12
私が黙り込むと、ぎこちない空気が広がる。
じり、とその場から逃げ出したくなる気持ちにさせられ、唇を噛む。
「唇が荒れてるぞ」
「......っ!」
反射的に、ブラントの形良い唇に目がいってしまった。下唇の傷が妙に生々しく感じて、かぁっと頬が熱くなる。
手の甲で頬を隠し、私は顔を背けた。
そんな私を、ブラントは漆黒の瞳を細め見つめている。
「回復薬を使わないのか?薬を作るのは、リアーナさんに教わってたし得意だっただろう?」
私はこんなに動揺してしまうのに、涼しげな顔をして唇の傷についてあっさりと触れてしまえるブラントを恨めしく思う。
「......何?コレを消して欲しいの?ブランの方こそ、消してないじゃない。回復薬を使用し忘れちゃうくらい動揺してくれたの?それとも、ブランの大切なお嬢様を嫉妬させたくてわざと残したの?」
「──嫉妬させたいわけじゃない。...失念してただけだ」
即座に否定してくれたことにホッとする。
「ふーん。」と気のないような素ぶりをみせながら、その表情に嘘がないか確認してしまう自分が少し悲しいけれど。
「でも先に言っとくけど、私は自然に治るまで消さないから。だって、そしたらなかったことになんてできないでしょ?」
「なかったことになんて、しない」
「する。いつもブラントはすぐにそうする。ていうか、私は冒険者なの。もう昔みたいに自分の美容ばっかり気にしてられないんだから」
そんなことを話していると、ブラントが私の顔をじっと見つめて言った。
「昨夜、あれから泣いたのか」
「......泣いてない。」
「無理してあんなことするからだ」
泣いてないって言っているのに、ブラントはまるで聞いてくれない。きっとバレバレなのだろうけど。
面白くなくて、反抗するようなことを言ってみる。
「あんなことって?キスのこと?」
「......。」
「別に無理してないけど?好きな人に触れたいのは普通のことじゃない?」
驚いた顔をするブラントに誤解させてしまったとしても、あのことを知られるくらいならその方がマシだと思う。
「......あれくらい慣れてるとでも言いたいのか?」
そう言って、眉間に微かな皺を寄せて私を見下ろすブラントを、挑むように見上げる。
「そうだったら、何?」
「自分を大切にしろよ。安売りするな」
「──...っ」
息苦しくなりそうで、私は誤魔化すようにブラントを睨みつけた。
「ブランにそれを言う権利なんてあるの?泣いてすがった私を置いて行った癖に、──...っ」
『私のことも、守って欲しかった』
絶対言ってはいけないそんな酷い言葉を、あの日からずっと叫んでる自分がいる。
そんな自分を消したくて強さを求めた。
それなのに、今でもブラントにそう叫び出したくなる。
別のひとの隣でそのひとを守る貴方に。
その瞳に悲しそうな色をにじませるブラントから、私は目を背けた。
まだ聞き慣れない低い声がかすれている。
「......心配すらさせてくれないのか?」
どうしよう。ちょっと泣きそうだ。
だけど理由を聞かれるから意地でも泣いたら駄目だ。
そう決めたら意地を張るしかなくて、私はきつい口調をブラントにぶつける。
「兄としての心配なんていらないって言ってるの。ウチから出て行ったんだから、あの頃みたいな関係性はもう私たちにはない。ブランは、私の兄じゃない。そもそも兄と思ったことなんか一度もないって、ブランは早い段階で気づいてたでしょ?......私はもう、家族扱いなんて嫌なのっ」
「──...。」
ブラントが言葉に詰まるのを分かっていて選ぶ言葉は、ズルい。
泣きだしそうな気持ちを振り切るつもりで、私はブラントに詰め寄った。
「自分を安売りしてるように見えるなら、そう思ってればいい。だけど、勝手に私の気持ちまで分かったみたいに言わないで。私は軽い気持ちでブランに接してない。昔からずっと」
