六章 赤い闇 (11) あなたは私だ
考え込むフィーネにエリーシャは穏やかな笑みで問い掛けた。
「ねえ、フィーネ。私がどうしてあなたにこの話をしているのかわかる?」
「いいえ。……ですが、私はずっと不思議に思っていました。あなたはどうして私の夢に現れるのですか?」
フィーネはその問いをしたことを後悔した。
彼女の目がすっと細くなったかと思えば、温かな眼差しが急に冷え込んで、どことなく相手を蔑むような刃に変化したのだ。理由はわからないがフィーネは彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
しかし、エリーシャは頭を横に振って息をつくと、何事も無かったように再び穏やかな笑みを浮かべた。
「その理由は追々話すわ。でも、その前に私はあなたにお願いがあるの。私はアウィルド様をお助けしたいと思っているの。でも、そのためには、あなたの協力が必要なのよ」
「協力って、どんなことをすればいいのでしょうか?」
「ふふ、難しく考えないで。簡単なことだわ。少しの間だけ目を閉じていてほしいの」
「わかりました」
言われるままにフィーネは目を閉じて彼女の次の言葉を待った。
「――――!?」
その直後、フィーネは何かに喉を強く締めつけられた。
目を開けると、目の前の少女がフィーネの首を両手で掴んでいた。
「……っ、エリーシャさん……なにを……っ」
痛みと息が出来ない苦しみの中、フィーネは抵抗しようと両手で首に巻きつく手を掴んだ。
彼女は魔物か怪鳥のような、甲高く禍々しい笑い声を立てた。
『ああっ、本当に馬鹿ね。『山猿』ってどうしてこうも知能が足りないのかしら?』
聞き間違いだろうか。だが、彼女は確かにはっきりと『山猿』と口にした。山猿とは、昔のウルガ人がカナーヤ人に対して用いていた蔑称だ。正確には『尾無し山猿』といい、対義語としてはカナーヤ側からウルガ側に向けた『脳無し海星』なる言葉もあったと古くから言い伝えられてはいるが、いずれもフィーネは使ったことも使われたこともなかった。
だが、エリーシャは当然のようにその蔑称でフィーネを呼んだ。
『私はずっと待っていたわ、人の世にあの人が戻ってくる日を! 三百八年と二百六日、長い間にこの国には色々なことがあったけれども、あの人はなかなか帰って来てくださらなかったわ。もしかしたら粛清の風の時の責任をとらされて、もう二度と人の世に生まれることはないのかもしれないと諦めかけたのだけれど、あの人は私のところに帰ってきてくださった。私は嬉しくてたまらなかったわ! ……髪の色も顔立ちも変わってしまわれたけれど、あの方は変わらない。もう一度愛しい人に会えた喜びで私はいっぱいだったわ!
……それなのに、あの人ったらおかしいの。最も忌み嫌っていたはずの山猿を見て、『目が星灯りのように美しい』なんて仰ったのよ。正直言って裏切られた気分だわ。そう思わない?』
尋ねられても喉を締め上げられていては声が出ない。そんなフィーネを見下し、彼女は口元にいびつな笑みを浮かべた。
『ああ、あなたにはわからないわね。いえ、違ったわね、ごめんなさい。喋れないのよね。猿は人の言葉を話せないから!』
なんとか逃れようと手探りでエリーシャの小指を探す。人体の手の構造上、小指を無理に手甲側へ曲げれば、連動して薬指や中指もつられて力が抜ける。これは、護身術の基本だが、握力を抜かせられるかもしれない。夢の中でも通用するかは判らないが、一か八かだ。
手探りながらも、それらしき指を見つけるとエリーシャの細く長い小指に自分の指を引っ掛けて一思いに手の甲側に折り曲げた。
『痛っ!』という悲鳴とともに首を絞める手が離れた。フィーネは彼女の手から逃れようと身をすくめる。だが、すぐに髪を掴まれ、乱暴に投げ飛ばされた。受け身をとったものの、背中を地面に打ちつけて息が詰まって動けなくなったフィーネに馬乗りになる形でエリーシャは襲いかかってきた。
