一章 ~七年前 王太子との約束~(8) 星鏡
「……というのも建て前か」
「え?」
謎の一言で現実に意識を戻されたのだが、どういうことかと目で問うと、彼は口を引き結んでこちらを見据えた。
「フィーネ殿。申し訳ないが先ほどの星空を土産に云々と言ったのは建て前で、本当はわたしがそなたと二人だけで星を見てみたかったのだ。それと――」
彼は帯に下げた巾着袋の中から小さな桐の小箱を取り出すと、フィーネのすぐ目の前まで歩み寄って手渡してきた。
「そなたに渡したい物がある」
両手で受け取ったそれはずっしりと重く、ただならぬ雰囲気を漂わせている。
予想外の流れに驚いたフィーネは、彼に促されるまま、緊張で少し震える手でゆっくり蓋を取った。中には絹の白布でくるまれた包みが入っていた。そっと剥がすと、細い金の鎖の先に金銀螺鈿で彩られた小さな石製の筒が現れた。暗くて色はよく見えないが、幼子の手のひらほどの長さの筒には細い鎖がついており、首飾りとして使えるようになっていた。
「それは万華鏡の一種で“星鏡”という。夜の星を閉じ込めるために古の職人が様々な苦労と技巧を重ねて作った品と云われていて、透鏡を覗けばどんな暗闇であろうと嵐の最中であろうと輝く星が見え、振れば中に仕込まれた星砂が歌う。そなたの故郷では年中霧が立ち込めていて星が見られないそうだから、これがあればいつでも星を見ることが出来るはずだと考えたのだ。どうか受け取って欲しい」
フィーネは星鏡を手にしたまま、石のように固まっていた。いや、外面はそう見えるが内心ではかなり慌てており、思考が激しく巡っていた。
この品は確か、彼にとって一番の宝物だったはずだ。物心つく以前に両親から贈られて、常に肌身離さず身につけるほど大切にしていると彼が話してくれたことがあったではないか。その大事な品を――しかも、どこからどう見てもかなり高価な品を貰うなど、とんでもないことだった。星鏡の相場は知らないが、気安く手を出せる代物ではないことは幼くとも充分に理解していた。それに、自分は、一応は貴族の分家の生まれではあるが異国の民の血を引いている上に、目の色も風変わりな銀色で、一族の鼻つまみ者だ。兎にも角にも、天地がひっくり返ろうとも、彼から贈り物を貰う資格などない。こんなに大事な品を貰えるはずがないと言いたかったが、かといって彼の気持ちを無碍にするわけにもいかずに困惑した。しばらく逡巡した末に、やはり断ろうと口を開きかけたフィーネの言葉を遮るように彼は言った。
「言い忘れたが、それはそなたへの礼だ。だから何も言わずに受け取ってくれると嬉しい。……おさがりで悪いが、いまのわたしの持ち物でそなたに渡せるものはそれしかないのだ。気に入らなければ、捨てるなり質に流してくれて構わない。だから……」
「いいえ、アウィルドさま! 私はとても嬉しいです。でも、……ですがっ、これはアウィルドさまにとって……とても大切な首飾りのはずです。だからこそ、そのお気持ちが本当に心から嬉しいのです。ですが私はこれを受け取るわけにはいか……いいえ、本当に、私なんかがいただいてもいいのですか?」
「当たり前だ!」
彼の顔色の変化に合わせて語尾を変えたものの、急に大声で怒鳴られてフィーネは思わず肩を上下させた。アウィルドはすまない、と慌てた様子で詫びた。
彼は何故だかとても悲しそうにフィーネを見つめていた。
「フィーネ殿。どうかもう、『私なんか』などと自分を卑下するようなことは言わないでくれ。『そなただから』こそ、わたしはこれを渡したいのだ」
「でも……」
「そなたの容姿や目の色のことを邪険や馬鹿にした輩の言葉など気にしなくていい。わたしを見ろ。恥ずかしいほど真っ赤な髪で、まるで茹で蟹のようだろう? わたしの母方のリドア家の者は赤毛が多くて、しばしば唐辛子と馬鹿にされているのを見聞きすることがあるが、わたしに対しては誰も面と向かっては馬鹿にしてこない。わたしが王族だから怯えて言えないのだ。陰ではきっと、あの唐辛子だの蟹頭だのアカゲザルだのと悪態をついていることだろう。仮にわたしが王族ではなく異国の民であったならば、彼らは言葉が通じぬことを良いことに何の躊躇いもなく軽んじてきただろう。悲しいことだが世の中には頑張ればいつか分かり合えるなどとは言うものの、そう単純にいくはずはないし、実際にはいくら努力しても分かり合えない人間も一定数いる。そんな輩の悪意や無駄口にいちいち傷つけられるなんて時間と気力の無駄遣いであって本当は他にもっとやるべきことがあるはずなんだ。フィーネ殿。そなたがとても気にしているその……カナーヤ人譲りの顔立ちや真白き肌も、珍しい銀色の瞳だって素敵だと思う。わたしは好きだ。そなたの伯父のギルガム殿だってガイズだって好きだと言っていたし、ほかにもまだそなたが会ったことのない人の中にも、そなたのことを好いてくれる者が必ずいるはずだ。ユリフェ家当主がそなたを幾度となく殺そうとしたことはギルガムから聞いている。左足の裏を鏝で焼かれたことも一族の者から殴られて乳歯を折られたりという度を超えた折檻をされたことも、当主のみならず、領民から危害を受けたことも、幾度となく誘拐されそうになったことも知っている。だが、そなたは全く悪くない」
「……違います! 悪いのは全部私なんです! この見た目のせいで父上にも伯父夫妻や祖母、延いてはエレスの本家の方々にも何度も迷惑をかけてしまったんです! 今日だってアウィルドさまに迷惑を掛けてしまいました! ……っ、私なんか生まれてこなければ良かったんです!」
とうとう言ってしまった。ずっとフィーネは心の奥底で願っていた本心を、両親と伯父夫妻にも誰にも言ったことはなかったのに、どうして口に出してしまったのだろう。
それはきっと彼が『ユリフェ家』の人間ではないからだ。
フィーネは目をきつく閉じた。そうしなければ今までずっと堪えてきた涙が漏れ出してしまうし、目の前のアウィルドはフィーネを軽蔑しているはずだ。
そんな視線で自分を見てくる彼の目を見るのが怖くて自分の殻に閉じこもろうとした。




