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五章 秘密を抱える者 (16) ロモのポボロ

「これはおれが育ったエスタ地方に伝わる昔話なんですがね、お聴きいただければ幸いです」

 そう前置きすると、ディムは朗々とした声で語り始めた。


「昔、ロモという村にポボロという少年がいたんです。ロモの村は北の国境に近かったから、隣国との長い間の戦に巻き込まれて多くの人が死んじまった。疲れきった村人たちは、『太陽の神(アース・レジール)』に平和を願った。村人たちの懸命な祈りを聞き入れた太陽の神は、自分の息子のひとりを村人に授けた。それがポボロだった」


「ポボロは、神でありながら人として生まれたもんだから、他の村人と見た目がずいぶん違っていた。光り輝く金の肌に金の髪。瞳は燃え盛る炎を宿し、八尺ほどの背丈の大男に育ったんだ。異形の姿は見る者に畏怖の念を抱かせ、村人たちはポボロを魔性の者として恐れた。彼は屈強な肉体を持っていたが知性も賢さも併せ持ち、とても強かったという」


 フィーネは頷いた。ロモの村の名は地図で見たことがあって名前は知っているが、ウルガの東北部のエスタ領の中でスーヴェ川が河口近くになり、北と南にかなり蛇行した地域にある村だったはずだ。


「ある時、村が盗賊に襲われた。心優しく勇敢なポボロは自分ひとりの力だけで盗賊を退治して村人を守った。彼のおかげで誰も怪我をすることも家や財産を奪われることもなく済んだんだ。……普通なら、ここでポボロは村人たちから感謝されるはずだった。けれども、村人たちの彼に対する仕打ちはひどいものだった。事件を経て、村人のポボロへの恐怖心はいっそう強まってしまった。ポボロは悪くないし、助けてくれたのだとわかっていたみてえだが、やっぱり、ポボロの見た目も、強すぎる力も普通の人間たちにとっては恐ろしかったんだ。だからポボロは自分を恐れる村人たちの気持ちを汲んで、何も言わずに村を去り、村はずれの洞窟の中に籠もってしまったんだ」


「その後、ポボロはずっと孤独に生きた。友も恋人も作らず、愛を知ることのないままに、彼は普段はこの世界のどこからも存在を消し続けた。時折、村が苦難に陥った時だけ洞窟から外に出て、村人たちを助けた。普段は仲間外れにするくせに、都合のいいときだけ利用されているだけの関係だとわかっていても、ポボロは村人たちのために助け尽くし続けた」


「何故そうするのかって? そりゃ簡単な話で、ポボロは、人々の願いを叶えるために太陽の神が遣わした『神の子』だったからだ。同時に、彼は誰よりも思いやりのある優しい心を持った『人の子』でもあったからだ」


「やがて、ポボロは人としての天寿を全うし、父なる太陽の神の元に帰って行き、村人たちは彼を神として祀った。太陽の神は生前、一度たりとも、誰からも愛されることのなかった息子を憐れみ、一人でも多くの人々から愛してもらえるように、彼を夜の天空の星座にした。今は名前が忘れられてしまってはいるが、南天に浮かぶ十字、それがポボロだ」


「日蝕として太陽が時折お隠れになるのはポボロに昼の世界を見せてあげたいという父神の気遣いによるものだという」



 その話を終えると、ディムは深々と息を吐いた。

「なんだか悲しいお話ですね。ポボロが可哀想」

「ファーシャ様もそう思ってくれますか。ですが、おれは、ポボロは可哀想だが、馬鹿だったと思っているんです。自分のせいでみんなが困るのは嫌だから、という理由で姿を隠さなければならなかっただなんて、そんなの悲しいじゃねえですか。しかも、自分を蔑ろにしてくるやつらのために、文句の一つもなく自分を犠牲にするなんて、尊敬は出来ますが許せません。いや、理解できねえ。おれは出来のいい人間じゃねえから、都合よく利用されても喜んで他人のために尽くし続けるような生き方なんてこれっぽっちも理解できねえんです。……おれは荒っぽい生き方しか知りませんから、もしおれがポボロだったのなら、持って生まれた力を生かして自分を理解しようとしない馬鹿な村人どもに自分の存在価値を認めさせてやる。そう思ってしまうんです」

