六章 赤い闇 (6) 国王不在の議会
セイファンは、自らの席から議場を見回した。
高く設えられた宰相の席は、見晴らしが良い。熱心に考え込む者も、上の空でいる者も、眠気で船を漕ぐ者もしかと目にとらえることができた。
馬鹿祭り十一日目ともなると、いい加減、"国王不在"の朝の議会にも慣れてきた。とはいえ、セイファンはこの議会の様子がいささか気がかりでもあった。
本来、馬鹿祭りの最中は"国王"は朝と夕方の議会に顔を出すことはほとんどない。この期間中は、建前上は王宮内には国王はいないことになっているし、重要な決定を必要とする議題は祭の前後で処理されるからだ。
だから、いつもならば馬鹿祭り中はとりとめもない――国王の決定をすぐには必要とはしない事後承諾で済むような軽い議題しか話し合われないのだ。
だが、今は国王の席に"スヴァロン"がいる。胡座をかいた膝の上に片肘を突いて退屈そうに大きな欠伸をしながら、彼はテッタ・ダウレス大臣が読み上げる報告書に耳を傾けていた。
彼の品を欠いた素振りはとてもスヴァロンらしい。だが、臣下とて、王族から礼儀をわきまえぬ態度をされれば不満が募るものだ。彼が『馬鹿祭りの国王代理』であり、臣下も彼がそのように振る舞う理由をよく理解していなければ非常に問題ある行動だった。
そして、なによりも、馬鹿祭りの期間中でありながら彼がこの場にいることというのが異例で異常なことであった。そして、臨時で午睡の時間に議会が行われることも珍しいことだった。
司会進行は副大臣のガイズ・ユリフェが行い、滞りなく進行してゆく。今この場で"スヴァロン"がいてくれることはむしろ、セイファンにとっては心強いことで、順調すぎるといっても過言ではないくらいだ。
いくつかの議題を過ぎ、ようやく、最後の議題になった。それは、ことによっては急を要する可能性のある事項だった。
隣国のネラワリエ王国の動向だ。
かの国はウルガの東南にあり、昨今、ウルガの領土を脅かしつつある。
その対処を考えるため、セイファンは頭を悩ませていた。
半年ほど前も、国境沿いの離島で小競り合いがあった。
ネラワリエは、東南の海を隔てた向こうにある大小合わせて五千以上もの諸島から成る大国だ。
歴史は浅いものの、その国は海洋をよく熟知し、船造りや操舵にすぐれ、強大な海軍を誇る。現状でも充分強国ではあるが、狭く限られた土地と、雨季には野分や高波に悩まされ、水や食糧および資源の安定的確保という観点から、領土の拡大を望んだ。だが、残念なことに彼らの求める広大な土地というのは彼らから見て西方にしか存在せず、しかもすでに国家が興っていた。
北には別の諸島群から成る海洋国家であり鯆の神を祀るフルレン王国が、北西にはカナーヤ帝国という龍神に守られた巨大な軍事大国がある。真西には蜥蜴の神を祀るデーヴァ・トーダ王国と狼を祀るナーヴァ・トーダ王国という二つの不仲な国があるが、小国ながらカナーヤ帝国の朝貢国として庇護下にあるため侮りがたい存在となっている。
そして、南西には鳥の守護を受けるウルガ王国が壁のように立ちはだかっている。特に、海に寝そべるように長く伸びた半島が彼らの西進を阻み、半島の南に点在する島々も非常に邪魔であった。
ネラワリエ王国は、天帝の直系の子孫であるカナーヤ皇帝には多大な畏れと敬意を払い、その臣下である二国も敬っているが、一方で、単なる人の王でありながら、皇帝に従わず、風の女神の化身の子孫であると主張するウルガ国王に対しては多少なりとも見下すような心情を抱いていた。
そうはいっても、ウルガはネラワリエの先代の国王の時代までは関係が良く、幾度となく互いに両国の王女が嫁ぐような間柄であった。最後に嫁いだ先王の姉などは、ネラワリエ国王にいたく寵愛され、跡取りである第一王子を産んだほどであったという。
ところが、政変によって先代の国王が殺され、弟の代になった二十年ほど前から、かの国は度々ウルガの領海を侵して攻め入ってくるようになった。その都度、テクウェル同盟と呼ばれる国境付近の十の領主たちと協力して退けたものの、向こうは諦めるどころかよりいっそう果敢に攻めてくるようになった。
