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五章 秘密を抱える者 (15) 救う者の傷と力の使い道

 馬鹿祭り七日目。

 午睡も終わった後の十八時。

 今日は秋分で、すっかり日暮れも早くなって外は薄暗くなっているというのに、東宮殿の青鷺(あおさぎ)の間の前の中庭には、老若男女数十人が集まってごった返していた。


「……ここは怪我人の巣窟か?」


 木陰から人々の様子を遠目に覗き込みながら、ラキアは眉間に皺を寄せていた。


 今朝は起床後、レリファ=シシカと共に地面に杖で線を描きながら王宮の各建物を巡り、結界の修復の儀式を行った。王宮の外郭と内郭を区切る内郭門のひとつである金烏門で神官から潮花香の材料の海水を受け取って、西宮殿の鳳凰の間に設けられた仮の神殿に運び込んだ。そこで、水瓶の中に海水と大量の花と、精油を放り込んで蓋をして放置した。

 その後は中庭で花の世話をした。フィーネがまた医務室でヘーシャ・ブムの見舞いをしていたので先に清泉舎で身を清めることにした。それから医務室に戻ると、ヘーシャ・ブムと今後の処遇の相談をした。彼女から色よい返事をもらうと、セイファンやロルア侍従長に相談した。


 夜明け前から立て込んだ雑事を適当に片付け、雀の間で誤嚥(ごえん)しないように細心の注意を払いながら、頑張って朝食を丸呑みした。今朝は干し貝柱の粥で助かった、とほっとしながら噛まずに飲み込んだが、途中で二度噎(む)せそうになって焦った。


 無事に朝食を終えて自室に戻ろうとしたところ、フィーネとヒレナとノルンが尾行しようとしてきたので壁の裏の隠し通路に入り込んで彼らを撒いた。


 いつの間にあの三人は仲を深めたのだろうか、と疑問を抱きながら服を改め、朝の議会に臨み、監督役の『第三王子スヴァロン』として肘をついて国王の席に寝そべり、大あくびをかきながら様々な議題を見守り、時折茶々を入れて大臣やセイファンを攻撃した。

 それが済むなり、鳳凰(ほうおう)の間に再び行って、朝方漬け込んだ潮花香を桶に汲んで柄杓を携え、王宮のあちこちでへんてこな舞を踊った。

 今日はミンダロン領の酒作り職人に伝わる『へべれけ舞』を選んだが、とても評判が良かった。ただ、一度だけ屋根から足を踏み外して頭から落下したが、たまたま下にバルコニーがあったので曲芸を披露してごまかすことに成功した。

 それから王宮内をあてもなくぶらつき、下女が渡り廊下の屋根の高いところについている蜘蛛の巣を落とすのを手伝ったり、下男がゴキブリ退治に苦労していたので、内心虫が怖くて逃げ出したくなるのを堪えながら手伝ったりした。

 そうやってふざけながら、ヘーシャ・ブムを襲った犯人の手掛かりがないか鳥に聞いたり、現場を改めて確認したり、暇そうに見えてそれなりに忙しい午前中を過ごした。

 その後はヘーシャ・ブムをデーデ女官長に引き渡し、厨房で奉納用の焼き菓子の仕込みをして、また屋根の上で踊り、皆が午睡をしている間に薪窯で焼きながら遅い昼食を摂った。

 この後は午後の議会と夕食と政務と書類の確認と印鑑をひたすら押し続ける仕事が待っている。


 ――そう。襲撃犯を捜すという変則的な問題はあったが、今日は途中までは普段通りだったのだ。


 だが、午後の議会が終わって議場を出た時に彼は目を見開いた。

 昨日ぎっくり腰で動けなくなり、今朝方医務室で寝込んでいたはずのアウィルド付きの侍従が、平然と仕事をしていたのだ。

 さらにある噂が耳に入ってきて、ラキアは一瞬ではあるが眩暈を覚えた。


 さては、あの馬鹿(・・・・)がまた何かやらかしたのではないかと、果てしなく嫌な予感がして青鷺の間の前の中庭に急ぐと、案の定そこは祭のように人でごった返していた。


 群衆の中央――官吏や女官達に囲まれて噴水の縁に腰掛ける小柄な色白の少女の姿を捉えると、ラキアは腹の奥から底知れぬ怒りがこみ上げてきた。彼女の顔は布で隠れているものの、腕や爪先など見える部分の白絹のような肌には今、呪詛でもされたかのような禍々しい黒い線が何本も浮かび上がっていた。

