四章 不思議な少女 (10) 神官の襲撃
「隠れていないで出てこい!」
低く鋭い呼び掛けに応じて向かって左の茂みの中から剣を持った人物が現れた。
「またあんたらか」
ラキアのため息とともに出迎えられたのは三人の神官だった。手首や足首まで覆う長さの黄土色の下級神官の衣を纏った彼らはそれぞれ白、黒、赤の精霊の仮面を身に付けており、儀礼用ではなく戦闘用の剣を手にしていた。
「さすがは神の化身。気づかれてしまったのなら致し方ありません。お覚悟願いましょうか」
「……やめとけよ。神官殿が死に急ぐことはねえだろ」
互いに剣を構え合い、視線が交差する。神官たちは剣の柄を握る力を強めて切っ先をラキアに向けた。
「いいえ。我々はあなたに、我々自身の命をもってご理解いただかなければならない。次の満月まで猶予がございません。なんとしても、あなたには国王殺しを諦めていただきます」
ラキアはけっ、とのどを鳴らした。
「諦めるわけねえだろ!」
答えた瞬間、目の前の三人とは別の、右奥の茂みの中から弓弦が弾ける音が聞こえた。しかし彼は、先ほどと同様に視線を動かすことなく易々と剣で矢を叩き落とした。
常人には飛矢を防ぐことは難しい。高速で飛来する脅威を視界に捉えても、次の動作に移るまでに間が生じて回避することは不可能に近い。武術の達人であれば相手の目の動きや体勢から事前に動きを予測して対処することが可能であるといわれているが、その能力は並外れた才能と努力によって培われるものであり、大抵の人間には成し得ぬ技だ。にもかかわらず、彼は姿の見えない相手の攻撃すら防ぐという離れ業を、いとも容易くやってのけた。さらに驚くべきことは、彼は身幅が広い重厚な剣をまるで扇のように軽々と扱うのだ。
ラキアは悠然とした態度で剣先を地面に向けた。
「あんたらの覚悟は承知した。気持ちだけはしっかり受け止めるぜ。けど、みすみす死なせるつもりはねえよ」
「お黙りください!」
鋭い怒鳴り声が森に響く。
殺気を嗅ぎ取ったのか、ざわざわと木々の間に隠れていた小さな獣や鳥が逃げてゆく。それらを一瞥することもなく、神官はただ真っ直ぐにラキアを見据えて言った。
「その言葉遣い、さすがでございますね。本当に弟君によく似ておられる」
「お褒めに与り光栄、と言いたいけどさ、似ている、というのはちと解せねえな。おれはミムウェル・スヴァロン・ラウルガル・タイトだ。本人なんだから当然だろ」
「ふざけるのも大概になさりませ! 今はとても大事な話の最中なのですよ!」
真剣な声で叫ぶ黒仮面の神官に対し、ラキアは剣を持ち上げて肩に担いだ状態で舌を突き出した。
「やだね。ふざけるも何も、これが馬鹿祭りのしきたりだろ。おれはほんと至極まじめに務めを果たしているつもりなんだけどなぁ。そういや、だいぶ前に伯父貴が嘆いていたけど、以前の神官というのは作法やしきたりを大事にするものだったらしいが近頃はすっかり革新的な奴が多くなったんだってな」
神官は咳払いした。
「すべては昨晩申し上げた通りでございます。あなたはせっかく立ち直りかけたこの国を再び混乱に陥れるおつもりですか」
「おれだって出来ることなら混乱は避けてえよ。けど、それは無理な話だ。あんたらも三百年前の災厄の話はよく知っているだろう?」
「それは……」
「先代レリファ=シシカ――ルジアーラ・ファーグが遺した預言によれば、今度の満月というか月蝕の夜、あの片翼候補は糞野郎に殺される。あの女の身に何かあってみろ、あのクズは大べそかいて必ず先代の過ちを繰り返す。そうさせないためにもあれは絶対に殺さなきゃならねえ。でなけりゃこの国はおろか、スーヴェ大陸中に災いがもたらされちまう」
「ですから! あなたが片翼様と双翼の契約をなされば万事解決するのです。あなたはもう死に急がれる必要はないのですよ」
白仮面の訴えに彼は鼻で笑った。
「おかしなことを言うんじゃねえよ。あの片翼候補が偽者なことはわかってるんだ。十九年も手掛かりが全くなかったくせに、翼王が一番弱り切った今になって都合よく現れるなんて妙な話じゃねえか。いくらおれが馬鹿だからって騙されてぬか喜びするほど落ちぶれちゃいない」
白仮面に代わり、赤仮面の神官が答えた。
「いいえ、彼女こそが本物の片翼様でございます。何者かの呪いによってあの方は片翼となることが出来なかったのでございます」
