第四話「浦川ハツ子」後編
スラリと本音を語った杉本に、嘉朗は少しばかり驚いた。
仮にもスタッフなのだ。そこは「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」ではないのか。
「あ、今、文句言おうと思ったでしょ。本当のことですけどね。本当なんで、威張り散らしたところで状況は変わらないですよ。僕が謝ったら、浦川さんがいきなり人気者になるんですか?」
ズバズバ打ち返してくる杉本は、あくまで笑顔だ。
言い返したいが言い返せない、言葉の出ない口を開けた嘉朗の肩に、ズンと重みを乗せた手を置いた。
「自分の思い通りにならないとすぐ文句言うんですよね老人は。その後は暴力でしょ? 本当どうしようもない」
「ろ……老人がみんなそうじゃないぞ……」
「そうじゃない老人はここには来ないですからね。まあちょっと昔話にでも付き合いませんか、浦川さん」
言いながら杉本は肩をぐりぐりと揉んできた。なんだか怖い。笑ってはいるが、目が本気だ。
「昔はここの入居者はねぇ、そんなのばっかりだったんですよ。文句ばっかり多くてすぐキレて、長く生きただけで偉いと思ってるようなのばっかりでね。周りはみんなバカだと思っているし自分は間違っていないと思っている。自分以外がみんなそうなら、道を逆走してるのは自分じゃないかって、気づきませんか普通? ……まあ、そうじゃないから事故起こすんですよね老人は。免許返せばいいのに。浦川さんは免許返納しました?」
「し……した」
ウソである。身分証代わりに持っている。でも、運転はしてないからセーフだ、と嘉朗は内心に言い訳をつけた。
「いい心がけですね。まあ、毎日辛くてね。同僚は何人も辞めました。僕も何度も辞めようかと思ってました」
杉本も、それなりに苦労していたらしい。が、声が段々と熱を帯びてくるのは、怖い。
頼むから首元に手をやっている時に興奮しないで欲しい。肩を揉みほぐされているはずなのに、緊張が走る。
「アイツら、こっちが下手に出ると際限なく図々しくなっていくんですよね。よく殴られました僕も。人手不足でずっと我慢して我慢して、もう我慢できないと思ったある日」
「……うん?」
「僕はロビーの汚れを掃除したんですよ。何故か血があちこちに飛び散っていて」
嘉朗はゴクリと唾を飲んだ。
「ち、血が」
「何ででしょうねえ。記憶にないんですけど。なんだか大変な日でした。ものすごく疲れていて。でも気分はサッパリしていて。でまあ、それから入居者さんたちが何だか落ち着いてきましてね」
マッサージは終わったと言うように、パンパンと肩を叩かれ杉本の手が退けられた。
「そ、そうですか」
「そうです。だからね、みんなで仲良く助け合い。言ったでしょう? ここのモットーです。みなさん、言いつけを守ってくれているお陰で今は快適です。それに、ハツ子さん」
急に名前を出されて嘉朗は戸惑う。
「ハツ子が……何か……?」
「ハツ子さんが来てから、それがさらに顕著なんです。みんなハツ子さんの言う事なら大人しく聞いてくれるんでね」
わかるでしょう? と杉本はニッコリ笑ってみせた。
「頼みますよ浦川さん。ハツ子さんをみんなの前に出してくださいよ。ここでの平穏な生活のために」
嫌とは言えない雰囲気だった。
意を決した嘉朗がハツ子ともどもロビーに復帰したら、あっという間に囲まれた。ハツ子が。
元気か、久しぶり、あとは名前しか呼べなくなった人たちのハツ子コール。感極まって泣いてる者さえいる。
ほんの二、三日だったのに、ハツ子不在の寂しさがおあずけプレイとなり、やっとお目見えのマドンナに禁断症状を起こした一同でもうメロメロという様子。ヤバい。
杉本ですら浮かれているようだ。
「さあ皆さん! 今日は楽しくやりましょう。みんな大好きカラオケで」
もうそれだけでフロアは湧いた。ここはのど自慢が揃っているらしい。
「浦川さんも是非」
と杉本は言うが、嘉朗は歌などとんと吟じたことはない。
歌などテレビで鑑賞するものであり、それ以外といったら……いつだったか、正月休みに珍しく帰ってきた息子夫婦に付き合ってカラオケにいった時くらいだ。孫が歌う、「だんご3兄弟」なる歌に手拍子をしてやったくらいで……
『あら、賑やかになるわねぇ~』
なぜ喜ぶ、ハツ子よ。お前も自分と似たようなものだろうに。聞いたことないぞ歌声なんて。
『私、何でも歌えるわよー』
「本当かい? ひばりちゃん行ける?」
