとも茨蛮の地より出ずるのか――」
そう言い残して、敖賈は影の中にその姿を消した。
「“武王之賦”か。最後まで、諧謔に長けた老人だ――」
一人残された羋烙漣は、苦々しげにそう毒づいた。




