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春秋異聞南溟伝 -兄の真意を求め、若き王は死の国へ向かう-  作者: ペンギンの下僕
訣別の章

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2/3

鷹と少年

 少年は揺れる車中から空を見上げ、燃えるような赤い瞳に、一羽の鷹を映した。翼を大きく広げ、澄んだ蒼天を悠然と泳いでいる。


「あの鷹を追え」


 少年は、御者に命じた。御者の青年は難色を貌に浮かべた。


「貴方はまた、すぐにそういうことを言う」

「なんだ、私の命が聞けぬのか?」


 鷹を追えと命じた少年は、羋蒼旅(びそうりょ)といい、御者は敖虎(ごうこ)といった。

 羋蒼旅は、大陸の南方にある茨国(しこく)の君主、茨王の第二子であり、敖虎は、茨国の名家である敖氏の人であった。

 この二人は幼いころから共に過ごしている。形としては、敖虎は羋蒼旅の従者であるのだが、兄弟のような関係であった。

 ちなみに、羋蒼旅が十三で、敖虎が十九である。


「主命に諾しか言わぬのは、悪臣の在り方です。過誤あらばこれを諫め、正道に引き戻すのが真の忠臣というもの。肯首しかせぬ者で身を固めていると、今に身を滅ぼしますよ」


 敖虎は、弟を宥める兄のような口調で言う。しかし羋蒼旅は、車のへりを掴んで揺らし、口角泡を飛ばしながら駄々をこねた。こうなると何を言っても収まならいことを、敖虎は長い付き合いの中で学んでいた。小さく息を吐きながら、


「追えるだけは追いますが、道を外れれば、諦めてくださいね」


 と、粘り気のある言葉を吐いた。そして、車馬に鞭打ち、足を速めさせる。

 風のような速さで疾走する車上で、羋蒼旅は無邪気にはしゃいでいた。まだ十三なので当然だが、いかにも幼稚である。

 敖虎は手綱を操りつつ、時折、空の鷹を見上げた。すると鷹はやがて軌道を転じた。今、敖虎が車を走らせているのは林間の道であり、鷹を追おうにも、そちらには道がなく、木々が乱立していてとても車で進むことなど出来ない。


「約束どおり、これで終わりですよ。蒼旅さま」


 敖虎は安堵の息を胸の中で吐いたが、羋蒼旅はまだ物足りないといった様子で頬を膨らませている。そして、敖虎が来た道を引き返そうと車を止めたところで、羋蒼旅はすかさず飛び降りた。鷹を追って林の中へと奔っていったのである。

 敖虎は叫んで制止しようとしたが、すぐに羋蒼旅の背は、鬱蒼とした木々の中へと消えていった。

 やむを得ず、敖虎も馬から降りた。車馬の手綱を手近な枝に括りつけて固く結ぶと、羋蒼旅の後を追って林の中へと飛びこんでいった。

 ようやく追いつき、後ろから抱き上げると、羋蒼旅は、


「私は走り疲れたから、抱えて走ってくれ」


 と、図々しく言い放った。


「蒼旅さま、もうやめましょう。馬車をそのままにしてきました。このあたりも物騒ですし、もし車を盗まれてしまえば、歩いて帰らねばなりません。私も父に叱られてしまいます」


 貴族にとって馬と車は大切な財貨である。万が一があれば、ともすれば、敖虎の首が飛んでしまうかもしれない。

 少なくとも、鷹一羽を追うのと引き換えというのは、あまりにも釣り合わない。

 だが、そう言われても羋蒼旅は不服そうな顔をしている。少年の好奇心は大人とは違う秤衡(しょうこう)で動いているのだ。


「その時は、私も一緒に謝ってやるさ。ほら、早くしないと見失ってしまうぞ」


 急き立ててくる羋蒼旅を見て、敖虎は嘆息した。そして諦念を抱きつつ、羋蒼旅を横抱きにして林の中を走り出す。こういう時、毅然とした態度で断れぬから増長するのだと分かっていても、せがまれるとつい甘やかしてしまうのは、敖虎としても自覚のある悪性であった。

