表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

第一話「峰塚昭夫」後編


「……すこません、声が聞こえて……」


 呟くように言い訳から入った彼女は、続いて急き込んで尋ねた。


「先生の声がしましたけど!」

「あ……ええ……気のせいでは?」

「先生が生きている……わけではないですよね。もしかして……AI故人ですか、今流行りの」

「……」


 困った、簡単に看破されてしまった。正直な真由美には嘘をつく事も困難なのに。

 何も言えず黙っていると、咲菜はかさに着て五月蠅いことを言い出した。


「先生はAI反対派だったのに! ご存知ですよね?」

「そんな、それで小説を書いてるわけじゃないのよ、私」

 毅然と反論したつもりだったが、真由美の声は弱々しかった。


「でも入れているわけですよね? 参考資料として。つまり学習させたわけですよね? 先生の作品を」

「それは、まあ……でも」

「一度入れたものは取り返せません。先生は面白さにはこだわって書いていたはずです。それを、簡単にコピー機にくれてやって、表現もトリックも、全部真似されて、安易に切り張りされて!」

「だから、私は昭夫さんと話をしているだけなの。AI故人として……」

「そこだけで済む保証はないですよ! 実際、教えたことのない思想を語るAI故人もいると聞きます……ソースはオープンにされますよ。何に使われるかわからない。先生はそれが嫌だったのに……」


「あなただって!」

 真由美は叫んだ。抱えきれなくなった気持ちを、取り落とした音だった。


「取ったじゃない、あの人の話を!」


 あんぐりと口を開けた咲菜の顔が見苦しくて、真由美は急いで横を向いた。


 いつのまにかコーヒーが冷めたか馥郁と漂っていた香りは消え、そこにふっと仏壇から流れて来た線香の匂いが鼻先にかかる。

 とたんに不思議なほど、うしろめたさと申し訳なさが消えた。


「私に黙って、あの人の思い出を取っていったじゃない! 何が違うのよ! どうしてそんなことが出来るの? 私はあの人を愛していたのに……それともこれは、何かの宣戦布告なの?」

