第二話「堀大樹」中編
非日常は続く。
「あなた、喪服も持ってないの?」
春子は頭に手をやり、首を振って向こうへ行ってしまった。
怒れる妻を気にしながらも、それをすぐに追いかけず、大輔は取り残された美玖に話しかけた。
「まあ……葬式は明日だからな。今日のうちに買ってくるといい。な。イオンとか、そのへんにあるだろう……お金はある?」
さすがに子供ではないので財布は持っている。
喪服という、死の代弁者を手元に置くこと自体が嫌なのだが、ことここに至っては仕方がない。喪服を買わないと、春子の不興を買い続けることになるのだ。
美玖はしぶしぶその場を離れた。今日だって、相当の勇気を出して斎場までやってきたんだから、そこは褒めて欲しいのに。
それでも、外に出るとやはり気分転換にはなる。
というより解放感がすごい。自分がどんなに辛気臭い斎場に我慢していたかがありありと感じられる。
ショッピングセンターではいつもの日常を営んでいる人たちを見て、涙が出そうになった。
幸せな彼らが羨ましい。だが同じようにそぞろ歩き、ウインドウショッピングをしていると段々、自分もその仲間だと思えてきた。
婦人服フロアにつく頃にはだいぶ鷹揚な気分になっていたので、今年の流行色を見ながらすんなり該当コーナーまでは行けた。
「礼服をお探しですか?」
店員が声をかけてきた。さすがプロだ、「礼服」……人を不快にさせない言い回しが出来ている。
「なるべく暗くならないものがいいんですけど」
「これはいかがでしょうか、襟元が派手に見えますがこちらはお取り外しができます。これにコサージュなどを付ければパッと華やかになりますし、色のついたボレロなども似合いますよ。ご仏事には取り外しいただければ、充分喪服としてもお使いいただけます」
美玖は喜んで勧められたものを買った。喪服として「も」使えるのだ。ただ、礼服を一着手に入れただけということ。
こなした仕事に満足して、目についたカフェでご褒美のコーヒーを一杯、悠々と楽しんだ後に斎場へと戻った。
その道すがらである。一人の男に声をかけられたのは。
「すみません、もしかしてこちらの斎場に御用のある方ですか?」
斎場の、目と鼻の先。物腰は柔らかいが、笑いは限りなくお愛想臭かった。そしてスーツ姿に眼鏡。怪しげなセールスだろうか?
そしてそれは実際、怪しいセールスだったのだ。
「あ、はい……そうですけど……」
「失礼ながら、ご遺族の方で?」
「ええ、まあ……」
「お悔やみ申し上げます」
セールスマンは深々と頭を下げ、流れるような動作でパンフレットと名刺を渡してきた。
「私『AI故人なごみ』のワタナベと申します」
名刺には確かに『AI故人なごみ』の枕文字のあとにワタナベ氏の名前が書かれていたが、下に小さく社名と住所も入っていた。社名ではなく、売れ線の商品名を冠するタイプの事業部のようだ。
「AI故人なごみは聞いたことがございますか?」
「いいえ……」
「よければご紹介させてください」
ワタナベ氏はにこやかに、しかし否というスキを与えずにペラペラと喋りはじめた。
曰く、AI故人なごみは画期的な技術である。なんと故人と再びお話ができるのである。
本人のデータを入力することにより可能になる会話は、まるで故人がまだ生きているよう。
それは遺族の悲しみに寄り添い、心の傷を癒してくれる。大切な人を亡くした痛手に苦しむ人には必須なものとなるだろう。
美玖は喜んだ。確かに、それは素晴らしい発明品だ。
ありがたくパンフレットを貰い、その場で購入することまで決めてから一旦別れ、ウキウキの足取りで斎場へ戻った。
「ああ、美玖さん。遅かったね。買ってきたかい?」
「あ、はい。これお土産です、お茶のあてにしてください」
出迎えてくれた大輔にニコニコとカフェの袋を渡す。儀両親の分にマフィンを買っていたのだった。向こうの部屋から春子も出て来たのが見えた。美玖はいよいよ得意げに、AI故人なごみのパンフレットを広げてみせる。
「それでね、見てくださいよコレ、さっき貰ってきたんです。AI故人です」
「えーあい?」
「はい! AI故人です! これがあれば、大樹くんとまたお話できるんですよ! これでもう寂しくないし、悲しくもないでしょう? 義母あさまもいかがですか?」
