五章 秘密を抱える者 (3) アウロスからの助言と、疑わしき者
「結論から申し上げますと、アウロス殿が伝えたかったことは、陛下の身なりに関する情報です」
朝食後、フィーネとヒレナとノルンは緑水宮にあるフィーネの自室で顔をつき合わせて話し合っていた。円卓の中央には山竹子や文旦などの果物が籠に盛られている。
「あの方が挙げた書棚は、繊維や色素に関する資料でした」
「それってもしかすると、龍鱗糸とクーヴァルのことですか?」
「ええ。その通りでございます」
――龍鱗糸で織った布は鎧に勝る強度を誇る。しかし、加工は大変難しく、龍牙鉄を用いた特別な器具でなければ裁断も縫合も不可能である。
昔読んだ書物に書かれていた内容を思い返すとフィーネは低く唸り、顎に手を添えた。
以前ヒレナとも話したが、龍鱗糸はリドア領の聖龍鉱山で採掘される龍鱗鉱と呼ばれる鉱石から紡がれる糸で、リドア家が加工方法を確立し、加工と販売を独占している特別な重要物資だ。鎧を作るのに最適で、鋼の剣でさえこれを貫くことは難しいとさえいわれているほどの耐久性を誇るのだが、軽く、綿や麻などほかの繊維に織り交ぜ、貴人の護身用の服にしばしば用いられる。また、遮熱性に優れることも大きな特長だった。
リドア、といえば先ほど中庭で会ったアウロス将軍とアウィルドリーシャは叔父と甥の関係だったな、と記憶をたどった。
リドア家はウルガ王国随一の大貴族だ。建国神話に伝わる十三の氏族の中でも一番の有力者であり、王国のほぼ中央から東部にかけて広大な領土を有している。かの一族は化学、工学、そして現代ではほぼ喪われてしまった魔術など、ありとあらゆる技術に精通し、技術者集団として特化していた。
その祖のシュテム・リドアという男は遠く北東の海のかなたにあったとされるカラルガ王国から初代翼王とともにこの地にやってきたと伝えられている。大柄で炎のような赤い髪という特異な姿に加え、非常に酒に強かったため、カラルガではオニールと呼ばれて怪物扱いを受けていたらしい。一方で手先がたいへん器用で、魔術や錬金術の知識も持っていた彼は、九十一年の生涯において数多くの発明で偉業を成した。
彼の子孫は皆手先が器用で職人として大成した者も多く、その財をもってリドア家は大貴族かつ大商人となった。
それから、クーヴァルは主に髪染めや、裁縫をする際に布に目印をつけるために用いられる海藻由来の染料だ。
汗や海水に強く、真水に弱いという性質を持ち、かなりしっかり色づくが、落とすのが楽で、本来の髪色を保ったまま一時的に髪の色を変えたい時などに重宝する。染色可能な色は、茶、赤、緑、青、黒などの、基本的に暗く濃いめと言われる色だ。クーヴという海藻の煮汁に色々な原料を加えて作られ、髪を染めるときは人肌以上の温度に温めて使うのだが、これもリドア家のみが精製できる特別な薬品だった。
「――と、アウロス殿からの助言は以上となりますが、どうやらすでにご存知でいらしたようですね。無駄なお時間を頂戴してしまい申し訳ございませんでした」
「いえ。あくまでも私とヒレナで考えていただけの話でしたので、仮説の裏付けを取ることができて嬉しいです」
「それなら良かったです」
彼は穏やかな表情をこちらに向けた。
「あの、ノルン殿。薬師に頼んでクーヴァルの処方記録を見せていただくことはできませんか?」
ノルンは難色を示した。
「それは個人機密に関わる事項ですので、難しいでしょう。特に、まだ王宮入りしたばかりのあなたでは、絶対に教えてはもらえないと思いますよ」
「そうですよね。それなら、お尋ねしたいのですが、スヴァロン殿下は今もクーヴァルを使っておられるのでしょうか?」
「ええ。スヴァロン殿下はタイト家の血筋ですので普段は金の髪ですが、近頃は黒髪を気に入っておられるようですので。……ですが、何故急にそのようなことをお尋ねになられるのですか?」
「いつ誰にクーヴァルを処方したのか知りたいと思ったのです。髪染めとはいえ、クーヴァルは王宮では薬師の管理する薬品です。その処方記録には、実際に薬を受け取った人の名前が残っているはずです。その情報があれば、ラキア様が陛下であると確定できるのではないのでしょうか?」
