三人の臣
羋蒼旅に與すると決めた闘羽夸は、自分の息子を呼ぶと言った。長子であり、炎淑という字であると紹介し、外に控えていた養叔由に呼びに行かせたのである。
ややあって、室内に入って来たのは、剛腕巨躯の豪傑と養叔由、そして敖虎であった。
敖虎は衣服がところどころ汚れており、しかも憮然とした顔をしている。いいや、不機嫌をあらわにしているのは巨躯の豪傑――闘炎淑も同じであった。
「炎淑よ。我ら闘氏は今日より、王子にお仕えすることに決めた」
「……そうですか」
炎淑は、その顔つきも、まだ若くはあるが、巌のように強張っている。猛虎か大熊のほうがまだいくらか愛嬌があると思わせるほど、張り詰めた顔面には人らしい感情を出していない。
「何か不服か?」
「いいえ。父上がそう決められたのであれば、私は従うまででございます」
地の唸るような武骨な返事であった。ただそういう声というだけなのか、不平を押し殺しているだけなのか、やはり、初対面の羋蒼旅には判別がつかない。
「王子。我が子息をどうか、王子の侍従の一人としていただけないでしょうか?」
「うむ。それは構わぬが……炎淑どのは、それでよいのか?」
傲岸な羋蒼旅にしては珍しく、控えめな物言いである。闘炎淑という男から放たれる得も言われぬ気配に圧され、やや怯んでしまっていたのだった。
「私は、かまいません」
闘炎淑は、変わらぬ調子で言った。すると敖虎が進み出て、口を挟んできた。
「ならば拝跪をして、王子に忠誠を誓うのが筋でしょう」
敖虎は闘炎淑に少しも臆することなく、しかし高圧的にはならずに言い放った。闘炎淑は一瞬、目を嗔らせて敖虎を睨みつけた。しかしすぐに、羋蒼旅の前に膝をついて頭を下げたのである。
「闘氏が長、羽夸が長子――炎淑にございます。未だ若輩の身ではございますが、王子のために粉骨させていただきたく存じます」
静かで、しかし烈しい臣従の誓いだった。思うところはあるだろう。しかし、この口上に含みは感じられない。短い言葉の中に、不器用ながらも剛直さを感じ取った羋蒼旅は、闘炎淑のことを気に入った。
「うむ、よろしく頼むぞ炎淑」
溌剌とした言葉をかけた。徒に言葉を重ねるよりも、そのほうがよいと感じたのである。
ただし敖虎は、怜悧で鋭い口調のままに、
「では、これより貴方は私の後輩ということになりますね。そのことはお忘れないように」
と、言い放った。
闘炎淑の、獣のような黒髪が揺れた。顔は今も地を向いているが、その双眸が猛禽のように滾っていることは容易に想像できる。
「……のう、敖賈よ。どうにも敖虎は、炎淑が気に入らぬらしい。何とか言ってくれぬか。おぬしの孫であろう?」
「ですが、今は王子の侍従でございます。臣が車馬ならば主人は御者にございます。性情の異なる者たちに同じ方向を見させ、進ませるのは主人の器量にございますれば、この老人が容喙するようなことではございません」
このような時でも、敖賈は傅役のようなことを言って笑っている。敖虎が体格の差に萎縮してしまってもそれはそれで困るが、こうも強気でいられても、羋蒼旅としてはやりにくい。
「では王子。私のことも、侍従にしていただけませんか?」
この場でもっとも穏やかで、清流のような声である。養叔由がそう申し出てきたのだ。
「御者に敖氏がおり、闘氏が車右になるとすれば、車左も要るかと存じます。射手としてお使いいただきたい」
戦車の場合、主人の他に三人の臣を陪乗させるのが常である。御者の他にある車右、車左とは、字の如く戦車における立ち位置であった。このうち、車右は長柄武器を振るい、車左は弓手を担うのである。
「私の弓は大陸に無二であると自負しております。養氏の長でもありますし、家格としても問題はないかと」
「そうか。私はよいぞ」
羋蒼旅はすんなりと、養叔由の申し出を認めた。態度は穏やかながらも、飄々として掴み難いところがある。しかしそれ故に何かに動じることもなさそうであり、敖虎と闘炎淑と共に従えるのによい人材であると見たからだ。
「さて、では向後のことだな。どうする、これから武郢に攻め寄せるのか?」
「――それが王子の意であるならば、すぐにでも。戦いは電掣の速さを以て勝利を得るものにございますれば」
闘羽夸は声を張り上げて言ったが、敖虎が横やりを入れた。眉宇を狭くし、細めた目は狐のそれのようである。