 それも、主家筋の子であるからということは関わりなく、どうにも羋蒼旅には弱いのである。

 しかし羋蒼旅は、血筋や家格を表に出して敖虎に何かをねだることはしない。そういう振る舞いは恥であると心得ているのか、


 ――そんなことをせずとも、私は言うことを聞くと思われているのだろうか。


 というのが、敖虎の感じているところである。そして、おそらく後者であろう。

 まだ幼いとはいえ、人一人抱えて林の中を走っていると、息が荒くなってくる。額に汗をかき、顔を真っ赤にする敖虎を威にも介さず、羋蒼旅の明眸は空を舞う鷹だけを見ていた。

 すると、やがて鷹が、少しずつ大きく見えるようになった。どこかで翼を休めようとしているらしい。

 気が付けば二人は、林を抜けて水辺にまでやってきていた。二人の視線の先、川の流れの中央にある巨岩の上で、その鷹は翼を休めている。

 敖虎はゆっくりと羋蒼旅を降ろすと、膝に手をついた。


「……もういいでしょう。暫く見たら帰りますよ、蒼旅さま」


 乱れた呼吸を整えているところへ、羋蒼旅はさらにとんでもないことを言いだした。


「決めたぞ。あの鷹を連れ帰って、飼うことにしよう」

「……もう勘弁してください。猛禽を捕まえるなんて、私には出来ませんよ」

「流石にそれくらいは、自分でやるさ」


 羋蒼旅は愠色を示した。そして、ゆっくりと鷹に近づいていく。

 どうせ逃げられてしまうだろう。それで諦めてくれればよいが、再び、抱えて走らされては堪らない。車の懸念もあるため、我儘に付き合うのもこれまでにしようと敖虎は心に決めた。

 そんな、密かな決意など知らず、羋蒼旅は(くつ)のまま川の中に入っていった。この川は浅瀬であり、どれだけ深くとも、羋蒼旅の腰にも及ばない。それでも敖虎は、少し胆を冷やしながらその様を見守っていた。

 羋蒼旅は、水をかき分けながらゆっくりと手招きをする。鷹が、翼を大きく広げた。悠然と飛び立ったかと思うと、鷹は、伸ばした羋蒼旅の腕にとまったのである。


「おう、偉いではないか。見よ、敖虎。どうやらこやつも、私のことが気に入ったらしい」


 猛禽の鉤爪に、血が出るほどに強く腕を握られながら、しかし羋蒼旅は笑貌を見せた。


「さっそく名を決めてやらねばならぬな。なあ、虎よ。何がよいと思う?」

「まあ、後でゆっくりと決められればよいでしょう」


 ともかく今は、早く車のところまで戻りたい。敖虎の胸中にある思いはそれだけであった。




 羋蒼旅と敖虎が車のところまで戻ると、どうにか車はそのままであった。

 ひとまず安堵の息を吐いたが、そのような苦心など知らず、羋蒼旅は鷹に執心である。木に結んだ手綱をほどき、敖氏の(やしき)に向けて車を走らせている最中も、敖虎のことなどは気にせず、ひたすらに鷹を愛でていた。

 たまに話しかけてきたかと思うと、


「名は、なんとするのがよいかの?」


 としきりに聞いてくるので、敖虎としては面倒になってきた。


 ――これは、なんでもよいので鷹の名を決めたほうがよさそうだ。


 そう思い、(ぎょ)を行いながら思考を巡らせる。


(ほう)、などはいかがでございますか?」

「なんだそれは?」

(こん)という大魚より生じ、長じては九千里の翼をもつという大鳥でございます」


 敖虎は、祖父から教わった伝説を語る。羋蒼旅は知らない話であったが、九千里という長大な翼をもつという話は気に入ったらしい。気宇壮大なものを好む羋蒼旅は喜んで、鷹の名を鵬とすると決めた。

 それで満足したのか、羋蒼旅は、鵬と名付けた鷹に盛んに話しかけはしたが、もう敖虎に何かを言ってくることはなかった。

 やがて、敖虎の住む敖氏の(やしき)についた。既に西の空から差す昏日が、地を茜色に照らしている。


「では、今宵も世話になるぞ」


 羋蒼旅は言う。

 羋蒼旅は王族であるので、王宮に一室を与えられている。しかし羋蒼旅はたびたび敖氏の(やしき)で寝泊まりしていた。羋蒼旅の乳母が敖虎の庶姉であり、羋蒼旅と敖氏に繋がりが深いという理由もある。しかし一番の理由は、羋蒼旅が父と不仲であるというのが大きい。

