五章 秘密を抱える者 (8) 予期せぬ茶会
午睡の時間が終わると、フィーネは迎えに来たラキアに連れられて、鷦鷯宮の三階に来た。フィーネが滞在する緑水宮は木を基調とした造りだが、鷦鷯宮は漆喰で塗り固められた白壁が眩しく、建物内も明るく豪奢な雰囲気が漂っていた。
だが、少し蒸し暑さを覚えた。
以前、王宮に来たときにヒレナが説明してくれたことがあったが、緑水宮は元々国賓や王家にとって重要な客人が宿泊する迎賓施設であり、風通しを工夫して王宮の他の建物よりも涼しく過ごせるようになっているらしい。朝晩しか来たことがなかったが、確かに少し気温が高い気がする。
白い細かな彫刻が施された戸口の前には衛士が左右に立っており、彼らに挨拶してからラキアについて部屋に入ると、また部屋が続いていた。まるで万華鏡のように部屋という部屋をいくつか折れるように通り抜けると、執務室に出た。
大きな窓を背に、光沢のある広い木の机が置かれていた。その下に敷かれた深紅の絨毯には金糸で細やかな蔦模様が浮かび上がっている。
机上には、小さな花束が生けられた瑠璃硝子の花瓶と鍵付きの文箱が置いてあるほかは、すっきりとしており、意外なことに、きちんと整理されていた。豪奢にはほど遠いが、質素でありながら品の良さがうかがえる内装で、飾り気はないが丁寧な職人技が光る調度品の質は高く、執務のみならず客人をもてなすにも相応しい空間に調っていた。
三方の壁の棚には書籍が並び、室内は蒸し暑いものの、風がよく通ってすがすがしかった。ぜんまい式の送風機がくるくると羽を回しているからだろう。
「先に座って待っていてくれ」
執務用の机よりも入口寄りの、卓子被が敷かれた円卓を示され、フィーネは緊張とともに恐る恐る籐椅子の背もたれを掴んだまま待った。すぐにラキアは奥から何やら大きな木箱の鞄を二つ持って戻ってきた。
「座っていてくれて良かったのだが」
彼は口をへの字に曲げて、緊張で固まっていたフィーネの姿に呆れ、困ったような声で言った。
「あ……はい。すみません。それで、その鞄は何ですか?」
「まあ、まずは席に座って話をしようか」
「あの……」
「蓮花茶は好きか?」
はい、と頷くと、ラキアはよかった、と微笑んだ。
二つの鞄のうち、一つは野掛け用の茶道具が入っていたらしく、彼は火打石で手際良く火を起こして小さな陶器の炉で湯を沸かし始めた。誰かに湯を持ってくるよう命じればよいものを、と思いながらも、手伝いを申し出ると、火を見ていて欲しいと言われた。
彼は食器棚から茶器と皿を持ってくると次々に並べてゆく。
「何を……」
するつもりなのだろうか、と見ていると、彼は茶を淹れ始めた。
沸騰した湯を茶壷に注ぎ、翡翠色の二つの茶杯に一旦あけてまた茶壷に戻す。適温まで湯を冷ましてから茶漉しに茶葉を入れて蓋をして蒸らす。砂時計をひっくり返したかと思えば、彼はその待ち時間で棚から缶を持ってきて箸を器用に使って皿に焼き菓子を並べた。時折茶壷を軽く揺すって待ち、ちょうど砂時計が落ち切ったところで彼は手慣れた手つきで茶を淹れてゆく。
淡い翡翠色と、釉薬に入った細かな亀裂模様――貫入が美しい『緑珠焼』という陶磁器の茶杯に淹れられた褐色の透き通った茶は、ふんわりと蓮の甘い香りがする。
「あの……」
「どうぞ」
あっという間に小さな茶会が始まってしまったかと思えば、今までになくにこやかに勧められてフィーネは戸惑った。逡巡する様子を見せるフィーネに対して彼はむっとした顔で口を尖らせた。
「なんだ? 毒なら入ってないぞ」
「いえ、そうじゃなくて……」
「ああ、すまない。まだ熱かったか?」
「違います! どうして急にお茶なんか……」
「ん? ああ、菓子の時間だからと思ったのだが、迷惑だっただろうか」
そういえば前に料理長が言っていたような気がする。アウィルドリーシャは茶で人をもてなすことも趣味であると。それを思い出した瞬間、フィーネは心の底からわくわくとした衝動に駆られた。
