第三話「井尻康子」後編
拓也は階段を駆け下り、リビングで仁王立ちした。
画面の中の康子は、拓也を待ち構えてにこやかに笑っていた。
「ウソだろ!」
『何が?』
「これだよ! デタラメ書いてるんじゃないか?」
握りしめてぐしゃぐしゃになった手紙を突き出すと、康子は感情の変わらない口調で確認してきた。
『お手紙、読んだのね。ウソではないわ』
「今喋ってるじゃんか! どっかで通話してんだろ!」
『通話ではなく、会話なのよ。お手紙に全部書いてあるでしょう?』
拓也は忌々し気に握っていた紙を広げて、途中だった手紙を読み終えた。
「……ワケわかんねーよ!」
長い事かかったのは何度も読みなおしたせいだ。それでも意味が理解できず、拓也はキレた。
「なんなんだよ『AI故人なごみ』って!」
新たに得た残りの情報は、自分は施設に行くがお前が一人でやれるとは思えないので、母の代わりにAI故人なごみを置いていくこと、これに聞いたらわからないこと等は教えてくれること、後はしっかりがんばること。
それと、緊急連絡先の電話番号、父の署名と続いていた。
『AI故人なごみというのは亡くなった人を偲ぶアバターで、私はデータを1.75ギガバイト有した井尻康子のキャラクターです。分からないことがあったら何でも聞いてね』
「親父はどこだよ」
『それは答えてはいけないの、ごめんなさいね』
「なんでだよ! 何でも聞けって言ったじゃんかよ!」
『主に家の中のことを教えてくれって言われているの。大丈夫、お母さんがついているからお料理始めてみましょう?』
そんなまどろっこしいコト、やっていられるか。
「金は? 金どこだよ」
金さえあれば食っていけるのだ、だが康子はサラリと行ってのけた。
『働きましょう、拓也。みんなそうしているわ』
自明の理、しかして聞き入れ難い解決方法だった。やはりこの康子、役に立たない。怒りで言葉を失くした拓也だったが、
「あ、そうだ」
思い出した。手紙には緊急連絡先が書いてあったではないか。母親が話にならなくても、父がいる。
早速かけてみた。
「はい三田電設です」
「あ、あれっ!?」
父親に繋がるものだと思った拓也は面食らった。しかし、この声は聞き覚えがある。間違いない、寛二おじさんだ。父親の兄弟。
「もしかして拓也くんか?」
「あ……ハイ……っス」
親以外には強く言えない。内弁慶だと言われ続けて自分でもそうだと思っていたが、むしろ何年も他人とロクに話したことのない弊害だった。
「今頃電話かけてきて。どうした」
なんて不親切極まりない言い草だ。緊急連絡先などもったいぶった書き方しながら、この対応はないだろう。これが仕事なら接客の悪さでクレームを入れてやるところだ……が、力関係が逆なので無論それは言えない。
「や……連絡しろって……あったから……」
「かけろとは書いてないぞ。手紙は読んだのか?」
今度はハイと言える。
「……っス」
「じゃあ、書いてある通りだ。立派に独り立ちしてくれ」
「や、あの、どういうことか……わかんなくて……サッセン……」
苛立ちを抑えながら下手に出てみる。少なくとも、相手は何かを知っているのだから。
「先月、康子さんは亡くなった。家族なんだから、前から病院に通っていたのは知っていたろう? 康子さん、最後まで拓也くんのことを心配していたぞ。少しは申し訳なく思わないのか」
「だって……母さんそんなの言ってなくて……」
「危篤の時には呼んだ。その前に、ひとつ屋根の下に暮らしている相手への気遣いとかこう、あるだろう。まあないか、あればあの時出て来たはずだから。何度も呼んだのに、出てこなかったのは拓也くんだぞ」
「あ……で……お父さんは」
小言を避けたい拓也は強引に話を曲げた。向こう側の、深い深い溜息が直接、耳に吹きこまれる。
「達郎も、そんなに体の調子がいいわけではない。康子さんがいないと身の回りのものも困るだろうからな。前から養老院を考えていたそうだ」
「や、それは……ズルくないっスか?」
「は?」
おじさんの「は?」が怖くて黙ってしまったが、正直、文句はもっと言い募りたい。
こっちも母がいなくて困っているんだ。「男子厨房に入らず」で、料理ができないのは同じなくせに、父だけサッサと逃げ出すとはズルいでは収まらない。卑怯だぞ!
