五章 秘密を抱える者 (7) 夢と目標
「――つまり、あんたが医師を志したのはその時の経験が理由か?」
「そうですね。助けられなかった人に報いるために、という意味ならそうかもしれません。償いというわけではないのですが、一人でも多くの人を助けられる人になりたいと思ったんです」
フィーネの生家のユリフェ家は、建国神話にも登場するほど長い歴史を持つ。十三氏族と呼ばれる名家に名を連ねる。
代々、ユリフェの者は王家を影から支え、忠誠を誓い、身を挺して守ってきた。国王の命令があれば、指でも片目でも妻子や父母でも、果ては命すらも捧げる。それが、この家に生まれた者の定めだった。
ユリフェの者は『お役目』を果たすために何かしらの手に職をつけるため、十歳で市井に預けられるしきたりだった。
ガイズは学問、当主である伯父のギルガムは武術を学んだ。
医師を目指したいと願ったフィーネは、祖父の許しが出なかったため、祖母から医術を教わった。祖父の死後は祖母の計らいで町医者の家に預けられることとなり、たまたまそこに滞在していたリリネ師匠から様々な知識や技術を教えてもらったのだった。
「……あんたは本当は医術学校に通うはずだったんだろ。アウィルドのせいでその夢をあきらめなきゃならないなんて酷い話だ」
フィーネはこわばっていた口元をゆるめた。
「夢、とは少し違うかな。私にとって医師になることは目標であって、夢よりは優先順位が高いものだったんです」
「医師になることは夢じゃないのか!?」
ラキアは驚いた様子で腰を浮かせた。
「はい。今まで誰にも話したことはなかったんですけど実は私、弓兵になることが夢だったんです」
「…………は!? 弓兵、だと?」
「そんなに驚くようなことですか?」
「当たり前だ! そんな話、今まで一度も……」
もごもごと彼は言葉にならない音を呟いて目を逸らした。
「殿下、私はこれでもヅーヤ狩り協会公認の免許を持っておりまして、弓をそれなりに扱えるんですよ」
「そうなのか?」
「はい。ところで、殿下はヅーヤという虫はご存知ですか?」
「……ああ、見たことはないがエレス出身者から話だけは聞いたことがある。確か、エレス領にのみ生息する巨大な雀蜂のような虫で、それが原因で毎年死者が出るということと、エレス領主が積極的に駆除と買い取りをしているらしいが……絶対に一生のうちに一度たりともお目にかかりたくない虫だな」
「そうですね。王都の方があれを見たら卒倒するかもしれません」
虫が怖いと先ほど言っていたが彼のおびえた様子にフィーネは軽く笑った。
ヅーヤとはエレス領にのみ生息する猛毒を持った蜂のような虫だ。体長は雀蜂の二倍もあって、あまりにも大きすぎるので殺虫薬も煙も効き目が薄く、駆除が難しい。さらに、尻の毒針が太くて大きいため、防護服が役に立たないのだ。
それどころか、尻から毒の霧を放ってくるので近づくこともままならない。網を使って取ろうにも、頑丈な歯を持っているので破られてしまうという厄介な虫だった。
ただ、動きはそれほど俊敏ではないので、なるべく離れた所から何かしらの跳び道具で撃ち落とすことが駆除の基本になっている。そこで選ばれた道具が弓矢だった。
エレス領には良い弓兵が多いと有名になった理由がこの虫の存在だった。
「そういえば、あれは良い薬の材料になると聞いたことがあるな」
「ご存知でしたか。殿下、ヅーヤは怖い虫ですが、とても役に立つ虫なんですよ! そのままシュウォ・ルカルオというお酒に漬け込むと、不思議なことに毒が無害なものに変わって頭痛薬や鎮痛剤の果蜜になるんです。幼虫からは貧血や脚気の薬が作れます。あと、ヅーヤの習性は基本的には雀蜂に似ているのですが、蜜蜂のように蜜を集めるんです。これがやけどや傷の治療薬には最適で、何種類かの薬草と生きたままの幼虫と一緒に練り合わせたものが、リリセルという傷薬なんですよ」
ラキアは口元を手で押さえて黙り込んだ。