 彼女が腰の曲がった老齢の文官の手に触れたかと思えば、文官の身体が白い光に包まれた。ラキアはその光景に目を剥いたが、文官もまた驚いた様子で少女に何か話しかけていた。光が収まると彼の腰がすっかり良くなったのか、若者のようにすっと真っ直ぐ立ち上がって軽やかにその場で飛び跳ねて喜びを露わにした。


 彼女が実際に『例の腕輪』の力で他者の傷を癒やす瞬間を、ラキアは初めて目にした。だが、彼の夜の海のような瞳には、その光景が奇蹟ではなく、一種の呪いのように映った。


 そして奇妙なことに、どれだけ目を凝らしても、気配を探ってもその場にヒレナとノルンがいなかった。ラキアは背後に控えていた髭面の近衛兵長に尋ねた。

「……ディム、ヒレナ殿とノルンを見つけられるか?」

「いいえ。二人ともこの場にはおりませんね。ちょっと聞いてきますから殿下はこの場でお待ちくださいね」

 そう言い残して彼は集団の中に入っていった。

 気をつけていたはずなのに、声に感情が乗ってしまったことを恥じて、ラキアは何度も深呼吸をしながらディムが戻ってくるのを待った。


「戻りました! ……二人はそれぞれセイファン様と最高神官長(レリファ=シシカ)様に呼ばれてファーシャ様のお側から離れたそうです。護衛として、ムヴァン・カルヴァ殿がいるから大丈夫だ、と」

「……ムヴァンの姿も無いようだが」

「それは……そうですね。探してきます」

「その必要はない」

 ディムは眉尻を下げてラキアの心情に対して心配するような目を向けてきた。

「……どうかお心お鎮めください」

「……おまえに問うが、この状況を目の当たりにして如何にして冷静でいられると思うか?」

「ええと、まずは夕飯のことを考えましょう! 今夜は海老の餡掛け焼そばが出る予定だそうですよ。食後の菓子は揚げバナナだそうです! しかもココ椰子がよく利いたやつですよ! 楽しみですよね!」

 ディムが宥めようとしてくれていることは理解できる。今夜の料理もとても美味しそうだ。特に揚げバナナは外が軽くさくさくして、中はとろりとしていて大変美味だ。しかもココ椰子の甘い香りと合わさると、最高に美味だ。

 だが、かの味と香りを脳裏に思い描いても、目の前で起きている問題に対する怒りでラキアは全く自分の心を鎮めることができなくなっていた。



 フィーネは紙で指を少し切ってしまったという女官の傷の治療を終えると痛みに耐えるように息を吐いた。


 ――少し治しすぎたかもしれない。


 今の女官で最後だったが、限界が近いことを悟った。

 今日はヒレナとノルンとラキアを尾行するつもりでいたのだが、途中で見失ってしまい途方に暮れた。それからラキアを捜して王宮を歩き回ったのだが、その途中で、転んで足を擦りむいた女官に遭遇したのだった。彼女の傷を癒すと、彼女は医務室で寝込んでいる知り合いを助けてほしい、と頼んできた。

 ヒレナとノルンには止められたが、ぎっくり腰は一度発症すると癖になることもあるので気の毒に思い、彼女の願いを引き受けたのだった。

 そこまではまだ、特に問題はなかったのだが、フィーネがぎっくり腰の患者を治癒させたのを見ていた他の患者が、自分の傷を治してほしいと平伏してきたのだった。

 医務室にいた怪我人を片っ端から治癒させてからフィーネは痛みを堪えながら部屋に戻ろうと考えたのだが、途中で青鷺の間の前の中庭でまたもや傷を治してほしいと願い出る調理師が現れたのだった。

 ヒレナとノルンはやはり反対してきたのだが、フィーネは快く応じて二人に叱られた。中庭の噴水で腰掛け、二人から窘められていると、何事か、とたまたま通りかかった剣の訓練帰りのムヴァン・カルヴァの一行に尋ねられた。