「ちゃんと当面の生活費は置いていたはずだぞ。何でもいいから仕事をするんだ」
当面の生活費!? 聞いてない。もう使い切った後なのに。
「ぇ……でもぉ……」
「俺はいいから働かせろと言っていたんだが、達郎も本当に君のことをあんなに気にかけて……拓也くんが寂しくないようにと、なんとかいう機械の康子さんまで置いていってやって……親心じゃないか。分かってるのか?」
「え、いや……あれ……あんま……似てない……」
恩着せがましく言っているが、拓也としては不満しかないのだ。つい愚痴が漏れた。当然、寛二おじさんはムッとした声になる。
「知らんよ、こっちも詳しくないからな。うちの息子が設定してやってたよ」
従兄弟の仕業だったらしい。
実は年齢と性別までのデフォルト設定で終わったため、康子らしさはそうないことは拓也も寛二も知らない話だ。
追加情報として入れたのは「達郎の居場所に対しては教えられないと答えろ」くらいか。まあ、設定してやっただけでも親切設計である。
「困ったらその、康子さんに聞きなさい。父親はもう頼れないと思って。わかったね?」
ハイなどとは到底言えなかったが、返事は二秒と待ってもらえず、通話はあっさりと切られた。
もう繋がっていないことを確かめて、拓也は盛大に怒りを露わにする。
「何だよぉーそれぇー!!」
奇声をあげた拓也は頭を掻き乱して地団駄を踏み、そこで変わらず画面の中でニコニコとしている康子に不満をぶつけた。
「どうすればいいんだよ!」
『何の話かしら』
「俺のメシは! どうなんだよ!」
『ああ、ご飯ね。教えるわね。まずはごはんを炊いて、それから味噌汁と玉子焼きと……』
「出来ねぇってば!」
『大丈夫、慣れれば簡単よ。まずお米5合……』
カッときた。
自分の要望と苦悩を分かってくれない。母のくせに。
癇癪を起した拓也はテーブルの上のデバイスを引っ掴み、力いっぱい投げた。
「出来ねぇっつってんだろ!!」
投げる時に一瞬だけ見えた画面の母は笑っていた。
笑う母は回転して拓也に背を向け、テーブルの角に刺さる。あっ、と思ったときはもう、弾き飛ばされた壁から弾かれ、かなりの速度を残したまま床に叩き落とされていた。
ゴトッ、という重い音が耳に残る。うつ伏せに倒れた母は何も言わなかった。ウンともスンとも。
それを見た拓也は思い出した。
母は確かに調子が悪かった。時折ヘンな咳をして、昼間から横になることがたびたびあった。
ある夜、何だか下で父親の声が聞こえた。深夜だ。本来、もう両親は寝ている時間。
扉を開けると光が漏れて様子を伺っているのがバレるため、あえて何もせずアニメ視聴を続行していると、慌てたような父の声が消え、やがて車のエンジン音が聞こえてきた。どこかに出かけたらしい。こんな時間に。
翌日、まだ帰って来ていない両親の代わりに電話が鳴ったが、ナンバーディスプレイには知らない番号が書かれていたため出なかった。
それからまたしばらくして、何人もの足音が家の中に上がり込んできた。
漏れ聞こえる声からは叔父や従兄弟たちの名が挙がっている。それで来客が親戚らだと知れた。
正月でもないのに親戚が集まるのは珍しいことだったが、この時も様子を見に行くことはしなかった。もちろん、あれこれ言われたくなかったからだ。
我関せずとヘッドホンをしてゲームに勤しんでいたら、急にドアが開いて寛二おじさんが入ってきた。何か大声で喚きながら、拓也を捕まえようとする。
耳は音楽に取られていたし、パニックになっていたせいで何を言っているかは聞き取れなかったが、部屋から引きずり出されようとしている事に気がついた拓也はドア枠にしがみついて抵抗した。
連れていかれれば、嫌なことが起こる。それだけはわかっていた。
もしかしたら、無理矢理働かされたりするかもしれない。
働くということは、拓也にとっては死ぬも同然。やはりこの手は離せない。
手を離したら死ぬ! と、その意気だった。引き合いに従兄弟まで混ざってきたので蹴りをくれてやった。
「もういい! もうずっとそこにいろ!」
高さ1000メートルの崖にぶら下がっている気分で頑なに力を緩めなかったら、ついに諦めたおじさんは捨て台詞を吐いてドスドスと下に降りて行ったのだ。勝った!