「闘氏よ、失礼ながら、今の闘氏の兵力はいかほどにございますか?」
「すぐに動かせるのは百人というところだ」
「それでは、話になりませんよ」
敖虎は、年長である闘羽夸に対して毅然と言い放った。
「闘氏の兵が皆、一人当百の勇士だとしても、一万の兵がいるにすぎません。武郢にはそれを超える軍があるのですよ」
「ならば、一人で千人を倒せばよいだけだ」
敖虎の静かな分析に、闘炎淑が荒々しい声で噛みついた。しかし敖虎は動じず、むしろ侮蔑とも取れる冷笑を投げたのであった。
「勁勇なる虎も、統率の取れた野犬の群れに負けることはある。強さを恃み無策で挑むというのは、大軍を有してもなお死の断崖へ近づくに等しいというのに、寡勢の我らがそれをするというのは、木の枝を持って郭門の剣に挑むよりなお愚かであると言わざるをえません」
郭門とは茨国にある製鉄の大家である。郭冶干という人から起きた家であり、錬鉄に関して、“鉄を打ち刃を研ぐこと郭冶干に如しくは無し”とまで評された人と門派であった。
当然ながら、そのような門派の剣と木の枝で戦おうなどとは、蛮勇とさえ呼べぬことである。
「勇気と武技があれば、木の枝を持って郭門の剣を超えることも出来るだろう」
「これは物の喩えですよ。それと、先ほど、私のことは王子の従者の先達として扱うように言ったのですが、もう忘れたのですか?」
闘炎淑と敖虎の間には、一触即発の緊迫が生まれていた。闘炎淑は拳を固く握りしめており、これでも、暴力に打って出ないように自制しているのである。
羋蒼旅は軽い眩暈を覚えた。普段、自分のことを子供扱いして諄々と説教をしてくるくせに、今の敖虎はというと、稚気を弁論で固めて舌鋒から放っているようにしか見えなかった。
闘羽夸は、息子の態度を悪いと思いつつも口を挟めないでいる。敖賈のほうはという、羋蒼旅の器量を量らんとしているのか、微笑をたたえて眺めているだけであった。
「まあ、落ち着きましょう炎淑どの。ここは一つ、敖氏の話を聞いてみてはいかがでしょうか? 羽夸どの、炎淑どのをはじめとした闘氏の兵の強さは茨国の誰もが知っていることです。なれど、傷を負い疲れ果てているところを襲えば、羊の群れでも虎を倒すでしょう。我らが王子と共に僭王を破るは覇業の端であり、満身創痍の兵を従えて為せる大業などない、と敖氏は仰っているのです」
沈黙を貫く年長者たちに代わって、養叔由がそう言って闘炎淑を宥めた。
「うむ、そうだぞ炎淑。今、茨国の強勢は数多の庸国を従えることで成り立っておる。それは武威あってこそのものだ。私と兄とが争って国が弱まれば、諸国は離れていくに違いない」
すかさず、羋蒼旅は養叔由の言説に便乗した。
「敖虎よ、おぬしは言葉が足らぬぞ」
そして、敖虎のことを叱責した。敖虎は何か言いたげであったが、やめた。これ以上、この場をややこしくしたいとは思わなかったからだろう。主君たる羋蒼旅の言葉を受けて、非礼を闘羽夸と闘炎淑に詫びたのである。
それでも闘炎淑は何か言いたげであったが、
「それで虎よ、おぬしには何か策があるのであろう? どのようなものだ?」
と、矢継ぎ早に聞いた。
「一つは、おじいさまには先に武郢に入っていただき、調略をお願いしたいのです。狙い目は、此度、烙漣さまの擢登に不満がある氏族ですね」
「それは、やろうと思っていたところだ。退いたといえ、かつては令尹を務めた身だ。私の名と王子という大義があれば、多少の兵は集まろう。しかし、それでは足らぬぞ」
「はい。ですので王子には、闘氏の兵と共に無傷のままに武郢の門をくぐってもらわねばなりません。それが出来れば、勝つための廟算は格段に上がるかと」
闘炎淑が、滔々と語る敖虎を荒い鼻息で遮った。
「力に頼らず城門を越えるとは、仙術か奇術でも使うつもりか?」
「いいえ、策を使います」
「策とは、どんなだ?」
「咸伯明を利用しましょう。彼の者は王子を捕えるよう命を受けているとのこと。その兵を潰滅させ、鎧と通行の牘を奪って成り変われば、武郢の門は内側から開かれることでしょう」
そう言うと敖虎は、羋蒼旅のほうに改めて向きなおった。
「咸氏の標的はこちらにあります。探さずとも、あちらから出向いてくれることでしょう」




