間章 羽ばたく者への警告
――わたしはそなたと一緒に生きていたかった。ただそれだけだったのだ。それなのに、蒼穹に描いた、たったそれだけの願いであったはずなのに、それは叶わぬ願いだったのだ。
夢の微睡みの向こう側でその男は言った。
――こちらへ来てはならない。
緑の森の輝く木の葉のような色に似た彼の声を聞いたフィーネはまたか、とため息をついた。
これは小さい頃から繰り返し見る不思議な夢だった。理由はわからないが、この声が聞こえるときはいつも目の前が真っ暗になる。誰が話しているのか確かめたくて目を開いても、墨の中を泳いでいるような闇が見えるばかりで、姿はおろか影形すら見ることができなかった。
だからフィーネにはこの声の主がどのような人なのかわからなかった。
けれども、この声は老いた雰囲気はなく、どちらかといえば少年から青年に差し掛かった年頃の響きに近く、さらに言えば、不思議なことに彼の声はどこか懐かしさと愛おしさを呼び起こされるような心地がするのだ。
――わたしが頼んだ。そして天の主神は認めてくださったんだ。もう、そなたを縛るしがらみはない。自由にどこへでも羽ばたいていいんだ。だから――
いつもならばここで目が覚める。しかし、まだ覚めるわけにはいかない、とフィーネは歯を食いしばった。
この夢の中にいる時のフィーネは毎回、全身の感覚が根こそぎ無くなり、体の自由が利かなくなる。だが、不思議なことに今回はちゃんと四肢を知覚することができている。今までこのようなことはなかったし、これは好機だ。
この声の主が誰であり、誰に何を伝えたいのだろうか。
今日こそ真実を知りたいと願い、しゃがみ込んで手探りで足元の地面らしきものにしがみついた。
「ねえ、あなたは誰!? どうしていつも私の夢に現れるのですか!?」
意を決して出した大声は、虚しく闇に溶けた。
しばしの間、待ってみても、返る言葉はなく、沈黙が続いた。諦めるものか、と息を吸い込んでもう一度、呼んでみた。
「私の声が聞こえますか!? お願いだから答えて!」
やはり駄目なのか。向こうからの声は聞こえてもこちらの叫びは届かない。
そう思った時だった。
――エリーシャ?
「え?」
嬉しいことに男は返事をしてくれた。しかし、同時に予期せぬ名前に戸惑い、フィーネは息を忘れた。
――エリーシャ、エリーシャなのか!? その声はエリーシャだろう!? ……っ、どこにいるのだ? わたしにはそなたの姿が見えぬ! ……いいや、違う。そなたはあの日、イベルの川岸で、わたしの目の前で神殺しの手にかかって……。ああ、そうか。そなたはもう……。何故だ? なにゆえ、そなたは来てしまったのだ。あれほどわたしを追って来てはならぬと忠告したはずなのに、あの時だってそうだった。なにゆえそなたはいつもわたしの言うことを聞いてくれぬのだ。
「エリーシャって……あなたはエリーシャさんと知り合いなの?」
彼女の知り合いということは、やはりこの男も普通の人間ではないのだろうか。もしかすると魔術を扱えるのかもしれない。だからフィーネの夢に現れるのだろうか。
しかし、彼はフィーネの問いには答えてくれなかった。
――……かつてエリーシャだった某かに告ぐ。翼王を守ろうなんて考えはもう持つな。身代わりになったり助けたいなどと二度と思わないでくれ。そんな馬鹿げた考えは捨てて、そなたはそなたの道を生きるんだ。片翼になど絶対になってはならない。さもなければそなたはまた――
語りかけてくる男の声が急に遠ざかる。フィーネは水中から無理やり引きずり出されるような強い圧力と苦痛を感じた。
「待って、まだ大事なことを聞けていない。片翼になるってどういうこと!? あなたとエリーシャさんはどういうお知り合いなんですか!? まだ、目覚めるわけには――」
――いかないのに、と歯軋りしたが、無情にも夢は終わりを告げた。
今回は短いですが、今までフィーネが抱えてきた様々な問題に対する答えのヒントになっております。
次回から六章が始まります。
六章は、序章につながる物語となっていきます。
楽しんでいただけましたら嬉しいです。