記録を見れば、彼がアウィルドかそうでないか明らかになるはずだ。薬品の持ち出し記録や数量、残量など、取り扱いは厳重に管理されるべき事項だ。いくらなんでも本名が書いていないことはないだろう。それを証拠に迫れば、自分がアウィルドだと白状するのではないか、と。
けれども――と、フィーネは顔を曇らせた。
その後はどうすれば良いのだろう。ラキアがアウィルドだと突き止めたところで、彼の悩みの本質を突き止めなければ、何も解決できないのではないかという疑念が常にフィーネの頭の片隅にこびりついていた。
ノルンは静かにこちらを見つめていたが、やがて呆れたようなため息をもらした。
「残念ですが、それは無意味なことでございます。馬鹿祭り中のスヴァロン殿下はあくまでもスヴァロン殿下でしかありません。処方記録も、入館証も、殿下のお名前が記録されるのみです」
「それはつまり、馬鹿祭り期間中は正真正銘のスヴァロン殿下として扱われるということですか?」
「申し訳ございませんが祭りの規則に反するためその問いにはお答えできません」
「……それなら、やっぱりラキア様を池に突き落とすしか……」
顎に手を添えながら真剣に呟くと、隣のヒレナからの視線が突き刺さった。
「冗談だよ、ヒレナ」
「本当でしょうか。あなたのことですから、二、三日のうちに本当にやりかねない気がしてきましたが」
「ハルビム殿は反対ですか?」
「もちろんですとも。おそらく殿下は、ファーシャ様の手で池に落とされても笑って済まされるでしょう。ですが、いくらあの方の態度がファーシャ様に甘くとも、立派な不敬罪にあたります。すっかり忘れかけておりますが、殿下はファーシャ様を王宮から排除することを望んでおられます。事と次第によってはあの方がファーシャ様をここから追い出すための理由を与えてしまいかねないでしょう」
「いくらなんでもそんなことするとは思えないけど」
「ファーシャ様はあの方を信じすぎです! 可能な限り付け入る隙を与えてはなりません」
「でも、正体さえ掴んでしまえば言い逃れは出来なくなるんじゃないのかな」
ノルンはフィーネとヒレナの会話を聴きながら薄荷茶を一口含んだ。
「確かにハルビム殿の忠告に従った方が良いと思います。宰相様と最高神官長様が殿下に持ち掛けた賭けはあくまでも、ファーシャ様が陛下からのご署名をいただくことを目的としており、陛下の居所を見つけてほしいというわけではなさそうですからね」
「でも、それならどうやって署名を書いてもらえば良いんだろう。やっぱり最高神官長様の提案の通り、拇印で済ませるしかないのでしょうか」
何か良い奇策はないものか、と思考を巡らせるがなかなか良い案が浮かばない。その気がないどころか拒絶してくる相手を説得することは、混沌とした底なし沼に潜って泥の中から一粒の宝玉を捜すような無謀さを感じる。
「あーあ、自分の本名を書かないと出られない部屋なんてあったら楽なのにな。そうでなければ署名が必要な書類を大量に用意してその中に任命書を混ぜ込んで書かせるとか、記名欄だけくりぬいた別の書類を重ねて偽装するとか……裏面に複写紙を当てる作戦だとすぐ気づかれてしまうし、どうしたらいいんだろう……」
「ファーシャ様が何者かに襲われた、という状況を用意して殿下に疑いを掛けてみる、というのはいかがでしょう? ハルビム殿が畳み掛ければあの方は署名をしてくださるかもしれません」
「残念ながら、ラキア様は私のことを助けてくださったりはしないと思います」
「それではもういっそのこと、実家から陛下との過去の文を取り寄せて署名部分を切り取って任命書に貼り付けてしまうというのはいかがでしょう? もしくはなぞり書きしてしまうのも……」
「ハルビム殿の案も悪くはありませんが、それでは公文書偽造になります」
「ですよね……」
三人は深々と長いため息をついた。