「笑わせるな。あれが片翼であるはずがない。本物の片翼であれば気の流れを読むことができるし糞野郎と同じように鳥の言葉を理解できるはずだ。そして、治癒の力が使えるはずだ」
「片翼候補様の治癒のお力については先に提出いたしました報告書に記載しております通りでございます。ヴェル・ガイズ・ユリフェならびに中央神殿で治療した重症者が全快したことが何よりの証拠です」
「……彼女の治癒の力はモールクが貸したという奇妙な腕輪の力だろう。……それにもし仮に、彼女が本物の片翼だったとしても、彼女は片翼にはなれぬよ。風玉輪は十五年前にすでに何処かへ失われている。何より、そもそも、あの娘はそのような力をまるで持っておらぬではないか」
「いいえ。その認識は誤りでございます。彼女の力はサクィーエ・アルファスが西の魔の――」
「その名を口にするな!」
神官の言葉は突如として放たれた鋭い一言によって途切れた。
フィーネはラキアの様子が明らかにおかしいことに気づいた。
「……っ、サクィーエは……あの人は……」
ラキアの声は今までにないほど動揺に満ちていた。呼吸も荒くなり、彼は剣が傷むのも構わず刃を地面に突き刺し、その場に崩れ落ちた。うずくまって苦しげに胸元を鷲掴みにし、喘鳴とも嗚咽ともつかない声を漏らしながら剣に縋った。
サクィーエ、とは誰のことなのだろうか。彼の動揺の激しさから察するに何か過去にまつわる重大な出来事があったと思われるのだが、フィーネには皆目見当もつかなかった。
無防備な状態となったラキアに対して三人の神官はなおも剣を向けていた。三人の中では年長者と思われる赤仮面が穏やかな声で言った。
「すべては彼女が『籠守』の任にありながら、油断し、西の魔の王に風玉輪を奪われたことが発端です。風の聖霊の暴走もおそらくはそこに起因することであり、あなたに非はございません。ルジアーラ様の預言は信頼足り得ません。月蝕の晩に王都が滅びるなど、片翼の所在を秘匿し、先王陛下やあなたを欺き続けていたあの方の虚言にすぎません!」
「……っ、いいや。その見立ては誤りだ。わたしは即位の儀において、天の主神より直々に啓示を受けた」
「まさか……」
「だからこそ! わたしは次の満月までにわたしを滅さなければならぬのだ! たとえ、そなたらがわたしを止めようとそなたら自身の命を懸けてわたしを改心させようと試みても、わたしはこの決意をゆがめることはない!」
彼は剣を杖にして弱々しくも立ち上がった。
「いやはや。我々は我々の命をもってあなた様の決意を砕くと固く心に誓っております。我々の命をわずかでも惜しいと思ってくださるのなら、どうか自害をお考えになるのはおやめください!」
ラキアは静かに首を横に振った。無言の答えに三人は構えを一段と鋭くした。
「ならば、我々も本気で参らねばならないようです。不敬かつ手荒ではございますが、あなた様のお考えが変わるまで、力づくで参らせていただきます」
三人は腰を落とし、剣先をラキアに向けた。
まずい、とフィーネはラキアを助けなければと飛び出そうとする。しかし、尾をアシュハドに踏みつけられて転倒し、顎を円卓にぶつけた。
「なにするんですか!」
『動くんじゃねえよ。あいつなら大丈夫だ』
「……ですが、あのままじゃ陛下が危ないんじゃ」
『いいから黙って見ているんだ』
アシュハドと言い争っている間に右の茂みから再びラキアに向けて矢が放たれた。今し方苦しんでいたはずなのにラキアは瞬時に体勢を立て直すと再度、剣で矢を薙ぎ払った。寸刻の間も置かず姿勢を低くして地を蹴った。
瞬足の神のように姿が見えなくなったかと思えば、視界に再び現れた時にはすでに彼は白仮面の神官の間合いに入っており、左の拳で鳩尾を突いていた。
神官は一瞬呻いた直後、意識を失ってその場に倒れかけた。頭から崩れ落ちる神官の脇に手を差し込んで支えると、剣舞のように身を翻し、振り向きざまに背後から襲いかかってきた黒仮面の神官の剣の側面に強烈な一撃を放ち、叩き折った。
折れた刃は空を舞う。
剣を失い、次の手を考える間もなく動揺する黒仮面に向けて、ラキアは白仮面の身体を投げつけて転倒させた。息継ぎする間もなく右側から刃を勢いよく突き出してきた赤仮面の剣が彼を襲う。