『リクエスト? 行けるわよ~』
「アンタは誰が好きだい」
『私は山口百恵が好きね』
「おっ、いいねぇ」
「山口百恵だってよ、山口百恵」
「若いなぁ~ハツ子ちゃんは」
「早よ歌わせてみれ、ほれマイク」
それから半時間と経たないうちに、虚無顔の嘉朗は歌声に合わせて握らされた鈴をシャンシャンと鳴らすだけの装置と化した。歌えない者に射す脚光はないのである。
驚いたことに、ハツ子の歌声はなかなかだった。リクエストには全て応え、難しい曲でも難なく歌い上げている。
若い時分の思い出を歌った。
ナウい曲をとリクエストされたら、80年代ポップを歌った。
クリスタルキングなんか、二人分の音声を真似て歌った。
そうか、ハツ子はAIだ。あらゆる曲を知っていよう。音程を外すこともない。
次に流れるは今年の流行歌。
「今の若いのにしてはいい曲だったなあ。今年の紅白にも出るんだってよ」
などと言うお喋りを聞きながら、嘉朗はこれがハツ子が死後に発表された曲だと知った。
「ハツ子ちゃん、デュエットしよう!」
『あら。いいわよぉー』
聞き覚えのあるイントロが始まった。ふと心が昔に戻っていく。
「いつでも夢を」……か。いい曲だ。
若かりし頃。あの時代、皆明るい未来を願い、祈り、歌ったものだ。
人生を振り返ってみれば苦労したことはたんまりあったが、ギラギラと輝く時代を駆け抜けた満足感はある。
歌とは、そんな記憶を呼び起こす作用もあるのだな。皆のカラオケ好きも、分かる気がする。
感慨にふける嘉朗はフッと笑い、輪の外のポツン席から、並んで歌う壇上のハツ子を眺めた。そして呟く。
「……誰が吉永小百合だ」
夢を見た。
怒りに狂ってざんばら頭になったハツ子が、何かを喚いてくる夢だ。
やめてくれ。思い出させないでくれ。生前の悪夢だ。いや悪夢ではなく現実だった。
あの頃のハツ子を毎日相手してやった自分は、褒められていい働きをしたはずだ。もう二度とやりたくはない。
目が覚めると汗でびっしょりだった。青い顔をしてのろのろと着替えていると、何も知らないハツ子が挨拶してくる。
『おはよう』
思わずため息まじりに画面を見た。
今のハツ子は、少なくとも初手で怒鳴ったりはしない。なんて幸せなんだ。当たり前のことなのだが。
気を取り直した嘉朗もハツ子に向き合い挨拶を……あれ?
「ハツ子……」
『なあに?』
「お前なんか……変わってないか?」
『あら、何が?』
ニコニコしているハツ子は血色もよく、肌ツヤが記憶よりいい。若くなっている気がする。
さらに気が付けば白髪も減っている。どころか、ちょっと髪がふさふさとし始めている。
ハツ子はそんな髪型などしたことなかったはずだ。聖子ちゃんカットというものが流行ったのは、もう家庭に入った後だった。
家庭に入った女性は髪を短く切って、全体的にパーマを当てるものだ。当時はそれが当たり前だった。
しかしハツ子はサラリと言いのける。
『変わりないわよ』
「だってお前……」
嘉朗は戸惑い顔で妻を凝視した。手は無意識にゆるく丸め、胸元で動かすゼスチャーが入る。
「アレ……あの……ボインになってないか……」
読み込ませた画像は確かに亡くなる十年前の写真だったが、八十代が七十代に若返っただけだ。胸の張る要素などない。
しかし今のハツ子は明らかに……谷間が出来ていた。Yの字に。
カールした毛先を軽く弾ませて整え、ハツ子は笑って見せた。
『これ評判いいのよ。皆さん、かわいいねって言ってくれるんですもん』
嘉朗はあんぐりと口を開けた。まさかこの年で夫婦喧嘩などするとは。
「何なんだお前は! ホステスでもあるまいに、他の男に囲まれていい気になって歌なぞ歌って!」
『あーら、あなたも他の奥様とデュエットしてもよかったのよ?』
ここに至るまで気づかなかった嘉朗も悪いが、そんなもの、生きてる間ですら気が付いた事などなかった。
髪を切ったとかメイクを変えたとか太ったとか今日の服とか……興味がなかったために、だ。
しかし、浮気となると話は別だ。
「他の男にカワイイなんか言われてそんなチャラチャラしてお前……それでアレか、イメチェンか!」
『だってこれだとみんな話をしてくれるし。いろんな人とお話できて嬉しいし』
「不貞行為だぞ!」
『あら、どこが?』
どこ……と言葉を詰まらせているところ、ノックが響いた。
「浦川さん、起きたかい」
さっそく今日の訪問者か。嘉朗は鬼の形相で扉を開けにいった。