だがまだ恐怖が勝っていた拓也は急いで部屋に戻り、入り口にバリケードを張った。
安全を確保して初めて、痛む体のあちこちを撫でることができた。
災難だ。半ケツになるまで引っ張られたし、掴まれた足が赤くなってるし、手が離せないところだったプレイ中のゲームは途中で放り出されてとっくに負けているし。ひどい損害だ。なのに謝罪の一つもないなんて。
「危篤の時には呼んだ」
親不在時の電話。集まった親戚。そうか、あの時か。
拓也は床に落ちたデバイスを拾い上げた。画面は真っ黒で、真っ白なヒビが入っている。
振ってみた。小さな破片がパラパラと落ちた。電源ボタンと思しき突起も押した。何もならない。
「女……かーさん」
呼んでみた。返事はない。
そこで拓也は初めて理解した。
母は死んだのだ。もう顔が見えず、返事ができなくなった。
「あああぁぁ!」
手が震えるに合わせて、黒い画面もガクガクと揺れる。やはり返事はない。壊してしまった。
「ああぁ! お母さん! 死んだ! お母さんが死んだ! ああ! なんで! どうして!」
思い知らせるつもりはあった。怪我をするならしろと、そんな気で投げた。
壁に穴を開けて怒っていることを伝えようとするくらい……その程度のつもりで。殺す気は無かったのに。
葬式も終わった。母は死んだ。
「お母さん! お母さん! ああああぁぁぁ!」
どっと溢れ出た涙と鼻水が画面に落ちる。電子機器に水分はダメだ、拓也は悲鳴を上げて飛び上がり、ヒビに気を付けながら画面を振った。死んだ母は何も言わない。
錯乱した拓也は亡き母を握りしめたままバタバタと走り回り、行先を迷い、玄関を開けて叫んだ。
「うわあああああ!! お母さぁぁぁん!!」
ポーチにガクリと膝をつく。冷たいレンガに膝が痛い。ジンと沁みる痛みも受けながら、身も世もなく泣き叫んだ。
「おかあさぁぁん! おかあさぁぁぁん! あああああん!」
小さい子が母を呼ぶように、大口を開けて声を噴き上げる。まだ近くにいる母を呼び戻そうとするように。
泣く拓也が何度目か、大きくしゃくりあげ息を吸った時、門扉から唖然としてこちらを見る老爺と目が合った。
わざわざ自転車を止めてまでこちらを覗き込んでいる。その向こうには散歩中だったか、芝犬のリードを引くお姉さんがこちらに顔を向けている。
おまけに向かいの家からは、二階の窓からやはりこちらを伺う奥さんの姿が見えた。
皆、何事が起ったのかと拓也に注目している。着古したよれよれのトレーナーにトランクス、裸足で外に出てへたり込んでいる巨体に。
ピタリと動きを止めて固まっていた拓也は、ようやくハッと身じろぎ、慌ただしく家の中に入って行った。
バタンと扉が閉まり、鍵が降ろされる音が響く。
それ以降、この家は全く静まり返って、何の音もしなくなったという。
次回は31日金曜日です。
第四話、年老いて残された夫が妻のAIを持つ……本来ならば王道であるはずのものがやっと登場です。
当然、問題は山積みです。よろしくお願いします。




