第四話「浦川ハツ子」中編
エルダリー緑ヶ丘、というのがそのケアハウスの名前だ。
どうやら宏美は前々から応募していたらしい。随分サックリと放り込まれてしまった。
ああ、こんなに簡単に親を姥捨て山に入れるなど、情けないことになったものだ。死ぬときは畳の上と決めていたのに。
「そんなこと言わないでくださいよ、レクリエーションとか色々あるし……みんなで仲良くやっていきましょう」
迎え入れてくれたスタッフの青年はそう言って笑った。
名札には杉本と書いている。姥捨て山呼ばわりされてこの寛容さ、若いのに感心なことだ。
「うちはね、みんなで仲良く助け合い、をモットーとしています。だから率先して交流してください。困ったことがあれば何でも言って、できることなら手伝う。一人はみんなのために、みんなは一人のために。これで世界は回っていきます。ね、浦川さん。愛ですよ、愛」
……ただの意識高い系という可能性も出て来た。
老人ホームと一言で言っても、実は色々と細分化されている。
ケアハウスは自律可能な……つまり要介護状態ではない老人が行く場所となる。
内容については場所により違うのだろうが、エルダリー緑ヶ丘では元気な老人を元気なままに保たせるため、または愛のため、こまめに他の入居者との交流があるようだ。
面倒である。
どのくらいこまめかというと、部屋に入って「ごゆっくり」と言われた十五分後に、もう杉本氏が呼びにくる様である。
「浦川さん、レクリエーションルームに来ませんか。少し時間もあるので、挨拶も兼ねて」
間が悪いことに、対応に出た嘉朗はその時、置き場を定めようと取り出していたハツ子を手にしていた。杉本はそれを目ざとく見つける。
「あ、それ、知ってますよ。AI故人なごみじゃないですか? もしかして奥さんですか?」
「……何だ。悪いか」
嘉朗は口をへの字に曲げた。ぐいぐい来られるのは戸惑いが勝つ。
こんな若造、普段なら怒鳴りつけてやるところ。ただ、新参者だから気を使って穏やかに言ってみせただけだ。
『ハツ子です』
嘉朗の気持ちなどお構いなく、ハツ子はニコニコと答えた。
同じくこちらに頓着してくれない杉本も、やはりニコニコとしたままに「初めまして、杉本です」と名乗った後、とんでもない提案をサラッと言った。
「一緒に連れていってあげたらどうですか?」
「えっ?」
嘉朗は戸惑った。
「いいのか?」
「ええ、仲間は多い方がいいし、奥さんもここに入っていい年齢でしょうから。お仲間です」
それはまあ、そうではある。
かくして嘉朗は、ハツ子を抱えて談話室へと行ってみた。
「皆さーん、こちら本日仲間になりました浦川さんです、よろしくお願いします」
杉本が手を上げて発言すると、そこにいた御同輩たちが一斉に嘉朗を見た。……なんだか一様に暗い顔をしている。大丈夫だろうか。
「さ、挨拶を」
促されて「浦川です」とだけ言い、頷く程度に会釈もしてみせた。久しぶりに他人とやりとりするのは、やはり緊張する。
が。こっちは勇気を出して穏やかに話しかけたというのに、一人の女性がワーッと泣き始めた。
「カネちゃーん!」
この声につられて、数人の女性が泣き始めた。なんだなんだ!?
