13-③
私は思わず息を飲む。
もうこんなところまで…。
気づかなかった。
「痛むのか?」
私を心配そうに覗き込み、汗で額に張り付いた髪を指先でそっと直す。
剣士特有の大きくてごつごつした手が間近に迫り、私に男らしさを知らしめる。
呼吸を乱され、私は慌ててブラントを両手で押し返した。
「ブランには関係ない!もう、ほっといて!」
どん!いう大きな音が鳴るが、ブラントはびくともしない。そこから1歩も下がってくれはしない。
私は更に慌てふためいた。
今の自分たちの気まずい体勢に気づいたからだ。
テーブルに両足を広げて腰掛ける私の間に、身を押し付けてブラントが立っている。
こんな姿を誰かに見られたら、何をしてたと思われるか。
想像しただけで全身が赤く染まった気がした。
自分の身に起こっていることがブラントにバレそうになっていることも重なり、焦りと混乱で熱がどんどん上がっていく。
私の太ももに触れたままのブラントが、さらに眉間の皺を深めた。
「リリー、熱が上がってる。こんなので明日大丈夫なのか?延期させよう」
私は反射的に叫んでいた。
「──ふざけないで!」
ブラントは私の剣幕に驚いた様子で動きを止めた。
「私はプライドをかけて、魔物の首を取ると、貴方のお嬢様に宣言した。それなのに、こんなわずかな熱くらいで引き下がるなんてことができると思う?ありえない!」
「...どういうことだ。フェリシア嬢へのプライドや見栄で言ってるのか?皆にも迷惑がかかるかもしれないとは思わないのか」
「──...!」
私はますますかっとなった。
どこかで同じことを思っている自分もいたからだ。
ブラントの言うことは、いつだって正しかった。
そのことがいつも私の誇りだった。自慢だった。
だけど、今日は違う。
人の気も知らないで。
私とブラントの関係性が変わった。
そのわかりやすい感情の表れでもあった。
きっと、私も大きく変わってしまったのだ。
私は、ブラントを強く見据えた。
「ブラン、あの獲物は私のものよ。絶対横取りしないで」
ブラントは何も返事してくれなかった。
またあの何を考えているのか分からない顔をして、しばらくの間私をただじっと見つめていた。
しんと静かになった天幕の外から、ブラントを呼ぶ声がする。
フェリシアとヨードの声だ。
ブラントは声のした方へ顔を上げると、その場から一歩身を引く。そして、ゆっくりとした動作で私を抱きしめるように毛布をかぶせた。
そのまま出て行こうとするので、思わず呼び止める。
「ブラン...!」
出入り口付近で立ち止まったブラントは、私を真っ直ぐ見据えて言った。
「やるなら誰にも文句を言われないよう確実に仕留めろ」
冷酷な声だった。
怒らせた...!
ひやりとして咄嗟に名を呼ぶ。
「ブラ──...!」
私は反射的にテーブルから降りていた。
けれど、呼び止めても、今度こそブラントは待ってはくれなかった。
☆
ルベル湖は広く美しい湖だった。
深い森におおわれ、木の葉のとぎれから差し込む光が、水面をキラキラと照らしていた。
これから恐ろしい魔物が現れるとはとても思えないような雰囲気の中、私たちパーティーの緊張感は、湖へと近づくごとに高まっていった。
私は最後の確認を行おうと、騎士隊一行から離れた場所へ移動した。素早くその場の地形を確認し、戦闘のシミュレーションをする。
みんな無言でそれぞれの武器を確認したり、アイテムの確認などをしていた。
私も自身の装備やアイテムなどを確認しつつ、口を開く。
「いつもどおりの感じで動く。後は昨日確認したとおりお願い。ククを口にするタイミングは私が指示を出す」
みんな口々に了解の意を示した。
そして、どのあたりで戦闘をするのかを大まかに話し合い、後は無言のまま互いの装備などを確認し合った。
そうこうしていると、湖近くに待機していたブラントが号令を出した。
そろそろ時間らしい。