「どうかなさりましたか?」
「……すまない。リリセルの製法が存外えげつなくて……」
やや青ざめた顔で彼は無理やり笑みを浮かべていた。
「そうですね。なかなか残酷な製法ではありますね。ただ、ヅーヤのせいで毎年それなりの死者が出るのも事実なのです。……あと、ヅーヤは蜜蜂のように花粉玉を作るのです。しかも、人が絶対に立ち入ることができないような断崖絶壁に咲くルシカという希少な花の花粉だけを材料にする習性があるのです。この花粉玉からは、子供のくる病や大人の骨軟化症といった骨の病の薬が……ええと、それらは今のウルガでは原因不明の骨に関する病気で、私の故郷は何故か骨が曲がってしまう病気の子供や骨の痛みを訴える大人が多いんです。ですから、領主が率先して領民からヅーヤの幼虫や花粉玉を買い取って薬師に薬を調合してもらって、幼い子供がいる家庭に配っているんです 」
「確かに、エレス領主はくる病対策を重視しているな。骨軟化はエレスの風土病と言われていて子供だけではなく大人でも骨が弱い者が多いらしいし、エレスの民の身長があまり高くないのも、その病を患う者が多いからだろうという推測を医師から聞いたことがある。『薬王』から特効薬の製法を教わったギルガム殿がこの対策を始めたのが十年前で、最近ではずいぶんとその病で苦しむ子供は減ったと聞いた」
「ずいぶんとお詳しいのですね」
「ガイズから自慢話としてよく聞かされたからな。あいつの兄好きはもはや病気だよ。ギルガム殿はとても良い領主だな」
「そう思われますか?」
「ああ。領主としても、親としても、当主としても優れた男だよ」
ラキアの言葉は飾ることなく率直だが、社交辞令ではないようだ。
「その言葉を聞いたら領主様はきっとお喜びになられたでしょうね」
見知った伯父を他人のように語ることに違和感があるが、ありのままの真実を述べた。
「それにしても、エレスの弓兵は目を閉じてても獲物を射止めることができるんじゃねえかってくらいすごい腕前だと思うぞ」
「ええ。薄暗い早朝や夕方の霧の中でも獲物を仕留めなければならないので自然と皆、直感と弓の腕が研ぎ澄まされて上達していくみたいなんです。あと、やっぱりお金がほしいですからね。血眼になって練習するんですよ。いいですか殿下、ヅーヤは金の成る虫なのです。高く売れるんですよ。成虫なら一匹で銀貨一枚は下りませんし、幼虫入りの巣ですと小型金貨一枚くらいの値打ちがあるんです。私も、欲しい書物がある時はよく男衆と一緒にヅーヤ狩りに連れて行ってもらったものです」
「それは驚いた。あの伯父殿がよく許したな」
「いいえ、何度お願いしても許してくださらなかったので、実際にヅーヤの幼虫を巣ごと狩ってきて力づくで認めさせました」
ふんぞり返ったフィーネを前にラキアは口をぽかんと開けた。
「待て、そんなことまでしたのか?」
「ちょっとやり過ぎだったなと後々になってから気づいたのですが、伯父はとうとう呆れ果てて折れて下さりました」
「……ああ、おれはあんたを過小評価していたらしい。あんたは見た目によらずつくづく恐ろしい女だ」
フィーネは銀の瞳を瞬きさせて微笑んだ。わざとらしく上目遣いに見上げた。
「おや、ようやく私の恐ろしさをご理解いただけましたか。……というのは冗談で、本当は薬の材料を集めていたんです。もしかするとこの先の殿下の人生でヅーヤと対峙しなければならない事態が発生するといけませんから特別にヅーヤ狩りのこつをお教えしますね。あれは嗅覚がそれなりに発達しているので、体臭で気配を悟られないよう風下から、物陰に潜んで一匹一匹丁寧に仕留めるのが肝心です。一つの巣に成虫はせいぜい二十匹程度ですから、冷静にやれば難しいことはありません」
「体臭って……」
「なにか仰られましたか?」
ラキアが引きつった表情で何か小声で呟いたが、フィーネの耳にはよく聞き取ることが出来なかった。