パンフレットを差し出して笑いかける美玖に、やってきた春子もニッコリと笑顔を見せた。
「美玖さん、もう帰っていいわよ」
「えっ?」
予想と違う反応だったが、あくまで春子は笑っている。
「あとはこっちでやっておくわ。お葬式も来なくていいからゆっくりしていて」
なんだか変な空気なのはわかる。大輔もそうなのだろう、どこかドギマギしながら我が妻と、美玖の顔を交互に見比べている。
でも、言われたことは美玖にとって、この上なくありがたい申し出だった。
「あ……じゃあ……そうします」
きっと疲れている気持ちを汲んでくれたのだろう。美玖は素直にうなずいた。
日常が戻ってきた。
美玖にとってこれほど嬉しいことはない。悪い報せのない時間。いつものように、部屋を快適に保ち、生活の準備をする。家族のために。
「おはよう、大樹さん。今日もいい天気ね」
カーテンを引いて挨拶すると、穏やかな大樹の声が応えてくれる。
『そうだね。洗濯物がよく乾きそうだ』
AI故人なごみ。
いや、商標の名前はどうでもいい。AI故人となった大樹だ。
この寂しさを一秒でも早く紛らわせたい。その一心で、手に入れて即必死でセットアップに取り掛かった。
徹夜までして顔はボロボロになったが、見返りは充分にあった。画面向こうの大樹はひどい顔の美玖と対峙しても、全く気に留めず笑ってくれたのだ。
『また会えて嬉しいよ』
と。
大樹がいる。美玖がいる。いつもと変わらない生活。
日常。
かけがえのないものじゃないか。しかもこの大樹はずっと家にいる。美玖は嬉しかった。いつでも大樹が傍にいてくれて、少しでも不安を感じると慰めてくれるのだ。
例えば、道端で突然クラクションを鳴らされた時。
夜に救急車が走っていく時。
どこかで起こった火事のニュース。
「立山町三丁目で起きたこの火事は午後二時すぎには駆け付けた消防隊員により消火されました。また、この家に住む奥田勝則さんの消息はわかっておりません。現場からは成人男性とみられる焼死体が見つかっており、警察はこの遺体が行方不明中の奥田さんではないかとして現在調査中です」
聞きたくないのだ、そんなことは。誰かが死んだかもしれない、そんな話。
『火の元には注意してね美玖。ちゃんと種火は消した? じゃあ大丈夫。何も心配いらないからね』
大樹がそう言ってくれるからいいようなものの。
ともかく、普段なら仕事に行っていない時間でも家にいるものだから、美玖はつい大樹とずっとお喋りしてしまう。
小さな愚痴でも、すぐに聞いてくれるというのはありがたい。頼りになる。
持ち運びに便利なように、スマートフォンサイズを選んだのも良かった。近所への買い物も一緒に行ける。
そうそう、この間立ち寄ったコンビニなんか、最悪だった。
交番が近いからか、警察官がレジ前にいたのだ。買い物をしていたらしい。美玖は御身わず悲鳴を上げた。
『美玖、大丈夫?』
すかさず大樹は声をかけてくれたので少しは落ち着いたが、キョトンとしてこちらを見る店員と警察官を見ていると腹が立ってきた。
警官はコンビニで買い物なんかしないでほしい。入った店に警官なんかいたら、何かあったのかと思ってドッキリしてしまうものだろう。何より市民に配慮して、少しくらい水なんか飲まなくても我慢してほしい。
「見て、コンビニに警官がいる」
ふくれっ面で説明し、大樹にも見えるように画面をレジに向けた。すると大樹はそこにいる迷惑な二人に毅然と意見してくれた。
『妻は怖がりなんですよ。少しは考えて行動してください。警察は市民の味方なんですよね? 怖がらせてどうするんですか。無神経じゃないですか? 許せないですよ』
スマホ様の画面から物申された警察官は、戸惑いを隠せない様子で「ああ……はい……?」と呟いて出て行った。恐縮したというよりは訳が分からないという顔だったのが少々ムッときたが、退散したならまあいいとしよう。
『もう大丈夫だよ、美玖』
安心させてくれる大樹のセリフはキメ声だった。アフターサービスもしっかりだ。
美玖は満面の笑顔を返して頷いた。彼だけは、美玖のことをしっかりと理解して寄り添ってくれる。
もしかして、これは最早、本物の大樹より頼りがいがあるのでは?