「とんでもないことでございます! よろしいのですか?」
「もちろんだ」
フィーネは嬉しさのあまり、その場で踊りたくなるような高揚感を覚えた。
「ほんとの本当によろしいんですか!?」
「当たり前だ」
ありがとうございます、と礼を述べて早速フィーネは蓮花茶を飲んでみた。
蓮の香りをつけた緑茶のほろ苦い甘さと、さわやかな匂いが鼻腔を通り抜けてゆく。一方、小麦の焼き菓子はココ椰子の香りが豊かでとても美味だ。口当たりも上品で、ほろほろと溶けて消える。
「とてもおいしいです!」
「口にあったのなら良かった」
彼は笑みを浮かべながら一口茶を飲んだ。
「ところで、このお菓子はどこの職人が作ったものなのですか?」
「……ん? ああ……」
「……あれ?」
煮え切らない態度に不信感を覚えてフィーネは眉をひそめた。
「答えられないのですか?」
「いや、知らぬがなんとかというか。……料理長だな」
「その前置きから察するに、違うんですね」
「何故そうなる!?」
「あなたは嘘をつく前になると、一瞬だけ目が死んだ魚みたいになるんですよ。光が消えてじとーっとした感じに」
「あんた、意外と失礼だな」
――あとは、言葉の前にやたらといや、ってつくから解りやすいんだよね。
ということは本人には言わずに、皿からもう一枚手に取ると、焼き菓子をひっくり返して観察した。むらのない黄金色の満月がなんとも美しい。
「それで、本当の作者はどなたが?」
「……おれだ」
彼は目を逸らしながらもじもじした。
「それなら隠す必要なんてないじゃないですか」
「そ、お前が思いのほか褒めるから言い出しにくくなったんじゃないか」
「そ?」
「そ? って何だよ。人の言い間違いを繰り返して揚げ足とって面白いのか?」
「まさか。そんなくだらないことで喜ぶほど私は根暗じゃありません」
「そうか。すまなかったな」
彼は穏やかに微笑んだ。その遣り取りのなかでフィーネは少し違和感を覚えた。口調こそ嫌みたらしいのだが、どことなく普段よりずっと楽しそうなのだ。
「馬鹿祭りの監督役は毎朝、神へ供えるための菓子を焼かなきゃならない。これはその残りだ。小分けにして皆に配ったり、いくらかはこうしておやつにしているんだ」
「お供え物のお菓子って、一般的にあまり美味しくない物が多いと言われていますし、私もそう思うのですが、これはとても美味しいですね」
「そりゃ命をいただいているからな。出来るだけ美味しく食べられるようにするのが食べる側の礼儀だとおれは思う。たとえそれが、供物であってもだ。そのための技術が欲しかったから、料理長から菓子づくりを学んだ。……おかしいだろうがな」
「すごいと思うことはあってもおかしいなんて、思いませんよ。あなたにはお菓子づくりの才能があるんだなあと感心します」
「才能……か……」
彼は虚ろな目で遠くを眺めた。
「落胆なさらないでください! もちろんあなたの努力あってのものです」
しまった、とフィーネは話の地雷を踏んだと後悔した。彼は才能という言葉を使われることが苦手なのだ。話題を変えようとフィーネは茶をぐいっと飲んで気合を入れた。
「それで、頼みというのはどういったものですか?」
「ああ、それなんだけどさ、『お喋り悪魔の木』狩りをしたいんだ」
「え!?」
ラキアの言葉はフィーネの予想の斜め上を行っていた。
「無理にお願いは出来ないが、できれば手伝ってくれるとありがたい。正直なところ、もはや頼れるのがあんたしかいないんだ」
彼は円卓に額をつけるように低く頭を下げた。
「ええと、私としては願ってもない話で、殿下からお誘いいただいて嬉しいのは山々なのですが、理由をうかがってもよろしいですか?」
顔を上げたラキアはうなだれた様子で事の顛末を語った。
彼は監督役として馬鹿祭りの宝物を集めている。あと一つで、それが完了するらしい。だが、その一つの回収は困難を極めた。
最後の宝物――金華鳥の首飾りは、|お喋り悪魔の木の枝に掛けられており、宝物を得るにはお喋り悪魔の木狩りをする必要があるのだという。だが、狩りに不可欠な弓兵の役目を色々な人物に頼んだものの、ことごとく断られてしまったという。