「いや、何も言ってねえよ。そういや、クソ兄貴から聞いたが、あんたって弓比べであいつに勝ったことがあるらしいな」
「ええ。あなたは私を貧相だとお考えのようですが、腕力にはそこそこ自信があるのですよ。腕相撲をしていただければ私の話が嘘ではないとおわかりいただけると思います」
得意げに胸を張ると、ラキアはため息をついた。
「それならさ、腕相撲といわず、実際にあんたの弓の腕を貸してはもらえないだろうか?」
「……え?」
「ちょうど、腕のいい弓兵がいないか思案していたところだったんだ」
どういう意味、とフィーネは首を傾げた。
「まあ、そうとなれば、さっそく準備しなくては。あと、話だけでも聞いてほしい。すまないが、午睡が終わったらおれの部屋に来てもらえるか?」
フィーネは驚いていた。彼の方から歩み寄ってくれるなんて、思ってもみなかった。これは、絶好の機会だ。
「もちろんです! ですが急にどうしたんですか」
「その理由については後で話す」
ラキアは窓に向かっていこうとする。
「ちょっとラキア様、普通に戸口から出て行かれては?」
「そんなことしてみろ? 今のおれはあんたの部屋に忍び込んだ身だ。そのまま出たら衛兵と顔を合わせることになる。ただでさえ……言い忘れていたがあんた、ここ二、三日、おれの話を聞き回っていただろう。あれのせいであんたがおれに対して気があるという噂が立っている。さらに、おれとすでに男女の仲だとか……勘違いされているんだ」
「なっ!? なんでそんな話になってるんですか?」
「王宮の者は色恋沙汰や人の噂が大好きなんだ。酒の席で語れるような話の種になるのなら、事の真偽は二の次にしてでもな」
「だからと言って窓から出たところを見られたりしたらそれこそやましいことをしていたと勘違いされるんじゃないですか」
「大丈夫だ。ここから出たら屋根づたいに進んで適当な場所で降りるさ。そうすれば、また屋根に上って笑霊の舞をしていたとしか思われないからな」
そう言いながら彼は窓を開けて雨戸を上げた。
先ほどまでとは打って変わって部屋が明るくなった。
雨が止み、雲間から差し込んだ太陽の光が眩しい。
フィーネは寝台から伸び上がるようにして窓の外を見た。
彼は空を見上げた。
「すぐに止んで良かった。けど、こりゃ涼しくなるどころか蒸し暑くなりそうだな。半端に降られると本当に厄介だ」
「そうですね」
フィーネも彼の背中越しに空を見ていたが、ラキアに目を向けると、ふいに振り返った彼と目が合った。
「それなら、今更ここでお渡しするのも難ですが、先ほどアシュハドさんが置いていった鍵お返ししますね」
「なっ……?」
フィーネはサンダルを履いて寝台を降りると、白目が出るほど目を見開いたラキアのそばまで歩み寄った。フィーネは鍵を両手に乗せて差し出した。
先ほどアシュハドが置いていった鍵だが、考えてみた結果、フィーネはこの正体を薄々感づいていた。
恐らくこれは、アウィルドリーシャが自ら封じたという星見の間の錠を開くためのものだ。
けれども――。
「これがどういう謂われのものかは存じ上げませんが、あなたにとって、物見台を上って取りに来るほど大切なものなのですよね」
「ああ、そうだが……」
「ですから、これがどこの鍵なのか詮索はしません」
「それは……」
戸惑いを露わにラキアは恐る恐る手を伸ばして鍵をフィーネから受け取った。
「あんたはこれが何なのか知りたくないのか?」
「もちろん知りたいですよ。ですが、あなたは知られたくないのでしょう?」
彼は黙ってフィーネに目を向けた。黒い瞳は戸惑いで揺れ動いていたが、目を閉じて深々と息をついてもう一度目を開けると彼の表情から戸惑いの色が消えていた。
「……ありがとう。それじゃ、十六の鐘が鳴ったら迎えに来る」
そう言うと、彼はバルコニーの手摺りに足をかけて軽々と屋根に上っていった。
ありがとう、と言った瞬間の彼の表情は、とても穏やかだった。




