第二十一話 虚訪邂逅
「ニアが……ニアがいないの!!」
リアの焦燥しきった表情は、それがただ事ではないということを如実に示していた。
しかし、理由までは分からなかったせいでありきたりな質問で返してしまう。
「どこかに行ったとか?」
「ニアは私の言ったことに対して――絶対従うの! ――そういう風になってるから……なってしまったから――」
「えっと……つまり――家から出ないというようにリアが言っていたから、彼女が外に出ることはあり得ないってこと?」
「そういうこと!」
俺は五秒程考えた後、リアの手を引き剥がし、宿屋の方に足を向け直す。
「――とりあえず、ティシア達を呼んでくる! リアはニアさんのいそうな場所を探してくれ!」
「……! そうよね、分かった!」
彼女は一度大きく頷き、踵を返して都市の中心に向かって駆けていく。
俺も事の重大さを理解していたことから――ティシア家のいる宿屋に向かって、今までで一番と言える程の速さで走り始めた。
◇◇◇
「こっちにはいなかった! そっちは……!」
「私達の方もいませんでした!」
「――私も見かけなかった。他の人にも聞いたけど、尋ねた人は誰もみてないって」
ニアがいなくなったことを三人に伝えたところ、それぞれ手分けして探すことになった――が、結局誰も見つけることはできなかった。
灰色の分厚い雲の隙間から照りつける陽のせいで、身体中から汗が滴り落ちる。
このままでは脱水症状も起こしかねない。
呼吸の乱れを整えることさえ忘れているリアは、口に手を当て地面に視線を落とし長考していた。
そして、呼吸の乱れが自然と整ってきた頃、彼女ははっとした表情で遠くを見つめた。
「……まさか――」
「思い当たる場所があるの!?」
「……ついてきて」
ルイの言葉にリアは小さく頷きつつ、俺達を都市の外にある何処かへと案内する。
都市を離れ、三分程歩いた所に――目的の場所はあった。
それは――深い深い森。
何人たりとも寄せつけはしないと言うように――陽の光が一切森の中に差し込んでいなかった。
理由は不明だが、この世界は異様に森が多い。
そして、目の前に広がる森は、今まで見てきた森の中で最も不気味で、最も不可思議な雰囲気を醸し出していた。
今、俺達は森に歓迎されていない。それとも、歓迎できない事情が生じているのか――とにもかくにも、入るなと言わんばかりに木々が風に揺られていた。
「この奥にいるかもしれない」
「ここは?」
「〈迷いの森〉――そう呼ばれている場所ですね」
「まあ、実際には大きい森っていうだけで、出られなくなる程入り組んだ場所ではないんだけど……」
リアも森に漂う剣呑な雰囲気と薄々と感じているだろう。若干言い淀みながら、そんなことを口にした。
「迷いの森を抜けた先に――ある場所があるの。ニアには念を押して行かないようにって言ってたのに……。でも――今の状況ならあり得る。…………ついてきて。――大丈夫、どんな状況であれ、道さえ間違えなかったら迷子になんてならないわ」
そう言うと、リアは恐れを振り払い――いや、ニアのためなら恐れすらないのかもしれない。
彼女は堂々とした足取りで、真っすぐと〈迷いの森〉と呼ばれる薄暗い森の中に入っていった。
今はリアを信じるしかない――俺達は互いに顔を合わして頷きあって、彼女を見失わないように森へと侵入した。
中は暗い。周りが見えないくらい暗い――というわけではなかった。
葉々の隙間が僅かにだが開いているおかげで、見えなくなる程暗いという状況にはなっていなかった。
しかし、空の八割は雲に覆われている。――いつ真っ暗闇に包まれてもおかしくはない状態だった。
ただ、リアは何一つ躊躇う様子なく、先導してどんどんと歩いていく。
そのおかげで――十分もしないうちに森を抜け、色とりどりの花が無数に咲き誇る花畑に辿り着いた。
奥まで花で埋め尽くされている。一体どこまでは花畑が続いているのか――皆目見当もつかない。