 彼に事情を説明していると、セイファンと最高神官長(レリファ=シシカ)が現れ、ヒレナとノルンに用があると連れて行ってしまったのだった。

 残されたフィーネは、カルヴァと一緒にいた青年達が多かれ少なかれ怪我をしていることに気づいた。

「ちょっと痛そうですね」

 それからフィーネは昼食も午睡も取らずに一人、また一人と次々集まってくる患者を治癒し続けたのだった。



「あんた、何様のつもりだ」

 少し目を閉じて休んでいると、ラキアに声を掛けられた。普段は飄々としている彼らしくない、珍しくどすの利いた声に驚きつつも、フィーネはなるべく感情が表に出ないように気をつけて無難な返事を選んだ。

「あ、殿下。こんばんは」

「こんばんは、じゃねえよ。あんた、ここで何をしている?」

「ええと、皆様の傷を治しておりました」

 へへへ、とつとめて明るく笑うと、間髪入れずに「馬鹿!」と、ラキアの怒声が頭上から降りかかった。

「なにゆえそなたはそのように無茶をするのだ!?」

「え? 急に大声を出したりしてどうな――」

 言い終わるよりも前に痣の浮かぶ腕を強く掴まれた。腕には先ほどまで治癒の腕輪で引き受けた傷の痣が数え切れないほど浮かんでおり、フィーネは痛みで思わず叫びたくなったがぎりぎりのところで堪えきった。

 彼はフィーネの腕の痣を険しい顔で凝視する。

 鷹のように鋭い目つきだ。その視線が冷ややかで怖く、フィーネは少しだけ怯んだ。

 怒っているのだ、と直感した。

 その理由は察しがついたが、何もいきなり怒鳴ることはないではないか、と言い返したくなったものの、彼の手の力が強いことと治癒の力で引き受けた傷の痛みが辛(つら)かった。

「あの……」

 痛いので離してほしい、そう訴えると、ラキアはすまない、と一言詫びて手を離した。それから彼はしばらく頭を抱えて考え込んだ後、深くため息をもらした。

「よく聞け。その力は軽々しく使うべきではない。確かに、それは他者の傷を癒すことができる、とても素晴らしい力だ。しかし、他人の傷を治す代わりにあんたが痛みを引き受けるのだろう?」

「それは大丈夫です。一昨日も申し上げましたが、痛みがあるだけでこれといって命にかかわりはしませんし、跡形もなく治りますから」

「痛みがあるものが大丈夫なわけないだろう!」

 近距離で聞かされる大声に驚き、フィーネは思わず肩を上下させた。その様子に彼は再び「すまない」と詫びると目の高さを合わせるために屈んだ。

「いいか、あんたに何かあるとあんたの父親に申し訳が立たない。それに、あんたの故郷は人々の気だてもよかったのかもしれないが、王都には力を利用したがる者や人攫いや、よからぬ考えを持った者が大勢潜んでいる。むやみに使えばあんたの身を危険に晒す恐れがある。だから、絶対に使うな」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない!」

 とフィーネは口を尖らせた。

「確かにあなたの言う通りかもしれません。ですが、怪我が治ることは悪い事じゃないと思います」

 彼の言い分も頭ごなしに否定するつもりはないし、彼の言いたいことも自分の軽率さも理解できる。だが、たとえ身を削ることになっても、医師であるフィーネにとってこの力は、いかなる財宝にも勝る価値のある力であった。

「あなたの言いたいことが正しいのはわかります。ですが、私は間違っていたとしても、私の意思でそうしたいと思っているのです。自分にできることをしないでただ見ているだけなんて卑怯だと思います」

「考え無しに力を見せびらかすことは愚かなことだ。優しさと無鉄砲は違う。もし、悪人があんたに無理やり力を使わせるためにヒレナ殿を人質にしたらどうするつもりだ?」

「それはとても困ります。ですが、その時は戦うまでです。この力は誰かを助けるためにあるんです」

 淀みなく述べたフィーネの答えを聞くと、ラキアがため息をついた。

「あんたは武人ではないだろう。どうやって戦うつもりだ」

「私は弓を扱えますし馬にも乗れます。それにヒレナも強いです」

「そんな話をしてるんじゃねえ! ……あんたは馬鹿よりたちが悪い。お人好しをこじらせて意固地だな」

「それは……」

 と答えに詰まり、フィーネはもごもごと言葉を萎ませた。

「いいか、ファーシャ殿。誰かの傷を一瞬で治してしまうなんて芸当は普通の人にはできないことだ。だからこそ人の世には医者がいる。怪我をした者には辛いだろうが、自然の摂理に従いつつ、医者の手を借りながら、自分の力で治ってもらうことが一番だろう。……あんたが力を使うときは、先日のブム殿のように、その力がなければ助けることが出来ないほど重い怪我を負った者を助けるためくらいに留めておいたほうがいい」