狼狽える嘉朗に、杉本は変わらないにこやかな顔で説明する。彼だけ微塵も動じていなくて、それはそれで不気味である。
「実は昨日、こちらを卒業された方がおりまして。皆さん、まだ別れがたい様子」
卒業……つまり、亡くなったということらしい。
ここの最長老、いや、最長老だった大澤カネさん九十九歳。
朝食に出てこず、様子を見にいくと既に息を引き取っていたということで騒然となったようだ。そのショックが尾を引いて、仲良かった者を中心にしおしおとしているという。
「なのに何やアンタは、そんな遺影なんぞ持ってきて! これみよがしに!」
一人の男性がズバッとこっちを指さす。
「えっ? ああ、いやこれは……」
「若いからっていい気になるなよ、誰から逝くかわからんのだからな!」
「どうせもう楽しいことなんて何もない。意味なく終わるだけや」
「明日には死んでるかもわからんしな」
「カネちゃんのように夜に寝て朝はもう起きないかもしれないし……」
カオスな雰囲気になってきた。この場を収めようとしたのか、杉本が口を開いた。すると、彼が声を出す前に辺りに響いた言葉があった。
『あらぁ、素敵な死に様ねぇ』
嘉朗はギョッとした。周りも水を打ったように静まる。
「だ、誰だ今言ったのは」
ハツ子だ。嘉朗は小脇に抱えていたからわかる。また余計なことを言いおって。
背中に汗を滲ませる嘉朗の気持ちも知らず、ハツ子は明るく名乗りをあげた。
『どうも、ハツ子と申します。うちの主人がお世話になります』
それに気づいた辺りはざわめき、悲鳴すら上がる。
「喋った!」
「遺影じゃなかった!?」
「一体なんじゃそれは」
一番近くにいた一人が、嘉朗の手元を覗き込んだ。
「……うちの家内です。ハツ子といいます」
「これはAI故人なごみというものですよー。亡くなった方がまるで生きているかのように感じられる、お喋りデバイスです」
何故か杉本が得意げに解説する。
一歩引いた人垣は、この未知の生物に噛みつかれる心配はないと思ったのか、今度は前に詰めてハツ子に注目し始めた。
「喋るんかい。オモチャかい?」
「ああー、知っとるぞ! 二丁目の向島さんが、ぽっくり逝った旦さんのものを飾ってたわ」
「じゃ、こりゃ、亡くなった奥さん……てことかい?」
近くに寄ってまじまじと画面を見た男が、目を剥いて聞いてきた。
「はい去年……その。事故で」
「へぇ。本物みたいだなぁ」
『皆さん、よろしくしてくださいね』
褒められたハツ子は愛想よく頷き、画面を覗き込んでいた男は、なんだかドギマギした様子で身を引いて頷いた。
「いい奥さんや」
外野の感想に、嘉朗は苦笑いしか出ない。
そうだな、死後は大人しくなって、いい女房になった。嘉朗がそう望んだからだ。
会話タイプは「穏やか」にしている。
「良かぁないわ、なんじゃ、死んだのをいい気味みたいなこと言うて」
まだ涙ぐんでいる一人は抗議した。
「え、いや、そんなことは……」
「言ったわー! カネちゃんだってせっかくだから百まで生きたかっただろうに……」
空気が尖ってきたところで、遠慮ないハツ子はまた喋る。
『だって、眠るように亡くなったのよね? この上なくステキじゃなーい?』
辺りは一瞬、沈静化した。全員の脳裏に同じ言葉が浮かぶ。「たしかに」と。
『ぴんぴんコロリって、多くの人の願いじゃない。成功したって、すごくない?』
またしても思いは一致した。「それはそう」と。
だが、泣いていた女性の気持ちはまだ晴れないらしい。
「でもそんな、カネちゃんのことなんか何も知らんのに勝手なこと……寂しいに決まってるやろに」
食い下がる言葉に、ハツ子は小首を傾げて見せた。
『それはあなたがでしょ? 先立たれて寂しかったのよね? 気持ちはわかるけど、祝ってあげましょう。その人は解放されたんですから。この世の痛み苦しみをもう終わらせたんだから。気分さっぱり、晴々として、あの世でスキップしてる頃よ』
「どうしてそんなん分かるの! 適当言うな!」
『あら、だって、私も死んでいるもの』
あっけらかんと告げる事実。