「ここが目的の場所ですか?」
「……そうよ」
周囲は開けている――故に、ニアがいればすぐに気が付きそうなもの。しかし――目の前には誰もいない。
リアの検討が外れたか。
そう思ったが、リアはいつの間にか必ずここにいると確信を得ていたようだった。
一歩二歩と花畑の方に進んでいき――そして、彼女はすぐにニアを見つけ出した。
「いた……!」
リアはニアのもとに駆けていき――そして、正座して何かを作っていたニアに勢いよく抱き着いた。
背後から抱き着かれたニアは、身体を僅かに震えさせた。
「!? ………リア? どうしてここに?」
「――ニアが心配だったから……。それに、それは私のセリフよ。来ちゃダメって言ったでしょ?」
「えっと……――なんで………だろう? ただ、ここに来なきゃいけない気がしたの。――リアとの想い出の場所だから」
「そうね………。それは嬉しい。でも、この場所に来るのは――今だけはやめて」
「どうして? ――…………リアが言うなら、分かった」
ニアは一度破った約束をもう一度守ると誓う。「もう破らないから安心して」と、言いたげな表情で、抱き着かれた状態のまま振り返り、リアの頭を彼女は優しく撫でる。リアは一瞬驚くも――それを受け入れるように目を閉じた。
しかし、一分も足らずでリアはニアに抱き着くのをやめて、周囲に咲き誇る花に負けないくらい明るい表情を浮かべた。
「辛気臭いのはなし! ――ところでそれは何?」
「これは……ユリアにあげようと思って」
ニアが手に持っていたもの――それは鮮やかな花達で造り上げられた冠だった。
丁度出来上がったところだったのか――ニアはリアの手を借りて立ち上がった後、俺の右側にいたユリアの方にやってくる。
そして、両手で持った花冠をユリアの頭にまで持っていき、髪が崩れらないように静かに乗せた。
「ユリア――これあげる」
「私に?」
「うん。……明日からよろしくの意味を込めて」
「! ――ありがとう!」
ユリアが花冠に両手を当てて莞爾として笑う様子を――ニアは微かにではあるが、口元を緩ませて嬉しそうに微笑んでいた。
空は曇っているが、地上は晴れている――そんな、自分らしくないことを考えたりもしてしまった。
空を見上げると――雲と時間が協力し合って、より一層世界を暗闇に包もうとしていた。
ニアはユリアから離れた後、小さく欠伸をする。
「眠いの? おぶってあげるから、背中のって」
「……うん」
リアはニアの前でしゃがみ込むと、ニアは殆ど瞼を閉ざした状態で彼女の背中に体を預ける。
「暗くなる前に戻りましょう。はぐれないようについてきて」
この場所に来た時と同じように、リアの先導を受けて俺達は森の中に入っていく。
ゆりかごのようだったのだろう。ニアは一分も経たないうちに眠りについていた。
当然だが、さっきよりも森は暗くなっていた――というか真っ暗であった。それに、森の空気も荒れているように感じた。
その剣呑な空気を誤魔化すように、右横を歩いていると思われる(目が慣れていないせいで確認できない)ルイに声をかける。
「よかったな。――ニアさんに何事もなくて」
「そうだね……これで一安心――ったね」
ノイズのような感覚走る。
「ルイ? 今なんて言ったんだ?」
…………。
暫く経っても返事がない。
もう一度声をかける――そういう次元ではないとすぐに気が付く。
音が聴こえない。ルイの歩く音が――そして、後ろを歩いていたユリアの跫音が。
葉音に遮られているわけでもない。風音に搔き消されているわけでもない。
「ルイ? ルイ? それにミリアもいない」
俺の声に気が付いたのか――前を歩いていたティシアとリアが足を止めた。
「どういうことですか?」
「言葉の通り――二人がいない」
目が慣れてきたことで、それは予想ではなく確信に変わる。
俺は慄然とした表情を浮かべ、無意識のうちにルイが消えたであろう方向へと走ろうとした。
「俺、二人を探してくる!」