「リリー、そういう意味で言ったわけじゃない...。だが、嫌な気持ちにさせたなら謝る」
「......。」
きっと、再会するまでの間に、ブラント以外に好きな人がいたと勘違いさせているだろう。実際、冒険者仲間との関係を誤解されることは日常茶飯事だった。
けど、別にそれでいい。
「ごめんな?リリー」
汚いと、思われるくらいなら。
だけど私がいちばん、そう思わずにはいられない。
「キスしてくれたらゆるす。」
心底困った顔をして私を見るブラントを、すがるように見てしまいそうになるのを、必死で押さえ込む。
無意識にサヴィからもらったネックレスを握りしめていたようで、黒い瞳がふとそこへと向けられた。
そのまま一歩近づいて顔を寄せるブラントに期待をしてしまうけれど、きっと望むようなものは得られない。
額に感じる温もりに目を閉じて、熱くにじみだす瞼から涙がこぼれ落ちないように意識した。
「そこじゃない。」
恨みがましく見上げると、ブラントは困った顔をして苦笑した。そして、ふとなにかに気づいたように私を覗き込んだ。
「...昨夜も思ったが、まさか気分でも悪いのか?」
「......急に、なに?なんで?」
「体、熱くないか?」
私は思わずブラントが伸ばしてきた手をはたき落としてしまった。
パシッと大きな音が響き、ブラントが驚いた顔をして私を見る。
「リリー...?」
私は慌てて取り繕った。
「ブ、ブランはいつも大袈裟なんだから。いつまで私のこと子ども扱いするつもり?私だって、もう冒険者歴4年目なんだからっ」
怒ったふりをして睨みつけると、ブラントは私に伸ばしかけた手を両脇に挙げて、一歩下がってみせた。
「分かったよ。ちゃんとリリーのこと実力ある冒険者と認めてるって信じてもらいたいしな」
「あ、ありがとう」
よかった...。
興奮しすぎているからか、疲れの蓄積からか、さっきから妙に全身がほてっている。きっとこれ以上触れられれば、体調が悪いことに気づかれてしまっていただろう。
深掘りされなくてホッとしている自分がいる。
けれど、やはりブラントは油断ならない。「だけど、」と言葉が続く。
「昨夜、サヴィ殿と治療室にいただろ?」
確認ではなく、断言だ。
ということは、ブラントは私がいると分かっていて、あの場から引き下がったということになる。
どう返せば良いのか分からずにいると、そんな私を観察するように眺めながら、ブラントは釘を刺すように言った。
「体調のことは今は不必要に口出しはしない。だが、いくらリリーが強くなったって、女と男には力の差があるってことは分かっているよな?」
「──そんなこと、知ってる」
強い口調で返すと、ブラントは面食らったような顔をした。
「どういう...」
「私だって冒険者だしいろいろあるの。当たり前でしょ。とにかく、ブラントの言いたいことは分かってるつもりだから」
質問させない勢いでそう返すと、ブラントはしつこく聞いてくることはしないと幼い頃からの付き合いで分かっていた。けれど、怪訝そうな表情は変わらない。
私は話題を変えることにした。
「そんなことより、戦力のことで確認したいんだけど」
急に全く違う話をしはじめる私を、ブラントは何かを思うように見つめたけれど、結局は合わせてくれるようだ。腕を組み、その場で話を待つ姿勢を見せてくれる。
「キ・サの森での動きを見てて、よく鍛えられた部隊だと感じたわ。統率も取れてる」
「どうも」
片方の口角を上げて笑みを作るブラントに、ふいにどきりとする。大人になったブラントからは、そういった何気ない言動から、色気のようなものがこぼれてきて、いちいち動揺させられるのだ。
私は気持ちを切り替えるように眉間にギュッと力を入れた。
「それで、役割を決めておいた方が良いと思って。メインの魔物は私たちパーティーが騎士部隊のいる場所から離して戦うから、その他の魔物が増えてしまう前に分担して殲滅──...」