だが、ラキアは刃を避けつつ身を屈めて間合いを詰めた。左手を自身の鞘を固定している金具に指をかけながら赤仮面の鳩尾を剣の柄で突いて動きを封じると同時に、剣の鞘を左手で大きく振り上げて、体勢を立て直して再び斬りかかってきた黒仮面の手首を打った。
ラキアはそのまま身を翻し、左手で鞘を帯に戻した。続けざまに右手の剣を振るい、黒仮面の剣を吹き飛ばした。
「おのれ」
武器を失ってもなお反撃しようとする小柄な黒仮面の神官の喉元すれすれのところにラキアの剣先が突きつけられた。
死の恐怖の本能に従い、反射的に身動きを止めた神官の手をラキアはそっと左手で包んだ。
白い手は驚きで大きく跳ねた。
ラキアは黒仮面が戦意喪失したことを確かめると、突きつけていた剣を下ろし、穏やかな笑みを向けた。
「ここまでだ。これ以上わたしを襲ってもそなたらの怪我が増えるだけだ」
「……しかし……」
「……わたしがふがいないばかりにすまないな。だが、そなたに傷つけられるつもりはない。わたしに傷を負わせればそなたは死ぬことになることはそなたも重々知っておろう? それは嫌なのだ」
「ですが……」
「風玉輪は十五年前に行方知れずとなり、今更本物の片翼が現れたとしても本来の力を引き出すことは不可能だ。だからな、ツァルム・ヘイ殿、カーク・レムド殿、ヂェド・ウヌ殿――」
「どうして我々の名を……」
彼は一人一人の名を呼んだ。先ほど気絶させられた神官もいつの間にか目を覚ましていた。神官達は名を呼ばれると鞭で打たれたように身を震わせた。仮面越しで顔がわからないはずであることと、まさか自分の名を知っているとは思ってはいなかったらしい。
「――そなたらは誰一人として欠けてはならない大事な者たちだ。決して命を粗末にしてはならない。だからどうか、この場は剣をおさめて退いてほしい」
三人は戸惑うように顔を見合わせた。
「――でしたら!!」
四人目の透き通るような声がこの場に響いた。
右奥の茂みの陰から現れた、弓矢を手にした小柄な神官は涙声になっていた。自ら黄色の仮面と黒い頭巾を外すと、まだ幼い少年だった。目を赤く腫らしながら彼はしゃくり上げた。
「……っ、でしたら! 後生ですから……陛下っ……ご自身のお命を奪うことだけはおやめください!」
まだ十になるかならないか、いとけなさの残る小さな少年は震えていた。ラキアは剣を鞘に納めると、その少年に歩み寄り、腰を屈めて目線を同じ高さに合わせて優しく両手を握った。
「……ありがとう、マルサ・サット殿。その気持ちだけでわたしは嬉しいよ」
「どうして……っ。なぜなのですか!? どうしてあなたが死ななければならないのですかっ! あなたは何も悪くないではありませんか。必ず我々が力を尽くしてあなた様が死ななくてもよい方法を探します。ですから――」
滝のようにまくし立てるマルサの言葉は次々と紡がれる。その口元にそっと指を立てて止めさせると、ラキアは諭すように言った。
「そなたの優しさはとても嬉しく思う。だがな、そなたはまだ幼い。そなたにはこれからの可能性が沢山あるんだ。見聞きしていかなければならないことが山ほどあるし、そなたを必要とする人が必ずいるはずだ。己をもっと大事にしなければいけないよ。たとえレリファ=シシカの命令だとしても、国のためだと言われても、絶対に自分の命を粗末にしてはならない。いいや、違うな。そなたのような幼子にこのような真似をさせてしまったわたしに非がある。どうか許してほしい」
「それは……」
「だからもうそなたらは帰りなさい。茂みの裏で隠れている最高神官長殿にはわたしが今から話をしてそなたらが咎を受けぬよう計らおう。それでも攻撃を止めぬと言うのなら、わたしはもうあんな賭けなど放棄する」
「ですが――」と食い下がろうとする幼い神官の肩を年長の三人の神官が押さえた。
赤仮面の神官は深々とラキアに頭を下げると朗々と響く声で言った。
「申し訳ございません。あなた様のお気持ちはたいへん嬉しく思います。ですが、我々は諦めるようなことは致しません。いいえ、したくないのです。先の星見の乱において、我々や肉親が受けたご恩は、あなた様がお考えになっているよりもずっと計り知れない大きさに育っております。ですから、我々はあなた様に生きていてほしいのです。必ずや、あなた様が生きられるような道を見つけてみせますのでどうか、諦めたりなさらないでください」
彼らは頭を深々と下げると去っていった。




