五章 秘密を抱える者 (11) 黒痣が見せる記憶
夜半近くになると、ラキアとセイファンが部屋を訪ねてきた。
「夜分遅くの訪問となり申し訳ございません。今夜はゆっくりお休みいただきたかったのですが、急ぎ確認したいことがございまして。ファーシャ様、お加減はいかがですか?」
にこやかに明るく振る舞うセイファンに対して、彼の後ろに立つラキアは眉根を寄せて不機嫌そうな顔をしていた。
寝台の上で二人を出迎えたフィーネは無礼にならないように姿勢を変えようとしたが、胸の中央に切り裂かれるような激痛が走り、その場でくの字に折れ曲がるようにうずくまった。
「ご無理をなさらないでください。まだ、痣が痛むとうかがいました」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、これくらいでしたら大丈夫です」
「……大丈夫なわけがあるか。気を失うほどの痛みなのだろう?」
理由はわからないが、かなり機嫌が悪そうなラキアにはあえて触れないようにしてフィーネはセイファンに目を向けた。
その瞬間もラキアが冷ややかな視線でフィーネの身体をまじまじと見てくるため、視線が痛い。
額に浮かんだ黒い痣を見ているのだ、と気がついてフィーネは急にそれを隠したくなった。ヒレナが用意してくれた長袖の上着を羽織っているため、腕や胸の痣は見られないはずだが、どことなく後ろめたい気持ちになる。
さらに、苦々しい顔で凝視されると、どう対応したら良いのかわからず言葉に詰まった。
ラキアは寝台の傍らの床に片膝をつくと、フィーネと目線を合わせた。
「……ファーシャ殿。あんたのおかげでブム殿の命は助かった。感謝する」
「え……」
「ドウゴによると、ブム殿が受けた傷は致命傷だった。あんたが助けてくれなければ、彼女の命は今頃無かった。……本当に、ありがとう」
先ほどまでの彼からは想像もつかないほど柔らかな笑みで礼を言われてフィーネは戸惑った。
「いえ、お役に立てたのでしたら良かったです。ところで、ブム殿を襲った賊についてなにか手がかりは得られましたか?」
歯切れの悪い口調で答えるとセイファンは息をついた。
「手掛かりはあまり得られませんでした。ただ、ブム殿は斬られる直前に、唸る風のような音を聞いたと答えたそうで、最高神官長は死魔の仕業ではないかと推測しているようです」
「そう決めつけることは早計だとおれは思うぞ。本当に死魔の仕業かもしれないが、あれは昼間は活動が鈍って人間を襲うとは考えにくい。まずは人間の仕業ではないか確かめる必要があるだろう」
「わたくしもそう思います。……せめて、誰か目撃者でもいればよかったのですが。彼女も相手の顔を見てはいなかったそうですし」
残念がるセイファンのため息にラキアとヒレナのため息も重なる。
「……あの、セイファン様。ブム殿を襲った賊というのは、顔を西の魔の王の仮面で隠していませんでしたか?」
「……え? え…ええ、その通りです。賊は建国記念の奉納の舞に使われる、西の魔の王の仮面をつけていたようです」
彼はなぜわかったのだ、と言いたげな不思議そうな表情を見せたが、そのまま答えた。
「彼女の話によると、金糸雀舎と文鳥舎をつなぐ渡り廊下で黒い外套の人物に進路を妨害されたらしく、よくわからないうちに斬りつけられていたそうです。その時のことは曖昧でよく覚えていないようなのです」
「セイファン様、よろしいでしょうか。今から私が話すことは、あり得ないことかと思われるかもしれませんが、もしかするとお力になれるかもしれません」
「どういうことですか?」
「私がこの腕輪の力で怪我を治す時には毎回、奇妙な夢を見るんです。剣で斬りつけられたり、首を絞められたり、木材に押し潰されたり。推測ではありますが、おそらくは、傷を受けた時の光景だと思うのです」
「それは、負傷者の受傷時の記憶を見ると言うことですか?」
「……正確には、見るだけではなくて一緒に痛みも感じるんです。ブム殿は洗濯物を届ける途中で賊に斬りつけられたんですよね。遅れてしまったからヌナーシャという下女に先に行ってもらったから一人で車を押していたところで、黒外套と仮面で姿を隠した人物に襲われたはずです」
「なんと!? どうして……。あなたが仰る通りです」
セイファンもラキアも目を見開いていた。どうやら先ほどフィーネが見た光景は単なる夢ではなく事実らしい。