 でも、となおも食い下がりたくはないフィーネだったが、思いのほか足に浮かんだ痣が痛んでそれどころではなかった。

 表情や声にこそ出していないが、実のところ先ほどからずっと感じているものはかなりの激痛で本当は今にも叫びたい気分だった。



「いいか、今後ドウゴの判断を仰ぐこととする」

「どうして」

「きりがないだろ! あんたも、奇跡を安売りするな」

「安売りだなんて言わないでいただけますか? 困っている人を助けることの何がいけないのですか? 私は目の前で困っている人を見過ごすなんてしたくありません! あなたは陛下ではありません。片翼候補として私が何を考えてこの力をどう使おうとしているのかも知らない癖に、勝手に決めないでいただけますか!?」

 彼の言い分はわかるがやはり納得いかず、腹立たしい。

 そもそも、アウィルドはすぐに怪我が治ってしまうから怪我が治るまで耐える人々の苦しみを理解できないのかもしれない、とは思いつつも言葉にはしなかった。それだけは言ってはならないことはわかっていたのでフィーネはぶすっと頬を膨らますに留めて下から睨み上げた。


 良かれと思っても利用されるだけなら利用されても構わない。

 痛い目をみるなんて、まずは目の前で苦しんでいる人を助ける方が先だ。

 もちろん、フィーネは万能ではないし限界はある。

 医者から仕事を奪うつもりはないどころか、ただ手助けになりたいだけだ。

 頼まれるからってなんでも安請け合いし続けていると、確かにいつか取り返しのつかないことになるかもしれない。


 そんなこと、言われなくともフィーネだってわかっている。わかっていてもなお、それを理由に逃げたくはないのだ。

 あのエレス大火を、先王の虐政をググスの乱や王都大火で生き延びた遺された者として、決めたのだ。

 だからこそ、いくらアウィルドリーシャが相手であっても絶対に信念を曲げたくなかった。


 睨み合いを続ける二人を心配してくれたのか、四十歳くらいの兵士がそろりと口を挟んだ。

「……あの、恐れながら殿下。一介の兵士たるわたくしがこのようなことを申し上げるのは恐れ多く存じますが、我々はファーシャ様のおかげで救われました。縫い物はどうにも苦手で――」

「針仕事で指先を突いたくらいで頼るんじゃない!」

「申し訳ございませんっ!」

 慌てふためく兵士の様子を見て、苛立ちが激昂に変わった彼は鋭い視線でこの場にいる野次馬達をぐるりと見回した。

「おまえたち、何を見ている!? そんなに面白いか?」


「いえ、そのようなことはございません!」

「殿下、どうかファーシャ様をお許しください」

「あまり苛々なさらないで」

「ファーシャ様は我々を助けてくださっただけです! 叱ったりなさらないでください!」

 フィーネの味方をしてくれた人々の言葉に苛立った様子でラキアは立ち上がると、改めてその場の者を一通り睨め回してから叫んだ。


「片翼候補とディム・レムリス以外は早急に一人残らずこの場から去れ! さもなければそなたらの顔を覚えて後日しかるべき処罰を下すぞ!」

 普段の彼から全く想像がつかないほどの冷ややかな声音が恐ろしくてフィーネをはじめとして全員が身震いした。そして恐らく本人でも何を言っているのかわからなくなっているのではないかと思えるほど物騒な発言が恐ろしくて皆、蜘蛛の子を散らす勢いで逃げていった。

 ラキアは、無駄に記憶力がいい。顔と名前を覚えられれば後からどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。なるべく彼の印象に残らないように彼らは顔や髪を隠してフィーネに礼を叫んだり無事を祈る言葉を述べてからその場を後にした。