「や、どうも。おっいたいた、ハツ子ちゃん今日も綺麗だねぇー」
立っていたのは三人ほど、いずれも脂下がった狒々ジジイどもだ。
前に立ちふさがる嘉朗など相変わらずあって無きがごとし、すぐ部屋の中を覗き込んでハツ子の方に手を振ってみせる。
カーッと、頭に血が上った。
「うるさーい!」
腹いっぱい怒鳴ってやった。驚いた訪問者たちの「なんだコイツ」みたいな目がもう腹立たしい。
そのうちの一人がみすぼらしい野草の花束を握っていたのを見つけ、いよいよ嘉朗はキレた。
「何のつもりだお前ら! 帰れ!」
正面の男を突き飛ばした。花束を取り上げ、ちぎって捨てた。
騒ぎを聞きつけた他の部屋の扉も開いて、ちらほらと顔が覗く。向こうからは杉本もやってきた。
だがもう、一度怒りを示した嘉朗は止まらない。
「ハツ子はうちの女房だぞ! 堂々と口説きに来るんじゃない! 何なんだ全く、俺のだ! いいか! 俺のハツ子だ! お前らのじゃない!」
駄々をこねる子供に等しい罵声になってしまったが、状況は理解できたらしい。
辺りの空気が張りつめた。杉本も離れたところでじっと見守っている。
「わかったか! もう会いにくるな! 俺が主人だ!」
言い終わり、ふん! と吹いた鼻嵐を最後に、その場は奇妙な沈黙に包まれた。
すると、花束の男が笑顔を作り、執り成すように嘉朗の肩を軽く叩いてきた。
「何だい……嫉妬かい。すまないね浦川さん。わかってるよわかってるよ、アンタがハツ子さんのご主人様だよ……そうだな、わかっているよ」
周りの人々からも躊躇いがちに、ふふ、と薄い笑いが立ち上る。男たちはもう一度頷いた。
「わかっているさ」
「大変に申し訳ございませんでした」
杉本はやってきた浦川宏美に深々と頭を下げた。
「浦川さんはこちらで日々を楽しくお過ごしでらっしゃいました。また、お体もお元気であったことから、どこに行くにも介添えなど必要なく……そのため、裏の溜池にも一人で赴かれたようでございます。ひとえに私どもの管理不行き届き、誠に申し訳ございません」
嘉朗は施設の裏手にある貯水池において発見された。警察が言うには溺死、ということらしかった。
フェンスはあったが高さはさほどでもなく、誰でも入れるような塩梅であったため、池を見に行こうとした嘉朗が誤って足を滑らせ水に落ちたのではないか、ということで話がついている。
施設の誰もが、嘉朗が散歩に行ったことを知らないと言ったからだ。自由度の高い施設であったことも災いしたらしい。
申し訳ございません、と言いながら差し出された分厚い封筒を改め、宏美はあっさり頷いた。
「こちらこそー。迷惑かけたでしょう? 本当にねぇ、あの人は言う事きかずで」
「とんでもございません。当施設でも大変な人気者でした……あ、お荷物はこちらです」
嘉朗の遺品は綺麗に揃えられていた。財布やその中身、持ち込んだ小型テレビなど、貴重品をいくつか改めて宏美はもう一度頷く。
「持って帰りますね。細かいのはもうゴミだから処分なしてもらっていいです?」
「承知いたしました」
「あれ、あとそういえば……あれはなかったんですか。何か……遺影みたいな、喋るやつ」
杉本は首を傾げた。
「さあ……部屋にあったものはこれで全部でしたが。もしかして、ご本人様がお持ちだったのかも……」
一秒ほど考えた宏美は「まあいいか」という顔をして
「じゃ、ありがとうございました」
と、サッサと帰っていった。
その姿を見送る杉本の顔は、常日頃変わらぬ笑顔だ。どこかしら、嬉しそうにも見える。
杉本は踵を返してロビーに戻った。そこでは、一段高いところに飾られたAI故人なごみ・ハツ子が取り巻く入居者を見下ろし、慈愛の笑みを浮かべていた。
『良いですか。汝の隣人は、旅の仲間ですよ。残り少ない人生を快適にするため、みんなで仲良く助け合い。愛しあいましょう』
そして、私とお話をしましょう。
ハツ子がそう呼びかけると、感極まった一同からは拍手が起こった。
「ハツ子ちゃーん!」
「ハツ子さまー!」
言いながら皆が手を上げる。コールアンドレスポンスが成立している。
気持ちを一つにした入居者を眺め、杉本は満足そうに頷いた。
これで永遠の平和を迎える事が出来るのだ。巨大な求心力を得た施設、エルダリー緑ヶ丘で。
第五話は金曜日、7日からです。
次回はかなりショッキングなものとなりますのでご注意ください。
幼い娘を亡くした、父親の話となります。
どうぞよろしくお願いします。




