第五話「今通和美」前編
※注意※
今回は非情に刺激の強いものとなっております。読んで合わないなと思った場合にはブラウザバック推奨です。
亡くなるのは幼女です。お子様をお持ちの親御様方は特に自衛ください。
子供の頃から嫌いだった。横断歩道のあの音楽。
あるいは、子供の頃から嫌いだったと思いこんでいるだけなのかもしれないが、今となっては……と、今通翔太は考える。不吉の象徴でしかない。
薄暗くて不気味なメロディ。今ではピヨピヨと鳥の鳴き声のようなものに変わって、音楽式は減っているらしい。そういえば最近はめっきり聞いていなかった気がする。
いいことだ。あんな辛気臭い音、とっとと消滅してしまえ。
娘の和美は三歳。かわいい盛り。
かずみ、とよく誤読されるが、読みは「なごみ」である。
「ほら、パパにおかえりって言いなさい」
妻の真央が声をかけると、和美は絵本から顔を上げて舌足らずな声で言うのだ。
「おかえなさい」
どんなに疲れて帰って来ても、これを聞けば明日もがんばろうと思える。つましくも最高の幸せだった。
また絵本に目を戻す和美を抱え上げ、高い高いをしてやれば、娘はキャッキャと喜んだ。
さて、目に入れても痛くない愛娘をつれて田舎の両親の元に向かったのは七月。
やっと取れた盆休みに帰省した時のことだ。年老いた親も、孫に会いたがっていた。きっと喜ぶだろう。
乗り継いだ交通機関から降りて買い物とトイレ休憩を済ませる。実家まではあと少し、歩かねばならなかった。
故郷の空気を大きく吸い、この辺りも変わったな、と、翔太は辺りを眺める。
道の形は変わらないが建物は変わった。学生の頃などしみじみ思い出してみれば、遠い目もしてしまう。
「おまたせ。なごみは?」
身重の妻、真央が遅れて建物から出て来た。
翔太はひょいと足元を見て、ついさっきまで娘のいた場所……何か見つけたのか、蹲って熱心に地面を見ていたその場所……に、誰もいないことを確認した。
「あれっ。なごみ……」
キョロキョロしたその時、傍らから切羽詰まった女性の声が上がった。
何かあったのだろうか。あっちは横断歩道だが……
「……なごみっ!?」
急に真央が走り出し、面食らった翔太も後を追った。和美? 和美はそんなところにはいなかったはず……
車が半端な位置で、ハザードを出して止まっている。車の近くで上がる誰かの悲鳴。それを押しのけるような、真央の咆哮。
「なごみぃっ!!」
濃いグレーのアスファルトに、細く白い脚が二本伸びているのがわかる。
無造作に放り出され、重なった左の足はくの字に曲がっていた。脱げて近くに転がった靴は、見覚えのある女児用。娘の、和美のものだ。
まさか、本当に、和美が……?
耳鳴りがする。視野が狭くなる。意識が永遠の一秒の中に閉じ込められたようだ。地面に横たわっているものが見える位置まで来た。
「なごみ!」
声を上げ、やっとスローモーションの呪縛が解ける。翔太は喚きながら地面に転がった和美にすがりついた。
「なごみ! なごみ!」
嘘だ、娘が、なごみが、交通事故に!
ドサリと音がした。見れば真央が気絶している。
「寝るな! なごみがお前……救急車! 救急車呼んでくれ!」
信号が変わった。そしてあの音楽が流れだす。
……その時は、極限状態で周りの音なんか気にも留めていなかった。
むしろ自分の荒れた呼吸音がうるさく気を散らしていた。
鼻先に匂う排気ガスの温もりが、喉にひっかかる苦しさも。
それなのに、翔太の心に何年もこびりついて離れなくなったのは、メロディの方だった。
和美が死んだあの夏を思い出す時、悪夢を見て起きる時、または夢から醒めた後まで。幻聴は遠い場所から耳へと響いて来るのだ。
通りゃんせ通りゃんせ……
葬式が終わり、慌ただしさが消え去ると、翔太は広い家にぽつんと一人になった。
真央は妊娠していたこともあり、娘を亡くしたショックからの影響を考え、大事をとっての入院となったのだ。
会社でも一人だった。
子供を亡くしたことは知られている。一通りお悔やみの言葉を言われた後は、なんと慰めていいかわからず、同僚らは翔太を遠巻きにした。
本人も心ここにあらずといった感じで、曖昧な反応しか返せないのだから仕方がない。これで完全に腫物扱いになってしまった。
翔太はぼうっと日々を過ごしていた。
心の中は曇天模様。毎日、毎晩。
雨というより、水の中でも移動している気分だ。
やんわりと歪む景色、グレーがかった視界、音も籠り、ふわふわとした道を歩く。
感情を失くして見る日々は、翔太を置いてただただ過ぎていった。我に返ったのは、夜中に電話が鳴り、病院に呼び出された時。
意味も分からずのこのこ赴き、言われるままに案内された場所にぼうっと座っていた。
どれほどそうしていたのか、不意に聞こえてきた音に、翔太は思わずぶん殴られた気分を味わった。
おぎゃあ。おぎゃあああ。