「私も行きます!」
「待って! ……流石に事情が事情だから、止めることはできない。――私はニアを家に運ぶために、先に帰るけど………気を付けてね。――〈迷いの森〉と呼ばれている所以は夜にあるから」
「分かってる」
「それと、この道は昔私達がつくった獣道みたいなもの。この道を辿れば都市には帰る事が出来る。だから、ここだけは見失わないようにして」
「分かりました」
「…………本当に気を付けて」
そう言うと、リアは俺達に背を向けて都市の方へとゆっくりと歩き始めた。
彼女の姿はものの五秒で見えなくなる。
「手分けして探すっていうのはダメですよね」
「この状況だとね」
「道から外れるのは最善ではないのは分かっています。ですが――」
「おそらく二人は道を外れている」
「ええ、きっと」
「――注意深く進もう」
「分かっています」
俺達は互いに頷きあって、道から外れるように深い深い森へと足を進めていく。
不気味で不揃いで不思議な空間――まるで統一感のない木々が風に揺られ、恐怖を生み出す。
幽霊の一人や二人出てきてもおかしくない雰囲気に――〈恐怖の森〉に名前変えろよ、と軽い突っ込みを入れることで気分を紛らわす。
「ルイ! ユリア!」
やはり返事がない。
月明かりがあれば、多少は周囲を見渡せたのだろうが、空は冪々たる雲に覆われている。
心配と恐怖と焦燥が同時に襲い掛かってきていた。
その後、十分程探したが何処にもいない。――そもそもこんな暗闇では探す範囲に限度がありすぎる。
「どこにもいませんね」
「もしかしたら、帰ってるってこともあるかも。いったん戻ってみるのも――」
「きゃああああああああ!!」
その時、天を劈き雲を晴らさんとするかの如く、恐怖に満ちた叫び声が森中に響き渡った。
ユリアの声でもルイの声でもない――甲高い悲鳴。
「とりあえず、向かいましょう! 声の主に何かあったら大変です!」
俺はティシアの意見に首肯し、声がした方へと急ぎ早で向かう。道から完全にそれてしまったが、気にしている余裕なんてなかった。
一分程走ると、森の中ではあるものの僅かに開けた空間に辿り着く。
その場所は赤い光に包まれているおかげで、周辺の様子がはっきりと確認する事が出来た。
悲鳴の主は――十歳前後の二人の子ども。
少年が頽れた少女を何かから庇うように両手を広げて立ち塞がっていた。
そして、少年の視線の先。俺から見て右側斜め前に位置する場所。
そこにいたのは――狼のような姿をした二匹の獣。
体長はあまり大きくなかったが、俺は獣の特徴を確認して瞠目した。
どす黒いオーラを身に纏い、紅く染まる眼を持つ。
その正体は――。
「ムマ――」
ムマと呼ばれる存在は、捕食しようとしているのか、殺そうとしているのか、威嚇しているだけなのか――なんにせよ、真っ赤に染まる眼で二人の子どもを睥睨していた。
二匹のムマは俺達にまだ気が付いていない様子。
ティシアは俺の耳に口を近づけて小声で話し始める。
「二つのムマはこっちに気がついていないみたいです。……ムマは神を襲うことはあってもヒトを襲うことはない。私が囮になりますから、ハルキさんは気付かれないように、彼女達の所に向かってください」
「――分かった」
「……気を付けて」
「そっちも」
ムマは右側に、少年達は左側にいる状況のため、俺は左側に移動して巨木に隠れる。
ティシアは俺の移動した先が安全であると確認した後、近くにあった太めの木の枝を拾い上げ――思い切り力を込めて枝を折った。
バキッという大きな音が周囲に響き渡り、ムマはその音の正体を確かめようと、音がした方に体を向ける。
そして――。
「「――――――!!」」
神という価値を持つティシアに気が付いたムマは、表現をすべて置き去りにした夜をも切り裂く程の巨大な咆哮をあげた。
その後、二匹のムマは紅い眼を更に赤く紅く輝かせ――獰猛な牙を剥き出しにして、ティシアに向けて猪突猛進し始めた。