 人が去ったことを確かめたラキアは苦々しい顔でフィーネを振り返った。


「怖がらせたのなら謝ろう。……すまなかった」

「別に、怖がってなんかいません」

「動けるか?」

「はい」と立ち上がろうとする。しかし、痛みのせいか、はたまた驚いたせいか、うまく足に力が入らなかった。

「痛むのか?」

「違います! あなたがあまりに大声で怒鳴ったから驚いて腰が抜けただけです」

 彼の問い掛けにフィーネは怒鳴り返すとそっぽをむいた。

 ラキアは困った様子で考え込むと、今度はとても優しげな声音で手を差し伸べてきた。

「立てるか?」

 だが、フィーネは彼の手を取ることなく平手であしらうように空中で叩く素振りをした。

 これにはさすがにラキアも気を悪くしたらしい。かすかに顔に怒りを滲ませながら彼は言った。

「……何だよ」

「あなたの助けは不要です。放っておいてください」

 ぶすっと頬を膨らませながら睨んでいると、ラキアはフィーネに手を伸ばし、無理やりその体を両手で抱え上げた。

「ちょっ……何するんですか!?」

 降ろして! と肩に掴みかかった。

「こら、暴れるなっ。落とすだろ!」

 彼は身体の均衡を崩しかけたが、すぐに体勢を立て直した。

「別に構いません。さっさと落とせばいい」

「……本気で言っているのか?」

 やや怒りをにじませながら彼は軽々と小柄な身体を手で固定した。

「観念しておとなしくしろ。それと、おれは別に、あんたのことを助けるわけじゃねえからな。あんたにもしものことがあると賭けが台無しになる。ただ、それだけだ」

 彼の偉そうな態度にフィーネはむかむかと反感を抱いた。

 なんて天の邪鬼な男なのか。それに、悪気はないのだろうが身体に触れられているのはあまりいい気分ではない。以前、『鳥の渡り』の夢の中で彼の手に包まれたことはあったが、実際に人の姿で身体に触れられるのは、どうにも落ち着かなかった。

「……あと、ふらふらなまま王宮の中を歩かれるとあんたを心配する輩が次から次へとおれに何とかしろと言ってきて面倒なんだ。一応、馬鹿祭の監督として、見過ごすわけにはいかねえんだよ」

 いいな、と念を押す声は強く、断ることができず、フィーネは黙って頷いた。

「ったく、あんたはもう少し自分の立場を考えろ」

「……そうですね」

 確かに、片翼候補が足を引きずって歩いていたりすればそれを見た者たちは何事だろうかと不審がるはずだ。ちょっとした騒ぎになりかねない。


 小言だが正論を言われぐうの音も出ない、と認めはするものの、自分の思い通りに行動できない片翼候補という立場はかなり面倒だ、と辟易した。それでもやはり、彼の助けを借りるわけにはいかなかった。

「……申し訳ありませんが、今すぐ降ろしてください」

「なに?」

「私はあなたの人形じゃありません。自分の足で歩いて帰ります」

 ラキアはしばし無言でいた。

 何を考えているのかはわからないが、ややあって彼はフィーネを丁重に噴水の縁に降ろした。


 向き合う形となると、改めて彼の不機嫌さが目に見えてわかった。

「……あんたが倒れでもしたら誰があんたのことを助けるんだ。もう少し自分を大切にしろ」

「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、そのご命令には従えません。これは私の務めにございます。何度も申し上げておりますが、私は自分にできることは惜しみたくありません」

 その言葉に彼は傷ついたような顔をした。だがそれも一瞬のことで、すぐにむっと腹を立てた様子で無言でこちらを睨んできた。

 呆れているだろうな、とフィーネは胸が痛んだ。ラキアの言うことは間違っていないとフィーネもわかっていた。フィーネも大切な人たちを危険な目に遭わせることは嫌だと思っているし、出来るだけ避けたいと考えている。しかし、自分に出来ることをしないでただ傍観してやり過ごすことはどうしても我慢ならなかったのだ。


