老人たちの暗躍
羋蒼旅らが闘氏の兵と共に咸伯明とその兵を討ち果たしたのと時を同じくして、敖賈は単身、茨国の都、武郢に入り込んでいた。
敖賈は大胆にも、二頭立ての馬車を三台ひきつれ、塩商人に扮して正門を越えたのである。一台は敖賈が御を行い、残る二台の馬車に乗る者もみな、闘氏の兵であった。二人とも青年であり、彼らを率いる敖賈はいかにも大店の主という風格である。その老人が、かつて茨国の執政の座にあった人であるなどとは、誰も考えすらしなかった。
武郢に入った敖賈がまず向かったのは、潘戢という男の邸宅である。
潘氏は羋姓の一門であり、穆王の代に功を立て貴位を得た家である。しかし先代――後に諡され平王と呼ばれる羋蒼旅らの父――の代には不遇をかこっていた。
敖賈は潘氏の門を叩き、
「こちらの家に、買っていただきたい珍品がありました」
と言って牘を渡したのである。するとやがて、家人が敖賈らを招き入れてくれた。
客間に案内されると、そこには、痩せこけた老人が座っていた。病こそしていないようだが、体の細さは老齢だけでは片づけられぬほどに不健康で、ほんの少し指で押せばこと切れてしまうのではないかと思うほどに衰弱していた。
「随分と痩せられましたな、潘戢どの」
「おお、令尹どのか。まさかもう一度、お会いすることが叶おうとは思いませなんだ。あるいは私は既に、死の江を越えてしまったのですかな?」
潘戢という老人の声は、その痩せ枯れた見た目に反して力がある。もっともこれは、介助のために近くに控えていた家人たちも驚いており、敖賈の来訪が活力を与えたのであった。
「そのような、らしくないことを仰せになられますな。それに私は、もう令尹ではございません」
「いいえ、私にとって令尹とは、いついかなる時でも敖氏でございます。共に王に仕え、大陸を西へ東へと奔命したあの日々が蘇ってくるようだ」
「まことに、潘氏はよき武人であられました。内にあれば乱を鎮め綱紀を保ち、外にあれば戎夷を退けた名将も、寄る年波には勝てませんか」
敖賈は穏やかな笑みを浮かべていた。それから暫くの間、二人の老人は昔日を思い出しながら語り合っていた。敖賈についてきた闘氏の青年二人は気が落ち着かない。自分たちは老人たちの懐古譚を聞くために身の危険を顧みず王都へ飛び込んできたわけではない、という焦りといら立ちが、段々とつのってきた。
「ところで、あちらの若者たちは令尹どののご従者ですかな?」
剣呑さを感じた潘戢が、しかし動ずることなく聞いた。
「あちらの二人は、闘氏の者でございます」
なんと、と潘戢は軽く驚いた。しかしすぐに、
「何かなさるおつもりですな」
と、問いかけたのである。
その、敖賈を見る目というのがとても、痩せた老人のものとも、先ほどまで昔話に花を咲かせていた人のものとも思えず、敖賈をして名将と称賛せしめるのも頷ける鋭さであった。
「お恥ずかしい限りですが、私はどうやら子の養育を間違えたようでございましてな。我が不肖の息子が王都を騒がせた始末をつけるべく、老骨に鞭打って参った次第です」
「なるほど、太子さまと敖氏が結んで王を弑したというのは、訛伝ではなかったのですな」
老いたりと言えど、そのあたりのことは知っているらしい。
敖賈は頷きつつ、
「一つ、不明なこの身に潘氏の助力をいただけませんかな?」
と、拱手しつつ頼み込んだ。
「令尹どのに頼まれては仕方がない。どうせ、後は死を待つだけの身なれば、最後に暴れるのもよいというものです」
潘戢は一考だにせず、助力すると言った。敖賈はそれを驚くことも、また疑うこともなく、拝手して感謝の意を示したのである。
「それで、まずはどうなさるのですか、令尹どの?」
「そうですな。とりあえず、久方ぶりに武郢の邸宅に帰ろうかと思います」
羋蒼旅が闘氏を率い、武郢の外で激しい炎を起こしたのと時を同じくして、かつて令尹であった老人は城壁の内側で静かに乱という名の火に薪をくべようとしていたのである。




