六章 赤い闇 (2) 花を育てる者、花を守る者
それからフィーネとラキアは庭師達の仕事を手伝った。
フィーネは台車で道具を運んだり、背の低い木の手入れをすることになった。庭師達はあちこちに梯子を掛けててきぱきと働いていた。
庭師長のゼムに教わりながら若枝を折らないように指を添えて紐で枝をくくりつけていると、フィーネの傍らで彼は様々な話を聞かせてくれた。
ゼムは幼かった頃のアウィルドに請われて、それ以来花の育て方を教えているらしい。花を愛でる王族は多いが、彼らは主として観賞することを好むし、昔のゼムも王族を喜ばせるための花を咲かせることが自身の仕事であると考えていた。だから、ある日突然、花の育て方を教えてほしいと、頭を下げた幼い王子の態度と言葉にゼムは心底驚かされたという。
惰眠を貪っていても、勝手に芽が出て美しい花が咲く温暖な土地柄の王都ウリューゼにおいて、庭師でも農民でもないのにわざわざ植物の育て方を学びたいなどと言う物好きがいるのか、と他の王族や貴族はアウィルドを小馬鹿にした。
だが、幼いアウィルドは馬鹿にされたまま黙ってはいなかった。
確かに花は放っておいても生えてくる。だが、手を加えぬままの花は無秩序で、時には枯れてしまう。あなたが愛しの君を口説くときに愛でている庭園の花を苦労して育てたのは誰だ、職人が愛をもって育てたはずだ、と彼は臆することなく貴族に問い掛けた。花を育てている人がどういう人で、何をすればより美しい花を咲かせることができるのか、それを知りたいのだ、と彼は強く語った。
当然ながら、ゼムはアウィルドの頼みを断った。彼は庭仕事をするにはひ弱だった。色白で、少女のような見た目と体格であったことも理由の一つだが、彼はただの王子ではない。
風神の化身の身体は常に清らかであらねばならないとされていたのだ。
だから、いくら本人が望んだことでも、泥と肥料と汗にまみれて日焼けで顔を赤黒くするような行いをさせるわけにはいかなかった。
鉢植えで花の育て方を教えると約束し、適当にお茶を濁して、実際の世話は裏でゼムが引き受けるという方法もあった。だが、それは幼き少年の努力を裏切ることになると彼の中の良心が訴えるためその呵責に戸惑った。
そんな折、アウィルドがよろけながら鉢植えを両腕で抱えてゼムの部屋を訪れた。扶桑花――彼が育てた花だった。書物から得た知識で真似たというが、拙いながらもしっかりと手入れされており、確かな愛情を持って育てられたのだと感じた。その時初めて、ゼムはアウィルドが思いつきではなく、本気で学びを得たいのだと考えていることに気づいて考えを改めた。幼いながらも彼はしっかりとした自分の意見を持ち、多くを学ぼうとしている。その自主性を尊重したいと思った。
一歩も退かず、ひたむきに自分を見上げる黒い眼を見つめながらゼムは決意したという。
すぐさま彼は、国王リルダムに許可を得るために動いた。神殿の者は眉をひそめたそうだが、リルダムはゼムの奏上をいたく喜んだ。
斯くして、神の化身たる翼王が、一介の庭師の弟子になるという奇妙なこととなったらしい。
語り終えるとゼムは目を閉じた。
「陛下は花に愛されているのでしょうね。あの方が育てる中庭の花は、それはそれは、たいそう美しく咲くのです。ですが、それは才能でも幸運に恵まれているからでもなく、彼がたゆまぬ努力と愛情をもって育てているが故のもので、一朝一夕では成し得ないたいへん貴くもすごいことなのです」
彼の努力を少し大袈裟に褒めたゼムは誇らしげで、その話は真実なのだろう。事実として、ラキアはてきぱきとよく働いていた。自ら積極的に重い荷物を運び、梯子に登り、枝を縄でくくりつける時の手つきは慣れたもので、木を傷つけぬように優しく丁寧だった。他の庭師とも打ち解けている様子で、息を合わせて複数人で縄を大木に巻き付ける姿も見られた。
泥に汚れることも厭わずに作業に打ち込むその働きぶりは、国王や王子というよりも、本職の庭師か、名家に長年勤め上げた奉公人のように機敏かつ勤勉で、フィーネは目を剥いた。
「……驚いておられますか?」