お喋り悪魔の木とは、早い話が毒の木だ。自ら意思を持ち、人を近寄せつけない木と言われている。そして、その毒が厄介なのだ。
「わかりました。あなたを助けることで陛下が馬鹿祭りに勝利できるならその依頼に応じます」
「本当か!? 恩に着る!」
予想外の反応にフィーネは面食らってたじろいだ。
「……ずいぶん喜んでいらっしゃいますが、あなたはそんなに馬鹿祭りに勝ちたいのですか?」
「もちろんだ。勝負事に手加減は許されねえ。それに、勝てればあんたにも良いことがある」
彼はわくわく感に突き動かされた幼子のような顔で身を乗り出した。
「そういえば、セイファン様にお聞きし忘れていたのですが、馬鹿祭りの『ファム』の褒賞って何なんですか? 他の方々みたいに何ヶ月分かの賞与とかでしょうか?」
「ファムが監督役と一緒に宝物を集めきれた場合の褒賞は、ささやかだが三つだ。ファムを務めきった名誉の証の徽章、三ヶ月分の賞与と、三日間、三食および間食として好きな料理を何でも注文できる権利、といったところだろうか」
「それでは、陛下を見つけられた場合は?」
「先に言った三つの褒賞と、特別に病難除けのお守りの鏡が貰える。ただし、ファムに事前には説明されないことが多いが、この場合、国王から軽く恨みを買うおそれがあるぞ」
「確か、国王はファムに見つかって名前を呼ばれたら罰を受けなければならないというお話は耳にしましたが、罰って何なのでしょう……」
「……まず、国王が皆の前で疫病の神の姿をして踊る。頭に花冠をかぶり、上半身裸で体中に奇っ怪な紋様をクーヴァルの墨で描かれ……。女王なら椰子の実の殻と派手な水玉柄の裳を穿くことで恥ずかしい部分を隠すことを許されるのだが。……男王は腰回りに椰子の葉を数枚巻いただけの……とにかく見た者に吐き気を催すような格好で踊らされる。その後、「疫病神よ去れ!」の掛け声とともに皆から泥玉を投げつけられ、五日間は両頬に赤い渦巻きを描いた状態で過ごさなければならない。だから、国王は必死に隠れるんだ。ひとりの国王が在位中に馬鹿祭りの罰を受けた回数は、最多でも二回しかなかったと言われているくらい、国王が恐れる行事なんだ」
想像するだにあまりにも馬鹿馬鹿しくて、フィーネは絶句した。
「……あなたの言葉が本当なら、セイファン様はなんて恐ろしいことを賭け事になさったんでしょうか」
「嘘だと思うのならガイズに訊くといい。喜んで説明してくれると思うぞ」
「大半の国民は、自分の国の王がそんなくだらない祭りをしているなんて夢にも思わないでしょうね」
「……そうだな。じつにくだらないし、苦しい暮らしをしている者たちがこんなことを知れば腹立たしいでは済まないだろうな」
彼の目が一瞬だけ暗い色に沈んだ。
「だが、まあ、過去にはそのくだらないしきたりを利用して謀反を企てた者のやる気を削いで未然に和解したこともあったそうだから、完全にただの馬鹿で無駄なこと、というわけでもないらしい」
「確かに、馬鹿馬鹿しすぎて色んなことがどうでもよくなってしまいそうですね」
「そうらしい。……で、その話を聞いた上で、あんたは国王を見つけたらどうするつもりだ? あんたがあいつの気色悪い踊りを見たいのなら止めないが、嘔吐のしすぎで脱水になっても知らないぞ」
「うーん、怖いもの見たさというものもありますし、いっそのことそれもありかもしれませんね。……って青ざめないでくださいってば! 冗談ですから!」
その後もたわいのない世間話をしながら二人で翌日の『お喋り悪魔の木』狩りの支度を済ませたのだった。
本文中に登場する茶杯は、タイ北部の伝統的な焼き物の『セラドン焼き』をイメージしています。ちなみに、セラドンは緑の石という意味だと言われているそうです。
色や穏やかなひび割れ模様の感じと、翡翠のような色合いがとても美しい焼き物で憧れております。