先王リルダムは両国の関係を修復するために使者を送るも、死者となって送り返されるという洒落にならない事態が起きて以降、ネラワリエに対して容赦をしなくなった。
先王はまず、ネラワリエへの生糸や鉱物資源などの輸出を止めた。同時にネラワリエからの香辛料と海産物と染め物と銀細工などあらゆる特産品の輸入を取り止め、カナーヤ帝国にも貿易による制裁の協力の要請を行った。
ウルガと同盟関係にあるカナーヤは元々ネラワリエとの取引はさほど盛んではなかった上に、朝貢国との取引だけで需要を満たせていたため、すんなりとウルガからの要請に応じた。さらに、ウルガに代替品を安価で取り引きする条件を提示し、それを見返りに、周辺の朝貢国にも協力を呼びかけた。さらに先王はウルガ領付近の海峡のネラワリエの船舶の通行を禁じた。
そのため、ネラワリエの船は南洋のマラール王国の南の沖の荒海を大きく遠回りしなければ西国との取引が出来なくなってしまった。
ネラワリエが抱いた恨みはいかばかりか。いよいよ彼らは海賊も驚くほど猛烈に、ウルガの船や港を襲うようになってしまった。
風の便りによれば、ネラワリエ王国は遠く大陸の西の果ての国々と良からぬ密約を交わしており、大量の火薬を輸入しているという噂すらある。
リルダムの乱心によってウルガ国内が混乱状態にある時も、テクウェル同盟の領主が侵攻を防いでくれたが、いつまでも彼らに負担を強い続けるわけにはいかない。
アウィルドリーシャはそのような状況で国王となったが、停戦を申し入れても相手に拒絶され、今のところは先王のやり方を引き継ぐしかなく、セイファン同様に頭を抱えていた。近いうちに中央から追加の派兵を行う必要もあるかもしれない。そうなれば本格的な戦となることも視野に入れて考慮しておかなければならない。
だからこそ、今は国王に薨れられてしまうわけにはいかない。近隣諸国によく知られた翼王の物騒な伝説のおかげで以前ほどの襲来は減ってきているものの、彼を喪えば、間違いなくかの国はウルガを攻め滅ぼしにくるだろう。
セイファンはスヴァロンの姿に目を向けた。
一応、賭けには勝つことが出来たが、この男のことだ。まだまだ油断ならない。なんとしてでも片翼候補にはこの男の企みを阻んでもらわなければならない。さもなければ、この国は終焉を迎えるだろう。
先ほどまで退屈そうな素振りをしていたスヴァロンだったが、急に真面目な顔つきでこの場にいる者を見回すと、居住まいを正した。それから落ち着きながらも朗々とした声で話し始めた。
「皆も聞き及んでいることとは思うが、先立っての衝突はネラワリエからの一方的な武力侵攻が原因となり引き起こされた。我が国、とりわけテクウェル同盟および兵士らがネラワリエ軍を退かせ、現在は小康状態となっている。トクラム外交官とナラムト領主メヌトガ・ヤーグ殿に対応を命じ、尽力してもらっているが、先方は交渉には一向に応じず、膠着状態が続いている状況のままだ。また、昨日、ネラワリエからの侵入者を一名、捕縛した。このことについて――」
淀みなく話していたスヴァロンの言葉はそこで途切れた。
外から甲高くけたたましい叫び声が響くと同時に、スヴァロンは目を見開き、速やかに立ち上がった。
セイファンが音の正体が鳥の声だと気づいた時にはスヴァロンはセイファンを見て抑えめの声音で言った。
「セイファン、ファーシャ殿が危ない」
「え?」
セイファンは驚いてスヴァロンを見た。その顔には血の気がなかった。そのただならぬ様子から、すぐさま状況を把握した。
「どちらへ?」
「三番倉庫だ。わたしは先に行く。悪いが後は任せた」
「お待ちください!」
セイファンの呼び止める声も聞かず、彼は全速力で議会から走り去ってしまった。
取り残された者たちは今し方のスヴァロンと宰相のやりとりの事情がわからないといった風に呆気にとられた表情をしていたが、すぐにセイファンは三番倉庫に人を向かわせるよう手配するための号令を発した。
ここでの第三王子スヴァロンは、ラキアであり、国王アウィルドでもあります。馬鹿祭りのせいでややこしくて申し訳ございません。