ブラントは短く相槌をうちながら私の話を聞いてくれた。
話を聞けば、想定していたとおりブラントの部隊の平均レベルは決して低くはないものの、私たちパーティーに合流してメインの魔物を相手にするほどのレベルでもないらしい。強いて言うなら、ヨードあたりがギリギリ。ブラントは、フェリシアから離れられない。
もちろん、私たちだけで片付けるつもりではいる。
だから本当に最終手段だけど、最悪の場合、サヴィに援護を頼む手段も考えておいた方が良いのか......。
顎に指を当てて考え込んでいると、考えていたことをぶつぶつ呟いていたらしい。
ブラントが私の方へ少し上半身を傾けて言った。
「リリー。フェリシア嬢から援護の許可はもらってる」
「......え?」
フェリシアの側でその身を守らなければならない専属護衛が、何を言っているのか。
驚く私の頭を、大きな手のひらがすっぽりと包み込む。
「いつでも俺を呼べ。すぐに合流する」
きっと、そんなことはできもしない。
どこかでそう考えてる自分がいるけれど、嬉しいと感じてしまう単純な自分もいる。
こういう時は、昔はいつも素直に笑顔を作れていたのに、今はどう振る舞えばいいか分からなくなってしまった。
だがら、嬉しさでふにゃりとなりそうな自分の顔をきりっと引き締めて、私は可愛げもなくつんとしてしまうのだ。
「ブランが私より強いならね。」
結構生意気な言い方をしたと思う。
なのに、ブラントはただそんな私を面白そうに見て笑うだけで、歯牙にも掛けていない。
私が小生意気なことを言った時はいつもこんな顔をしていた。そんなところは昔から変わらないのだ。
「呼ばない。」
「呼べ」
ブラントはふっと笑って、私の前髪をぐしゃぐしゃにすると、出発を待つ皆の姿を窓から確認した。
「悪いが、先に行っていてくれ」
「...ぁ...」
私は、そこで我に返る。
来た道を戻って行く後ろ姿について行こうとして、もう追えないということに気づいた。
フェリシアの待つ部屋へ。
私は......。
このまま一緒に玄関まで向かうのだと、何故そう思ってしまったのだろう。おかげでさみしい気持ちになってしまった。昔と違うことは分かっていたはずなのに、すごく損した気分だ。
フェリシアの部屋へと戻るブラントに背を向け、私に触れたブラントの感触を追いかけた。
懐かしさを覚えるくらい、遠くなってしまっていたのだと思い知らされる。
──切り替えろ。
寂しさで満たされてしまう前に、自分にそう言い聞かせなければならない。
あの頃みたいに、ブラントに縋りつき泣き濡れることなど、今の私にはできそうにない。
今のブラントがなんと言おうと、きっと、ブラントはフェリシアが言わなければ、追ってくることすらしなかったのだろうから。
☆
出発する頃にはすっかり空が明るくなっていた。
何か言いたそうな顔で見送るサヴィに苦笑して、私は馬の腹を蹴り出発した。
「あ〜腹減ったあ」
「さっき食べてたじゃん〜」
「あら爪が欠けてるわ」
「それはお前が夕べ...」
「やだあ!アンタらバカえっち〜!」
「今の会話ですぐ察するなんてシュリーも流石ね?」
好き勝手話しながら道を進むメンバーに、思わずくすりと笑みがこぼれる。
「あ!クク、なに笑ってんの〜」
「お前こそいい加減その口なんとかしろって」
「意外とそういう傷の方がそそる場合あるのよね。ククもやるわねぇ」
「あ。逃げた〜」
馬を走らせ、パーティーメンバーから少し離れて先を行く。背後からは相変わらず呑気でどうでも良さそうな会話が追ってくる。
作戦とかスケジュールとか、いろいろ話し合いたいこともあったけれど、もう少しこの雰囲気に癒されとこう。
ヤバいことが待ってるのは分かってる。
でも、もう少しだけ。