「黒外套の人物についてですが、背格好はブム殿よりも大きかったと思います。彼女の身長はわかりませんが、黒外套は肩幅も広かったです」
「靴は見えなかったか?」
「残念ながら洗濯物の車が邪魔で確認出来ませんでした。ですが、おそらくは男性だと思います。それと、もう一つ特徴がありまして、黒外套は奇妙な杖を持っていました。夜明真珠みたいな宝石なのですが、夜明真珠よりももっと暗くて深い輝きを持った奇妙な……私の手の拳くらいの、とにかく大きな眩しく光る玉飾りがついた青銅の杖でした」
握り拳を作って見せるとセイファンは前のめりになりながら一歩踏み出した。
「何ですって!? それは、本当ですか?」
「はい。その杖が光った瞬間、ヘーシャは身を切り裂かれました」
「その石の色はいかがでしたか?」
「無色透明で、中に虹のような光が揺蕩って……そう、水に溶かした銀粉のような、天の川にも似た揺らめき方をしていました。先ほども申しましたが夜明真珠の光を外向きに広がる光とするなら、玉飾りは内側に吸い込まれそうになる暗さを秘めた色の光でした」
フィーネとやり取りを重ねるうちにセイファンの白い顔が少しずつ青ざめていく。幽霊でも見てしまったかのように震え、彼の目は動揺で細かく揺れていた。
「まさか……そんなはずは……」
「どうした、セイファン?」
「殿下、昔の話になりますが、サクィーエ殿が持っていた宝玉がどんな色形をしていたか覚えておられますか?」
「……水晶のような無色透明の球体で、大きさはガチョウの卵ほどの……中で霧がかっているというのか、昼間でもわかるほどの明るさで虹色に光っていて……ってまさか!?」
「でしょう? この件については急ぎ、最高神官長に相談したほうがよろしいかと」
気が逸るあまり早口になるセイファンに手のひらを向けてラキアは落ち着くよう促した。
「だが待て。それは有り得ない」
「あの、お二人とも急にどうかなさったのですか?」
「いえ、申し訳ございませんが、この件につきましては機密事項かつ、今は確証がないためまだお伝えすることは出来ません。一度、最高神官長の判断を仰いでから、後ほど、許可が出ればファーシャ様にお伝えいたします」
「わかりました」
「また、此度の件の犯人を捜すために王宮内にいる全員に取り調べを行うことになりました。つきましては、お手数おかけしますが、ファーシャ様とヒレナ殿にもご協力をお願いしたく存じます。明日の十時に鶯の間へお越しいただけますでしょうか?」
「かしこまりました。明日、ええと……杜鵑舎にある鶯の間ですね」
「はい。よろしくお願い申し上げます」
ヒレナにも視線で合図すると、彼女も頷いた。
「……ファーシャ殿、その痣は痛み止めは効かねえのか?」
「残念ながら、これの痛みを止められる薬はないそうです。色々と試してみたりもしたのですが、まったくだめでした」
そうか、と返すラキアの形相は険しかった。まるで獲物を襲うときの鷹のように鋭く怖い顔だ、と思った。
「痣、といっても、皮膚の内側で出血しているわけではなくて、皮膚の表面が変色する感じなので……ああ、皮下組織から中がどうなっているのかはわかりませんが、つまるところは巨大なほくろのようなものですね」
笑ってごまかすと、ラキアは怒鳴った。
「笑って済む話じゃないだろう!」
雷のように鋭い声にフィーネは反射的に肩を震わせた。
「あ……いや……すまない。怒っているわけではなかったのだ」
「殿下、怒鳴りつけるなんてあんまりです」
ヒレナの叱責にラキアは黙っていた。
彼は怒っているのだ、とフィーネは直感した。何に対しての怒りかは推測しかできないが、彼の性格を鑑みるに、おそらく彼は自分を責めているのだろうとフィーネは考えた。
「ラキア、あまりじろじろと見つめては失礼ですよ。まずはファーシャ様にはごゆっくりお休みいただかなくては」
「だが……」
「我々がここに居座っていては、ファーシャ様は気が休まらないことでしょう。ほら、早々にご退室を」
ラキアはセイファンに促されて重い足取りで渋々退室した。
* * *
夜が明けると、フィーネは寝ぼけ眼を擦った。
馬鹿祭り六日目。
昨日は痣が痛んであまりよく寝付けなかったが、いつの間にか意識を手放していたようだ。腕を確認すると、痣はだいぶ薄くなっていた。このくらいなら恐らくは昼過ぎには消えるだろう。痛みもほとんど感じなくなっている。もう動いても問題なさそうだ。