「はい。ゼム殿、私はあの方がどのようなお人柄なのか知りたくて、無礼ながらも馬鹿祭りの間ずっと観察してきました」
「おや、それはそれは熱心なことで」
「冗談はほどほどでお願いします。私たちはそんな仲ではありませんから」
「これはとんだご無礼を。申し訳ございません」
「いえ、いいんです……」
「ご無礼ついでにお尋ねしてもよろしいですかな。あなた様から見て、殿下はどのような人物でしたか」
ゼムの問いにフィーネは俯いた。
「……よくわかりませんでした。なにせ今のあの方――陛下は、ご自身を偽っておられますから。ですが、あの方は恐ろしいほどの働き者であることは間違いないとは思いました」
「おや?」
フィーネの答えをきいてゼムは口元のしわを深めながら笑みを浮かべた。
「さようでございますね。わたくしが思うに、あの方は、このウルガ王国一番の働き者でしょう。御幼少の砌より元々器用でいらしたのですが、多才で多趣味でもあらせられる。あの方お一人であらゆる職業を網羅し、国家ひとつを形成できると冗談を言う者さえいるくらい、本当に何でも出来る方なのです。まあ、流石にこれはたとえ話としても無理な話だとは思いますけどね。だってファーシャ様、独りで国を作ったって寂しいだけですからね」
「そうですね。あの方ったら出来ないことはないのではないかと思うほど、何でもできますよね」
「ええ。ですが、あの働き性を見ていると、時々わたくしは心配になってしまうのです。あの方は先王陛下が残した大きな傷を埋めるために、日々努力なさっており、日が昇り、沈むたびに街や人々の暮らしは見違えるように良くなっていっているようです。ですが、何故でしょうか。わたくしには、人々の笑顔が取り戻されてゆく度に、逆にあの方が日ごとに傷ついているように思えるのです。いかに優れた鋼の鍬や剣でも、無理が過ぎれば易々と壊れてしまう。どれほど強靭で美しい枝でも、しなやかさがなければ、ふとしたきっかけで折れて取り返しのつかないことになってしまう。あの方も、いつかそのようになってしまうのではないかと、不安が過るのです」
「ゼム殿……」
「ですから、レリファ=シシカ様があなた様を見つけてくださったという知らせを聞いてわたくしはとても嬉しく思いました。陛下は風の力を扱うことができず、翼王として不完全や、正当性についてなど、色々と陰で良くない話をされておりましたから、ようやくその日々から抜け出せるのでしょう」
「それは……」
フィーネの心が痛んだ。自分は本物の片翼ではないのに、彼はまっすぐ信じてくれている。本当のことを知れば、彼の信頼を裏切り、悲しませることになるだろう。
「ファーシャ様。不遜ながら、わたくしからお願いがございます。どうか殿下を――」
「何の話をしているんだ?」
背後から聞こえた声にゼムもフィーネも驚きで身動きできなくなった。
「こ……これは殿下!? い……いかがなさりましたか」
「いや、呼び掛けても反応がねえからどうしちまったもんかと思ってな。……向こうの方は大方片づいた。あとはおまえたちの作業が終わればおしまいだ」
「左様でございましたか。ありがとうございます」
深々と頭を下げたゼムに彼は柔らかな笑みを向けた。
「どう致しまして。役に立つことができていたら光栄だ」
「あなた様にはいつもお世話になってばかりですね。わたくしどもも、ちょうど今終わったところでございます」
「それなら良かった」
ラキアは柄にもなくにこにことしていたが、日が雲で陰るように急に寂しそうな目の色でゼムを射た。
「……なあ、ゼム。あまりそいつに余計な話はしないでやってくれ」
「しかし……」
「いやあ、照れちまうぜ。いくらおれが色男だからって、女を泣かすのは趣味じゃねえ。って話だろう?」
「あの……殿下?」
困惑するゼムの肩をぽんぽんと叩きながらラキアはげらげらと下品な声で笑った。
「そんな顔するなよ。わかってんだ。ホント困っちまうぜ」
「いえ……殿下、わたくしはそのようなことは一言も……」
ラキアはがっしりとゼムの両肩を掴み、妙に真面目腐った顔でゼムの鼻に顔を近づけた。
「いや、いい。皆まで語るな。お前にはいつも気を使わせてばかりでおれはとてもとても申し訳なく思ってるんだ」