目を見開く。震えながら立ち上がる。息ができる、耳が聞こえる。ああ、まるで生き返ったようだ。聞いたことがある、あれは天使の産声だ。
「あ、今通さん? 無事に生まれましたよ」
慌ただしい部屋の中から出て来た看護師がニコニコと翔太に声をかけていった。
……後で通りがかった看護師らが、みんなギョッとすることになる。翔太は泣いていた。赤子に負けないくらいの声を上げて泣いていた。
感動の涙にしては様子が変だと、忙しいはずの分娩室から別の看護師が顔を覗かせるほどに。
「なごみぃ!」
記憶が錯綜する。三年前、娘が生まれたあの日の喜びを再び味わっている翔太は、涙と鼻水にまみれて吼えるように叫んだ。
「なごみぃぃ!! おかえりぃ!!」
第二子は男の子だった。
妊娠中はソラという名前など考えていたはずだが、真央は息子の名前を大地と名付けた。理由はわからない。
「分からないならいいのよ」
真央は歌うように言う。
「地に足ついた方がいいにきまってるし」
真央はせっせと赤ん坊の世話をしている。家の中がミルク臭くなり、何かと賑やかになった。懐かしい感覚だ。
大地が和美の生まれ変わりなどではないことは、翔太にもちゃんとわかっている。
ただ、もう目が覚めた。
忘我の世界から覚醒してしまったのだ。和美は死に、自分たちはその後の世界を生きているという自覚はあった。
だから翔太はまた、せっせと働き始めた。会社の人たちが引くくらい精力的になり、毎日残業するほど熱心に机に向かっていた。
ある日、会議で発言権を得た翔太は胸を張って発表した。
「今から発表するのは、人の心に寄り添う新企画です。……私事で恐縮ですが、先日、娘を亡くしました。その節には、一緒に働く仲間たちにも多大な迷惑をかけてしまい、申し訳なく思っております。そのお詫びといっては何ですが、今度は私が人の気持ちを支える仕事をしたい。死んだ家族といつでも向き合える。故人と語らえるアプリ。 AI故人です」
翔太は会議室を見渡した。皆黙っているが、目だけはキョトキョトと辺りの反応を伺うようにしている。
もの言いたげな視線の交錯に、思わず翔太は笑った。
もしかして、寂しさでイカれてしまったなどと心配されているのかもしれない。
「皆様ご存じのように、AIはもう既に写真を動かしたり、喋らせたりすることができます。出来ています。開発としてはそう難しいことではない。あと少しアバターに寄り添って、より似せる方法、不自然さを消す方法、これは少し努力が要るでしょう。でも、それが完成度を上げることになる。ユーザー満足度も上がります。まだ生きて傍にいるようにお話が出来るアプリ……我々は、あの世との対話を繋ぐ回線なんです」
話をしているうちにこみあげてくるものがあった。自然と言葉に熱が籠る。
「これはきっと需要があります。死は誰の身にも起こるものですから。皆が皆、円満にその時を迎えるとは限らない。突然やってきた悲しみに耐えきれず何も出来ない時、いなくなったあの人から大丈夫だよと、ありがとうと、言われたら。伝えられたら。それだけで痛みは少しでも和らぐものではないですか?」
頬に触れるものを感じて、翔太はやっと息をついた。
いつのまにか熱くなりすぎた感情が涙となって零れたようだ。
衆目を集める翔太には涙を拭えなかったが、鼻を啜って少しだけ冷静さを取り戻した。
「和らぎ、和み、そんなものを、孤独な人にあげたい。『AI故人なごみ』……どうでしょうか」
部屋は静まり返った。
皆それぞれに思う所はあっただろうが、この言葉を探すような沈黙は、大演説の余韻の中で次に言葉を発する勇気を溜めているようだった。やっと一人が手を上げる。
「……あの、……うちが売るの?」
この会社はBtoB。要するに企業相手に商売をしている企業、ということだ。
企業から案件を貰いアプリケーションを開発する仕事をしている。
だから何だ。翔太はカッとなった。
「やりゃあいいじゃないですかBtoCでも何でも!」
そんなことは当然わかっている。ただこの素晴らしい話を前に、会社のスタイルなんて些細なことで反論されるのは我慢できなかった。作れるなら何も間違ってないじゃないか。
「アプリは出来るんだし、問題は販売経路だけでしょう? いいじゃないですか、商品開発しましょう、うちから大々的に販売してやりましょうよ! わざわざどこかの企業が要請してくるまで待たなくてもいいじゃないですか」
「うむ……」
重々しい唸り声が聞こえ、一同はそちらに注目した。社長だった。
社長は腕を組み、険しい顔をして瞑目していたが、姿勢を楽にして思い出を語り始めた。
「わかるよ。実は私も昔に子供を亡くした」
今はすっかり老紳士だ。何十年か昔の話になるだろう。知らなかった社員も多く、僅かに場がざわめいた。
「私の妻もすっかり参ってしまってね……小学校に上がる年になるとランドセルを買ったりして仏壇に供えていた。生きていれば中学に上がる年まで、ずっと仏壇に話しかけたりして。辛かったんだろうなあ……」