『許さない。山猿は全部殺して燃やして灰を川に流して浄化しないと。……特に、皇族の血筋は念入りに痛めつけて地獄に落としてやらなきゃ!』
「……っ、なに…を言っているの?」
ぎりぎりと再び首を絞める手は先ほどよりも強く、フィーネはもがいた。だが、エリーシャの細腕からは想像もつかないほどの強い力が首を締め上げてゆく。爪が皮膚やその奥に食い込み、フィーネは痛みに喘いだ。
『あの人は私の最愛の人よ! 彼だって私を何回も抱きしめてくれた。温かくて、それでいて少し冷たい海のような優しさで、いつだって私に自由と幸福を与え、満たしてくれたわ! あの人にはいつもずっと笑っていてほしかった。それなのに……っ。その願いは叶わなかった。私はやり直したいの! 私はあの人にとっての唯一無二の片翼でありたい、私の居場所をあなたなんかに渡しはしない。……だからあなたは目障りなの。私とあの人の仲を邪魔しないで。だからいますぐ消えて!』
喉頭や気管を潰されるか、首の骨が折れてしまいそうな激痛で反射的に涙が出た。視界も暗くなってきた。このまま彼女に殺されてしまうのだろうか。
それも悪くないかもしれない。
弱音を吐くのは良くないことだ。けれども、今の自分にはもう何もできない。すべてを投げ出して諦めてしまえば、今感じているこの苦痛は終わるかもしれない。
エリーシャの歪みきった顔の憎しみに曇った水色の瞳を見つめながら諦めようとしたその時だった。
急に幼き日に見たある少年の泣き顔が脳裏を横切ったのだ。
――うるさいな! そなたに何が分かるというのだ!? わたしは……っ、……たしは……っ。
かつてフィーネは暗い部屋でひとりで涙する少年と話をした。
彼の境遇は悲惨だった。自らの目の前で母を失い、片翼がおらず無力で、打ちひしがれていた彼の本来の姿を見た瞬間、幼心にこの人を放ってはおけないと瞬時に悟った。
彼は普段はとても明るく振る舞うくせに、その内に抑え込んだ本心をあまり話してはくれない。それどころか、傷つきながら彼は周囲の人を救おうと新たな傷を抱えてしまう。
今も昔もそこが変わらないのだ。
フィーネの生家のユリフェ一族は十五歳の誕生日に成年の儀を行い、『風護の誓い』を立てる。国王に忠実に従い、時に命を捧げる。たとえ自身の命や大切な者を引き換えにしても、たとえ国王が道を誤っていたとしても。諫めることなくただ命じられるままに主君の最期の瞬間まで付き従う。
フィーネが今左手首に身につけている金の腕輪の下には、この誓いの証である組み紐が巻かれている。これはいかなる場合であっても勝手に外すことは許されず、さもなければ一族から粛清を受けることとなる。
『本物の片翼の身代わり』として王宮に上がることになった時、当初フィーネはこの風護の誓いのあるユリフェ家だから最高神官長に目を付けられて白羽の矢が立ったのかと思っていた。本当の理由は不明だが、最高神官長は『神託』という名目で宰相のセイファンに働きかけてフィーネを偽の片翼として立てたのだと思っていた。
だが、ユリフェ家との因縁が深い、一族の女人しか扱うことが出来ないという金の腕輪の力を使った際に、フィーネは喜ぶと同時にえもいわれぬ違和感を覚えたのも事実だった。確かに腕輪の由来についての説明は筋が通っていたが、フィーネが知る神話と話が食い違っており、疑念が浮かんでいたのも事実だ。
そもそも、ユリフェ家の家紋である月来香は、風の女神が生きた時代にはまだウルガはおろかこの大陸に伝来していなかったはずだ。子供の頃に植物図鑑を隅から隅まで読み込んでいたから知っているが、月来香がウルガに持ち込まれたのは少なくとも二番目の翼王の時代以降だ。ならば、何故、風の女神と初代片翼ゆかりの腕輪に月来香が刻まれているのか、という部分でもフィーネは最高神官長に対して疑いを抱いていた。
だからといってこの腕輪が偽りであると断定はできないが、最高神官長が何かを隠しているだろうとフィーネは心の片隅で警戒していた。
そして、フィーネはユリフェ家の風護の誓いの証に縛られながらも、『国王』に従うつもりはなかった。