 彼は拳に力を込めると堪えるように胸に当てた。手が震え、明らかに怒りが籠もっている。眉間には深い皺を刻み、口元を引き結び、彼は湧き上がる感情を押しとどめていた。

「……けれど、ポボロはそうしなかった」


 息を深く吐いて天を見上げた。

 なぜ彼は急に昔話など持ち出したのか。

 フィーネは彼の次の言葉を待った。


「ファーシャ様、覚えておいてほしい。他人のために自分を犠牲にするなんて、聞こえはいいけど、裏を返せば自分を大事にしていない愚か者なんです。優しくもなんともない。たとえ誰からも愛されなかったとしても、誰かのために役立ちたいと思って自分の意思でそうしたとしても、必ず悲しむ誰かがいるものなんです。……そして、ポボロは大昔の人間ですが、現在も異形じゃねえが異能を持っているせいで悩んで同じように自分を消そうとしている人物がひとり、この白鴎宮にいるんです」

「陛下……」

「ええ。陛下の場合はポボロと違って多くの者を傷つけてしまう力に苦しめられているんです」

 ディムは遠くを見つめた。

「……前に話したことがありましたっけ? おれは元はしがない盗賊でしてね。親父が謀叛人だった……いや、本当は何にも悪いことはしていねえ。ただ、近衛兵長でありながら、先々代の国王を暗殺から救えなかったことで罪を着せられて流罪にされたんです。何度も家臣たちが無実を訴えたけど罪は晴らせず、罪人のまま死んじまった。ガキだったおれは王家が憎くてたまらなかった。だから、エスタ領で色々と悪さをした。誰もがおれを謀反人の息子だと罵った。……けれども、アウィルド様だけは、おれを『謀反人の息子』という色眼鏡で見ないで信じてくれたんだ。すげー嬉しかったんですよ。そして、エスタを牛耳っていた馬鹿領主の悪行と不正を一緒に暴いてくれた。おれの親父の冤罪は晴れたし、陛下もおれのことを認めてくれた。だからおれは、あの方に仕えて恩返しをするって決めたんです」

 ディムの瞳は薄明の青い暗がりでもわかるほど、決意に満ちて曇りなき光を湛えていた。鼻の下から顎に掛けて生えた無精髭や、アウィルドよりも大柄な体格から第一印象は熊か犀(さい)か虎のようだと思っていたが、その瞳はまるで一羽の鷹のようだった。

 ディムはフィーネの倍の年月を生きてきた。そして、アウィルドよりも十歳ほど年上だ。だからこそ、フィーネもアウィルドも知らない時代を直に見聞きしているし、彼に比べればフィーネもアウィルドもまだまだ未熟者であるかのような気持ちを抱いた。アウィルドが直接、言葉でフィーネの無茶を諫めようとするのとは異なり、ディムは『昔語り』という体(てい)で婉曲的に諭してくれたのだ。

 言葉の応酬であれば売り言葉に買い言葉で簡単かつ予期せぬ方向に話が飛躍してしまい、収拾がつかなくなることがある。だが、真偽は定かではなくとも、物語として誰かの身に起きた出来事を聞かされると、その人物の心を追体験することで、自分の日頃の行いを客観的に振り返ることができる。そのような気がしたのだ。

 フィーネは自分を粗末にするな、と叱られたことが数え切れないほどある。その度に、伯父やヒレナに同じくらいの迷惑と心配を掛けた。

 だが、理屈としてはわかっていても自分の中の正義がそれを許してはくれなかった。そして、ディムの話を聞いていると、アウィルドリーシャも、もしかすると本質的な部分ではフィーネとよく似ているのではないかと少しずつ思い始めていた。