社長のしんみりした思い出話に、挟めるご意見はない。
「もし、あの時、そんなものがあったら……妻も少しは楽になれただろうか……」
静まり返る会議室で翔太は勝利を確信し、満足そうに口の端を上げた。
こうしてAI故人なごみのプロジェクトが立ち上がり、まずは試作が作られた。
「あの世と話を繋ぐ天使」というコンセプトでブランディング。無害であるアピールに、無垢な少女を入り口に据えよう。そうして人々が手に取りやすくするのだ。
翔太は細部にまでこだわりを見せ、デザインなどにも積極的に口を出した。
イメージキャラクターには和美を起用。三歳の誕生日に撮った写真を加工したもので、ニッコリ笑う和美は本当に天使のようだ。
パッケージの仕上がり見本を手にして、翔太は涙した。
ああ、我が娘はなんて愛らしいのだろう。
「おい、見ろ! AI故人なごみだ、ついに商品化するぞ!」
家に帰って真央にも見せる。
忙しい手を止めて、まじまじとパッケージを眺めた真央も、目元を優しく緩めて「あらぁ……」と小さく呟いた。
「な、綺麗に出来てるだろ。いい笑顔だ。我が子ながらモデルだわ。こんなに愛らしい子はない」
「覚えてるわー、ケーキを前に早く食べたいって言ってた時のよね」
翔太は少しガッカリした。もうちょっと他に言い方はないのか。ロマンがない。
だがまあ、別にいいのだケーキを楽しみにした笑顔だろうが、死者を迎える慈愛の微笑だろうが。和美が笑ってくれていれば。
「この笑顔が全国に出回ることになる。和美が天使として広く認識されるんだ。な、素晴らしいだろ?」
今度こそ真央はうかない顔をした。これは見逃せない。
「……なんだ。何か不満か?」
「あ、いや……そうね、生きてた頃は写真とかネットに流したりしないように気を付けていたけど。もう、いいのか。気にしなくて……って思っただけ。不満じゃないよ」
「つまんないこと言うなぁお前」
思わず素直に言ってしまった。何かと思ったらそんなことか。
もっとこう、夫婦での喜び、みたいなものを期待していたのに。抱き着いて喜ぶだとか。
なにしろ亡くなった娘が帰ってきたのだ。それも自分の頑張りによって。労いの言葉くらい欲しかった。
「不満じゃないってば。写真はちゃんと可愛いよ」
真央は冷めたミルクを思い出したように取り上げ、ベビーベッドへ向かった。その背中に、翔太は箱を差し出す。
「おい、じゃあこれ渡しておくから登録してくれ。可愛く再現してくれよ、なごみ」
「ああ……そこに置いてて」
乳児にミルクを含ませはじめた真央はあっさりと言った。
「後でやっとくわ。今は手が塞がってるから」
AI故人なごみは待望のリリースを迎えた、が順風満帆というわけではない。
やはり急ごしらえの販売ルートは細かったし、世間のニーズもそっぽ向いていた。
翔太が毎日、足を棒にして営業に回っても、なかなかそう上手くはいかない。疲れだけは順調に溜まっていく一方だった。
しかし、真央のサポートは期待できない。
乳幼児の世話となれば、あっちはあっちで大変そうだ。結局、和美のチューニングも翔太がほぼ一人でやった。
真央は大地につきっきり。そして、翔太は和美とずっと一緒だった。もう和美は、立派に仕事の相棒なので。
『はじめまして、なごみです』
と挨拶させればご年配の方々には特にウケた。
舌足らずながらも挨拶をキチンとこなす、お行儀のいい子は皆様お好きなのだ。最高のサンプルである。だが、それはそれとして売り上げは伸びなかった。
「ただいまー」
『ただいまー』
今日も翔太はヘトヘトで帰り、自分でレンチンしたごはんを食卓に並べる。和美も添えて、一緒に食事を摂るのがせめてもの慰め。
『パパ、おつかれさま』
「ありがとうなごみ。ああ、なごみにお酌をしてもらえる日を夢見てたんだけどなあ。さすがにそれは無理になったか……」
『お酌したかったね、ごめんね』
「あ、いいんだよ。パパこそごめんね。無理言ったね」
『ねえパパ、なごみのお友達はやく増えるといいね。なごみも寂しくなくなるし、パパも楽しくなるのにね』
「あらあなた、帰ってたの?」
そこに真央がようやく声をかけた。ビチビチと跳ねる、活きのいいカツオのような大地を小脇に抱え、半裸で。
「おかえりなさい、冷蔵庫にかまぼこもあったわよ。切って食べてて。悪いけど」
と、風呂上りのなりふり構っていられない姿のまま、急いで食卓を横切っていく。
言葉に重なる大地の金切り声が、ドップラー効果をつけて向こうの部屋に消えて行った。なんて慌ただしい日常だ。家も会社も。
ところがある日を境に、急に問い合わせが増えた。
続きは明日お持ちします。
AI故人なごみのパッケージとなったなごみは世間に大きく顔が広がり、そして……
引き続き、刺激の強いものとなりますのでご注意ください。