アウィルドリーシャはフィーネのことを王宮から追い出そうとしていた。第三王子として再会した時の彼はわざとフィーネに自身の正体を明かそうとしており、実際のところ、フィーネも彼の正体については早い段階で気づいていた。
模範的で正しきユリフェ家の心を持つ者であれば、ラキアの正体を察した時点で彼に真相を問い、『国王の命令』を遵守すべきであったのだ。だが、フィーネは馬鹿祭りで第三王子を名乗っていることを口実に白鴎宮に留まり続けた。
たとえ彼が国王として風護の誓いを持ち出して冷酷にフィーネに命じたとしても、納得できる理由がなければ出て行くつもりはなかった。もちろん、風護の誓いを軽んじているわけではない。だからこそ、自分が従うべき『国王の命令』なのかどうかを、この目で確かめたかったのだ。
アウィルドリーシャはフィーネにとって、誰よりも特別な人だ。
元々、本と弓と馬しか友と呼べる者がいなかったフィーネが、医師となり、尚且つ一人前に領主の姪として領民から尊敬されるようになれたことも、彼の存在が勇気をくれたからだ。
どんな暗い雲の下にあっても彼から貰った沢山の宝物がフィーネの人生を救い、支えてくれた。
だからだろうか、フィーネはアウィルドリーシャを助けたいと願った。
それが、自らを滅ぼすのだとしてもかまわない。それで彼が救われるのなら、と心の底から思えた。理由などない。もし彼が命の危機に瀕しているのなら、もはや黙っているつもりはなかった。もちろん、フィーネにも自らの命を簡単に投げ出すつもりはない。フィーネはこの世が好きだった。むしろ、宰相や最高神官長がもたらした厄介事を絶好の機会と考えていた。
何を弱音を吐いているのだ、とフィーネは自分を叱咤した。自分は何のために白鴎宮に来たというのだ。ここは夢の世界だ。首を折られた程度で死ぬはずがない。いや、死なない保証などないが、それよりも、炎の中でも忘れなかった決意を思い出せ。
――死んでたまるか。
改めて意を決したフィーネは、全身全霊の力を込めてエリーシャの白い手首を両手で掴んだ。
『触るな、忌々しい山猿め!』
彼女はフィーネの手を乱暴に振り解こうとした。だが、フィーネは彼女の手首を決して離すまいと握り続けた。
「私は絶対に死ぬわけにはいかない! 私はアウィルド様を助けるんだ! だから、こんなわけのわからない場所で、わけのわからない理由であなたに殺されて死ぬわけにはいかないんだ!」
力の限り叫んだ瞬間、ふいに、左手首に灼けるような強い熱を覚えた。その熱は手のひらに集まり、次の瞬間、指の隙間から白い光が噴き出した。
その瞬間、じゅっ、と水を落とした熱々の鉄板のような音がしてエリーシャの手首の皮膚を焼いた。
甲高い悲鳴とともに、彼女の手が離れた。
フィーネは吐き気を我慢しながらすぐに彼女と距離を取った。恐怖からなのか、気持ちが昂ぶっているからなのか、胸の内の鼓動がとても早く強く脈打つ感覚がした。
『……今の力はなによ!? あなた、私に何をしたの!?』
「わからない。でもエリーシャさん、私はあの人を助けたい。ううん、助けると決めたんだ。でなければ、私は私にも、あの人にも嘘をついたことになる。私は私の恩人で、私にとって初めての友人になってくれた心から大切なあの人を助けたいんです! だから今、ここであなたに殺されるわけにはいかない!」
『何を言ってるのかしら、あなたなんてもう、帰れないくせに!』
「帰ってみせるよ。だって私はまだ生きているもの」
『笑わせないで。まだ生きているですって? ならどうしてあなたはこんな『狭間の世界』にいるのかしら? ここは死者と生者の交わる世界。あなたの身体は焼け爛れてもう使い物にならないわ。本当にいい気味だわ。どうせならそのまま消し炭になってしまえばよかったのに』
フィーネはエリーシャの挑発に乗らず、胸に手を当てた。鼓動がある。意識もある。なら、まだ終わっていない。大丈夫だ。自分はまだ生きている。