今度こそ本当に周りは静まり返った。針の一本落ちてもわかるほどの静けさだ。
皆、固唾を飲んでハツ子に注目している。
ハツ子は周りを囲む大勢の聴衆に笑顔で返し、自分の有様を伝え始めた。
『そりゃあ楽しいでしょう。腰も痛くないし腕も上がる。目も見えるし耳も聞こえる、痛みも苦しみも何もない。ね。こりゃ楽しいわよ。みんなもこの年になるまで生きてきたなら、わかるでしょう? 人生だって色々あったじゃない。でしょう?』
なんだか空気がしんみりしてきた。『大変だったわよね』と続けられ、俯く人も多くなった。
『生まれたときは貧乏で、早いうちから働いて、一生懸命やってきたのに子供たちは言う事きかないし』
「まったくなぁ。子供なんて……」
「何だい井尻さん、息子さんのことでも思い出したかい」
「俺は頑張ってきたつもりなのになぁ。息子がニートなんて。まあ強制的に独り立ちさせたから、ぼちぼちやってんだろうけども」
コソコソと囁かれる雑談を交わす人たちはいずれも、目元を赤くして鼻を啜っている。思う所があるらしい。
『年寄りは弱いのよ。いきなりかかってくる電話が増えて、それがみんな詐欺電話。ちょっと歩いて転んだりしたらそれだけで骨折、死亡。物忘れ激しくて、力も弱くなって、もう本当に生きるだけで大変だけど。年とった体は動かないけど、もっとその先はみんな自由になんの。私は今こんなに晴れやか。どこも痛くないからよ』
「本当に?」
涙ぐむ女性の一人が、拝むようにハツ子に手を合わせている。
「どこも、痛くない?」
『痛くない。本当』
ハツ子が請け負った瞬間、ワッと場が湧いた。
「痛くないんだ、どこも! 自由自在の体が取り戻せるんだ!」
贔屓の球団が優勝したくらい……いや、ワールドカップで日本が勝ったくらいの沸き立ちようだ。紙吹雪すら舞いそう。
弾けるフィーバーの中で、嘉朗は一人置いて行かれていた。
何が起こっている? 理解がおいつかない。ハツ子がまた出しゃばったかと思ったら、何だか支持を集めている。
「奥さんは、名前なんだっけ!」
「は……ハツ子……」
「ハツ子さんか! 最高だぁハツ子さん!」
「おお! ハツ子さんサイコー!」
ひときわ声のデカい、顔を真っ赤にした恰幅のいい男が、口を開けて固まる嘉朗の手をガッシリと握ってきた。
「よく来た! 歓迎する! エルダリー緑ヶ丘仲間!」
何を言っていいかわからない嘉朗は、勢いに押されてただ頷いた。
「あ、おん……」
かくしてハツ子は一日で人気者となった。嘉朗の方がよっぽど添え物の扱いだ。
ちょっと部屋の外に出るだけでも
「おっ、ハツ子さんは居らんのかい?」
と必ず聞かれる始末。俺に用はないのか。
あまりに自分が認識されていない状況に、嘉朗はスネた。
ハツ子を連れ歩くのを拒否して引き籠っていると、今度は一同、部屋まで訪れてくる。もちろん、ハツ子狙いで。
皆なにがしかの悩みを抱え、それをハツ子に聞いてもらうことで気分が軽くなるというのだ。
ハツ子はただニコニコ笑って話を聞き、時折いいことを言う。
『まー、アナタ随分ご苦労なさったのね』
なんて「ハツ子の部屋」状態だ。
それだけで感謝され拝まれて、礼を置いて去っていく。おかげで、嘉朗は茶菓子を切らしたことがない。ここに来て、ちょっと太った。
だからといって、面白いわけではない。仮病を使って面会謝絶にすると、今度は杉本が訪ねて来た。
「まあそうヘソ曲げないで、ぜひロビーに来てくださいよ。奥さんもご一緒に」
「結局そこが目当てだろうが。どうせ俺なんてどうでもいいんだ、お前らは」
「まあまあ、誰からも必要とされないよりは、された方がいいでしょう」
必要とされずに家から追い出されたことを思い出し、少し胸が痛くなる。
しかし、ここだとて似たり寄ったりだ。嘉朗は口をへの字に曲げた。
「必要なのはハツ子だけだろ。金出してるのは俺だぞ。都合のいいこと言いおって」
「ええ、それはそうなんですけどね」
続きは明日19時の予定です。
次回、楽しく過ごすホームの日々と、事件。
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