「陛下はかなり慎重な性格の持ち主ですし、書類の扱いについてもほとんど間違いを起こすことはございません。速読も得意で、正確性もかなり高いので、こちらから小細工や罠を仕掛けたところで一瞬で見抜かれて徒労に終わることでしょう」
それならもはや打つ手がないではないか。
セイファンはなんと無謀な賭けを挑んだことか。
「ファーシャ様。今更お尋ねして申し訳ございません。あなたは案外、勘でしか物を考えておられないようですが、殿下が陛下であるという答えに至った根拠をご説明いただいてもよろしいでしょうか?」
「根拠……」
改めて問われると、言葉に詰まった。
「そうですね。まず、お姿がそっくりなこと。私の生家や、私と陛下しか知り得ない思い出のはずの金砂の泉の詩をご存知だったこと。それに、時折見せるあの暗い目には見覚えがあるのです。それに、こういう賭事では、案外捜し人は身近にいたりするものでしょう?」
ノルンは期待はずれだとでも言わんばかりのため息をついた。
「あなたはもっと冷静に分析する気質をお持ちの方だという印象を持っていたのですが、思いのほか直感に頼る野性的な方なのですね」
「それはそうかもしれません。ですが、そんなことはどうでもよくて、一番の根拠は、あの方の左手にあった親指と人差し指の間の傷跡の形が陛下の手にあった傷とよく似ていたからなんです」
「……陛下の傷跡、ですか? あの方は怪我をなさってもほとんど瞬時に回復なさります。傷跡なんて残らないはずですが」
「陛下は生まれつきの不死ではなかったそうで、四歳頃までの傷は残っているのです。左手の親指と人差し指の間なので目立たないのですが、幼い頃の陛下と同じ場所にあったのです」
「それは単に剣の稽古でついたものではありませんか? 幼い頃の傷跡というのは、成長によって皮膚が伸びることで位置関係が少し変わって見えることもありますし、それだけを根拠とするのはいささか弱いでしょう。それではあの方には勝てません。いいですか、あの方を追い詰めるためには今まで集めた断片的な情報を基にしっかり論理立てて……。……いえ、ファーシャ様。こうなったら、やはり殿下を池に落としましょう」
「ノルン殿!?」
彼らしくもない強引な提案にフィーネもヒレナも驚きを隠せなかった。
「フェーテス殿まで!? 本気でございますか!?」
ヒレナが本気で信じられない様子で尋ねるが、ノルンはさらりと答えた。
「はい。お嫌でしたら水鉄砲で襲うという手もございますが」
「いえいえ、待ってください。さすがにそれは出来かねます。誰かに見られたりしたら――」
慌てる二人を前にノルンの薄い唇の端が笑みで歪んだ。
「冗談ですよ」
「え!?」
「思い立ってふざけてみる、というのも案外難しいものですね。笑えない冗談というのはじつにくだらないものです。もっと精進しなければなりませんね」
「いきなりとんでもないことを仰るので本当に驚きました」
「……いきなり王族の頬を撲とうとなさるあなたに比べればわたしはまだまだですよ」
さらりと言い返されたフィーネはばつが悪い思いをして身を縮めた。
「それなら色々考えても無駄かもしれないですね。やっぱりあの方の心を説得して片翼として認めてもらうしかない、ということですよね」
「ええ」
「はい」
二人の頼もしい顔を前にフィーネは改めて決意を固めた。
「ファーシャ様、ヒレナ殿。わたしは片翼を探す手がかりを求めてずっと王宮の蔵書や王都じゅうから集めた資料を調べておりました。ですが、どれだけ調べてみてもほとんど手がかりを得ることが出来ませんでした」
「手がかりがないと言うのはどういうことですか?」
「昨日お伝えしたエリーシャという女性の記録は三百年前のものでした。日記や事件の記録や王宮で供された料理の数百年分の記録などは書庫に沢山ございましたが、奇妙なことに、翼王と片翼に関する記録だけはほとんど残されていなかったのです。何巻も連続した書類のうち、該当する情報が記載されているはずの巻が欠損していたり、宮中祭祀に関する覚え書きのような書物でも翼王と片翼の詳細があると推測される部分に意図的な汚損がみられたり、とまるで、何者かが意図的に隠してしまったかのような印象を受けました」