「エリーシャさん。さっき私があなたにした質問ですが、どうしてあなたが夢に出てくるのか、その答えがなんとなくわかった気がします」
『何ですって?』
フィーネはよろめきそうな足に力を込めてしっかり立った。それから視線を下から正面に向けるように静かに目の前の相手を見据えた。
「あなたは私だ」
その瞬間、二人の間に穏やかな風が吹いた。
エリーシャの緑金色の髪と、フィーネの黒髪がふわりと舞った。水色の瞳と銀の瞳は互いに互いの姿を捉えて放さなかった。
今にして思い返せば、エリーシャはフィーネの夢に何度か現れていた。馬鹿祭り開幕の宴の晩や、翌日の午睡の時。彼女とは『鳥の渡り』を教えてもらった時に初めて会ったのかと思っていた。だが、違っていたのだ。王宮入りしてから見るようになった『川の夢』がエリーシャと深く関わる夢だったのだ。そして、幼い頃からフィーネ自身が水辺でひたすら泣くという悪夢はもしかすると、エリーシャの記憶を追体験していたのかもしれない。
そして、幼い頃から度々フィーネが見てきた『誰かわからない男に呼ばれる夢』の男が誰であったのか。どうして彼の声を聞くと焦がれるような切ないような、いてもたってもいられない気持ちになったのか。何故彼は『かつてエリーシャだった某か』とフィーネを呼び、片翼になるなと警告してきたのか。
長年抱き続けてきた疑問の答えも今ならわかる。
九番目の片翼だったエリーシャの記憶が何故かフィーネの夢の中に現れたこと。そして、伝承によれば片翼の魂も翼王と同様に生まれ変わりと死に変わりを繰り返すこと。そして何よりも、フィーネが治癒の力を扱えること。
今までの謎がつながり、フィーネは彼女と自身の関係性に気づいたのだ。
最高神官長がフィーネを偽の片翼に仕立て上げた理由はまだわからないが、そういう意味で自分以上にこの役が適する者が他にいただろうか。
「……憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!」
エリーシャは激昂のあまり白目を剥き出しにしてフィーネに飛びかかってきた。
彼女の腕に触れると白い肌が再び煙を上げ、エリーシャは飛び退いた。
フィーネは、うずくまりながら腕の傷の具合を確かめるエリーシャに歩み寄ると、足腰を曲げて目線を合わせた。
「エリーシャさん。私はあなたじゃないからあなたがカナーヤを憎む気持ちを全部理解することはできない。そして、カナーヤがどんな国なのかも私は知りません。でも、そんな私でもひとつだけならわかることがある。あなたは、あなたにとってのたったひとりの片翼のことが大好きだったんですよね。それだけはわかります」
「何様なのかしら。私に憎しみを捨てるように説教するつもり?」
「捨てなくていい。そんな悲しい気持ちは簡単に無かったことになんかできないよ。もし私があなたと同じ境遇になったら……大切だと思う人たちを殺されたり、自分のせいで大好きな人を壊してしまったりしたらもう、立ち直れないと思う。たぶん私も誰かのことを、もしくはこの世界自体を恨むと思う。でも、エリーシャさん。残念だけどあなたの愛した人はもう、この世界にはいない。私とあなたが違うように、同じ魂を持っていたとしても、アウィルドリーシャという人は、あなたの想い人とは別の人です。顔も声も記憶も感情もちがう他人です」
「違うわ! 彼はアウィルド様よ! お姿は変わられていても、彼は彼よ! 魂が同じなのに、どうして別人だと言えるの? あなたは何も分かっていないわ。あの方は何度生まれ変わっても同じなのよ!」
「それなら私はどうなんですか? 私はあなたじゃありません。あなたが憎いと思ってるカナーヤ人の娘です。魂が同じだとしても、他人は他人です」
地面に座り込んだままこちらを見上げる彼女の水宝玉の瞳から静かに悲しみが流れ出る。
『……嫌よ。……どうして……どうして私じゃだめだったの? 嫌よ。消えたくない。私は認めない。認めたくない。どうして山猿として生まれ直さなきゃいけなかったの?