「ちょっと、誰が色男なんですか? 馬鹿なことを言ってないでゼム殿の気持ちを考え――」
「あんたさ、あんまり辛気臭いことばかり考えてると眉間に筋肉がついて六つに割れちまうぜ? そんなんじゃ嫁のもらい手がなくなるぞ」
振り返りざまに言われた一言はフィーネにとって幼少期からの深い悩みの一つだったので神経を逆撫でした。
「あなたってなんて失礼な方なんでしょうか! 誰のせいだと思ってるのです!」
「さあ? 知らねえよ」
「そうですか、そうですか。そうですよね。……まあ、私の眉間が六つに割れる前にあなたの頭が禿げ上がっているでしょうから余計なお世話ですけれど」
「ったく、つくづく可愛くねえやつだな」
「別にあなたに可愛がられたくなんてありませんから。私の心配は不要ですから、あなたは一日も早くお気に入りのお妃様を迎えてその方を可愛がってあげてくださいね」
「なんだって?」
「なんですか」
しばらく睨み合っているとゼムが恐る恐る割り込んできた。
「お二人とも、喧嘩はほどほどになさってくださいませ」
「ゼム、見たとおりだ。おれとこいつが恋仲というのは断じて誤解だからな。こんな生意気なガキなんて誰が好きになるもんか」
「その通りです! こんなどこの馬の骨とも知れぬちんちくりんなんて好きになんてならなくて結構です。あなたにはもっと相応しいお相手がいるはずですからね!」
勢い任せに怒鳴ったものの、フィーネは急に目が熱くなった。
「あんた、まさか……」
「なんですか」
鼻をすすりながら答えたフィーネを見て彼の目が明らかに変化した。
「……もしかして、まだ自分自身を嫌っているのか?」
「え?」
その眼差しは七年前の夜の海でフィーネが自らの出自を嘆いた時にアウィルドが見せた瞳の色と同じだった。
「…………いいや、何でもない。変なことを聞いたな。ところで、すまないがゼム、この後こいつを清泉舎に送ってもらえないか?」
「申し訳ございません。やはり殿下ご自身がお送りして差し上げるのが良いかと思われます」
「お二方とも、大丈夫です。ひとりで行けますから」
「お待ちください、危のうございます」
「平気ですよ」
慌てふためくゼムを手で軽く制してラキアが前に出た。
「待て、気が変わった。おれが送る」
「ですから結構です」
「なんだと?」
「殿下もゼム殿もこの後お忙しいでしょう。これ以上お手を煩わせるわけには参りません」
ラキアは眉根を寄せてあからさまに不機嫌な様子で言った。
「あんたな、ブム殿の件を忘れたのか?」
「よく覚えておりますとも。清泉舎まではちゃんと周囲に気をつけて向かいます。ですが、もう殿下の大切なお時間をいただくつもりはございません。だいたい、私はあなたが思っているほど子供でもひ弱でもございません。ですからお先に失礼致します。ゼム殿、ありがとうございました」
フィーネがゼムに一礼して顔を上げると、ゼムも戸惑いながら頭を下げた。
ラキアは一瞬、フィーネの背後へ目を向け険しい顔つきになった。誰かいるのかと思ってフィーネも振り返ったが、その隙に彼は肩に触れてきた。
「ちょっと何なんですか!?」
彼は屈むと、片腕をフィーネの背中に、もう片方の腕を膝裏に回した。フィーネの身体はひょいと抱え上げられた。あまりに一瞬の出来事で何が起きたのか理解するまでに時間を要した。
「え!? 放して!」
「嫌だ。こんな軽々と持ち上がるんだ。攫われたらどうする」
「そうかもしれませんが、いきなり持ち上げるなんて何様なんですか! この変態!」
「変態で結構。ひとりで行かせてなにかあるよりよっぽどましだ」
「何も起こりませんし考えすぎです。下ろして!」
彼は再度同じ方向を一瞥すると、フィーネを抱えたままゼムに向き直った。
「ゼム、色々とすまない。片付けも手伝わないで申し訳ないが、急ぎ去ることを許してほしい」
「え……ええ」
「あと、申し訳ないが、午後の手伝いの約束は出来なくなった。重ねてすまない」
「いえ、こちらこそ、お手伝いいただけただけでとても助かりました。ありがとうございました。どうぞお気をつけて」