「……何を……言って……」


 開いた口からやっと言葉が出る。が、ぶつ切りで会話にはならない。

 それはそうだろう、真由美にだってこれが突飛な言いがかりだという思いはある。だが、可能性がなかったとは言い切れない。


「あの人と、どういう関係だったの、あなた」

「いや、先生がそんなことするわけないでしょう!?」

「そんなことってどんなことよ!」


 もはや支離滅裂。だがその自覚がある事と、感情を抑えられる事とは別の問題だ。一度出した言葉は吐きだせない。一度、AIに教えた言葉のように。


「……帰って頂戴」


 横を向いたままの真由美が言うと、向かいに立つ人の気配が奥に引っ込んだ。

 鞄を取りに戻ったのだろう。そしてすぐ戻ってきた足音は、真由美の横をスルリと通り抜ける。


「お邪魔しました」


 扉が閉まる音を聞いても、真由美はしばらく動けなかった。廊下に小さく溜息が転がる。




「ねえ昭夫さん、……浮気ってしたことある?」

『何を言うんだい、急に。あるわけないに決まってるじゃないか』

「たとえ若い子でも?」

『世の中の男性は女性の魅力を若さで判断する人も多いようだね。僕は真由美が一番だし、若い子がいても真由美を裏切ることはしないよ』


 今日の味噌汁もお揚げにした。魚はやめて肉にした。

 昭夫の好物を並べて軽く問いかけ、二言三言を交わしただけで、真由美は溜飲を下げた。


 何しろ昭夫がこう言ってくれているのだから、それを信じよう。


 咲菜は、彼女は、真面目ないい子だった。娘のような年の女性だ。彼女なりに、外連味なく昭夫への追悼の気持ちがあっての行動だったのだ、あれは。

 元々、本気にしていたわけではないし、怒りはとうに消えている。彼女なりに元気でやってくれていればいい。


「過去とは死んだ時だ、挽回するには未来で生かす他ない……みたいなセリフって『栄光の不死垣砦』だったっけ」

『五作目だね。そうだよ、西ノ原のカリクトン将軍が言ったセリフだ。真由美は本当によく覚えているね。後悔先に立たず、を回りくどく言っただけなんだけどね』

「もう一度読み返してみようかしら。確か主人公たちを捕まえるために発った時のシーンだったわ」


 今日も楽しい食事を終えた後、真由美は書庫へ向かった。

 何となく、そのセリフを楽しみたい気分だった。該当シーンは二巻前半。誤解によって主人公が追われることになったくだりだ。

 ご機嫌に読み始めた真由美は、そのまますんなりと読み切ってしまって首を傾げた。


 目的のセリフが見当たらない。


 もう一度読み返したが、確かに無い事を確認するだけだった。真由美はスマホを取り出し、セリフを打ち込んで検索してみた。

 さすがに長ゼリフなこともあり、結果のリンクはそう多くはない。


「過去は死んだ時間、汚名を挽回するのは未来みたいなセリフって誰のセリフですか?」


 最初に出て来たのは、日常の疑問質問をネットの海に流し、知っている人が答えてくれるサイトだった。真由美が知りたかったことをそのまま聞いてくれている。


「峰塚あきお『栄光の不死垣砦』のカリクトン将軍です」


 ベストアンサーに選ばれた答えがすぐ下に掲載されていた。やっぱりそうか、と思ったがその下には別の回答も小さく載せられていた。


「峰塚あきおの短編、『四聖獣頂上決戦』で玄武が言ったセリフです。ちなみに汚名は返上するものです」


 はたと気づくものがあり、真由美は示されていたタイトルの本を引っ張り出してみた。急いで読んでみると……あった。

「過去とは死んだ時だ、挽回を計るには未来で生かすより他ない」

 という、ほぼ記憶通りのセリフ。

 なんということ。勘違いしていた。しばらく短編は目を通していなかったので、記憶から欠落していた。


 しかし、間違えたのは昭夫も同じだ。書き手も間違えることがあるのね、と真由美はクスクス笑い、本を手にしてリビングへと向かった。

「昭夫さん、さっきの話、間違ってたわよ。『四聖獣頂上決戦』で玄武が言ったセリフだったじゃない」


 瞬くほどの間、昭夫は考えたようだった。

『玄武のセリフの話? 「水の世界とは広く暗い。大河の底が如き黒」が登場シーンで有名なセリフだね』


 一瞬、話が繋がらずにこちらも考えてしまったが、先程の会話を忘れているのかと思い、真由美は説明を追加した。

「いやいや。過去とは死んだ時だ、挽回を計るには未来で生かすより他ない、って誰のセリフ? って話をしたじゃない、さっき。それであなたがカリクトン将軍のだって言って。本当はその玄武のセリフだったんだけどね……」


 昭夫は穏やかに受け答える。

『そうだね、それは玄武のセリフだよ』

「……」


 別に責めていたわけではない。

 二人して間違った失敗談を笑い飛ばしに話を振ったつもりだったのだが、何の齟齬もございませんという様子でニコニコとこちらに顔を向ける昭夫を眺めていると、真由美の気持ちはなぜかスーッと冷えていく気がした。