レストが自らの片手に拳を叩きつけ、大きな掛け声をあげて気合を入れた。
「こっわぁ〜い」
真横で見ていたシュリーがそう反応するが、その目は地形の最終確認のためか、周りを慎重に見ているようだった。
そんな中、私をじっと見つめていたミミリスが、私の耳元へ赤い唇を近づけた。
「クク、十分気をつけて。王族は何をするか分からないわ。」
ラインハルト王子のことだろう。警戒していたが、未だに姿を現していない。
真剣な目で私を見下ろすミミリスを見つめ返す。
ミミリスがこんなことを言うなんて珍しい。
私は素直にうなずいた。
ちょうど良い。私もミミリスにお願いすることがあったのだ。
「ミミリス、私が合図したら全員に結界を張って退避してほしい。」
ミミリスをまっすぐ見据えてそうお願いすると、ミミリスは少し驚いたように見えたが、了承してくれた。
内心ではホッと胸を撫で下ろしながら、それをミミリスに悟られないように、私はいつもの強気な笑みを返した。
☆
みんな各配置に着いたようだ。
フェリシアは進み出て、手に持っている高価そうな袋の中から小瓶を取り出した。
注意深く見ていたから気づけたのかもしれないが、その袋の中にもう1つ小瓶が見えたように思えた。
予備でも用意しているのだろうか。
フェリシアの傍にはブラントがピタリとついていた。
剣を抜き、いつでもフェリシアを守れる位置を陣取っている。
あれからブラントはもう私を止めようとはしなかった。まともに言葉を交わすこともなかったが。
何度か重なった視線からは、何かを感じ取ることはできなかった。
またいつものような何を考えているのか分からない瞳に私を映して、すぐさま視線は逸らされた。
気づけば目で追ってしまいそうになる自分を叱咤し、気を紛らわせるように自身の体の調子に気をめぐらす。
ここまでくる合間に、自分で調合した薬を、人目を避けて何度か喉に流し込んだ。
この体調の悪さまでくると、着付け薬のようなものにしかならないが、気休めにはなった。
魔物を呼び出す役目を、フェリシアは買って出た。ブラントはフェリシア自ら行う必要は無いと何度か申し出たようだったが、フェリシアは自分がやると言って聞かなかったのだ。
手に持つ小瓶の蓋を開けると、フェリシアは湖に小瓶の中にある赤い液体を流し込んだ。
その全てを、みんな固唾を飲んで見守っていた。
だが、しんと静まり返ったまま何も起こらなかった。
すると何を思ったのか、フェリシアは焦った表情を浮かべ、もう一度袋の中に手を入れようとした。その時、ブラントの緊迫した声が私たちの耳をうった。
「──警戒しろ!」
そこからは展開が早かった。
大きな音を立て湖の水がざばりと持ち上がり、何かを形づくり始める。
だがその形は、前回私たちが屠った魔物とは、似ても似つかない姿へと変わっていった。
狼のような頭部が5つ、蛇のような尻尾は3本、レストの巨漢よりも大きく筋肉質な四肢、全身が黒く短い体毛で覆われ、鋭い牙と爪は毒々しい紫色をしていた。
魔物は肢体の形成が終わると、ズズン、という音をたてて着地する。その巨体の重さが伝わってきそうだ。
その場にいるすべての者が、金縛りにあったように身動きができなくなった。呼吸すらままならないほどの緊張が襲ってくる。
その場にいる皆が、息を潜め次の動きをはかっていた。
すると、頭部の2頭が互いに争い始めた。
フェリシアに襲い掛かろうとした一匹を、隣の頭部が威嚇するように噛みつこうとしている。
その隙に、ブラントがフェリシアを横抱きにしてその場から遠くへと離脱した。
ブラントの動きに逆上した魔物が巨体を一回転させ、3本の尻尾を振り回し始める。方々から騎士隊の怒号や悲鳴があがった。
フェリシアの離脱を待っていた私は、魔物が暴れるのと同時に、焦燥感を隠しきれない歯切れの悪さで、パーティ全員に指示を出した。
「──、ククを!」