ほかに色々な道があったじゃない。それなのにどうして……よりにもよってあなたなの? いくら私が悪かったのだとしても、こんなのあんまりよ……』
言い返そうとして、フィーネは一度口を閉じた。だが、どうしても彼女には知っておいてほしかったから意を決して彼女に向けて話し始めた。
「ねえ、エリーシャさん。あなたがさっき見せてくれた記憶や話を聞いて、カナーヤ人はひどい人達だったと思ったよ。でも、カナーヤ人だからってそれだけの理由で嫌わないでほしい。私の母もカナーヤ人だけど、ウルガ人の父のことを好きになって私を産んでくださった。……母のことは知らないことが多いけれど、優しい人だったよ。時々行商で来るカナーヤ人も、機知に富んで親切な人が多かったよ。もちろん、中には悪い人もいたけれど、ちゃんと良い人もいたんだ。
信仰の違いや特性みたいなのはあるかもしれないけれど、特定の国の人の、皆が皆、そういう人ばかりなわけではないと私は思うんです。
私は母からこの目をもらった。
父からは、この目で何を見て考え、行動するべきかを教えてもらった。
気分が落ち込んだときは、生まれてこなければ良かったと思うこともあるし、卑屈になってしまうこともあるけれど、私は自分の生まれに誇りを持っている。だから、どんな事情があったとしても、あなたから謗りを受ける筋合いはない。私の母やご先祖様を悪し様に言われて腹立たしくさえ思っている。でも、あなたの気持ちを考えるとそうも言えない。ねえ、エリーシャさん、カナーヤだから、ウルガだからというのは関係ない。生まれがどうこうじゃない。何をするのかが大事なんだと思う。私は医師としてたくさんの人を助けたいと決めたんだ。」
『……あなたなんて大嫌い。そんなことは言われなくてもわかっているわ。でも、いくらそう思ったところで私は憎いの。恨まずにはいられないの。
あなたにとっての世界は優しかったのかもしれないけれど、私にとっては優しい世界じゃなかったわ。ぬくぬくと大切にされたくせに、のうのうと生きてきたくせに、あなたにはこの先の未来があるくせに、あなたの価値観を私に押しつけないで、この偽善者!』
フィーネはエリーシャの刃のような瞳と、かつて切れ味の良い鋼の刃に似ていた自分より年上のとある少女から同じ言葉をぶつけられた時の彼女の瞳を重ねた。
「……やっぱりその言葉は少し堪えるな……。前にもある人に言われたことがあるんだ。その人は私に、恵まれて育ったくせにと言って罵ってきたんだ。私は恵まれて育ったから、無意識のうちに偽善的で浅はかで自慢みたいなことを言って誰かのことを傷つけているのかもしれない。それは認めます。食べ物には困らなかったし、勉学を修めることもできたし、けっこう好き勝手に生きてきたんですから。でも、生まれは選べない。私はたまたま父上と母上の娘としてこの世に生まれたんです。それが大きくなってたまたま私になっただけ。もし仮に、あなたの望み通り生まれる前にどこの誰に生まれることが選べたとしたら、たぶん私は今の私になっていなかった。生まれも育ちも生粋のウルガ人でもっと背が高くて、筋骨隆々とした黒い瞳の屈強な弓兵になっていたかもしれない。でも、すでに消滅した可能性や選択肢について夢を見ても仕方ないことだよ」
急にエリーシャの輪郭がぼやけた。黒い墨のような靄が彼女の全身から立ち上る。
『……わかったわ。やっぱり私とあなたは相容れない。あなたは利己的で楽観的で大嫌いよ。私決めたわ。絶対にあなたを苦しめてやる』
「確かに私とあなたは違う。さっきも言ったけど、あなたが受けた苦しみと、悲しみがどれだけ深かったのか私には完全に理解することは出来ない。でも、私にだって考えることと寄り添うことは出来ると思う。それでも私とあなたは同じなんだと思える部分があるんです。だから私はあなたも助けたい」
『うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! 死ね! 死ね! 消えて! いなくなれ!』
エリーシャから湧き出た黒い靄が刃のようにフィーネに襲いかかった。
フィーネは立ち上がろうとするが間に合わず、ただ襲い来る刃に対して為す術がなかった。
ひやりとした感触が肌に触れようとしたその瞬間――。
『去りなさい!』
――突如として、凛とした声が響いた。
次の瞬間、視界のすべてが一瞬で真白に染まったのだった。
エリーシャ怖いですね。
フィーネはここである答えに行き着きますがそれとこれとは別問題です。
果たしてフィーネは帰ることができるのでしょうか。
また、『去りなさい!』と言ったのは誰なのか。
次回もお読みいただけましたら幸いです。