「……ディム殿はすごいですね。ラキア様とは違って大人ですね」

「おれはすごくなんかありませんよ。ただ、主がかなりひねくれた無茶苦茶な方なのでね。……ご機嫌取りの方法のひとつでも身につけておかないと厄介なことになってしまうんです」

 彼の笑顔は豪快だが、とても頼もしい。フィーネはアウィルドがどうして彼を自身の護衛として手元に置いているのか、少しだけわかったような気がしたのだった。 


 その後も二人でしばらく取り留めないことを話していると、渡り廊下から呼ぶように声を掛けられた。


「ファーシャさまっ! お捜ししましたよ!」

「ヒレナ!?」

 彼女の声に驚いて振り返ると、ヒレナが慌てた表情をして息を切らしていた。彼女の服装は昼前にこの中庭でセイファンに呼ばれて行った時と変わらぬままで、沐浴をしていない様子だった。

 彼女は駆け寄ってくると、ディムに深く一礼した。

「レムリス様、感謝申し上げます。」

「いえ。こちらこそ、来てくださってありがとうございます」

 ヒレナはフィーネに向き直ると謝罪した。

「ファーシャ様、お側を離れてしまい申し訳ございませんでした」

「ううん。気にしないで。セイファン様とのお話は済んだの?」

「はい。ヘーシャ殿を襲撃した犯人について、現場に残されていた髪の毛や足跡、それと警備体制の変更についての説明を受けておりました」

「そうだったんだ。……でもヒレナ、どうしてここがわかったの?」

「神鳥様にお導きいただいたのです。それと、あなたが殿下に一方的に怒鳴られたというお話も途中で耳にいたしました。全身に痣が浮かんでおられますし、一体何があったのですか?」

「それは……」

 どこから説明すれば良いのか困ってフィーネは口をもごつかせた。ディムが狼のようにわざと大きな声を出しながら深呼吸したため、会話が打ち切られた。ヒレナも今はそんな話をしている場合ではないと悟り、何も言わずに頷いた。

「まあ、ヒレナ殿。ひとまず急いでファーシャ様を緑水宮にお連れしましょう。足を痛めてしまわれたようで、申し訳ねえんですが、ヒレナ殿、ファーシャ様を背負ってはいただけませんか?」

「かしこまりました」

「……殿下には見つかると厄介ですから、抜け道を使いましょう。おれについてきてください。くれぐれも内密に」

「はい」

 ヒレナに背負われたまま、ディムの案内を受けてどこかの壁の内の隠し通路に入ると、しばらく階段が続いた。

 通路は建物内に通じていたが、白鴎宮の地図に疎いフィーネには二人がどこを歩いているのか今ひとつわからなかった。

 しばらくして、緑水宮の自室にたどり着くと、ディムはにこやかに辞去の挨拶をして引き返していった。



 自室に戻ると、ヘーシャ・ブムが腕組みをして難しい表情をしていた。

 いつの間に決まったのか、話し合いの結果、彼女はひとまず片翼候補付きの下女となったのだという。片翼候補付きの女官は多けれども下女の手が足りていなかったからちょうど良かったとデーデ女官長が認めてくれたらしい。ヒレナが急にセイファンから呼ばれ、夕方になっても戻ってこなかった理由は様々あったそうだが、ヘーシャの異動の手続きや準備もそのうちの一つだったという。