いや違う。むしろこれが本物の大樹なのだ。美玖の大事な旦那様。包み込まれる愛に惚れ直してしまう。今になって新婚気分がまた味わえるとは思えなかった。
コロリと機嫌の直った美玖は、コンビニ店員があからさまに目を逸らしながら会計をしたことなど気づきもしなかった。今が幸せの絶頂なのだ。好きな人の他に目などいくはずもない。
青空に胸を張る美玖は、晴れやかな気分で祈った。
大樹がいれば怖いものはない。いつまでもこの幸せが続きますように。
そんな美玖の思いは、再び儚くも覆されてしまうことになる。
しばらく音沙汰なかった春子が訪ねて来たのだ。
「あら元気そうね」
言いながら上がって来た春子に、美玖はお茶を出した。
「はい、おかげさまで」
美玖の笑顔に、春子は鼻で笑って返す。いつになく刺々しい態度に、美玖は最後に別れた時のことを思い出した。
半ば喧嘩したような感じだったかもしれない。でも、春子は帰る美玖を笑顔で見送ってくれたはずなのに。
「四十九日が終わったわ」
「はい……」
曖昧に頷く美玖に、手応えを感じない春子は語気を強めてきた。
「わかる? 法要のことよ? 納骨が済んだの」
「ああ、はい」
やっと頷けた。美玖としては、法要の専門用語など分からない。追加説明は丁寧につけて欲しいところだ。ノーコツ、という語感はなんとなく当てる漢字が分かったので聞かずに済んだ。
「本当に来ないなんて思わなかったわ。電話の一本もないし」
非難がましいこの言い分に、美玖は戸惑った。来なくていいと言ったのは春子の方だ。今更それはないだろう。
「ええ……でも……」
「あなた、何も心配じゃなかったの? 大樹とのお別れだったのよ?」
途方に暮れた顔で、美玖はゆっくりと首を横に振った。心配はない。寂しくもない。大樹は自分と一緒にいるのだ。春子は溜息をついた。
「あなたが来てくれた時はいい嫁だと思ったのに……」
『美玖はいい嫁だよ。ねぇ』
急に聞こえた声に春子はギョッとした。
「何!? ……携帯電話じゃないのそれ?」
テーブルの上にあったものが見つかってしまった。ああ、と言って美玖は春子に画面を向ける。
「大樹さんです」
「喋ったわよね?」
「喋ります」
「……まさかそれが、この間言っていたAI故人なごみ?」
「そうです」
美玖は嬉しそうに笑みを見せたが、春子は眉間に皺を寄せて溜息をついた。好意的に捉えている様子はない。
画面に浮かぶ大樹はにこやかに言った。
『どうぞ大樹と呼んでください。よろしくお願いします』
これは少しズレている。母親に向かって自己紹介はないだろう。さすがに美玖は小声で教えてあげた。
「大樹さん、あの……こちらお義母さまよ」
『ああ、おかあさん。ご無沙汰しております』
おかあさま、の発音では「義」の部分は汲めなかったものと思われる。気まずい雰囲気の中、春子の温度感がぐんぐん上がっていくのがわかる。
「いつ買ったの?」
「えっと、一週間くらいで送られてきました」
「あれからすぐということ? 葬式も終わる前から手を出していたということね?」
「手を出したって……一緒にいてくれるし、優しいし、安心なんですよ?」
バン、と破裂音が鳴って美玖はビクリと肩を上げた。春子がテーブルに両手を叩きつけたのだ。『美玖、大丈夫?』と大樹は言ってくれたが、この空気を打ち破るには至らない。
「大樹のことを何だと思ってるの」
春子は感情を抑えた、しかし目だけは隠しようもない燃える怒りを爛々と見せながら、唸るように言った。
「私は腹立たしい。息子を見送ることもなく、無責任な生活をのうのうと続けていることが」
「……」
美玖としては何も言えない。自分だって必死だったんだ。大樹がいなくなって不安だった。それを乗り越えるために頑張ったのに。
代わりに答えたのは大樹本人だ。
『僕は美玖の夫です。何だと思っているなんて、失礼じゃないですか?』
美玖を守ろうとしてくれる力強い声だったが、春子は触りもしなかった。きっちりと美玖の方を向き、念を押すように聞く。
「大樹の供養は、本当にしないのね?」
「えっ……終わったんじゃないんですか? さっきそう言ったのに……」
「まだに決まっているでしょう。法事があるのよ。次は百箇日。その次は」
だったら正直に言うしかない。
「したくないです……ごめんなさい」
『そうだ。美玖のことも考えて無理させないでください。出来る人が頑張ればいいじゃないですか』
春子は大きく息をつき、身を引いた。そして鞄の中から書類を取り出す。
「……今日はそれを聞きに来たの。これにサインをして頂戴」
「なんですか?」
「姻族関係終了届。子供もいないし、いいでしょ。これを書けば、もうあなたは堀家とは関係なくなる。赤の他人に戻るの」
そうしたら面倒な法事もやらなくてよくなるのよ、と言われて美玖はペンを取った。春子はもう一度、溜息をついた。
名前を書いた書類を確認し「じゃあこれは役所に提出してね」と春子は席を立つ。
「お義母さまが出してくれるんじゃあ……」
「私はもうお義母さまじゃないの。それにこれは本人が出さないといけない書類だし。それから」
春子は特段これといった表情も見せずに言った。
「来月までにはこのマンションから出て行ってちょうだいね」
明日は後編お持ちします。
追い詰められた美玖の逃避行。不安はどこに行けば無くなるのかしら。