自室で朝食を終えたフィーネは、取り調べ前の時間を利用して、鷦鷯宮に足を運び、セイファンに許可を得てから医務室のヘーシャ・ブムを訪ねた。
個室に入ると、陶器の花瓶に挿された鮮やかな色とりどりの花に囲まれ、その中で彼女は横になっていた。顔色も良く、少し褐色の肌にはつややかな生気が戻っていた。
彼女は下女であるが、特別に鷦鷯宮の医務室で手当てを受けさせてもらえた。
本来、下女はもっと下位の治療を受けるはずなのだが、アウィルドは身分による区別には比較的無頓着だった。そのため、身分にかかわらず、医務室の場所や患者の重症度に応じて治療を施すよう、以前から取り決めていたらしい。
フィーネの顔を見ると、ヘーシャは「ファーシャさま……」と力ない声で呟いた。
寝台の横の丸椅子に腰掛けると、ヘーシャは薄い唇をかすかに開いて話し始めた。
「ファーシャ様、昨日はわたくしの命を助けていただき、本当にありがとうございました。傷はもうなくなりましたが、大事をとるようにとありがたいお言葉をいただきまして……申し訳ございませんが、本日もこうして休ませていただけることになりました」
「いいえ。申し訳ないなんて謝る必要はないのですよ。身体は大丈夫でも、怖くて辛い思いをなさったのですから、しっかり休まれた方がいいと思います」
「ありがとうございます……」
ヘーシャは弱々しく言葉を切った。
「……じつは、昨晩はあまり眠れなかったのです。目を閉じると、私を襲った黒外套姿の人が目の前に浮かんでくるようで、怖くなって……っ」
わっ、と声を上げて飛び起きると彼女は目を両手で押さえた。今までこらえていたのか、思い出すまいと努力していたのだろう。それでも急に恐怖を思い出したらしく、泣きながら小刻みに震える肩に手を添えて、彼女の身体をそっと抱き寄せた。
彼女は刹那、驚いたように目を見開き、全身をこわばらせたが、フィーネの肩に顔を押し当てて泣いた。
しばらくの間、フィーネはそのままヘーシャを抱き締め続けた。
ひとしきり泣くと、ヘーシャはフィーネから離れた。そして、取り乱してしまったことやフィーネの服を涙で濡らしてしまったことを詫びた。
フィーネは笑みを返すと、安心させるようにもう一度、彼女の背をそっと撫でた。
「もう大丈夫ですよ。ここには怖いものなんていません」
「ファーシャ様のその腕……」
薄布を羽織っていたはずだが、ヘーシャはフィーネの腕の痣に気づいたようだった。
「大丈夫。もうじき消えてしまいますから」
「ですが……わたしのせいで……」
「ヘーシャ殿のせいではありませんよ。憎むべきは犯人です。誰かはわかりませんが、その人が全部悪いのですから、あなたは気に病まなくていいのですよ」
「ですが、そんな……」
「私はあなたが助かって良かったと思っていますよ」
ヘーシャは再び目に涙が滲み、大きな声を上げて泣いてしまった。
しばらくしてヘーシャが落ち着いて再び眠りにつくのを見守ると、フィーネは個室を出た。戸口の前で待っていたヒレナとノルンと合流すると、二人はなにか賊に関して新たな情報は得られたのか、と尋ねてきたが、フィーネは黙って首を横に振った。ダウレスやセイファンが聴いた話の内容以上の手がかりは得ることが出来なかった。
それから三人で詰所にいた医師達に挨拶をした。
「片翼様。少々、お時間よろしいでしょうか」
退室しようと踵を返したフィーネは、ドウゴという老医師に呼び止められた。
「ドウゴ様。申し訳ございませんが、片翼様はこのあと宰相様と面会の予定が入っているため、いまは急いでおります。別の機会にお願いできますでしょうか」
ノルンの言葉に麝香猫を模した『医師の仮面』を被ったドウゴは深々と一礼した。
「さようでございますか。お引き留めして申し訳ございません」
「ドウゴ様。午睡後のお時間でよろしければ、ぜひともお話しさせていただきたく存じますが、いかがでしょうか」
「「ファーシャ様!」」
叱責するようなヒレナとノルンの声にフィーネは首を横に振って微笑みかけた。
「午後は特に用事はないのですし、構わないでしょう?」
はあ、と二人は揃って大きなため息をもらした。
「かしこまりました。仕方ありません」
「そうですね」
「二人とも、ありがとうございます」
呆れた様子の二人には申し訳ないが、もう少し彼に尋ねたいことがあるのだ。
「それではファーシャ様、後ほどお待ち申し上げております」