「……勝手にしろ」

 議論するだけ無駄だ、という雰囲気で彼は一方的に話を打ち切った。

 もはやフィーネと目を合わせることもなく、憤然とした様子で彼は立ち去っていった。



 第三王子の姿が見えなくなると、そろりとディムが言った。


「……あまり殿下を悪く思わないでやってください。ただ、あれは天邪鬼なんです。あなたのことが心配なだけなんだと思いますよ。ああ見えてもじつは馬鹿かつくほどのお人好しで、昔から困っている人がいると見過ごせない質(たち)といいますか……。とにかく、そのせいで何度も散々な目に遭ってきたのです。騙されて殺されかけたり人質を取られたりしたこともあるんです。だから、あなたにその苦労を味わわせたくないと考えてついあんなきついことを言ってしまったのだとおれは思いまして……」

「存じております。……私だって本当はラキア様の仰ることが間違いではないとわかってはいるんですが、少しむきになってしまいました。ですが、ラキア様の分からず屋! 目の前で痛みに苦しんでいる人を助けることは間違っていますか?」

「それは難しいところだな。ファーシャ様は自分を傷つけて楽しいですか?」

「いいえ。あまりいい気はしません」

「そうですか」

 ディムは翡翠葛(ひすいかずら)の花のように太い眉の端を下げた。

「あなたは他人の傷を癒すことが出来る。ですが、あなたが負った傷は誰が癒やしてくれるのでしょうか。おれはなんだか不公平だと思うんです。片翼様は他人の傷を治せるけど、自分は自然に治るのを待つしかないなんて天の主神(ナハートアム)は、ひどい方だ」

 そう結論づけた言い方をした瞬間、彼は慌てて付け加えた。

「いけねぇ! 神様を侮辱するつもりはなかったんです。けど、やっぱり納得いかないというか……」

 口元の髭をもごもごさせる様子が可愛らしくてフィーネは拳を口元に添えて笑った。

「ディムさまはお優しいですね」

「そんなことを言われちゃ少し照れますね」

「本当のことです」

「……ありがとうございます。それと多分、殿下も同じ気持ちなんだと思います」

 そうだろうか、と目を伏せた。


 ラキアには謝らなければならないはずだ。だが、こちらから謝ることはできないと思った。それは、自分の信念を曲げることになる。


 どうしたらいいのかフィーネにはわからなかった。


「さて、ファーシャ様。歩くことはできますか?」

「ええ。平気ですとも」

 とフィーネはひょいと立ち上がったが、足に稲妻が走ったような感覚がしてその場に崩れ落ちかけた。咄嗟にディムが肩を支えて椅子に落ち着かせてくれた。

「……こりゃ重症じゃねえですか」

「いえ、すみません。先ほどのラキア様が怖かったせいか、ちょっとだけ腰が抜けてしまったみたいです。体調のほうはまったくもって大丈夫です」

「いや……」

 フィーネの虚勢を見破った彼の口に向けてそっと人差し指を向けて言葉を遮った。

「ありがとうございます。ですが、このことはどなたにも言わないでいただけますか」

「それは約束しかねますね。おれの主は陛下です。あの人から問い質されれば答えねえわけにはいかないんです」

「では、私をここに置き去りにしていってください」

「いや。その命令も承知いたしかねますね。ファーシャ様をおひとりにしてはならねえと命じられております」

「困りましたね」

 彼の返答に降参し、フィーネは空笑いを浮かべておどけてみせた。だが、ディムはにかっと白い歯を剥き出しにして笑顔を浮かべた。

「いえいえ、ご安心ください。ファーシャ様、このディム・レムリスには、とっておきの秘策がございますからね」

 ディムはひゅいっと口笛を吹いた。

 しばらくすると、どこからともなく神鳥(アシュハド)が舞い降り、フィーネはびっくりした。ディムが神鳥に何やら耳打ちすると、すぐにどこかに向けて飛んでいってしまった。


「ディム殿、今、神鳥様が……」

 ディムは再びにっと歯をむき出しにして力強く笑った。

「それならファーシャ様、せっかくですからちょっとおれの話でも聞いてもらえませんか?」

「え?」

「唐突ではありますけど、少しお付き合いいただけますとディム・レムリスとしてはたいへん嬉しいのです。ファーシャさまは、ロモのポボロという昔話をご存じですか?」

「いいえ。それは、どのようなお話なのですか?」


 ――これはおれが育ったエスタ地方に伝わる昔話なんですがね、お聴きいただければ幸いです。


 ディムはまるで芝居小屋の語り部のように快活かつ朗々と語り始めたのだった。

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