 彼女と改めて挨拶を交わすと、彼女は深々と頭を下げた。


「どうしたの、ヘーシャ殿?」

「申し訳ございません。そして、ファーシャリーシャ様。新参者かつ一介の下女であるわたくしが今からこのような出過ぎた発言をすることをどうかお許しくださいませ」

 彼女は恭しく頭を下げてフィーネを敬った。だが、次に顔を上げて気弱そうな表情を見せた彼女は、見た目の印象とは正反対の強い口調で言った。

「ですが、わたくしは納得いかないのです! わたくしを助けてくださったことが発端となり、ファーシャ様が殿下に皆の目の前で叱られたなんて……。そもそも、殿下だっておかしいのです。あの方は普段はあんな支離滅裂で権力を振りかざすようなことは仰ったりしません。しかも、何にも悪いことをしていないファーシャ様を皆の前で頭ごなしに叱るなんて、あんまりだと思います!」

「ええと、普段の殿下のことはよくわからないのですが、そんなにおかしかったのです?」

「ええ。それはもう! とは申しましても、わたくしはその場にいなかったため、事情を当事者から話を伺い、推測しているのみにすぎませんが、後日処罰を下してやる、というのは殿下らしくありません!」

 そこまで叫ぶと彼女は一呼吸した。

「わたくしは昨年の馬鹿祭りで『ファム』に任じていただいたご縁により、下女の身分ではございますが、殿下とは少しだけ面識がございます。そして殿下はわたくしや洗濯場の下女や下男にも気さくに話し掛けてくださるのです。その時の殿下はいつもお優しく、皆の些細な相談事に乗ってくださったり、男物の衣類の洗濯や量が多いときは高い場所の物干しを手伝ってくださるような、王族としては謙虚でとても親しみやすい御方なのです」

 彼女は一言無礼を詫びてから、布越しのフィーネの顔や、手足に順々に視線を移した。

「……ファーシャ様。その痣はとても痛みがあるものだと伺いました。殿下はファーシャ様がご自分から傷ついていく姿をこれ以上ご覧になりたくはなかったのではないかとわたくしは考えております。今朝方、殿下はわたくしにいくつかの選択肢を提示してくださいました。犯人が捕まっていないうちは洗濯場の下女に戻るのは危険だ、と仰られ、里下りするか、下女ではなく陛下付きの女官になるか。その他にもわたくしの身を案じて様々な異動先の候補を提案してくださいました。その中にファーシャ様付きの女官の話が挙がり、わたくしはファーシャ様に女官ではなく、下女としてお仕えしたいと申し出ました」

「ヘーシャ殿……」

「殿下は誰かに対して頭ごなしに命令で人を縛る性質の為政者ではございません。時にはそうしなければならないこともあるそうですが、可能な限り、相手の気持ちを双方納得行くまで確かめてから最良と考えられる選択をなさる方でございます。それなのに感情を激しく乱し、おかしな発言をなさったということが意味することは、ファーシャ様の痣を前に、ファーシャ様にこれ以上傷ついてほしくないととても悲しまれたのではないかとわたくしは考えております」

「ありがとうございます、ヘーシャ殿」

 フィーネは彼女から見た普段のアウィルドの話を知ることができたことを嬉しく思った。同時に、今のフィーネは『ラキア』としての彼しか最近のアウィルドを知る術がないことを心の底から悔しいと憤った。


 そこにトムカがやってきた。

「ファーシャ様、今晩のご夕食は、自室でとられますか?」

「いいえ。雀の間でいただきます、と伝えてもらえる?」

「かしこまりました。それでは伝言承りました」

 彼女は一礼すると、きびきびとした足取りでフィーネの返答を伝えに行ってくれた。

 本当はあちこち痛みがひどくて自力で動けないのだが、先ほどあれだけラキアに向かって生意気な態度で啖呵を切ったのだ。自室で夕食をとれば、フィーネは治癒の力の痛みに負けていたことが彼にばれてしまう。

 それに、何だかんだ言って彼はフィーネの身を案じてくれてはいたのだ。だからこそ、完全に彼の意見を認めることはできないが、一言だけでも謝罪はしたいのだ。

 雀の間まではヒレナに迷惑を掛けてしまうことになるが、フィーネは彼から逃げたくはなかった。

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