「それは確かに変ですね。誰がそのようなことを……」
「その答えはわかりません。わたしと共に資料調査を行ってくださっていたルーテン・フェノス様の推測では神殿側の仕業ではないか、とのことでしたが、そうなるともはや我々では調べようがありませんでした」
「それって神殿側からすると何か不都合な記録があったとか、そういう理由でしょうか」
そういえば、とフィーネは少し気になったことがあった。
「ノルン殿はルーテン・フェノス殿をよくご存知なんですか?」
「ええ。あの方はとてもお優しい方ですよ。……今は監察官としてどちらに出向かれているのか存じませんが、わたしはあの方に図書寮長官を任されております」
「もしかすると、正体もご存知なんですか?」
「いいえ。あの方の正体を知っているのは陛下だけです。わたしも、他の図書寮の職員も、あの方の素顔を見たことは一度もありません」
「……フェーテス殿、わたくしはやはり、陛下が何を考えておられるのか今ひとつ理解しきれません。先王陛下ですら動かさなかったルーテン・フェノス殿に雨夜の烏の任を命じられたということは、何かとても良くないことが水面下で動いているということに他ならないからでございます」
「ヒレナ、どういうこと?」
「公にはされておりませんが、私は先王陛下から伺ったことがございます。九花鳥という監察官の『雨夜の烏』に選ばれる人物は、知力と記憶力に優れるのみならず、ある程度の神学や魔術に精通していることが絶対条件なのです。皆の推測では彼が任務に就いた理由はテクウェル同盟の牽制と調査となっておりますが、真意は異なっているのです」
「ええと、ごめんなさい。私には話がよくわからない」
「テクウェル同盟の調査はもちろんのことですが、本当の敵はもしかすると神殿にいるかもしれない、ということです」
「え!? そんなことって……」
「その件に関して補足させていただくなら、わたしは図書寮長官ですが、同時にあなたの護衛も陛下から任命されております。陛下が神殿の者に対して警戒心を抱いておられるからです」
「どういうことですか」
「あなたやハルビム殿の王宮入りが決定する以前から、神殿内に造反者がいることが明らかとなっております。現時点で判明しているのは、ミンダロン領内にあるフプトゥク大神殿の大神殿長ことサヌクァプ・エントリハルク様にございます」
全くの予想外の話にフィーネはもはや何度驚かされれば良いのかわからなくなっていた。
「大神殿の一番偉い方が何故?」
「あの方は、西の魔の王を真の天の主神と崇める『真聖神奉賛会』に属しており、『天の主神』を信仰する者を滅ぼそうとしているのです」
「そんな……何なんですか、その妙な団体は!」
「わたしも詳細はよく把握できておりませんが、かなり危険な思想の集団であるということだけはわかっております。サヌクァプ・エントリハルクは大神殿の神殿長の身でありながら、この教義に染まりきっているそうで、今は所在が不明となっております」
「陛下はその、サヌクァプ・エントリハルク様を探しておられるということですか」
フィーネの問いにノルンとヒレナが同時に頷いた。
なんということだろうか。フィーネは本物の片翼の身代わりとしてアウィルドリーシャを助けたいと思っていた。だが、ここに来て全く聞いたことのない危険そうな団体の話を知ることになるとは思いも寄らなかった。ヒレナとノルンは前々から知っていたようだが、何故誰もその話を自分には教えてくれなかったのだろうか。
昼が近づき、室内の気温が暑くなってきた。
眩暈を覚えるような心地をどうにか鎮めようと、フィーネは手元の薄荷茶を一気に飲み干した。
馬鹿祭り四日目。
あと十一日以内にアウィルドリーシャの心を変えることは出来るだろうか。そして、アウィルドリーシャだけではない。果たして自分に本物の片翼を守りきることが出来るのだろうか。
フィーネの不安は膨らむばかりであった。