 無かった事にされた違和感が不快で不安だ。しかし、小さな綻びでもあったし、他の見えない齟齬と同じくスルーできる気がしていた。ここまでは。

「……そうね」

 何とか頷くと、昭夫はさも幸せそうに声を上げた。

『うん。真由美がいつも僕の話を熱心に読んでくれて嬉しいな』

「ええ……それは、まあ。……昭夫さんは知ってた……その、覚えていたわよね、ちゃんと。玄武のセリフだってこと」

『もちろんだよ。僕が書いたしね』


 忘れているのは誰のセリフかではなくてさっきの会話かもしれない。

 そう感づいた瞬間、真由美は目を逸らして本を胸に抱き、一歩下がった。


「何だか疲れたし、今日は早めに休むね」

 つい早口でそれだけ伝え、そそくさと部屋から出た。昭夫はにこやかに挨拶を返した。

『そうか、おやすみ』




 大山咲菜から本が送られて来たのは、慌ただしかった年が明けてからだった。

 時節の挨拶、見本誌が出来たという報告、それからいつぞやかは礼を失したという詫びの文章が認められていた。

 もし気に入らなければ、出版は見送るという言葉も添えられている。悩みながら書いたその様子が、二枚の便箋から伝わってきた。

 何度かその手紙を読みなおし、真由美は一緒に封筒から出て来た本を手に取った。


「ハッピー・クラウン・ダイアリー」


 タイトルが大きく描かれ、その下に塚山さなぎ、というペンネームが併記されている。

 峰塚、から一文字取ったものだろうか。そっとページをめくる。


 本を読むのも久しぶりな気がした。元より、真由美は読書が好きだ。

 新しく出会った物語に、すぐのめりこむ。


 文字の羅列は読み手の心を引っ張り、辺りの景色を流れさせ、包む空気の色を変えて見せた。

 ……面白い。


 随所にハッとするほど昭夫らしいギミックがある。本当に言われた通りに書いたらしい。

 文体こそ、朴訥とありのままを書く昭夫と違い、女性らしい繊細さ、あるいはくどさが目にはつくが、それでも透けて見える物語の出所を見失うことはなかった。


 昼食を摂るのも忘れ、あっというまに本を読み終わった真由美はホウッと息をついた。

 不思議なほどの満足感がある。これは昭夫の新刊だ。大好きな昭夫の、もうないと思っていた新刊。

 しばし物語を反芻し、湧きあがる感想を誰かに伝えたくなった。

 どう胸を打ち共感したのか、好きなシーンは気に入ったセリフは気になった部分は。そして、これからも続いていく昭夫の物語という感動……これらを、共通の本を読破した人たちと語らいたくて仕方ない。


 今までは昭夫に言っていた。

 ここが面白かったと伝えれば、昭夫のモチベーションにも繋がる。しかし。


 真由美はぼんやりと座り込んだまま、幸福な過去を思い返していた。


 今の昭夫に……AI故人の昭夫に……本が届いたことをまだ伝えていない。最近、昭夫との会話がめっきり減っているのだ。今日も朝の挨拶を交わしただけ。今はもう寝室のベッドサイドに置きっぱなしになっている。


 昭夫と話をする代わりに、真由美は仏壇の前で黙ってぼんやりすることが多くなった。そして生前の思い出に浸る。

 真由美は寡黙になった。それを、買い物に行って出会う知人などには、最近は寒いからだと言い訳をしていた。

 感想を語り合うには、物言わぬ遺影ではさすがに足りない。

 しかし、ここから立ち上がって寝室の昭夫に会いに行く気が、どうしてか起きなかった。


 ……そういえばそう、それ以前に、昭夫はこの本の筋を知らない。この物語について語り合える相手ではなかったのだった。書いたのは別の人物なのだから。


 意を決した真由美は、ようやっと立ち上がる。

 足を向けたのは仏壇の前だ。新たに線香を立て、おりんを鳴らす。

 そしてお供えものの隣に本を置いて、手を合わせた。


「昭夫さん。新しい本ができました」


 声に出して報告し、閉じた目を開けると、なんだかサッパリとした気分がした。

 火を始末してまた立ち上がる。真由美は握っていたスマホを操作しはじめた。


 手紙には連絡先が書いてあった。私にも言わなければならないことがある。

 こちらからも非礼を詫びることと、是非、この本はこのまま出版してほしいというお願いを。

 それから感想を語りたいと伝えたい。きっと、彼女とはいい話相手になれるだろう。

 コール音が聞こえる。そして、途切れる。


『はい、大山です』


 真由美は最初の一言のために、緊張の息を吸った。




第二話は来週金曜日。17日公開予定。

幸せな生活を営んでした主婦が突然、夫が亡くなったと告げられて……

タナトフォビアな女性の話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