 ここで少し、茨国についての話をする。

 茨国は()姓の国であり、元は南方の小国であった。それがやがて、武威によって伸張を始めたのである。茨国の国祖は羋鬻(びいく)という人となっているが、この人は伝承の人であった。

 中興の祖と言うべき君主に羋戈(びか)という人がおり、羋蒼旅にとっては高祖父にあたる。茨国の興隆は羋戈より始まったといってよい。

 武威を磨き、四方の国を盛んに攻めて国土を広げた。さらに、北方にある天子――虞王に進物を贈って子爵の位を得たのは、すべて羋戈の偉業である。

 ただし羋戈としては、より高位を欲しており、子爵では不満だった。虞の爵位は、公、侯、伯、子、男の順に尊く、下から二番目というのは面白くない。やがて茨国は自ら王を称し、(こう)じた羋戈は武王と諡された。

 茨国では君主を王と呼ぶが、虞とその礼制に従う者は、国名と爵位とを併せた、“茨子(しし)”という呼称を用いる。

 羋戈からさらに代を重ね、やがて羋蒼旅の父、羋伯頵(びはくきん)の時になって、いよいよ茨国は南方の雄となった。羋伯頵は虞に礼物を献じ、陞爵(しょうしゃく)を求めたことがあるのだが、やはり聴許されなかった。

 この一事を以って茨国、とりわけ羋伯頵は完全に虞を恃みとするつもりはなくなり、茨国は南方を我が天下として、いよいよ独立独歩の色を強くしたのである。

 さて、そんな茨国の王子たる羋蒼旅であるが、彼は王子ではあっても、羋伯頵の後嗣ではない。

 羋蒼旅には羋烙漣(びらくれん)という八つ上の同母兄がおり、この人こそが茨国の太子である。武骨で厳格な人であるが、慈愛に溢れた人でもあり、羋蒼旅との仲は良好であった。

 ただし、羋伯頵と羋烙漣との仲は芳しくない。

 羋蒼旅の知る限りでも、この二人は折に触れては喧囂(けんごう)の言い争いをしている。羋蒼旅はそれを厭い、縁故のある敖氏の(やしき)に、何かと口実を付けて泊まるようになっていたのだ。


「ようこそいらっしゃいました、王子」


 羋蒼旅を迎えたのは壮年の男性である。敖虎の父であり、当代の敖氏の当主たる敖宜伯(ごうぎはく)であった。世話になる。羋蒼旅がそう言葉を掛けようとしたところで、


「なんだ蒼旅。またここに来たのか。あまり、敖氏の手を焼かせるものではない」


 と、鋭く窘めるようなことを言われた。敖宜伯の後ろには、長身の青年が立っている。

 美しい若者であった。背はすらりと高く、しかし細見の体は、礼服の上からでも分かるほどに引き締まっていて、精悍な肢体を有していることを誇示していた。顔つきも、彫が深く、鼻梁が高い。軟弱さはなく、それでいて人目を惹く美貌である。


「王宮の居心地がよければ、私としても敖氏の厄介になろうとは思いませんよ――兄上」


 この青年こそが羋蒼旅の兄、羋烙漣である。その妻は敖宜伯の息女であり、羋烙漣もまた、敖氏とつながりがあるので、時おり岳父を訪ねているのであった。

 接する者に敬意と畏怖とを与えるこの青年に、羋蒼旅は物怖じすることなく、あどけなさの残る声で嫌味を言った。王宮の居心地の悪さとは、父と兄との不仲のことに他ならない。


「私と父上とは、何もいがみ合っているのではない。国を思うが故に、時に意見が対立することもあるというだけだ。お前のような孺子(こども)にはまだ分からぬだろうがな」

「ええ、わかりませんな。澱んだ風の吹く王室で柔らかな寝具に包まれて眠るのはいい気がしません」


 羋蒼旅は拗ねたように口を曲げた。こうなると、どう言っても聞かぬ性情であることを、羋烙漣は兄として知っている。


「仕方がないな。それでは岳父どの。今宵も、この愚弟のことを頼みます。我儘を申すようであれば、身ぐるみを剥いで馬屋に押し込んでも構いません」


 手厳しい言葉を残して、羋烙漣は敖氏の邸を去っていった。

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